二の章 楓、宗家に戻る

 楓は宗家の門の前で唖然としていた。真っ二つに斬り裂かれて死んでいる源斎がいたのだ。

「この人は……?」

 彼女は一度だけ源斎の顔を見ている。でも話したことはない。恐らく源斎の方は、楓に気づいていなかったはずだ。

「何があったの……」

 楓は亮斎と享斎が死体を見ないようにしっかりと抱きしめ、屋敷に向かった。

「楓様!」

 父栄斎の付き人である末吉という老人が駆けて来た。顔面蒼白で、今にも倒れそうである。

「末吉さん。何があったのです?」

 楓は亮斎と享斎を気遣いながら尋ねた。末吉は土下座をして、

「徹斎様、慶斎様、斎英様、討ち死ににございます」

「討ち死に?」

 楓は二人の子供達を見てから、

「とにかく奥へ。話はそれから伺います」

「はは」

 末吉は土下座をしたままで答えた。


 楓は屋敷の中が荒らされていない事を知り、少しだけホッとした。そして亮斎と享斎の二人を二人の乳母に頼むと、末吉と共に奥の部屋に行った。

「兄上達が討ち死にとはどういうことですか、末吉さん?」

 楓は末吉と向かい合って正座し、尋ねた。

「門のところで死んでいるあの男がいきなり現れまして、徹斎様達と戦い始めました」

「あの男が?」

 源斎が何故? 彼の事をまるで知らない楓には、合点がいかない。

「それで、男は真っ黒なつるぎを出して、あっと言う間にお三人を斬ってしまいました」

「真っ黒な剣?」

 楓はギョッとした。

(それはまさしく黄泉剣よもつつるぎ。そんな剣を使えるという事は……)

 楓はギュッと両手を握り締めた。

「そうですか。兄達は亡くなってしまったのですか……」

 年の離れた楓を、三人の兄達はとても可愛がってくれた。楓の頬を涙が流れた。

「兄様方……」

 黄泉剣で斬られれば、魂魄まで消失すると言われている。三人の兄達には、自分が死んでもあちらの世界で会う事すらできないのだ。

「あ」

 その時、楓はあることに思い当たり、涙を拭った。

「末吉さん、父上はどうされたのです?」

 末吉は首を横に振り、

「わかりません。大旦那様は賊を切り捨てると、まるでお人が変わられたようなお顔になって、屋敷を立ち去られました」

「父上が?」

 どういうことだ? 楓の頭の中は疑問で溢れ返った。

 源斎が兄達を殺した。

 父栄斎が源斎を斬り捨てた。

 父栄斎は何故かどこかへ行ってしまった。

 そして、源斎の骸のそばで感じた言いようのない妖気。

「あんな気、今まで感じた事がない。人のモノとは思えない。何だったのかしら、あれは?」

 楓はその妖気に底知れぬ恐ろしさを感じていた。


 一方栄斎の身体を乗っ取った源斎は、比叡山の一角に来ていた。

「これより戦を始める。時が来たのだ」

 源斎は彼の前で跪く二人の男に言った。一人は壮年、もう一人は老年である。

「我々闇の者達が、遂に戦う時が来た。虐げられて来た者達が、勝つ時が来たのだ」

 源斎の言葉に二人は深々と頭を下げた。

「我々は道から外れし者として、日陰者として生きて来た。しかしそれももう終わる」

「はは」

 源斎は二人を見た。

蜻蛉かげろう

「はい」

 壮年の男が返事をした。忍び装束のような出で立ちだ。

蜥蜴とかげ

「はい」

 老年の男が返事をした。こちらは白装束である。

「行くぞ」

「はは」

 三人は歩き出した。どこへ行くつもりなのだろうか?


 宗家襲撃の話は、すぐさま第一分家のある出雲に伝わった。

「何という事だ。源斎が宗家を襲うとは……」

 第一分家の当主である小野晋斎は沈痛な面持ちで早馬で伝えられた文を読んでいた。

「現実のものとなったか、黄泉路古神道が。次に狙われるのはここか……」

 晋斎は文をギュッと握りしめた。

「宗家の三人が弑されたとなれば、これから小野一門はどうなってしまうのだ?」

 晋斎がそう呟くと、それを聞いていた嫡男の耀斎が、

「父上、まだ楓様がいらっしゃいます。あの方こそ、宗家一番の術者にございます」

「そうだったな。女子おなごが故に継承者たり得ないが、楓殿こそ…」

 晋斎はピクンとした。

「もし源斎の真意が宗家を滅する事にあるのならば、楓殿のお命が危ういやも知れぬ」

「はい」

 耀斎もその事を危惧しているようだ。

「耀斎、すぐに出立せよ。楓殿をお助けするのだ。宗家に事ある時、それを守るは第一分家のお役目だ」

「はい、父上」

 耀斎は元気良く答えた。

「何やら嬉しそうだな、耀斎?」

 晋斎は耀斎の心の内を見透かしている。耀斎はビクッとして、

「な、何でございますか、父上?」

 晋斎はフッと笑い、

「まァ良い。とにかく急げ」

「はい」

 耀斎は十六歳。一つ歳上の楓に淡い恋心を抱いているのは、父である晋斎はよく知っていたのである。

「しかし、源斎、一体どうやって黄泉路古神道を修得したのだ?」

 晋斎は源斎の背後に何かあるのを感じ、その事が気になった。


 楓はもう一度賊が現れた時の事を考え、屋敷の周囲に結界を張った。

「これでそう簡単には中に入れないはず」

「お見事にございます。さすが楓様」

 末吉は涙ぐみながら言った。楓は微笑んで、

「末吉さん、あまり重荷に感じないでいいのよ。今はとにかく備える事。そして、父上の行方を探る事」

「はい」

 楓は源斎の遺体を末吉に運んでもらい、宗家の庭にある斎場に安置した。

「いくら宗家に弓引いた者とは言え、死んでしまえば皆同じ。手厚く弔いましょう、我が流派で」

 末吉は納得が行かない顔をしていたが、

「はい、楓様」

と応じた。

「それにしても、父上はいずこに……」

 楓はそれだけが気がかりであった。

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