殿方ごめんあそばせ(一)

 月が輝いている。

 まだ満月にみたない十三夜の月だが、驚くほど明るい。

 しかも巨大に見える。

 月面をあばたのように覆う大小無数のクレーターが、肉眼でもはっきりと分かるほどだ。

 古来、月の発する光には魔力が内在すると言われてきた。いにしえの魔術師たちがその呪力の根源とした、超自然のエネルギーだ。月が魔力を増幅させるのは、おもにその輝きが人間の精神に影響を与えるためだと学者たちは考えている。月の満ち欠けによって犯罪の発生率が変わるという統計的なデータも残されている。

 月がひとを狂わせ、地に魔力がみなぎり、なにかとんでもないことが起こりそうな予感がジリジリと胸を締めつける。

 そんな妖しい夜が更けようとしていた――。


 大地に降りそそぐ月光が、石畳みの路面を濡れ色に染めあげている。

 ときおり乾いた風にはこばれて、黄色い落ち葉がクルクルと渦を巻く。

 ルーダーベは鼻歌をうたっていた。

 彼女は月夜が好きだ。

 月影の織りなす淫靡さが好きだ。禍々しい静寂が、闇の濃淡が好きだ。全身にふつふつとパワーがみなぎってくる。

 本当はアーマーなど脱ぎ捨て、裸になって全身で月光を浴びてみたいと思っている。

 ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」の一節を口ずさんで、聖エウロギウス教会の敷地をさまよい歩く。針葉樹の庭木やぶどうの棚を縫うようにして伸びるプロムナードは、ゆるやかに蛇行していた。三歳の誕生日をむかえたその日から貴族令嬢としての立ち居ふるまいをみっちりと叩き込まれてきた彼女は、歩きかたがとても優雅だ。アーマーを身にまとっていると、さらに威厳さえ感じさせる。

「……変ね。ずいぶん歩きまわった気がするけど、ゾンビ兵の一匹も見当たらないわ。ひょっとして全滅させてしまったのかしら?」

 礼拝堂を出てからアシと二人、屍兵を手当たりしだいに駆逐してまわった。最初のうちはAK四七の斉撃に手こずっていたが、コツをつかんでしまえば彼らを相手にするのがさほど難しいことではないと分かった。屍兵は思考しない。ただ本能にまかせて敵を倒しているだけだ。発砲音が響けばそちらへ殺到し、魔法の詠唱が聞こえてくればそちらへ銃口を向ける。索敵は、ほとんど反射運動に任せているといってよい。

 少数の敵は蹴散らしたが、多勢を相手にするときルーダーベたちは二手に分かれた。敵の注意を分散させるためだ。交互に波状攻撃をおこない二、三人ずつ削ってゆく。そうやって全部で百体くらいは倒したろうか。月齢が満月に近いせいでルーダーベの魔法は絶好調だった。

 アシがいないことに気づいたのは、神学校へとつづく回廊のなかで敵を掃討しているときだった。室内では派手に魔法を使えないため応援を頼もうとしたら、いつの間にかすがたが消えていた。

「まーったくあのおバカときたら世話ばっかりかけさせて。そもそも私たちが本隊と別行動しているのは、全部あの子のせいなのよ。それなのに本人ぜんっぜん反省してないし、反省どころかはしゃぎ過ぎていなくなっちゃうし。今度見つけたら首輪をはめて鎖でつないでやるわ」

 ルーダーベは忌々しげに小石を蹴った。

 本当はカルロス神父たちと合流したかったが、礼拝堂を破壊してしまった手まえ、ひとりで帰るのもバツが悪かった。アシと一緒ならば、責任の大半を彼女へ押しつけられる。

 ふと、行く手の闇が揺らいだような気がした。

 警戒して歩みを止める。

 揺らいだ闇は、月光に照らされて徐々にひとの形を取りはじめた。木炭色のローブをまとった人間だ。行く手に立ち塞がるようにしてルーダーベと対峙している。あたまからフードをかぶっているせいで顔は見えないが、全身から肌を突き刺すような殺気を放っている。やがてそのフードの奥から、酒で喉をつぶしたジャズシンガーのような声がした。

「これはこれは、月夜に気まずい出会いですな、高慢ちきなティターニャどの」

「まあ、そう言うあなたは嫉妬深いオベロン様……なあんて冗談を交わすような雰囲気じゃないわね。あなた、消費期限を過ぎた生肉の臭いがするわ」

「私は連邦国家保安庁のヘスというものだ」

「へえ驚いた。ちゃんと自己紹介できるゾンビ兵がいるとはね」

「心外だな、私を屍兵などと一緒にしないでもらいたい。確かにこの肉体は一度滅びているが、脳は生身のままだ」

 ヘスと名乗った男があたまからフードを跳ねあげた。現れたのは死人のように青ざめた顔だ。悪趣味なパッチワークのように、さまざまな濃淡の皮膚を縫いつないである。

 ルーダーベは思わず眉間にしわを寄せた。

「大衆浴場の入店を断られそうな顔ね」

「フン、口の悪い娘だ。ところで貴様がまだ生きているということは、ひょっとしてドロノフ大佐は勝負に敗れたのかな?」

「ドロノフ? ああ、あの入れ墨の男なら死体になって礼拝堂に転がっているけど」

「そうか。貴様らには手を出すなと言われていたが、命じた本人が死んでしまったのならもう遠慮する必要もあるまい」

「フフ、意外と謙虚なのね。で? なにして遊ぶ」

 ヘス中尉が右手をあげて合図すると、背後の闇から新らたに四人の兵士がすがたを現した。

「貴様の相手は、この者たちがする」

 兵士は男女二名ずつで、いずれもラゴス陸軍の戦闘服を身につけている。奇異なのは、四人とも頭髪をきれいに剃りあげており、その剥き出しになった頭皮に無数の絶縁ケーブルを這わせていることだ。

 ルーダーベが首をかしげた。

「なにこれ? いわゆるボディ・モディフィケーションってやつかしら。奇抜さは評価してあげてもいいけど、センス悪いわ」

「彼らは、わが軍の兵器開発部門が長年にわたる研究により造りあげた、新式の魔法兵だよ」

「魔法兵? これが? 研究予算をドブに捨てたようなものね」

 黄色くにごったヘス中尉の目が、凄みをおびて妖しく光った。

「魔法兵は軍の主力となりうる強力な兵士だが、だれにでもなれるというものではない。天性の才に恵まれ、なおかつ幼少時より厳しい修行を積んだ者にしかその資格は与えられない。おかしいとは思わないかね? 魔力など、潜在的にすべての人間が宿しているものだ。スペルの詠唱も訓練すれば難しいことではない。だが魔法使いではない者がいくら正確にスペルを唱えても、魔法は発動されない。魔法を使える者と使えない者。その差はいったいどこにある?」

 ルーダーベが腰に手を当て、ため息をついた。

「魔法を使う能力は神より授かりしもの。神のみわざに人間ごときが説明をつけられるはずないわ」

「バカめ、それは教権主義者どもの逃げ口上だ」

 引きつれのあるヘス中尉の口もとに、歪んだ笑みが浮かんだ。

「だが喜びたまえ、我々はついにその謎を解き明かしたのだよ。最先端の科学によってね」

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