ゾンビ兵は眠らない(六)
「こんなときにふざけてる場合か」
ミキ・ミキがタラップを上ってこようとする。
「わっバカ」
あわてたブルームーンは、自分の体重ほどもあるマンホールの蓋を気合いで押し開けた。
「来るなって、パンツ見えちゃうだろうが」
「下着見られたくらいで恥ずかしがるタマかよ」
「う、うるさい、あとでぶっとばしてやるからなっ」
マンホールの縁に手をかけると、苦労して地下室のうえに這い出した。警戒しながら身を起こし、素早く周囲の様子をうかがう。
そこは窓のない石壁づくりの部屋だった。一か所だけある開口部の奥には、せまい上り階段が見える。出口へ向かって両がわには三段に積みあげたオーク樽がならんでおり、果糖を発酵させたときの甘ったるい香りが部屋じゅうに充ちていた。
「ワインを熟成させているのか……。てことは、どうやらここは造兵廠ではなさそうだな」
室内には、数十名の兵士がたむろしていた。全員ラゴス陸軍の戦闘服を身につけている。そのうちのひとりがブルームーンの存在に気づき、「ああ……」と気の抜けた声をあげた。すぐに、そこにいた全員がゆっくりと彼女のほうへこうべをめぐらせた。
「しゃあねえな、やるっきゃないか」
ブルームーンは床を蹴って身をおどらせると、ムラマサの鯉口を切った。とりあえず目に入った三人を、ひと呼吸でぶった斬る。まさに早業だった。ひとりの腹を横一文字に裂き、べつのひとりを逆袈裟に斬りあげ、返す刀で最後のひとりの頚動脈を断った。すべては一瞬の間に成したことだ。さらに踵を返すと、今度は駆け抜けざま二人の胴をなぎ払った。腕を伸ばし残心の姿勢をとっている背後で、斬られた兵士たちがバタバタと倒れ伏す。
あっという間に五人の仲間を失ったにもかかわらず、残りの兵士たちはまったく動揺する気配を見せていなかった。それどころか飛び回る蝿でも見るように、ただぼんやりとブルームーンの動きを目で追っている。そして彼女が足を止めるやいなや、一言も発しないまま銃の引き金をひいてきた。
「うわっ」
百雷のごとき銃声が、地下室の湿気った空気を震わせた。
横っ跳びに銃撃を避けたブルームーンは、そのまま死にもの狂いで走りだした。彼女の足跡をたどるように弾丸が次々と床を削ってゆく。跳弾によって樽に穴があきワインが滝のように流れだした。あやうく蜂の巣になるところを、間一髪で太いコンクリート支柱の陰に飛び込んだ。
「ちくしょう、なんてやつらだ」
兵士たちは近接戦の基本をまったく無視していた。すなわち遮蔽物に身を隠そうとはせず、ほとんど自らを的として晒し、おもちゃのロボットみたいにただ銃を撃ちながら前進してくるのだ。
さすがのブルームーンも恐怖を覚えずにはいられなかった。
「こいつらもしかして、ここで隠れてクスリでもやってたんじゃないのか?」
柱を背にしたままムラマサをさやに納める。
鼓膜が破れるほどの銃声にあたまがジンジン疼いた。彼女が盾にするコンクリートの支柱は、徐々に食い散らしたリンゴの芯のように削られていった。このままでは、いずれ身を隠しているのが困難になるだろう。
腰のホルスターからベレッタM九二を引き抜く。イタリア製の軍用拳銃だ。ただし彼女が愛用するのはカスタムモデルで、銃身には軽量かつ強度の高いオリハルコンを使用している。さらに視界のきかない場所でも正確な射撃が行えるよう、レーザーサイトが取り付けてあった。
残弾数をチェックする。
「全員を相手にしてたら弾が足りなくなるな。とりあえずいったん外へ逃がれるか」
マガジンを戻し、遊底を引いて初弾をセットする。
「と言っても飛び出すタイミングが難しいな……こりゃ、ピラニアのいる川を泳いで渡るよりも危険だぞ」
いっぽう、ブルームーンを追ってタラップを上ってきたミキ・ミキは、さすがに歴戦の傭兵だけあってうかつに飛び出すようなことはしなかった。軍服のポケットから手鏡を取り出し、それを潜望鏡がわりにして周囲の様子をうかがう。大勢の兵士たちが、ブルームーンの隠れているらしいあたりへ集中砲火を浴びせているのが見えた。しかもゆっくりと前進しながら、その距離をじわじわ詰めている。
「……こりゃマズいな」
鏡を引っ込めようとして「あっ」と声をあげた。信じられない光景が目に映った。床のそこかしこに倒れていた兵士たちの死体が、一斉に身を起こしたのだ。そのなかには、内臓を床にこぼすものや、裂けた胸から肋骨を覗かせているもの、首が半分ちぎれかけたやつまでいる。どう見ても立ちあがれるような状態じゃなかった。
――こいつら不死身か?
壁ぎわに積みあげられたワイン樽が目に止まる。
「おういブルームーン、ちょっとのあいだ伏せてろっ」
ミキ・ミキはベルトに吊ってあった手榴弾をつかむと、ピンを抜いて勢いよく放った。トントンと床のうえを跳ねた手榴弾は、ワイン樽がならべてある陰へ転がり込んだ。
一瞬の間をおいて、凄まじい爆発が起こった。
木片が飛散し、千ガロンを超える大量のワインが部屋じゅうにぶちまけられた。あたまからワインを浴びせられた兵士たちの動きが止まる。
「よし今だ、出口へ向かって走れっ」
ミキ・ミキが叫んだ。
ブルームーンは柱の陰から飛び出すと、バリー・サンダースにも負けないくらいの身のこなしで猛然と駆けだした。階段がある開口部までは、およそ五十メートル。行く手に立ちはだかる敵を巧みにかわし、それでも避けきれないときは銃で撃った。
兵士たちの動きは遅い。
だが、いかんせん数が多すぎた。
そのうち弾丸が尽きて、ふたたびムラマサを抜こうとしたとき、横からヌッと現れた敵に飛びつかれた。
「きゃあッ」
押しつぶされ、そのまま床のうえに組み敷かれる。兵士は死んだ魚のようにドロリと濁った目で「があ……」と呻いた。
ブルームーンの全身が総毛立った。
「なんだよこいつマジきもいな、そこどけってバカっ」
めちゃくちゃに振り回した腕が兵士の顔面に当たる。そのひょうしに歯が抜け落ちてバラバラと彼女の顔に降りそそいだ。
「おえっ、ぺっ、ぺっ」
歯を失った兵士は、しかし汚泥のような息を吐いてニタリと笑った。ブルームーンが身動きできないよう両腕を押さえつけてくる。それを見て、他の兵士たちがゆっくりと銃をかまえた。仲間ごと銃撃の的にすることに、なんの躊躇いも感じていないようだった。
たまらずミキ・ミキがマンホールから飛び出してきた。
「ちくしょう、お姫さまのお守りをするのも命がけだぜっ」
愛用のグロッグ十七をかまえ、敵を順番に狙い撃ってゆく。兵士たちは、申し合わせていたかのように全くおなじ動きで彼のほうを振り向いた。
「どうやら、複数の敵に対して同時に対処することができないようだな」
カラシニコフの銃口が一斉に火を吹いた。
ミキ・ミキは伏射の姿勢で床をゴロゴロ転がりながら、これを避けた。
ブルームーンは自分にのしかかる敵の気が逸れた一瞬のスキをついて、体勢を入れ変えた。相手の片腕をつかんで身をひねり、その腕に両足をからめてゆく。そのまま太ももではさみ込んで、見事に腕ひしぎ十字固めを決めた。
「どうだ恐れ入ったか」
「バカやろう、遊んでる場合かっ」
ミキ・ミキは立ちあがると、銃弾を避けてジグザグに走りながら突進してきた。拳銃で応戦しながら、歯を使って手榴弾のピンを引き抜く。
ブルームーンは気合い一発でつかんでいた腕をへし折ると、素早く身を起こした。
と同時に、抜きつけの一撃で目のまえの敵を斬りあげた。
さらに逆上段から剣尖をまわし、べつの首を刎ねた。
「なんか調子出てきたぞ……」
周囲の敵を睨みながら剣を肩口へ引き寄せ、八相にかまえる。
「チャンバラごっこは後にしろっ」
そのとき敵のど真ん中を強行突破してきたミキ・ミキが、そのままの勢いでブルームーンにタックルした。二人もつれ合いながら外へ転がり出る。
「なにすんだよう」
「うるさい口とじてろっ」
怒鳴りながら、ミキ・ミキは急いでブルームーンのうえに覆いかぶさった。
直後、地下室のなかで大爆発が起こった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます