ゾンビ兵は眠らない(二)
オレムス スピリトゥム ウェンティ
ああ 二匹の蛇と 七対の翼を持つ者よ
牛の腸の竪琴を鳴らし 冥府とうつし世を自在に行きかう者よ
我はもとめる 契約を履行せよ
ルーダーベが聖句をとなえるにつれ、彼女を中心として風がゆるやかに旋回しながらしだいにその規模を拡大してゆく。
アシが悲鳴をあげた。
「ひィ、ちょっストップ。そういうの危ないからやめよう。アシちゃん下へ降りて戦うからさ、ねっ? ねっ?」
しかしアシの懇願には眉ひとつ動かさず、ルーダーベは詠唱をつづける。
吊るされた男にして軍勢を統べる者 百の眼を持つ眠らない巨人を殺しうる唯一の者よ
水星は初めであり 金星は終わりである
伝令の杖を以て 暴風をおこせ
空と大気を分かち 大いなる嵐のみなもとを破り 天空の窓をあけ放てっ
「ルーダーベ、やめてっ。アシちゃん今日から心を入れかえて良い子になるから。だから、だから……」
言葉のつづきを突風がさらっていった。
精緻な彩色をほどこされたステンドグラスのかざり窓が、急激な気圧の膨張によって次々と砕け散ってゆく。
アシは床に尻もちをついたままズリズリとキャットウォークの端まで這ってゆき、こちらへのぼってこようとする屍兵を蹴落としてタラップに足をかけた。
「……殺される、ゾンビ兵よりさきにルーダーベに殺される」
次の瞬間、地響きとともに聖堂全体が大きく揺れ、そのなかに存在していたあらゆるものが、まるで洗濯機へ放り込んだ靴下のようにグルグルと回転しはじめた。
「はわわわわっ」
暴風にからだを持ってゆかれそうになったアシが、金髪を逆立てながら救いをもとめ必死に両手をのばした。運良くその手が固いものをつかむ。彼女は渾身のちからでその固いなにかを引き寄せ、両手足でしっかり抱きついた。
それは大理石で出来た聖母子像だった。
「マリア様っ、マリア様っ、どうかこの哀れで罪深いアシちゃんをお救いくださいっ」
絶叫はゴウゴウと荒れ狂う風音によってかき消された。
密閉された空間に、秒速九十メートルを超える竜巻が発生したのだ。
カテドラルの内部に存在していたあらゆるものがシェイクされ、ぶつかり合い、破壊された。ベンチや聖書台などは紙くずのように吹き飛ばされ、バラバラの木片と化した。屍兵たちは、何度も何度も壁や柱へ叩きつけられた。窓を突き破って屋外へ投げ出されたものはまだ幸運で、彼らの多くは破裂した腹腔から金魚のフンのように腸をたなびかせながら、しだいに人間としてのかたちを失っていった。
ドーム型をした聖堂の天井には、美しいフレスコ画によって最後の審判の様子が描かれている。風はその天井を突き破り、強烈な上昇気流となってなにもかもを夜空へ吹き飛ばした。そしてこの阿鼻叫喚は、ようやく収束を迎えたのだ。
「ふう……」
瓦礫のなかでルーダーベがそっと目を開けた。
ほんの数分で、荘厳だった聖堂内の景色は一変していた。まるで爆撃を受けたあとのようだ。近代兵器がいかに発達しようとも、いまだ魔法のちからを凌駕するまでには至っていない。高位魔法使いの戦闘能力は、たったひとりで機械化歩兵一個中隊を相手にするとまで言われている。
ルーダーベは、キャットウォークの端から恐るおそる下をのぞき込んだ。
「あちゃァ、少しやり過ぎたかも」
彼女はひしゃげたタラップを伝って下へ降りると、アシの姿を探してキョロキョロと周囲を見まわした。
「……さすがにこの有様だともう生きてはいないわよね」
生きていた。
アシは聖母子像にコアラのように抱きついたまま気絶していた。像の土台がしっかり祭壇の床に固定されていたので、強風にも飛ばされずに済んだのだ。
「あらら、なんて悪運の強い子でしょう」
ルーダーベは聖母子像の足もとまで行くと、いきなりレイピアの切っ先でアシのお尻を突ついた。彼女たちが着るピンク色のアーマーは丈が腰のあたりまでしかないので、下から見あげるとお尻の部分がまったくの無防備なのだ。
「きゃァ」
アシは驚いて目をさまし、その拍子に四肢からちからが抜けて床まで真っ逆さまに落ちてきた。
「痛ったーいっ」
涙目になってあたまのコブをさすり、ルーダーベのすがたを認めると猛烈な勢いでまくしたてた。
「ひどいじゃないっ、この鬼っ、悪魔っ、ブスっ、冷血漢っ、人でなしっ、自己中女っ、おまえの母ちゃんデーベソっ」
「なによ、このまえバイクの運転で怖い思いをさせられたお返しよ」
アシは、肉塊となり壁にこびりついた屍兵たちの残骸を見てブルっと身震いした。
「うえ、自分もああなるところだったのか……」
暴風が去ったあとの聖堂内は、嘘のように静まっていた。
常夜灯の明かりはすべて失われ、代わりに十三夜の白い月光が破壊された天井を通してじかに差し込んでいた。
不意に、その月光が照らす瓦礫の向こうに黒いひと影が見えた。影は左手に刀剣らしきものを提げていた。袖廊から中庭へと抜ける大扉のまえに立ち塞がるようにして、じっとこちらを見ている。
影の立つほうから、シュウシュウという圧搾空気が挿管を流れる音が聞こえた。
ルーダーベは腰に手を当て、面倒くさそうにため息をついた。
「なによ、ゾンビの次はダース・ベイダーのお出ましってわけ?」
彼女の全身から、はやくも青白い魔力のオーラがゆらめきながら立ちのぼりはじめた。
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