四の章 宗家襲撃
ザザッと間合いを詰める蜻蛉。楓はその動きに応じて下がる。
「楓様!」
耀斎が身構えて楓の前に出た。
「体術なら、私が相手をします!」
「舐めるなよ、小僧!」
蜻蛉は舌なめずりをして言い返した。
「耀斎様、ここは私が! 耀斎様は……」
亮斎と享斎を守って下さいと言おうとした。しかし、それよりも早く耀斎は動いていた。
「テヤッ!」
耀斎の連続した蹴りが蜻蛉に浴びせられた。しかし、蜻蛉はいとも簡単にそれをかわしてしまった。
「くっ……」
耀斎は敵が想像以上に素早いのに焦った。
「小僧、この俺を見くびっていないか? その程度の蹴りで、俺を倒すつもりか?」
次の瞬間、蜻蛉が耀斎へと飛んだ。
「ぬう!」
耀斎は蜻蛉の
「ぐうう……」
しかし、かわしたはずの掌底が耀斎の腹を襲った。まるで拳で殴られたかのように耀斎の腹がへこみ、彼は吹っ飛ばされて塀に叩きつけられた。
「耀斎様!」
楓は蜻蛉の攻撃が耀斎に届いていないのを見ていた。
「何、今の……?」
彼女の背を冷たい汗が伝わる。
「か…え…で…さ…ま…」
耀斎は気を失ったようだ。
「何とも頼りない用心棒だな、姫様?」
蜻蛉は耀斎を
「女子であるが、随分と凄みのある顔をするな。俺はそういう
蜻蛉から
「気ね?」
楓の言葉に蜻蛉が動きを止めた。
「む?」
楓はからくりを見抜いていた。
「打撃と同時に気を繰り出す。だからかわしても逃げ切れない」
蜻蛉は、ほぉという顔をし、
「さすが宗家の娘だ。気がわかるか。しかし、わかったところでそれまでよ」
「蜻蛉、油断するな。その娘は……」
後ろから蜥蜴が声をかけた。蜻蛉は、
「
とゆっくりと楓に近づいた。
「すぐに楽にしてやる。その
蜻蛉が「愛でる」と言った瞬間、楓は激高した。
「
「ぬ?」
蜻蛉は思わず後ずさりした。楓の気が爆発的に膨らんだのだ。
「な、何?」
楓は風を巻いて走り、一瞬で蜻蛉の懐に飛び込んだ。
「ぬあああ!」
蜻蛉は仰天した。逃れようとしたが、遅かった。
「うぐおおお!」
楓の正拳が
「ぐほぐほ……」
蜻蛉は苦しそうに崩れ落ちて白目を剥いた。楓は次に蜥蜴を見た。
「怪我したくなくば、立ち去るが良い」
楓は蜥蜴が老体なので、叩きのめしたくはなかった。しかし蜥蜴はニタッとして、
「遠慮無用。但し、私は体術ではない。陰陽師よ」
「陰陽師?」
楓は眉をひそめた。
「先程の児戯に等しい結界、破るに雑作もなかった。あの程度では、やり合うまでもない」
「くっ……」
楓は蜥蜴から感じる気を探り、彼の言葉が嘘でない事を知った。
「命は取らぬ。私は人を殺めるのを好まぬ。術者としての力、封じさせてもらう」
蜥蜴は懐から呪符を数枚取り出した。
「姫巫女流は日の本一と噂されるが、それはあくまで神道に限っての事。流派を問わずに比ぶれば、紛れもなく陰陽道の方が上よ」
蜥蜴は自信満々に言い放った。
「ならば試してみよ。我が姫巫女流がどれ程のものか!」
楓は挑発されていると知りながら、敢えて蜥蜴の誘いに乗った。
「中々に気の強い女子よ。そこまで申すなら、しっかりとその身に刻んでもらおうか、我が術を!」
蜥蜴は冷静に、しかし威圧感を込めて言った。
「はっ!」
彼は呪符を投げた。それはまるで生き物のように飛び、楓に迫った。
「うっ?」
呪符が楓の両方の二の腕、両足首、鳩尾に貼り付いた。
「気の流れをまず封じる。お前の気は、さすがに私でも手を焼くようなのでな」
「くっ……」
楓は全く気が巡らなくなったのを感じていた。
(封じられた?)
「そして気の流れが使えないお前は只の小娘。さァ、蜻蛉。先程の礼をするがいい」
「かたじけない、蜥蜴」
さっきまで白目を剥いていた蜻蛉が立ち上がっている。
「小娘、手加減したな。それはそれで俺にとっては屈辱よ。さっきの礼、させてもらうぞ」
蜻蛉は舌なめずりして楓に近づいた。
「姫巫女流を甘く見るな、下郎め!」
楓は呪符を着けたまま、蜻蛉の方に向き直った。
「やる気か? 気を使えないお前の体術なぞ、稚児の戯れよ」
蜻蛉は完全に楓を馬鹿にしていた。
「姫巫女流はそれほど底の浅い流派ではない」
楓は蜻蛉に突進した。蜻蛉はせせら笑い、
「愚かな。それ程死にたいか?」
と構えた。
「グエッ……」
しかし、また白目を向いたのは蜻蛉であった。
「何と……!」
蜥蜴も唖然としていた。気を練らなくても、楓の打撃は十分な威力があった。
「ううう……」
蜻蛉はまた崩れ落ちた。楓は再び蜥蜴を見た。
「今度はお前だ、蜥蜴」
「……」
蜥蜴は驚愕していた。
「その身体のどこにそれ程の力があるというのだ?」
「姫巫女流の鍛錬は常人の想像を絶する。私は兄達と同等の修行を積んで来たのだ」
楓は気合いを入れた。すると呪符がボゥッと燃えてしまった。
「く……」
蜥蜴の額を汗が伝わった。
「油断を誘うために、呪符を貼らせたという事か?」
蜥蜴は苦々しい顔で尋ねた。楓は、
「それもまた兵法の一つ。まだ戦うか、ご老体?」
と一歩踏み出した。蜥蜴はニッとして、
「当然。私はまだ切り札を残しておる。もはや命を奪わぬなどと言う綺麗事は言わぬ」
「そうか」
楓はチラッと耀斎を見た。彼はようやく意識を取り戻した。
「耀斎様、お退がり下さい」
「は、はい」
耀斎は自分が何もできない事を悟り、素直に引いた。
「この屋敷、すまんが全て壊してしまうぞ。怨むなよ」
蜥蜴の気が変化した。
「むっ?」
楓は蜥蜴の気の流れを読んだ。
「
蜥蜴は懐から取り出した呪符に呼気を当てた。
「我が
「……」
蜥蜴は呪符を掲げて、
「我が式神よ、我が命に従い、敵を滅せよ。
と唱えた。呪符は宙に舞い、やがて巨大な黒い鬼のような姿となった。
「ゴオオオオオッ!」
その式神は雄叫びを上げ、楓に向かった。
「くっ!」
楓はその突撃をかわす。式神は屋敷の一部に激突し、破壊した。
「逃れてばかりいれば、屋敷が潰れるぞ」
蜥蜴は愉快そうに言った。
「何という……」
耀斎は只呆然として遠くから二人の戦いを見ていた。
「お前は姫巫女流が
楓の言葉に蜥蜴は苦笑した。
「この期に及んで
楓は柏手を四回撃った。普通柏手は二回である。
「何をするつもりか?」
蜥蜴は眉をひそめた。そして、
「ええい、潰してしまえ!」
と叫んだ。再び式神が楓に向かった。
「姫巫女流奥義、
楓の右手に長さ四尺程の大きな光り輝く剣が現れた。それは栄斎が源斎を斬り捨てたものと同じであった。
「草薙剣だと?」
蜥蜴はキッとして、
「
式神は構わず楓に襲いかかった。
「斬!」
楓は気合いと共に剣を上段から振り下ろした。すると剣先から光が放たれ、式神を真っ二つに斬り裂いてしまった。
「ば、馬鹿な……」
蜥蜴は目の前で起こった事が信じられなかった。
「陰陽道は確かに一目置く存在。しかし、お前の陰陽道は違う。道を外れた陰陽道は、只の邪法。
楓は鋭い眼で蜥蜴を睨んだ。彼女はその流派の道を外れ、本道を汚す者が絶対に許せないのだ。
「
蜥蜴は痛いところを突かれ、言葉を出し
「ご老体、貴方はそのような術を使う方ではないはず。何故?」
楓は先程までの闘争心剥き出しの気を収め、優しい顔で尋ねた。
「宗家にいるお前にはわからぬ。流派が大きくなり、様々な思いが集うようになると、必ず私のような者が現れるのだ。姫巫女流もそれは同じはず」
「……」
確かに宗家でのんびりと育った楓は、一門の揉め事は全く知らない。
「お前の思いに報いよう。ここは引く」
蜥蜴はフッと笑って言った。彼は式神を使い、蜻蛉を背負わせた。
「だが、一門の火種は既に大きくなっているぞ。お前に消せるか?」
「……」
楓はこの二人が源斎と繋がっている事を改めて感じた。
「一つお尋ねしたい。源斎はいずこに?」
「それはある義理から教えられぬ」
蜥蜴は振り返らずに言った。そして、
「だが、何が起ころうとしているのかを思えば、わかるはず」
「はい」
楓は頭を下げ、蜥蜴を見送った。源斎の逆鱗に触れ、命を落とすかも知れない彼の無事を願いながら。
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