屍体とシタイ女(五)
あやつり糸を断ち切ったマリオネットのようにジェイコブのからだはクタクタとちからを失い、床に倒れた。その目は、自分の身になにが起こったのか理解できないといったふうにキョトンと天井を見つめている。
「かんにんなあ、ジェイコブはん」
そう言ってクスノキ少佐は、ジェイコブの両足首をつかんでズルズル引きずりはじめた。小がらな彼女にとってはけっこうな重労働だが、表情は嬉々としている。
「じつはな、屍兵つくるときどないしても生きた人間から調達せなあかん部位があるねん。それは脳や。脳は内臓のつぎに腐りやすうできてるねん。せやから戦死されはった兵隊はんのからだからは採取できひんのや。だからちゅうて脳みそ空っぽのままやったら、蘇生してもクルクルパーなってもうて使いもんならへんやろ? となると、もう生きてる人間ハズさなしゃあないやんか。そやさかいあんたみたいな、急にいなくなってもだあれも騒ぐひとおれへん人間だまして、ここへ送り込んでもろうてましたのや」
血まみれの屍体に言いわけするようにクスノキ少佐がつぶやく。引きずる屍体によってコンクリートの床に長々と血のひと筆書きが描かれてゆく。
「けどあんた運が良いわあ。あ、いや殺されてもうたから運は良くないのか。でもな、今うちがこさえとるんは、ただの屍兵やない、一世一代の意欲作や。そんじょそこらの屍兵とは屍兵がちゃうねん。最強無敵の屍兵、もう屍兵のホームラン王や。あんたは、これからその一部になれるんやで」
解剖台のすぐ近くまでジェイコブの屍体を運び終えると、クスノキ少佐はゴム手袋をはめ、防臭マスクとフェイスシールドで顔を覆った。屍体の首の下にウレタン製の枕をさし入れ、頭部を持ちあげる。
「なあジェイコブはん。人間のたましいっちゅうもんは、からだのどの部位に宿ってると思う?」
ひとり言をつぶやきながら愛用のメスを握る。そのメスを、頭のはちに沿って一周させる。外科手術用の尖刃刀は恐ろしいまでの切れ味で、クスノキ少佐が髪の毛をつかんで引っ張ると、ジェイコブの頭皮はメリメリと音を立てて簡単に頭蓋から引き剥がされた。
「宗教家の多くは、たましいは心臓に宿るもんやと主張してるらしいねん。そやから心臓移植には反対してるし、実際ドナーの記憶やら性格が、移植受けたレシピエントの精神に影響与えたちゅう事例も、ぎょうさん報告されてるねん」
ブツブツしゃべりながらも、手はいそがしく動いている。キュイーンという甲高い音がして、彼女の手のなかで携帯用のドリルが回転をはじめる。前頭骨の縫合線に沿っていくつかの穴を開け、そこへ骨鉗子を突っ込んでテコの要領でこじ開ける。かなり乱暴なやりかただ。
「いっぽう学者の見識ではな、神経系の大もとである脳こそがたましいの本質やっちゅう理屈らしいねん。そら人間、脳ミソ無うなったら頭パーなって、たましいの抜けがらみたいになるさかい、当然と言えば当然なんやけどな。まあ、つまるところ、どっちが正しいのかはうちにも分からへん。パソコンに例えたら、心臓がプロセッサで、脳がハードディスクちゅうところかいな」
前頭骨に次いで頭頂骨も取り外すと、エッグスタンドに乗せたゆで卵みたいに、つややかな髄膜が露わになる。そこへメスを押し当て、真っ直ぐたてにスーッと引いた。焼きたてのオムレツにナイフを入れるような手つきだ。パックリと口を開けた切れ目から髄液がトロトロと溢れだし、やがてピンク色をしたジェイコブの脳がその全貌を現す。
クスノキ少佐の口もとに笑みが浮かんだ。
「……ごっつええ感じやん。パプアニューギニアに住むフォレ族ってのが人間の脳みそ好んで食べてたらしいけど、こうして頭蓋からのぞく新鮮なやつ見てると、なんやうちまで食べてみたなるわァ」
そう言って舌なめずりをする。
彼女は、外科剪刀で脳底にある血管や神経をジョキジョキ切ると、そのまま無造作に脳を取り出した。両手でささげ持って、頭上へ高々とかかげる。
「獲ったどーっ」
解剖台のうえに乗せてある造形物は、まさに異形と呼ぶにふさわしいシロモノだった。
人間の首なし胴体に、野牛の頭を縫いつないである。両腕も人間のものではない。はるかに長くて太く、黒い毛がびっしりと生えている。マウンテンゴリラから移植したものだ。さらに内臓を取り払った腹腔にはインドニシキヘビの死骸が詰めてあり、縫い合わせた腹はビール樽のように膨らんでいた。
「どや、かっこえーやろ? ギリシャ神話に登場するミノタウロスちゅう怪物がモチーフなんやで」
ステンレス製の膿盆に載せられたジェイコブの脳に向かって、嬉しそうに語りかける。
「推定握力はなんと五百キロ、頭突きかましたらライオンかて吹っ飛ぶし、いざっちゅうときは腹からビックリ箱みたいに蛇の頭がニュッて伸びていって相手の急所に噛みつくのや」
ゴム手袋とマスクをはずし、解剖台の四すみにロウソクを灯した。台の表面にはあらかじめ魔法陣が描かれており、屍体はその中央で仰臥している。
「ほな、ぼちぼち始めましょか」
そう言ってクスノキ少佐はメスを儀式用の短剣に持ち替えると、まず屍体に聖水をふりかけた。次いで牛頭の口のなかへ生米を詰め込み、まっすぐ背筋をのばすと、今までとはうって変わってドスの効いた声で、朗々と聖句を唱えはじめた。
「ミリティアエ・コエレスティス・サタナム・アリオスクエ・スピリトゥム――」
短剣の刃を左手で軽くにぎり、スッと引く。ポタポタと滴り落ちた血に剣先をひたし、それで屍体の頭部のすぐ近くに複雑な文様を描いた。これはヴェヴェと呼ばれる紋章で、ブードゥーの精霊たちを具現するシンボルの一種だ。
「おお、四つ辻の番人よ、七つのアフリカのちからよ。汝の名はオリシャレグバ。冥界と世をつなぎし邪法、髄は骨となり、骨は肉となり、肉は皮とならん――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます