夜更けのランナウェイ(一)

 ドシンという地鳴りとともに天井の一部が崩落した。

 みるみる灰色の粉塵が室内に充満してゆく。

 弱々しいうめき声は、爆発に巻き込まれた兵士たちのものだ。

「ふう、間一髪だったな」

 出口からさらに外へと吹き飛ばされたミキ・ミキは、うつ伏した姿勢のまま顔をあげるとブルっとあたまを振った。髪に降り積もったコンクリート片がバラバラと床に落ちる。

「あいつら動きがにぶくて助かったよ、でなきゃ俺たち間違いなく射撃の的にされてたぜ。まったく、おまえの無鉄砲ぶりにはいつも肝を冷やされるよ」

 彼の胸の下で、なぜか頰を赤くしてブルームーンが身をよじった。

「ねえ……重いよミキ・ミキ」

「お、わるいわるい。どうだ、怪我はしてないか?」

「うん、だいじょうぶみたい」

 二人が身を起こすと、いまだ粉塵がモウモウと立ち込める地下室の奥からライマーの声が聞こえてきた。

「おーい、お二人ともご無事ですかァ?」

 どうやら彼は、まだマンホールのなかにいるらしい。ミキ・ミキが軍服についた埃をパタパタ払いながら応えた。

「こっちはだいじょうぶだ。あんたのほうこそ無事なのか?」

「怪我はしておりませんが、瓦礫に塞がれてしまったようで外へ出ることができません」

「そうか、じゃあ悪いがそのまま引き返してくれ。俺たちはいったん地上へ出て、ここがどこなのか確かめてから脱出できそうなルートを探してみる」

「はて? ここは造兵廠なのでは」

「どうも雰囲気からして違うようだ。まあ、ラ助どもが占領してるからには軍事的になにか意味のある場所だとは思うんだが……」

 横からブルームーンが口をはさんだ。

「おいライマー、ここはかなりヤバそうだ。わたしに万一のことがあったら、そのときはおまいが遺志を引き継いでみんなを統率してくれ」

 ライマーは即答した。

「心得ました。あとのことはすべてこのライマーめにお任せくだされ」

「なんか、やけにあっさり承諾するなあ。そんなこと言わずどうか無事にご帰還ください、くらいのこと言っても罰は当たらないと思うけど?」

「孔子いわく、四十にして惑わずと申しましてな。ハハハ、ご安心めされ、ブルームーン様亡きあとの騎士団はこのわしが立派に立て直してみせましょうぞ。では、これにてご免っ」

 ライマーがタラップを降りてゆく気配がする。かすかに口笛も聞こえてくる。ブルームーンの右の眉がピクリと動いた。

「あんにゃろう、ひとを勝手に殺しやがって。だいいち、立て直すってなんだよ。わたしのせいで騎士たちが堕落してるような言いかたじゃないかっ」

 ミキ・ミキが肩をすくめた。

「そうカリカリしなさんな。盗賊まがいのことやって、ラゴスの商隊から武器やら食料ごっそり強奪してたのは誰だよ」

「仕方ないだろう。あのときは補給を得られないまま、戦場で孤立していたんだから」

 ブルームーンが頰をふくらませる。ミキ・ミキは空になったマガジンを予備のものと交換しながら言った。

「そんなことより、弾はあと何発残ってる?」

「とっくに全弾撃ち尽くしちゃったけど」

「そうか、俺のほうもこれで最後だよ。くそっ、あいつらなにものなんだ? いくら撃たれてもすぐに立ちあがってきやがるし、銃を向けられても避けようともしなかったぞ」

 ブルームーンは、抜き身のまま握っていたムラマサをさやに納めて言った。

「むかし聞いたことがある。ブードゥーの司祭のなかには死者をあやつるものがいるんだってさ。高位の司祭ともなれば、それこそ大勢の死者を軍隊のように使役できるらしい。たぶんあの兵士たちが不死身なのは、元から死人だったからじゃないかな」

「なるほど、ゾンビの兵隊ってわけか。どうりで九ミリ・パラベラム弾からだにぶち込まれても平気な顔してるわけだぜ。ラゴス軍もやっかいなもん投入してきやがったな」

「まあゾンビが相手なら、あたま撃ち抜くか首刎ねちゃえば、行動不能にできると思うけどね」

「とにかくここを出よう。地上への出口をふさがれたら俺たちはフクロのネズミだ」

 二人はせまい階段を駆けあがった。

 一階は、広大なロマネスク建築の礼拝堂だった。吹き抜けの天井にならぶ半円形の飾り窓から青白い月光が差し込んでいる。少しまえまで激しい戦闘が繰り広げられていたのであろう、石造りの床には血まみれの兵士たちが死屍累々と折り重なり、さながら地獄絵図のような有様だった。

「こりゃ、ひでえな……」

 周囲を見まわしてミキ・ミキが顔をしかめた。ブルームーンはうつ伏した死体を、恐るおそるブーツのつま先で仰向かせて言った。

「……返事がない。ただの屍のようだ」

「見たところラゴスのゾンビ兵とは違うようだが、こいつらどこの軍隊だ?」

「さあ? ペーシュダードの政府軍でないことは確かだけど……」

 ミキ・ミキは、死体のかたわらに転がっていた狙撃銃を拾いあげた。

「M四〇か、スナイパー御用達の銃だな。てことは、こいつらだれかに雇われた傭兵なんだろうが、それにしちゃ戦いかたがお粗末だな」

「仕方ないよ、銃を持ったゾンビの大軍相手じゃそれこそ自走榴弾砲か、せめて装甲車でもなければ太刀打ちできないだろう」

「とにかく戦闘はなるべく避けたほうが良さそうだ。だれにも見つからないよう、こっそりここの敷地から脱出しよう」

 二人はうなずき合った。

 アーチ型の天井がつづく長い身廊を通り抜ける。ときおりどこか遠くのほうで、かすかな銃声がこだましている。ブルームーンは珍しそうに廊下の左右を眺めながら歩いていた。聖書から題材をとったイコンが、物語の順を追うように飾られている。

「……この建物ぜったい見覚えあるよ。むかしパパやママに連れられてミサに来た記憶がある」

「どこだ?」

「たしか、エウロギウス教会という名前だったはず。地下にワイナリーもあるって聞いてるから、たぶん間違いないと思う」

「しかし教会の建物を、いったいなんの目的でラゴス軍が占領してるんだ?」

「さあ、それはちょっと分からないな……」

 やがて二人は修道院の正面にある大扉のまえに立った。樫の木で作られた頑丈そうな扉には、エデンの中央に植えられているという生命の樹をモチーフにしたデザインが彫り込まれている。その把手をつかもうとしたブルームーンの手が、不意に動きを止めた。

「……あのさ、あまり言いたくはないんだけど」

「じゃあ言うなよ」

「なんだよ冷たいなあ」

 ミキ・ミキがため息をついた。

「なら早く言え」

 ブルームーンが緊張した面持ちで言う。

「よくゾンビ映画だとさ、こうやって外へ逃れようと扉開けたら、次のシーンでかならず大量のゾ……むぐっ」

 ミキ・ミキに口をふさがれた。

「やっぱり言うな。それ以上言うと本当になりそうで怖い」

 そのときドスンと音がして、目のまえの大扉が勢いよく内がわへ開いた。

 反射的に二人は後方へ飛び退る。

 蹴り開けられた扉の向こうに、月の光を背後から浴びて巨躯の怪物がのっそりとその黒いシルエットを浮かびあがらせていた。肩に、冗談みたいにでかい斧をかついでいる。ゴボゴボと泡の吹き出るような音の混じった声が、楽しげに言った。

「おまえだこんな場所で、なにイチャついてやがんだよゥ。センセエに言いつけちゃうどォ」

 ヒュッヒュッヒュッ、と喘息患者がひきつけを起こすようなかすれた息づかいが聞こえてくる。どうやら笑っているらしい。

「……なにこいつ、牛?」

 ブルームーンが、きゅっと唇を噛みしめた。

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