ゾンビ兵は眠らない(一)

 おおゥ おおゥ――

 まるで洞窟のなかを風が吹き抜けるような、陰気な音がする。

 下手くそなチューバ奏者が必死になって音をしぼり出そうとしているような、そんな低くかすれた響きだ。

 音からは、なぜかどす黒い情念が感じられた。

 怨嗟の声――。

 苦痛による呻吟――。

 悲嘆にくれる泣哭――。

 それは紛うかたなき、人間のうめき声であった。

 すでに日も落ちて、聖エウロギウス教会の敷地はどこも奈落に沈んだような闇につつまれていた。その暗いなかを、おぞ気立つような大勢のうめき声が右往左往している。ときおり思い出したように悲鳴や発砲音も混じるが、少しまえまで繰り広げられていたような激しい銃撃戦はもうすっかり影をひそめていた。

 うめき声のぬしたちは、みなカーキ色の迷彩服を身にまとっていた。ラゴス陸軍の支給する戦闘服だ。

 夜陰にまぎれ侵攻してくる兵士たちは、しかし軍隊ならば当然持ち合わせているはずの秩序だった動きをまったく見せていなかった。フラフラとさまよい歩くすがたは、ちどり足で繁華街をうろつく酔客に似ている。

 反射中枢に異常をきたしているのだ。

 なぜならその正体は、死者のパーツをつなぎ合わせて造られた屍兵だからである。

 彼らは銃弾を受けても死なない。もともと死人なのだから当然だが、痛みや恐怖すらも感じていないようだった。みずからが攻撃の的になることを恐れず、いやたとえ攻撃されてもそれに気づきもせず、ただひたすらに敵を追いもとめ前進してくる。

 屍兵たちは全員、カラシニコフAK四七を手にしていた。軍用の突撃銃だ。一見すると雨あがりの傘みたいに使い道もなくただぶら下げているだけのように見えるが、ひとたび敵の存在を察知すれば一斉に発砲してくる。しかも一度撃ちはじめたら弾丸が尽きるまで止めない。予備の弾倉は豊富に持たされているらしく、相手が死亡するまでバカみたいに撃ちまくってくるのだ。

 これほど恐ろしい相手はいない。

 ロメロ神父のスナイパーたちは、半数がすでに斃されており、残りの者たちも散りぢりになって逃げてしまっていた。

「ふっふっふ」

 聖堂をすっぽりと覆うドーム型の天井から、不敵な笑い声が降ってくる。教会内にはすでに十数体の屍兵が侵入しており、ロボットダンスのようなぎこちない動きで声のぬしをキョロキョロと探していた。そんな彼らをあざ笑うかのように、声はつづく――。

「あるときは片目の美少女ドライバー……またあるときはインドの美少女マジシャン……またあるときはキザな美少女マドロス……しかしてその実態は……」

 聖堂のチャペルには、そそり立つ側壁の中ほどにイベント用の照明を設置するキャットウォークが架けられている。その張り出した床の先端からひょっこり顔をのぞかせ、ブロンド髪の女の子がニヒヒッと笑った。顔の左右から、バルタン星人のハサミみたいに拳銃がニョキッと突き出てくる。

「アシちゃん参上っ」

「どうでもいいけど、セリフに美少女が多すぎるんですけど」

 腹ばいになっているアシのお尻を、ルーダーベが踏んづけた。

「ぐえっ」

 アシは左手に愛用のコルトパイソン、もう片方の手にバックアップ用の拳銃であるデザートイーグルを握っている。

「てかどうよ、この二丁拳銃。ララ・クロフトみたいで格好いいでしょ」

「ばっかじゃないの?」

 ルーダーベはプレートブーツに体重を乗せて、アシのお尻をグリグリと踏みにじった。

「あんたが勝手な行動するおかげで、私たち完全に孤立しちゃったじゃないの」

「うう、やべで、アシぢゃん昨日から便秘ぎみでおなが苦じいの……」

「どーすんのよ、こんなところで敵に囲まれちゃって。あんた責任とりなさいよ」

「だってェ……」

 アシが身を起こし、ガムの代わりに自分の頬っぺたをプクーッと膨らませた。

「まさかこの教会へ攻め込んできたのが、ゾンビ兵だとは思わなかったんだもーん」

「あいつら剣で心臓突いたくらいじゃ死なないわ。おまけに怪力だし、バカみたいに撃ちまくってくるし」

「脳みそ破壊すれば死にますけど? でも真上から狙ったんじゃ、さすがのアシちゃんでもヘルメットにしか当てられないよ」

「だったら下へ降りて戦ってくればいいじゃない」

「やだよゥ、あいつらなんか臭いんだもん。加齢臭? オヤジ臭?」

「死臭でしょっ、鼻つまんでりゃ分かんないわよ」

「それじゃせっかくの二丁拳銃が使えないよ。いっそルーダーベの魔法で荼毘に付してあげたら?」

 ルーダーベは腰に手を当て、ため息をついた。

「こんなところで火焔魔法なんか使ったりしたら火災が起きちゃうでしょう。この建物は国の重要文化財にも指定されてるんだし、もし教会が火事で焼けてごらんなさい、神父さんがどんなに嘆き悲しむことやら」

「そこをうまく火力調整してさァ」

「ひとをガスコンロみたいに言うなっつーの」

 ふたたび蹴りを入れようとするルーダーベの足をリボルバーの銃身で受け止め、アシがもう片ほうの腕をのばしてデザートイーグルのトリガーを引いた。小気味好い発砲音がして薬莢がはね飛ぶ。キャットウォークへあがるためのタラップをよじ登ってきた屍兵が、ひたいにデカい穴をあけられ仰向けに落ちていった。

「やべーな、あいつらここまでのぼってきちゃったよ」

 そう言いながらハシゴの下をのぞき込んで、アシは「げっ」と仰け反った。細いアルミ製のタラップには、蜘蛛の糸を伝って地獄から這いあがろうとする亡者の列みたいに、屍兵たちが数珠つなぎになってうごめいていた。

「マジきめぇーし」

 アシは数歩さがって尻もちをつくと、前へならえをするみたいに両ほうの拳銃をまっすぐ正面へ突き出した。タラップの先端から、迷彩がらのヘルメットをかぶった屍兵がヌッと顔をのぞかせる。その眉間めがけて三八スペシャル弾を放った。顔の中心を撃ち抜かれた屍兵は、下手くそな喜劇役者みたいに両目をまん中へ寄せて聖堂の床へ落下していった。しかしすぐにまた、べつの屍兵があらわれる。アシが顔をしかめて嘆いた。

「これじゃきがないよう」

 そのとき不意に、スウッと空気の動く気配を感じた。

 彼女のうなじを冷気のかたまりが撫であげてゆく。

 急激に周囲の気圧が下がっているのか、キーンという耳鳴りもする。

 アシは恐るおそる背後を振り返ってみた。

 半眼にとじた目で虚空を見つめながら、ルーダーベが自分を抱きしめるみたいに両腕を胸のまえでクロスさせ、なにごとかつぶやいている。その淡い光彩を放つ全身からは、まばゆいコロナ放電がバチバチと音を立てながら四方八方へ枝を伸ばしていた。まるでプラズマボールだ。やがて噴射まえのジェットエンジンがゆっくりタービンを回転させてゆくように、徐々に彼女の周囲で白くもやった水蒸気のかたまりが渦を巻きはじめた。

 それを見たアシは顔面蒼白になり、へっぴり腰でズリズリと後じさりをはじめた。

「……ま、まさか」

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