ヒメミコ伝 小野宗家編

神村律子

神在月の巫女

序の章 黄泉路に落ちた男

 はるか邪馬台国の時代から連綿と続く姫巫女流ひめみこりゅう古神道こしんとう。その継承者の家系である小野家は日本全国に「小野神社」を有し、陰で国を支えて来た。 


 小野源斎。小野家のある分家の後継者である。


 齢十五にして天才の片鱗を見せ、すでにその力は父である斎明さいめいを凌駕していた。

 それ故に源斎は道を踏み外す。決して手を出してはならない禁呪に近づいてしまった。


 時は一気に動乱の時代を迎えようとしている頃。所謂いわゆる幕末である。

 斎明は、西洋人の手によって日本が滅ぼされると本気で考えている攘夷派の人間だった。

「徳川の世が終わるのは良い。しかし、南蛮人はそれだけでは収まるまい。必ずや帝にまで害をなすはず」

 源斎は斎明の言にただ頷くだけである。

「よいか、源斎。我ら小野家一門は千年近くの長きに渡り、朝廷を裏で支えて来た一族。今回はまさしく朝廷始まって以来の一大事。必ずや南蛮人を討ち、日本を守るのだ」

 斎明の考えが時代の潮流に取り残されていることを源斎ははっきりと悟っていた。

( 父上は自分の無知を知らぬ。世にこれほどの愚かしいことがあろうか……)

 源斎はその時父殺しを思い立っていた。

( このままあの父を生かしておいても、俺はもちろん、日本のためにも小野の一族のためにもならぬ )

 すでにこの頃の源斎は自惚れていた。実力のある自分が実力のない父親を殺すのは正当なことだと考えたのである。


「何だ、源斎? 妙に殺気立っておるが……? 何かあったのか?」

 自分の部屋に声もかけず、音も立てずに忍んで来た源斎を見て、斎明は驚いていた。

「何もありませぬ。しかし…」

 源斎は言葉を切った。斎明はムッとして、

「何だ? 申してみよ」

「これから起こりまする」

「何? わけのわからんことを申すな。これから何が起こるのじゃ?」

 斎明はその時書をしたためていたのであるが、筆を投げ出して立ち上がった。源斎はそんな父親を軽蔑した目で見たまま、スーッと右手の人差し指を斎明に向けた。

「父上が死ぬのでございます」

「何!?」

 斎明は何も防御の手立てができなかった。

「うわァッ!」

 斎明の身体に黄泉醜女という死の国の魔物が何体も取り憑いた。

「げ、源斎、貴様、まさか黄泉路古神道よみじこしんとうを……」

 溶けて行く顔を引きつらせながら、斎明は源斎を睨んだ。源斎は黙ってニヤリとした。

「お、愚か者めェッ!」

 斎明はそう叫ぶと消えてしまった。源斎はカッと目を見開き、

「父上如きに愚か者呼ばわりされる源斎ではない!」

と怒鳴った。


 源斎は翌朝、京都にある小野宗家の邸を訪ねた。源斎は栄斎の力に畏怖の念を感じていたが、今回のことは誇らしく思っていたので強気だった。

「何用だ?」

 源斎は正門の前で栄斎の息子三人に中に入るのを阻まれた。

「……」

 源斎は何も言わずに三人を見た。長男徹斎、次男慶斎、三男斎英。いずれも源斎以上の力を持つ術者であった。しかし、源斎はもはや三人を超えたと思っていた。いや、栄斎すら超えたと思っていた。

「その目……。人を殺して来た者の目だな」

 徹斎がまるで源斎の心を見透かすかのように言った。源斎はニヤリとして徹斎を見ると、

「さすがですね。しかしその先は読めませんでしょう?」

 徹斎はカッと目を見開き、

「読めておる! 貴様、父上を殺しに来たな!」

 身構えた。慶斎と斎英もバッと身構えた。しかし源斎は全く怯んでいなかった。

「お三方には用はありませぬ。お退きくだされ」

「ふざけおって!」

 三人それぞれが光の剣を出した。

「貴様、分家の、しかも最下級の者が、宗家三兄弟を相手に勝てると思っているのかァッ!?」

 慶斎が怒鳴った。源斎は慶斎に目を転じ、

「思っておりますよ。我が術はお三方を一瞬にして葬り去れますので」

「貴様ァッ!」

 三人は一斉に源斎に斬りかかった。源斎はスーッと漆黒の剣を右手に出し、身構えた。

「何?」

 徹斎はこれに気づいて踏み止まったが、慶斎と斎英は構わず源斎に斬りつけた。

「やめろ、お前達! そいつの持っている剣は……」

 徹斎は叫んだ。だがすでに慶斎と斎英は黒い剣に真っ二つにされていた。

「たわいもない。宗家の方とは、この程度でしたか。これでは千年の歴史が泣きまするな」

 源斎は嘲笑して徹斎を見た。徹斎はキッとして源斎を睨み、

「愚か者め! 宗家の力、甘く見るな!」

 右手に別の長剣を出した。源斎はニヤッとして、

「ほォ。それは神剣十拳の剣。宗家の正当継承者のみが用いることのできる剣」

「そこまで知っていながら、まだこの私に刃向かうつもりか? つくづく愚か者よ」

 徹斎は勝利を確信し、フッと笑った。

「しかしその剣にも斬れぬものがありまする」

 源斎は全く冷静だった。徹斎は眉をひそめて、

「何だと!?」

 源斎はバッと黒い剣を振り上げ、

「それこそがこの黄泉剣! 暗黒の魔剣でございます!」

「やはり……」

 徹斎はギリギリと歯ぎしりして、

「宗家の後継者として、貴様のように邪法に身を委ねた者を生かしておくわけにはいかぬ」

 次の瞬間、十拳の剣と黄泉剣がぶつかり合い、火花が飛び散った。

「なるほど。確かに長兄徹斎様。実力では栄斎様以上と噂されるだけのことはある」

「くっ…」

 徹斎は源斎の余裕の表情を見て焦っていた。

「おのれ!」

 徹斎は源斎から一旦離れ、次の一撃を繰り出すため、動こうとした。しかし足が地面に根を張ってしまったかのように動かなかった。

「そ、そんな…」

 徹斎の足は溶け始めていた。

「今すぐ楽にして差し上げまするよ、徹斎様」

「おおおっ!」

 源斎の黄泉剣が、徹斎を一刀両断した。徹斎は黄泉の黒火に焼かれ、消滅してしまった。

「はっ!」

 源斎はその時、門の中から迫る凄まじい気を感じ、思わず後ずさった。

「そうか。貴様、やはり黄泉路に足を踏み入れたか」

 白髪に白く長いひげの老人が姿を現した。源斎は身構えながら老人を見て、

「栄斎様か?」

 老人は大きくゆっくりと頷き、

「いかにも。わしが小野栄斎じゃ。貴様、源斎じゃな? 斎明はどうした?」

 源斎はニヤリとして、

「殺しました。我が手で!」

 右手を突き出し、握りしめた。栄斎はカッと目を見開き、

「自分の父親を殺しておきながらその態度、人としてあるまじきものじゃな。その思い上がり、叩き潰してくれるわっ!」

 そのあまりの気迫に、源斎は一瞬ビクッとした。

「ひとふたみよ いつむななやこのたり ふるえふるえ ゆらゆらと ふるえ」

 栄斎は呪文を唱え、柏手を二回打った。

「神剣草薙の剣!」

 栄斎が唱えると、右手に十拳の剣よりひとまわり大きい剣が現れた。

「徹斎、慶斎、斎英の礼、させてもらうぞ」

 源斎は十拳の剣の他に神剣があることを知らなかった。彼は焦っていた。

( 何ということだ。まずい。黄泉剣以上の力を感じるぞ、あの剣…)

「覚悟せい、源斎!」

 栄斎は剣を上段に構え、源斎に近づいた。

( くっ。足が動かん。何という壮絶な気なのだ……。こ、この俺が動けぬ… …)

『源斎よ、うぬに力を貸そう』

 どこからともなく、不気味な、男とも女ともわからない声が聞こえた。源斎はハッとして、

( 今の声は何だ? )

 周囲を見回した。

「どこを見ている!?」

 栄斎の剣が源斎を斬り裂いた。

「うおおおおっ!」


 源斎は確かにその時死んだ。しかし、彼は黄泉の国の住人である建内宿禰たけしうちのすくねによって救われ、その魔の力によって栄斎の身体を乗っ取った。栄斎の魂は封じられ、その肉体は源斎のものとなってしまった。

「フッ」

 源斎は真っ二つに斬り裂かれた自分の骸を見下ろして苦笑した。

「妙なものよ。自分で自分の死骸を見ることになるとはな」

 源斎は小野宗家を離れ、そのまま行方をくらましてしまった。


 小野楓は小野宗家の末子にして、実は宗家最強の術者である。まだ十七歳の楓は、源斎が宗家を襲撃した時、徹斎の子供二人と共に鞍馬山を散策していた。

 楓は現代風に言えば長い髪をポニーテールのように結い、巫女の装束を着ている。女であるが故に宗家を継ぐ事はできないが、彼女はその事を悔しいと思った事はない。むしろ気楽な身分なので、喜んでいるのだ。

「何、今のは?」

 楓は邪悪な気を感じ取り、宗家のある方角を見た。

「まさか!?」

 楓の動揺が二人の甥に伝わった。

「どうしたの、叔母上?」

 徹斎の長男である亮斎が尋ねた。普段なら、

「叔母上はやめなさい。楓お姉様とお呼び」

 そう叱る楓だが、今日はそんな余裕はなかった。

「宗家で何かあった。戻るぞ、二人共」

「はい、叔母上」

 次男享斎も答えた。

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