夜更けのランナウェイ(二)

「牛だろ? 少なくとも山羊には見えないぞ」

 ジリジリと後退しながら、ミキ・ミキが言った。M四〇の銃床を肩に当て、ボルトアクションで弾を装填する。ブルームーンはすり足で怪物との間合いをはかりつつ、腰をひねってムラマサを抜いた。窓から射し込む月明かりに、刀身がスーッと青白い光跡をえがく。

「牛鬼蛇神って、まさにこういうヤツのこと言うんだよね」

「なんだよそれ?」

「ようするに、ヤバい相手って意味」

 ブルームーンはいったん青眼にかまえた刀を引きつけて、その鍔を肩口まで寄せた。

 スバル一刀流、陰の構えだ。

 たちまち全身からほの白いオーラが立ちのぼる。ルーダーベが見せる魔力のオーラとは違い、清涼で深みのある、剣気とでもいうべきものだ。

 怪物が、牛の口をひん曲げて笑った。

「ヒャヒャヒャ、おまえだ知ってっか? 六月一日は世界牛乳の日なんだとよ」

「興味ないし」

「なんだよゥ、そう邪険にしなぐでもいいじゃねえか」

「牛のくせにペラペラとうるさい口だね」

「ウッシッシ」

「あ、牛が冗談言った」

「おまえ、さっきがらウシウシうるせえぞ。牛がジョーダン言ってなにが悪い」

「いや悪くはないけどさ……」

「おで様の名まえわァジェイコブです。みなさん仲良ぐしてあげでくださいね、ウヒャヒャヒャ――」

 ジェイコブと名乗る怪物は、斧をかついだままズカズカと建物内へ踏み込んできた。

 ミキ・ミキとブルームーンは、敵をはさみ撃ちにするべく左右へ分かれた。

 ジェイコブは人間の胴体に牛のあたまをつないだ怪物だ。その存在はどう考えても移植外科学の範疇を超えている。おそらく誕生の過程に黒魔術が介在していることは間違いないだろう。だとすれば脳を破壊しないかぎり何度でも立ちあがってくるはず……。

 そう考え、ミキ・ミキは相手の頭部へ照準をさだめた。

 ドットサイトから照射されたレーザーが、ジェイコブの眉間に赤い光点を描く。

 修道院の入り口から乾いた風が流れ込んできた。

 ホルマリンのような刺激臭がツンと鼻をつく。

 不意に、ジェイコブとスコープ越しに目が合った。

 反射的に引き金をひいた。

 ズン、と肩に反動が伝わり、銃口が跳ねる。

 仕留めたという感覚はなかった。一瞬速くジェイコブのからだが宙に舞いあがるのを視野の端でとらえていたからだ。

 体長二メートルを超える巨体が、猿のように跳ねた。弾丸は虚しく背後の白い石壁を穿っていた。ジェイコブは跳ぶと同時に巨大な斧を振りあげた。柄の長さが三メートルはありそうなバトルアックスだ。

「ごるあーァ!」

「逃げろっ」

 ミキ・ミキが叫んだ。

 ジェイコブが斧を振り下ろすさきに、ブルームーンがぽかんと頭上を見あげていたからだ。

 刃の重力加速度に、遠心力が加わった。

 ズン、と大地を分かつ勢いで斧が叩きつけられる。

 硬い天然石の床が真っ二つになった。

 ブルームーンは、からくも横へ一回転して難を逃れた。ほんの少しかすっただけなのに、アーマーの肩当てが吹き飛ばされている。

 ミキ・ミキが息を飲んでうわずった声をあげた。

「お、おい、大丈夫か……」

 ブルームーンは青ざめた顔で立ちあがると、おしっこを我慢する子どもみたいに太ももをキュッと閉じた。

「少しちびったかも。比喩じゃなくて……」

「気をつけろ、図体デカイわりには動きが俊敏だぞ」

「だいじょうぶ。わたしより速く動けるのは、島村ジョーだけだ」

「うおらがァっ」

 ジェイコブが、吠え声とともに床にめり込んでいた斧を引き抜いた。反動でふらふらとよろける。すかさずミキ・ミキがスコープをのぞき込んでひき金を引いた。弾を装填してもう一発。さらに一発。

「むだ、むだ、むだァ。そんな攻撃、おで様には効がねえーっ」

 ジェイコブは、その太い腕ですべての銃弾を受け止めていた。七・六二ミリ弾の直撃を受けていながら銃創からは血の一滴も流れない。

「ヒャハハッ、ヒンズー教徒がなんで牛食わねえか知ってっか?」

 打席に立つバッターのように両手で斧を振りかぶる。対してブルームーンは剣尖を下げ、そのかまえを陰から陽へと転じた。

「宗教上、神聖な生きものだからでしょ?」

「ばーか、違げえよ。あいづら狂牛病が怖いんだとよ。悲しいじゃねえか。プリオン美味いのによゥ。なあ、食ってくれよ、おで様の特定危険部位をよォ」

 ジェイコブが渾身のちからで斧を水平に振った。ゴウッと刃風が起こり風圧で建物内の空気がビリビリ震える。ブルームーンは身を沈めて一歩踏み込み、上体をわずかに捻って皮一枚のところで刃を受け流した。

「もらった!」

 そのまま、地擦りから刀身を跳ねあげる。

 ガッと太枝を断つような音がして、ジェイコブのからだが後ろへよろけた。

「あで?」

 不思議そうに首を捻ったジェイコブは、自分の両腕に手首が付いていないのを見て驚愕した。

「手えええええええっ!」

 斧は十数メートル離れた壁に突き刺さっていた。その柄には切断された両手がくっ付いたままだ。

 ブルームーンはいったん退いたあと剣を左の霞にかまえなおし、トドメを刺すべくふたたび間合いを詰めた。

「今、首もちょん切ってやるから覚悟しな――」

 ジェイコブが、ニタリと口角をつりあげる。

「バカめえ、サリーちゃんでポアだあっ」

 その樽のように膨らんだ腹から突如、黒い鞭のようなものが放出された。ウネウネと自身を波打たせながら瞬く間に数メートルの長さまで伸びたそれを、ブルームーンはとっさに両手でつかんだ。取り落としたムラマサが床のうえをカラカラと滑る。

「な、なんだよこれっ」

 自分のつかんだものの正体を知ってブルームーンが悲鳴をあげた。

「ってヘビじゃん、わたしヘビ嫌いっ!」

「ギャハハ、見たか、おで様の秘密兵器ィーっ」

 ミキ・ミキがふたたび狙撃銃を放つが、すべてブロックされた。ヘビは、エイリアンの口から飛び出したインナーマウスのように牙を剥き、威嚇してくる。ブルームーンが叫んだ。

「パイナップルよこせ、早くしろっ」

「おい、まさか自爆する気じゃないだろうな」

「いいからこっちへ投げろ、早くっ!」

 しかたなくミキ・ミキは、腰のベルトに吊ってあった手榴弾を放り投げた。それを片手で受けたブルームーンは、歯でピンを抜くとヘビの口のなかへ押し込んだ。

「おとなしく巣穴へ帰りやがれっ」

 下あごを思い切り蹴りあげる。

 ヘビはいったん宙で弧を描いたあと、まるで収納式コードのようにシュルシュルと縮んでジェイコブの腹へ収まった。

「やべ」

 ジェイコブが自分の腹を見おろす。

 炸薬に着火した。

 瞬間的にジェイコブの腹が数倍の大きさまで膨らんだかと思うと、閃光とともに全身が木っ端みじんに吹き飛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る