屍体とシタイ女(六)
クスノキ少佐は解剖台の反対側へまわり込むと、今度は屍体の足もとへ別のヴェヴェを描いた。
「おお、死を司るものよ、ゲデの盟主よ。汝の名はバロンサムディ。我らに燃える蛇を見せよ、善と悪とを示せ、死とセックスを授けよ――」
部屋の空気が徐々に変化してゆくのが分かる。棚のうえに並べられた医療器具がカタカタと鳴り、あちこちの金属部分からスパークが発生する。急激に室温が下がっているらしく、聖句を唱える彼女の息が煙でも吐き出すように白い。
「我れ、汝らの神ペトロの名において命ずっ。出でよロアよっ。これなる骸に憑霊せよっ!」
尊大な声で叫ぶと、薬ビンに入った赤褐色の粉末を屍体の全身にふりかけた。
ゾンビパウダーだ。
ブードゥーの司祭たちによって代々受け継がれてきた神秘の粉が、屍の体内へゆっくり浸透してゆく。血の気の絶えた白い心臓がゆるやかに鼓動を打ち、収縮していた動脈が全身にホルマリンの血液を送りはじめる。荒っぽく縫合された皮膚がきれいに癒着し、弛緩しきっていた筋肉が次第にちからを取り戻してゆく……。
モゾッ、と屍体が身じろぎした。
クスノキ少佐は満足げに口角をつりあげると、声にヴィブラートをかけて聖句の最後をしぼり出した。
「セー・ベー・ルゥー・ヴィー・エー・ノー・ター・モー・イー・ザー」
天井に吊るされた水銀灯のひとつがパリンと音を立てて割れた。そこかしこの壁でコンセントから火花が散る。
ごう ごう ごう
聖句の詠唱に応えて、部屋の床がこまかい振動を伝えながら鳴動しはじめた。
突如、閃光が走った。
部屋のなかが一瞬真っ白い水蒸気でみたされた。
クスノキ少佐が、コホコホと咳き込む。
やがて白い霧が晴れてゆくと、そこに牛の頭を持つ怪物がむっくりと身を起こしていた。
「ふう、しんど……」
眼鏡ふきで曇ったレンズをぬぐいながら、クスノキ少佐がつぶやいた。
「毎回毎回、ガラス割れたりするのなんとかならへんかなァ。掃除するの大変や。でもまあ、蘇生の儀式はひとまず成功したみたいやな。ほんなら、あとはこの……」
かたわらに置いてあった膿盆からジェイコブの脳をそっと持ちあげる。牛の頭部にはあらかじめ直径二十センチほどの穴があけてあり、なかは空洞になっている。そこへ脳をスッポリとおさめた。
「ぱいるだー・おん!」
ニチャ、と音がして血管や神経などの組織がたちまち結合されてゆく。ガラス玉のようだった目に、しだいに意思の光がともってゆく。
クスノキ少佐は、その目をのぞき込んでそっと問いかけた。
「どや、うちのことわかる?」
牛頭の怪物は、口のなかの生米をバリバリ噛み砕きながら首をたてに振った。
「ジブン、名まえ言うてみい」
「おでの名わあ……ジェイコブ」
水を張った洗面器に顔を沈めてしゃべっているような、ゴボゴボと濁った声だ。
「おでわジェイコブ。あなだ様の、忠実ゥなしもべでず」
クスノキ少佐はパチンと指を鳴らして、小躍りした。
「やったねっ、完成や!」
そのとき部屋のすみで電子音が鳴った。
事務用デスクのうえに置かれた内線電話がLEDを点滅させている。
クスノキ少佐は受話器を耳にあてると、元気よく返事をした。
「はいはい、屍兵戦略研究室ですゥー」
「えらく浮かれているようじゃないか、三等軍医正」
まるで老婆のような嗄声を聞いたとたん、クスノキ少佐の背筋がまっすぐに伸びた。
「あ、これは司令官はん。失礼申しあげました」
「どうだ、作業のほうは順調かね?」
「おかげさまでボチボチです」
「ボチボチじゃあ困るなあ。他の研究室にくらべおまえのところへは過大な予算をまわしてある。それに見合うだけの成果をあげてもらわないと、このわたしが無能ということにされてしまうじゃないか」
「はあ……えろうすんまへん」
「そういえば、グラグ島にあるセーフティレベル4のバイオ研究施設で、たしか研究員を募集してたっけなあ。どうだ、おまえ行ってみないか?」
「いえ、あの、結構です」
「そういうなよ。良いところらしいぞ。日中の平均気温マイナス四十度という極寒の地で、第一級危険病原体であるエレファント出血熱ウイルスの研究を行っているんだ。そこでついこのあいだ暖房設備のトラブルがあってなあ、研究員がふたりほど凍死したらしいんだよ。どうだ、一年の大半を流氷に囲まれて船での行き来ができないから、娯楽もないし、金がたまるぞ」
クスノキ少佐は涙目になって、電話機を握りしめたままペコペコ頭を下げた。
「あのう、もっと頑張りますんで、どうか、かんにんしてください」
「遠慮深いやつだな、三等軍医正。あそこで三年も勤めあげれば特進も夢じゃないというのに」
「そっ、それより司令官、甲種屍兵の試作品がたった今完成しました。なかなかええ感じですよ。ちょうど、これから報告にあがろうと思ってたところなんです」
「ばかめ、それを早く言わんか。それじゃ出来ばえを検分してやるから、すぐに現物を持ってこっちへ来るんだ」
「あ、はい、ほんなら大至急……」
通話は切れていた。
クスノキ少佐は叩きつけるように受話器を置いた。
「なんやねん、あのオバン。うちのこと三等、三等ゆうてバカにしてからに。軍医少佐やっちゅうねん。頭くるわあ。ひょっとして、うちの若さと美貌に嫉妬してるんとちゃうん?」
露出したジェイコブの脳に鋼板のカバーをかけ、電動ドライバーでふちをビス留めしてゆく。
「まあええわ。今に見とれよ。強力な屍兵ぎょうさんこさえて反乱起こしたるねん。ラゴス軍なんてどうでもええ。うちの望みは屍兵軍団による世界征服や。そのためにも今は辛抱のときなんや。辛抱して辛抱して、コツコツコツコツ屍兵部隊強化してゆくねん。なんせ屍兵は造ったもんの言うことしか聞かへんさかいな。そのうちギャフンと言わしたるわ。フフフ、うちの野望知ったら、あのオバンきっと腰抜かすでえ」
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