ゾンビ兵は眠らない(三)
ひとの影は、瓦礫を踏みわけゆっくりと近づいてきた。
ルーダーベの発する青白いアストラル光によって、徐々にその風貌が明らかになってゆく。上下ともに真っ白いスーツを着込み、フェドラハットをあたまに載せた陰気な顔の男だ。左手には、鉄さやの士官用軍刀を引っさげている。
「ブラボー」
男は両手をひろげ、おどけた調子で周囲の惨状を見まわした。
「さすがはハルマゲドンの魔女と恐れられるだけのことはある。聞きしに勝る破壊力だ」
「……だれ?」
ルーダーベがいつにも増して険しい表情で訊ねる。相手がただよわせる剣呑な空気に、鳥肌が立つほどの警戒感を覚えているのだ。
男は白いフェドラハットの先端をつまんで持ちあげると、芝居がかった所作でうやうやしくお辞儀をした。
「お初にお目にかかる。私は国家保安庁総局のドロノフというもの。どうぞお見知りおきを」
「雰囲気からしてラスボス登場って感じだけれど、ひょっとしてあなたを殺せば、あの鬱陶しいゾンビたちもみな土へと還るのかしら?」
「残念ながら屍兵どもを操っているのは私ではない。そういうオカルト的なものが大嫌いでね」
ドロノフ大佐は、十メートルほどの距離をおいて歩みを止めると、薄笑いを浮かべながらルーダーベたちと対峙した。
「ところで、きみたちのそのピンク色の鎧は……なにかの罰ゲームかね?」
「はァ? そっちこそ、シチリアン・マフィアのボスにでもなったつもり?」
アシが横から口をはさんだ。
「違うって、あれはふうてんの寅さんだよ。ためしに、お兄ちゃんお帰りーっとか言ってみなよ。喜ぶかもしれないから」
「あんたが言えば?」
「あいつ登場した瞬間から死亡フラグ立っちゃってるけど……ひょっとしてルーダーベ、また魔法使って無茶やらかす気でしょ?」
「そうね。教会の屋根もぶち抜いちゃったことだし、どうせ神父さまに怒られるのなら、今度は手加減なしでいくつもり」
「ひィマジかよ、アシちゃんいち抜けたっ」
コソコソと逃げ出すアシを尻目に、ルーダーベはかたちの良い鼻をツンと突きあげドロノフ大佐に向きなおった。
「で、どういうつもりでここへ現れたのかしら。まさかこの悲惨な状況を見てもまだ、やったラッキーこいつになら勝てそう、とか思っちゃってるわけ?」
フシュゥゥゥと酸素が肺へ流れ込む音がした。ドロノフ大佐が笑ったのだ。彼は酷薄そうな笑みを顔に張りつけたまま、虫けらを見るような目つきでルーダーベを見おろした。
「万にひとつもおまえに勝ち目はない。どれほど強大な魔力を有していようとも、私にはかすり傷ひとつつけられないだろう」
「意味わかんないんですけど」
「この身に魔法は通じないと言っているのだ。魔力による直接的なダメージはもちろん、二次的に引き起こされるあらゆる因果律からも守られている」
「魔法が効かないですって?」
ルーダーベの青く光る瞳が、ドロノフ大佐の顔をジッと凝視した。
「あなたのその顔……火傷をした痕かと思っていたけれど、よく見るとそれ、ルーン・シールドのようね。魔法攻撃から身を守るために聖句を記した護符を持ち歩くというのはあるけど、それを直接自分のからだへ刻むひとなんてはじめて見たわ」
そこで彼女はハッと息を飲んだ。
「まさかっ、シルヴィアを殺したラゴスの秘密警察というのは、あなたのことだったの?」
「シルヴィア? ああ、王立図書館にいたおまえたちの仲間か。あの女もそれなりに優れた魔法使いではあったが、しょせん私の敵ではなかった。魔法を封じられた魔法使いなど、アブラムシに等しいからな」
「アブラムシ?」
「羽をむしられた赤トンボという意味だ」
ルーダーベが指でクルクルと自分の髪の毛をもてあそびはじめた。機嫌が悪くなっている証拠だ。
「シルヴィアもこんなわけ分かんないヤツに殺されて、さぞや無念だったでしょうね。いいわ、私がかたきを取ってあげる」
「まったく、あたまの悪い女だな。魔法のちからでは私は倒せないと言うのがまだ理解できないのか」
「フン、私をあまり甘く見ないことね」
スパークリングワインをみたしたグラスのように、彼女の全身から光の泡がはじけ周囲にひろがった。急激に膨れあがってゆく魔力に、そこらじゅうの金属部分からがパチパチと放電による火花が散る。
「この世に、魔法から完璧に身を守るすべなんてあるはずないわ。とくに私の使う術式は、伝統的なドルイドの黒魔法とグノーシス派によるイデアを融合させたオリジナルなのよ。ディスペルできるのも世界中でこの私だけ。はたしてあなたにふせげるのかしら?」
ルーダーベの瞳が不意に焦点を失った。どこか遠い別の世界でもながめるように。そして彼女の薄桃色のくちびるから、歌うように聖句がつむぎ出される。
フィアト レガトゥム レギオニス 来たれ 軍勢を 統べるもの
神の厳格なるものよ 燃えあがるもの 無慈悲な熾天使たちよ
地母と我は一体なり 天父と我は表裏なり
ゴゴゴゴと地鳴りがして、聖堂の床が細かな振動を伝えはじめた。と同時に、屋根が吹き飛んで素通しになった空から、パイプオルガンをでたらめに鳴らしたような不協和音がゆっくりと降ってくる。空と地面のあいだに局所的な電位差が生じ、それが急激に膨れあがっているせいだ。音はしだいに大きくなり、聖堂の壁と共鳴して、あたかも地の底から湧きあがる巨人のうめき声のようになった。
セクエレ スピリトゥム フルミニス
王の印璽により 我は命ず
火雷の精霊よ 天空のことわりを奉じ 空をつらぬけ 大地に槌をおろせ
エル・エロヒム・テトラグラマトゥン・ヨッド・ヘー・ヴァゥ・ヘー
ヨッド・ヘー・ヴァゥ・ヘー
刹那、ルーダーベの眼前で爆発的な電子崩壊が起こった。
数億ボルトの電光がはしり、摂氏二万度を超える高熱の火柱が噴きあがる。
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