三の章 楓の力

 結局その日、楓は徹夜で門の番をしたが、賊は現れなかった。

 朝日が眩しい。あれ程の惨事があったにも拘らず、空気が澄んでいた。

「賊も現れなかったけど、父上も……」

 楓には栄斎の方が気になる。

「叔母上、父上は?」

 亮斎が享斎を伴って楓のところに来た。

「危ないからお屋敷を出ては駄目よ、二人共」

 楓はそこで溜息を吐いてから、

「亮斎、何度言えばわかるの? 叔母上ではなくて、楓お姉様よ!」

 亮斎は昨日は怒られなかったのにと思ったが、口では楓に勝てないので、

「ごめんなさい、お姉様」

 形だけ詫びた。楓は真顔になって、

「貴方達の父上様は、遠い所に行ってしまわれたわ」

「もう会えないの?」

 享斎が尋ねる。亮斎はすでに涙ぐんでいる。彼には父の死がわかったようだ。

「そうね。でもいつか会えるかも知れない」

 楓は貰い泣きしそうな自分を叱咤し、何とか涙を堪えた。

 徹斎の魂魄は消失してしまった。死んだのではなく、消えてしまったのだ。やり切れない思いが楓の心に溢れた。

「あら?」

 楓は視界の端に誰かが入ったのを感じ、門の外に目を向けた。

「楓様、お久しゅうございます」

 そこに立っていたのは、出雲から夜通し歩いて来た耀斎だった。楓は吃驚して、

「耀斎様! どうなさったのですか、こんなに朝早くに?」

「宗家の一大事と聞き及び、第一分家のお役目を果たすために馳せ参じました」

 耀斎はその場に跪き、深々とこうべを垂れた。

「まあ。もう出雲まで話が伝わっているのですか」

 楓はそう言ってから、

「お顔をお上げください、耀斎様。私は第一分家の跡目を継がれる方に跪かれるような身分ではございません」

 慌てて耀斎に近づいた。耀斎はハッとして顔を上げた。すぐそばに楓の美しい顔があった。彼は胸が高鳴り、顔を紅潮させた。

「滅相もございません、楓様に比べれば、私などまだまだ未熟者です」

「いえ、私は宗家の娘ですが、跡目ではありません。ですから……」

 楓は混乱しそうになっていた。耀斎は年下で分家の嫡男であるが、自分の立場から見れば、上なのだ。しかし耀斎はそう思っていない。自由人だった楓は、今自分の立場が劇的に変化している事を思い知った。

「聞けば、栄斎様が行方知れずとか。ならば、今は楓様が宗家を取りまとめるのが一番でしょう」

 耀斎は嬉しそうに言ってしまってから、楓の後ろで悲しそうな顔で自分を睨んでいる二人の子供に気づいた。

「もしやそちらは……?」

 耀斎は冷や汗を垂らしていた。楓は亮斎と享斎を見て、

「兄徹斎の子達です」

「そ、それは失礼致しました」

 耀斎は慌てて平伏した。

「申し訳ございません。徹斎様のお子様と存じ上げず、ご無礼致しました」

 耀斎が楓を称えたのは、彼らをないがしろにするためではない。憧れの女性と話したいが為の彼の思いから出た言葉なのだ。だから余計に耀斎は動揺していた。

「お気になさらないでください。この子達にはよく言って聞かせますので」

「はは」

 耀斎は顔が上げられない。粗忽な自分を楓に見られたのが恥ずかしかった。

「さ、お屋敷に戻りなさい。私はもう少し耀斎様とお話がありますから」

「はい、お姉様」

 亮斎は享斎を伴い、屋敷に戻って行った。

「耀斎様、立ち話では失礼でしょうから、こちらへ」

 楓は庭の奥へと先導した。

「は、はい」

 耀斎は改めて憧れの楓と二人きりなのに思い至り、赤面して後に続いた。


 その頃源斎は、手下二人と共に御所ごしょを目指していた。

「鬱陶しい宗家は滅した。後は天下を獲るのみ」

 源斎は朝廷をも滅してしまおうとしていたのだ。

「む?」

 しかし彼は、宗家の方角から何かを感じた。

「どういう事だ? 宗家の気が盛り返しておる」

 源斎は陰陽師の蜥蜴とかげを見た。蜥蜴は跪き、

「宗家にはまだ術者が残っております兆候がございます」

「術者とな。徹斎の子はまだ幼い。恐るるに足らぬ」

 源斎は再び歩き出した。ところが蜥蜴は、

「いえ、別におります。徹斎が妹、楓にございます」

「楓?」

 源斎は以前父斎明と共に宗家を訪れた時、若い女がいた記憶が甦った。まだその時はお互い幼く、挨拶も交わしてはいない。公式の場には女は顔を出さないという宗家の古い仕来りもあったためだ。

「女一人に恐れる事はあるまい」

 源斎は蜥蜴の話を年寄りの取り越し苦労にしか思っていない。

「いえ、楓は相当な術者にございます。この蜥蜴、このような身に落ちる以前、一度だけ見た事があるのです」

「見た? 何を見た?」

 源斎は苛立たしそうに歩を止めて蜥蜴を見下ろした。

「楓は空を飛びまする」

「空を? 嘘を申すな」

 源斎はムッとして言い返した。しかし蜥蜴は真剣な顔で、

「嘘ではございませぬ。鞍馬山で修行中に、偶偶たまたま見たのですが」

「鞍馬山?」

 源斎の顔が変わった。天狗が棲むという山に楓がいたのが気にかかったのだ。

「楓が連れていた子が、木に登って降りられなくなっておったのを、楓が空を飛んで助けたのです」

「……」

 源斎は姫巫女流古神道の全てを知っている訳ではない。しかし、姫巫女流の長い歴史の中で、空を飛んだ術者の話は聞いた事がなかった。

「もしそれがまことの話であれば、朝廷の前に仕留めておくべきだな」

「はは」

 源斎は再び歩き出した。但し、今度は宗家に向かって。


 耀斎は庭の中央に建てられた東屋あずまやで楓と話していた。

「これは父上の考えとして聞いて頂きたいのですが」

 耀斎は赤面しながら声を低くして言った。

「はい」

 楓の顔が近づく。耀斎は更に赤面して、

「栄斎様は、源斎にお身体を奪われたのではないかと」

「え?」

 楓は仰天した。栄斎は源斎を斬り捨ててから人が変わったような顔になったと末吉が言った。もし、耀斎の父晋斎の話が真実ならば、合点が行く。しかし、源斎にそのような力があるのだろうか?

「源斎はそれ程の術者ではないと思われますので、父の話も確かなものとは申せません」

 耀斎もその点は気づいているようである。

「その事なのですが、一つ気になる事があるのです」

「はい」

 耀斎は居ずまいを正した。楓は袖の中から小さな透明の玉を取り出した。

「これは、源斎という人の骸のそばで封じた妖気です。この妖気、今までに感じた事のないようなものなのです」

「妖気?」

 耀斎は恐る恐るその玉を受け取った。楓に自分が怖がっている事を悟られないように。

「こ、これは……」

 耀斎はその妖気に似た気に覚えがあった。出雲にある伊賦夜坂いぶやさかだ。昔から黄泉の国との境と言われている場所である。

「これは黄泉の国のものです」

 耀斎の答えに楓は暗い顔になった。

「やはり黄泉路古神道ですか。源斎はそんな術をどこで修得したのでしょう?」

 楓の問いかけに耀斎は答えを持ち合わせていない自分が情けなかった。

「黄泉路古神道の開祖は建内宿禰たけしうちのすくねと言われております。その辺りを探ればあるいは……」

 それが精一杯の答えだった。すると楓はニッコリして、

「そうですね。答えは奈良にありますね」

 耀斎はそれだけで天にも昇る心地であった。

 その時だった。

「何?」

 楓が急に身構えた。耀斎も異様な気を感じ、周囲を見渡した。

「やはり結界を張っているか。しかし、この程度のもの、私には児戯に同じ」

 男の声がし、結界が消えた。

「破られた?」

 楓はギクッとして門へと走った。

「楓様!」

 耀斎がこれを追う。


 宗家の門の前に蜥蜴と蜻蛉が立っていた。

「さて、手始めに暴れてくれ、蜻蛉」

 蜥蜴が狡猾な笑みを浮かべて言った。蜻蛉はフッと笑い、

「承知!」

と叫ぶと、門の中に足を踏み入れた。

「何奴?」

 楓が怒鳴った。蜻蛉は楓を見下ろし、

「我が名は蜻蛉。お前を滅す」

「何ですって?」

 耀斎も来た。彼は異様な風体の男二人にギョッとした。

「私は蜥蜴。お命頂戴つかまつる」

 蜥蜴は静かに言った。

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