殿方ごめんあそばせ(二)
「ここだよ」
ヘス中尉は、自分のあたまを指でコツコツと叩いてみせた。
「ようは、あたまの問題なのだ」
ルーダーベがフンと鼻息を吐く。
「たしかに私、名門の血筋をひいているからIQは高くてよ。でもその理屈でいうなら、あのアインシュタインは稀代の大魔道士ってことになってしまわないかしら」
「そうではない。私は脳の構造のはなしをしているのだ」
「脳の構造?」
いぶかしむルーダーベを冷ややかに見おろし、ヘス中尉が尊大な態度で言った。
「魔力を発生させるのが、おもに右がわ前頭葉にある眼窩前頭皮質だということはすでに解明されている。いっぽうスペルの詠唱をつかさどる言語中枢のブローカ野は、左の大脳皮質に存在している」
「ちょっと待って、なんのはなしをしているの?」
「まあ聞け。これら左右に分かれた脳は、脳梁という神経繊維でつながっているが、捕虜にした魔法使いどもの脳を解剖した結果、彼らの脳梁の太さが常人にくらべ倍以上であることが分かった」
「へえ……どうやら愉快なはなしではなさそうね」
ルーダーベが無意識に自分の髪の毛をもてあそびはじめる。眉間のたてじわが、いっそう深くなった。
「悪いけど私、そんな与太に付き合っているヒマはないの。結論だけ述べてくれるかしら。あなた、いったいなにが言いたいわけ?」
「よいか、魔法を使うということは、瞬時に左脳と右脳のあいだで大量の神経伝達がおこなわれるということだ。しかしそのために必要とされるニューロンが常人には不足している。脳梁の太さなど思春期まえに定まってしまうからな。成人してからいくら修行を積んでも魔法が使えるようにならないのは、そのためだ」
ヘス中尉は、背後に居ならぶ魔法兵たちを指して言った。
「しかし我々の科学はついにその問題を克服したのだよ。見たまえ、この者たちを。彼らはもともと魔法使いではなかったが、脳内にブースターを埋め込み、左右の脳を導電性の高いミスリル銀のケーブルでつないだことによって、神経パルスの信号伝達スピードを毎秒五〇〇メートルまで引きあげることに成功した。その結果、並みの魔法兵など足もとにもおよばぬ強力な魔法が使えるようになったのだ」
見れば、毛髪を落とした四人のあたまには、生々しい縫合痕があった。大掛かりな脳外科手術がほどこされた証拠だ。彼らには眼球がなく、乱暴に縫い合わせた眼窩のすき間からは、電子素子の放つ発光ダイオードの明滅がチカチカと漏れている。
スィーム ポモツテ プロスィーム
巨人族の祖にして 全智なる闇の支配者よ 神の名を貶めるものよ
われら汝に乞い願い 祈祷したてまつる 煉獄の炎もて 肉を食み 魂喰らいたまえ
スペルの詠唱がはじまった。
きな臭い風が巻き起こり、急激な温度上昇によって視界が揺らぎはじめる。
四人の詠唱には、それぞれ混声パートが割り当てられていた。バス、テノール、アルト、ソプラノ。すべての声域が重なって完璧なハーモニーを作りあげている。スペル同士を共鳴させることによって相乗的に威力を高めてゆくという、訓練された魔法兵だけが使える高度な戦術だ。
周辺に生える木々のあいだからパチパチと薪の爆ぜるような音が聞こえはじめた。火のついた落ち葉が上昇気流にあおられて舞いあがる。
ルーダーベの顔が緊張でこわばった。
詠唱はつづく。
モリティ モリティ モリティ ヴィスコープ
暗黒の貴公子よ 破壊と滅亡の具現者よ われら今ここに汝の秘鑰を明かす
いと尊き その御名は――
チェー・オー・エル・エヌ・オー・ベー・オー・ゲー
スペルの最後の一句が吐き出された瞬間、ルーダーベの全身から勢いよく炎があがった。
「いやああああっ!」
炎はゴウゴウと渦を巻き、彼女の肌を舐め、鎧を焦がし、髪の毛を燃えあがらせた。全身火だるまと化した黒いシルエットが、足をもつれさせキリキリ舞いをはじめる。
「熱いっ、熱いっ、助けてっ」
滑稽に炎のダンスを踊り狂う彼女を見て、ヘス中尉が満足そうに胸を張った。
「どうだ思い知ったか。魔法が科学を凌駕する時代は、もはや終焉をむかえたのだ」
彼は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。ルーダーベを飲み込んだ炎は、今や夜空にモクモクと黒煙を吹きあげていた。胸をかきむしり、ひざまづいて虚空をつかむ。
「苦しい、息ができないわ、もうやめてっ」
「愚かものめが、われらに刃向かった当然の報いだ。ジャンヌダルク気取りのバカな女には、おあつらえ向きの最期だろう。ここで骨まで燃え尽きるがいい」
苦しみもがくルーダーベを、ヘス中尉は虫ケラでも見るように眺めていたが、やがて四人の魔法兵にあごをしゃくってみせた。
「おまえたち、この女が完全に死んだことを確認したら、すぐに私に報告しろ」
「はっ」
敬礼する四人をあとに残し、その場から立ち去ろうと踵を返す。
その背後から、不意に楽しそうな声がした。
「なんちゃって」
驚いて振り返ると、なにごともなかったかのようにルーダーベが立っていた。今まで炎に巻かれていたとは思えない涼しげな顔をしている。
「どお? 私の演技力」
彼女は顔のまえでひと差し指を振りながら、ウインクしてみせた。
「修道院にいたころよく典礼劇とかやらされたのよ。ほとんどマリア様の役ばっかりだったけれど、評判良かったのよ。騎士なんかにならず女優をめざせば良かったかしらね。道を誤ったわ」
ヘス中尉がうわずった声をあげた。
「なぜだ……溶岩流にも匹敵する千二百度の炎だぞ。それなのになぜ貴様は、火傷ひとつ身に負っていないのだ?」
「カウンター・マジックよ」
「なに?」
「相手の魔法攻撃に対し、正反対の属性をもつ魔法を同時に唱えて威力を相殺するの」
見ればルーダーベの吐く息が白くうねっていた。周囲にはヒラヒラと雪片も舞っている。焦げあとの残る木々の枝や落ち葉にも、パウダーシュガーのように真っ白い霜が降りていた。
「千二百度の炎では骨まで焼き尽くすのは無理ね。ていうか、あんな甘っちょろい魔法、ヤケドどころかシモヤケができちゃったわよ」
くちゅん、と可愛らしいくしゃみをした。
ヘス中尉と四人の魔法兵は、呆気にとられたように口がきけないでいる。ルーダーベが小首をかしげた。
「じゃあ次はこっちの番かしら?」
その青い双眸が、獲物を見つけたネコのように妖しく光った。
「フフ……魔力は右脳から発生するですって? くっだらねえ」
彼女は手のひらを左胸に押し当てた。
「魔力ってのはねえ、燃えたぎるハートからふつふつと湧きあがってくるものなのよっ」
そう叫ぶと同時に、彼女の全身からプラズマボールのようにスパークがほとばしった。
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