ゾンビ兵は眠らない(五)
「いっくしゅ!」
閉ざされた暗闇のなか、盛大なくしゃみの音が石壁に反射してモワーンモワーンという残響をのこした。まったく恥じらいを感じさせない豪快なくしゃみだが、声で女のものと分かる。足もとを流れる冷たい水をピチャピチャ踏んでいた三つの影が、歩く速度をゆるめた。
「……さっきから言おう言おうと思ってたんだが、もうちょっと静かにできないのかよ。いくら地下二十メートルのところを進んでいるとはいえ、こっちは隠密行動中なんだぞ」
ミキ・ミキが、手にしたマグライトでくしゃみの発生源を照らした。
自分へ向けられた光をまぶしそうに手でさえぎって、ブルームーンがズズーッと鼻水をすすりあげる。
「仕方ないだろ、冬も近いというのに来る日も来る日もこうやって暗い地下道をさまよってるんだ。くしゃみくらい大目にみろ」
「それにしたって、もう少し可愛らしくできないのかよ。コントのネタじゃあるまいし、おっさんだってそんな下品なくしゃみはしないぞ」
「フウン……おまい、わたしに可愛らしさなんか求めてどうするつもりだ? まさか戦争が終わったら嫁にしてやろうとか企んでるんじゃないだろうな」
「バカ言え、おまえを嫁にするくらいなら、メスのバブーンとでも結婚するよ」
「なんだよ男のくせにツンデレか? 悪いけど、わたしの萌え属性にツンデレの四文字はないぞ」
「おまえのどこにデレる要素を見出せというんだ」
なにか言い返そうとしたブルームーンだが、立ち止まってふたたび盛大にくしゃみをした。
「いーっくしっ! うえーい」
あきれた顔でため息をついて、ミキ・ミキが口をつぐんだ。代わりにライマーが横から憎まれ口をたたく。
「なんでも今年の風邪はバカでもひくらしいですな。聞くところによると新型のウイルスだそうです」
「じゃあ、なんでおまいには感染しないんだよっ」
「たぶん賢いからでしょう。少なくともブルームーン様よりは」
「フン、賢者になるためには、まず愚者にならなければならない、とゆー格言を知らないのか?」
ブルームーンは、アーマーの腰に巻きつけてあるウレストポーチからティッシュペーパーを取り出すと、チーンと鼻をかんだ。
「てゆーか、おまいらヤバいぞ。フロイトの心理学によれば、可憐な女の子をついイジメたくなる衝動ってのは、反動形成と呼ばれるパラノイアの一種らしいからな」
「はて? 王城を出撃してからはや三月、そのあいだ可憐と呼べるようなおなごには、とんとお目にかかっておりませぬが」
「ライマー、おまいそろそろ老眼鏡かけたほうがいいぞ」
そこは、かなり広いトンネルのなかだった。
全幅はゆうに七、八メートルもあるだろうか。床はセメントで塗り固められ、壁には支保工のあいだにすき間なく火成岩が積みあげてある。壁面にはところどころ地下水の滲み出している亀裂があって、その水が絶えず足もとを流れているのだ。
「それにしても、でかいトンネルだな。とても地下二十メートルのところに造ったとは思えないぞ」
ガソリンライターでたばこに火をつけて、ミキ・ミキが言った。
「しかもこれは矢板工法ってやつだよな。つまりこれだけのトンネルを、人力と発破だけで掘り進めたってわけだ」
ライマーは、周囲の壁を懐中電灯で照らしながら深く息をついた。
「ペーシュダードの地下に鉄道を通そうという計画があったのは、もう三十年以上もむかしの話です。まだシールド工法など発明されておらず、おかげで工事には巨額の費用が投じられたと聞いております」
「それが政治家の疑獄事件によって頓挫し、造りかけのトンネルだけが地下に残されたってわけか。フン、よくある話だぜ」
「このさい、そんなことはどーだっていいんだよ」
ブルームーンが横から口をはさんだ。
「要は、王都の地下に巨大なトンネル網があって、そこを今わたしたちが押さえてるってことだ」
「マッピングするのに三ヶ月もかかったけどな」
「かかったけどさ、おかげでこっちは占領軍の目を盗んで武器や兵士を運び入れることに成功した。主要な軍事施設のすぐ足もとに伏兵が潜んで突撃する日を今や遅しと待ちかまえていようなどたァ、あっ、お釈迦さまでも気がつくめえっ」
歌舞伎役者のように見得を切るブルームーンを冷ややかに見下ろして、ミキ・ミキがゆっくりとけむりを吐いた。
「お釈迦さまはどうだか知らないが、あまりラゴス軍を甘く見ないほうがいいぞ。おそらく地下に造りかけのトンネルがあるってことは、そう遠くないうちやつらに知れるはずだ」
「だから、そうなるまえに騎士団を突入させるんだよ。今探しているグメイヤの造兵廠がある位置さえ確認できれば、地下道はすべて網羅したことになるからな」
古地図と万歩計の数値を照らし合わせていたライマーが、立ち止まって言った。
「どうやらトンネルの上り勾配を終えたようですな。造兵廠は丘のうえにあると聞いておりますから、たぶんこのあたりでしょう」
十メートルほどさきにとびらがあった。四角い鉄のとびらだ。緊急時に脱出するための避難坑で、取っ手の部分にかけてある南京錠はボロボロに錆びている。
「どこへ、つながってるんだろう」
ブルームーンがブーツのかかとで蹴ると、鍵はあっけなく壊れた。取っ手を引いてとびらを開らく。その奥には、急勾配の上り階段がつづいており、上りきったさきに嵌められた格子蓋から、薄明かりが差し込んでいた。
「どうやらこの避難坑は、共同溝に接続されているようだな」
吸いさしのたばこを軍靴で踏みにじると、ミキ・ミキは苦労してその重たい蓋を持ちあげた。
共同溝はトンネルにくらべると格段にせまかった。数メートルおきに非常灯の明かりが点っているが、床や壁をのたくる配管やケーブルが息苦しいまでの閉塞感をあたえてくる。雨水を排出する役割もかねているらしく、ところどころ地上とつながるマンホールが設けてあった。
「どうする、適当に選んで外へ出てみるか?」
地上へ出るためのタラップを見あげて、ミキ・ミキが言った。ライマーが難しい顔になる。
「しかし運が悪いと、敵のまっただ中へすがたを晒してしまう危険性もありますぞ」
「そうだな、大まかな経路は確認できたし、いったん引きあげて態勢を立て直すか」
「そんな面倒くさいことしてられるかよっ」
気の短いブルームーンは、すでにタラップへ足をかけていた。
「まずわたしが見てくるから、合図したらおまいらも上ってこい」
「おい、ちょっと待てよ。飛び出したさきに敵が待ち構えてるって可能性もあるんだぞ」
「なあに、気づかれるまえに斬り伏せちまうさ。それよりわたしが上っているあいだ絶対こっち見るなよ。パンツ覗いたら殺すからな」
「覗かねえよっ」
共同溝から垂直にのびるマンホールは、幅がおよそ九十センチ。出口付近の直径は六十センチまでしぼられている。細身のブルームーンでさえ、アーマーを着ているとかなりきつい。それでも彼女はタラップをつたいどんどん上っていった。ミキ・ミキとライマーがあきれ顔でため息をつく。
「あの後先考えずに行動できるところが、あいつの長所であり、短所でもあるな」
「まあ、九対一で、短所のほうが上回っておりますが」
マンホールを上りきったブルームーンは、蓋をわずかに持ちあげて周囲の様子をうかがった。そこはどうやら地上ではなさそうだった。石壁に囲われた地下室のような場所だ。奥のほうにはワインを詰めたオーク樽がならんでおり、広い部屋だが、照明は貧弱で全体的に薄暗かった。その弱々しい明かりが照らす床のそこかしこに、たくさんの軍靴がウロウロとさまよっているのが見えた。
ブルームーンが足もとを振り返って、うわずった声をあげた。
「お、おいミキ・ミキ……」
「どうした?」
「敵がいっぱいいる」
「ばか、戻ってこいっ」
「やばい……乳首立ってきたかも」
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