殿方ごめんあそばせ(三)

 魔法戦が火戦と違うところは、兵士の持つ個人的な資質が、そのまま兵力の規模に直結するということだ。おなじスペルを唱えても、術者によってケタ違いの威力が発揮される。多勢に無勢の戦いであっても、かんたんに相手をねじ伏せてしまえる。こと魔法を主力とした戦いにおいては、ランチェスターの法則は当てはまらないというのが軍事の鉄則だ。

「あなたたち、さっきは面白いから手加減してあげたけれど、今度は本気でいくから覚悟なさい」

 ルーダーベの顔から笑みが消えた。半眼にとじられた瞳の奥で、青白い瞋恚の炎がメラメラと燃えあがる。


 オレムス スピリトゥム グラキエイ

 はるけき七番目の天にまして けがれ多き三番目の地に遣わされたまう

 乳よりも白く 薔薇よりも赤く 夜よりも幽暗として 暁のごとく照らすものよ


 スペルの詠唱に合わせ、しだいに大気の透明度が増してゆく。あらゆる匂いが消え失せ、冷却された水蒸気が白い靄となって足もとをただよう。樹幹の繊維が裂けるバキバキという音があちこちから聞こえてくる。周囲の気温が急速に下がっているのだ。

 四人の魔法兵は、あわててカウンターマジックを唱えはじめた。

「スィーム・ポモツテ・プロスィーム、巨人族の祖にして全智なる……」

 しかし寒さのためこわばった口は思うように動かず、やがて歯の根が合わなくなる。低体温による生命臨界点は、およそ摂氏三十度。逃れようとしてもすでに四肢の感覚は失せ、虚血のため紫色になった唇から弱々しいうめき声が漏れる。


 エジプトの初子を殺せしものよ たつときその名はシャルギエル

 われ咒をもて汝をファラオの封印より解き放たん

 アルス マグナ アド インフィニトゥム


 詠唱の終了とともに、視界がぐにゃりと歪んだ。極度の低温が、周囲の光を捻じ曲げているのだ。

 四人の魔法兵は完全に動きを止めていた。膨張した体液が全身の血管を突き破り、彼らの顔に青黒い網目模様を浮かびあがらせている。

 水蒸気が凍ってできるダイヤモンドダストが、仄白い月光にキラキラと輝いた。枝から何本もの氷柱をさげた庭木が、白いオバケのように四人の頭上へ覆いかぶさっている。

 完全に静止した世界。

 光と静寂のファンタジー。

 ルーダーベが指をパチンと鳴らすと、それを合図に四人は棒ぐいのように次々と倒れていった。

「……まったく、とんでもない女だ」

 凍った草をパリッと踏み鳴らし、ヘス中尉がゆっくり立ちあがった。あたまからかぶっていたフードを跳ねのける。

「我らが科学の粋を凝らして造りあげた魔法兵を、こうもあっさりと倒してしまうとは、いやはや恐れ入ったよ」

 ルーダーベは、かじかんだ両手に息を吹きかけて不満そうに鼻を鳴らした。

「ちょっとなによ、魔法が通じてないってことは、あなたもあの悪趣味なタトゥーを入れてるわけ?」

「バカなことを。定期的に死体から皮膚を移植しなければならない身だ。タトゥーなど入れるはずもない」

「じゃあ……わかった、そのローブでしょう。魔法を跳ね返すマジック・アイテムとかなんとか」

 ヘス中尉は、木炭色のローブのえりを指でピンとはじいてみせた。

「この布地は四大精霊の血で染めあげている。貴様の使う魔法は、すべて相克する属性を持つエレメンタルの血によって遮られるというわけだ」

「だっさ。雷よけに雨ガッパを着る発想ね」

「なんとでも言うがいい」

 彼はローブのなかに吊ってあるホルスターから自動拳銃をつかみだした。トカレフ一九三〇だ。銃口をまっすぐルーダーベに向け、勝ち誇ったように笑う。

「フフフ、近代兵器の素晴らしいところは、だれが扱ってもおなじ火力が得られるということだ。歴戦の勇士であろうがブートキャンプを終えたばかりの新兵だろうが、トリガーさえ引けば等しく弾が飛び出す」

「あらあら拳銃持って嬉しそうに。ジャギかおまえは」

「なるほど、ハルマゲドンの魔女とは言いえて妙だが、魔女ならば最後は狩られる運命にあるということを思い知らせてやらねばなるまい。食らえっ」

 ヘス中尉が引き金をひいた。つづけざまに四発。凍えた夜気に、鋭い銃声が響きわたる。しかし弾はすべて左右へ逸れた。ルーダーベが腰に手を当て、からかうように胸を張ってみせる。

「私は、死にましぇーん。あなたが無能だから」

「フン、さてはステルス魔法を使ったな。身辺に高密度のエーテル層を作りだして光を屈折させ照準を狂わせる。しかしこの至近距離だ、どのみち適当に撃ってもいつかは命中するだろう」

 そう言ってさらに四発を撃った。薬莢が次々と後方へ跳ね飛ぶ。はじめの三発は逸れたが、最後の弾丸がルーダーベの腹を直撃した。

「ぐうっ」

 うめき声とともに口から血がこぼれる。オリハルコン製アーマーのおかげで貫通はまぬがれたが、まるでプロボクサーから拳を受けたような衝撃が彼女を襲っていた。腹を押さえ、歯を食いしばってその場にうずくまる。

「……よくも……やって……くれたわね」

 うまく呼吸ができていない。ヘス中尉は空になった弾倉を予備のものと交換しながら、下品に舌舐めずりした。

「ほう、鎧のうえからでは弾が命中しても死なないのか。これはよい。ひとつそのアーマーの防弾テストをしてやろう。トカレフ弾を何発まで耐えしのげるか、ぜひその身をもって証明してくれたまえ」

 ルーダーベは庭木の幹を支えになんとか立ちあがると、地面にペッと血を吐いた。

「ほざいてろ」


 フィアト レガトゥム レギオニス

 来たれ軍勢を統べるもの 神の厳格なるものよ 燃えあがるもの 無慈悲な熾天使たちよ

 地母とわれは一体なり 天父とわれは表裏なり


 呼吸を整え、雷撃のスペルを唱える。

 大地がしだいに静電気を帯びて、木々の枝葉がザワザワと音を立てはじめる。

 ヘス中尉はトカレフの遊底を引いて、ふたたび銃口をルーダーベに向けた。

「バカな女だ。貴様の魔法などすべてこのローブに遮られるというのがまだ理解できないらしい。遊びはもう終わりだ、死ねっ」

 たてつづけに発砲した。トカレフは八連発式の銃だ。うち一発がルーダーベの頰をかすめ、もう一発が太ももを傷つけた。裂けた皮膚から血が流れだし、彼女のほっそりした足に赤い筋をつける。


 セクエレ スピリトゥム フルミニス

 王の印璽によりわれは命ず 火雷の精霊よ 天空のことわりを奉じ 空をつらぬけ 大地に槌をおろせ

 エル・エロヒム・テトラグラマトゥン・ヨッド・ヘー・ヴァゥ・ヘー


 詠唱が終わる間ぎわ、ルーダーベは一瞬のスキをついて腰のレイピアを抜き放った。細身の刺突剣だ。レイピアは一直線に飛んでヘス中尉の腹部を貫いた。

「ぐっ、愚か者めが、このからだはもともと死体だ。剣で刺されたくらいで……」

 ルーダーベが微笑んだ。

「お仕置きだっちゃ」

 レイピアから閃光が立ちのぼった。太い光線の帯が枝分かれしながら天空とつながる。轟音が大地を震わせた。刀身に落雷したのだ。剣を媒介して流れ込んだ数億ボルトの電流が、ヘス中尉のからだを駆けめぐった。

「ぐわあああっ」

 ローブが燃えあがり、全身の毛穴から血が吹き出す。

 髄液が沸騰し、まるでクラッカーを鳴らすように彼のあたまが破裂した。

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