-Extra battle3-

 …それから二日ほど、まったくの平和だった。土日をはさんだわけだが、世界もご近所も平和そのものだった。俺の家にも何もなかったし、テレビのニュースと新聞が商店街の事件を伝えていたが、事件後にマスコミが殺到したらしく、映っていたのはすべて事件後の現場だった。

 俺は少しだけ血の気が引いたが、俺の写真や画像は載っていなかったのでものすごく安心した。頭は抱えたが。

 俺は朝起きると、いつものように着替えてから居間へ向かった。


「おはよう」


 キッチンでは、姉さんがパジャマにルーム用の上着を着ただけの姿で、味噌汁をかきまわしていた。ちょうど朝ごはんを食べようとしていたところなのだろう。

 俺の姉さん――土田ミヤコだ。

 姉さんは俺の姿を見ると、湯呑を出してこう言った。


「おはよう。あんたも飲む? モーニングミソスープ」

「飲むけど、頼むから湯呑にはお茶を入れてくれ」

「冗談よ。ちゃんと味噌汁はお椀に入れるから」

「とか言いつつ、前に何度かやったじゃないか。余分に洗う羽目になるんだからいい加減やめてくれ」

「そーいえばそうだったわね。だって飲むって言ったから」

「普通、湯呑に入れるとは思わないじゃないか」

「ちゃんと頑張って具は外しておいたのに」

「まさか姉さん、父さんや母さんにもやってる?」

「ご飯持ってってあげるから、座ってなさいよ」


 俺の質問には答えてくれなかった。

 運んできてくれたご飯と味噌汁は、ちゃんと正しい器に入っていたし、湯呑にもお茶が入っていた。

 姉さんは俺の反対側の、いつも座っている席に着いた。


「じゃあ、いただきます」

「うん」


 姉さんはすぐには手をつけずに、しばらくテレビのニュースを見ていた。ちょうど占いの時間らしい。占いの時間は重なっているのに、各局の占い方法によって結果が違うらしいので、姉さんは頑張って全部見る癖がある。なんでも、いい結果なら信じて、悪い結果なら信じないそうだ。テレビの占いなんてそんなものでいいのよ、とか言っていた気がする。

 しかし、しばらくすると眼を逸らして、不意に俺の方を見た。


「…ねぇマサヒロ」

「何?」

「ガクセイファイブって知ってる?」


 飲みかけた味噌汁を噴いてしまった。外に出してしまわなかったことは幸いだ。


「ゲホッ、ゲホッ!」

「どうしたの? わかめが喉に詰まった?」

「…どうしたのじゃないよ姉さん…!」


 俺はお茶を一気飲みして、なんとか落ち着いた。


「…なんでいきなりそんなことを…?」

「わかめじゃなくて豆腐?」

「どっちも違う。ガクセイファイブの」

「ああ、それもあったわね」


 自分からいきなり聞いてきたくせに、ついでのような言い方をされた。

 俺はお茶を置いてから、話を元に戻すためにもう一度落ち着いた。


「それで、なんで?」

「私の就職先、バッドカンパニーだし…」

「それっぽくぼかすのやめてくれる?」


 姉の就職先がアクマだかドクロだかいう悪の秘密結社だと知った時の俺のなんとも言えない感情をわかってもらえるだろうか。


「だって秘密結社だもの」

「全然秘密じゃない気がするんだけど。…それで?」

「今日の新聞でも見たのよ」


 姉さんはそう言いながら、テーブルの隅に置いた新聞をずい、と引き寄せる。それからページをめくって、俺の前に出した。


「ほら、このあたりだったかな」


 俺は、姉さんが示した紙面の内容を読み上げた。


「『怪盗”伯爵”の謎に迫る! 先日起こった霧歩美術館での窃盗事件よりはや数日。本紙では、今週一週間に渡って伯爵事件の特集を組み、謎のヴェールに包まれた素顔に迫ってみたいと思』…」

「…ごめん間違えた。こっちよ、この記事」


 自分で持って見た方が早いのかもしれない。姉さんもそう思ったのか、ある記事を指さしながら、新聞をこっちへ寄越した。


「…だろうな。『ガクセイファイブの猛攻、未だ留まらず』…?」


 新聞を受取りながら、大きく書かれた見出しの文字を読み上げる。


「『悪の道に堕ち、猛威を奮っているガクセイファイブだが、その勢いは留まるところを知らない。先日もお伝えしたとおり、新たな領土拡大を目指している模様だ。尾長町の商店街での攻防は、チャリケッタキラー、並びにその指揮官と相打ちになり、結果的に商店街は守られたといえる。とはいえ、これで戦力がそがれたわけではない。尾長町内は本格的に、善悪入り乱れた抗争に』…」


 俺はそこで読むのをやめた。


「…なんだかインフルエンザみたいな扱いになってきたな」

「そうね。社会の癌っていうのかしら…」

「それなんか違う気がするんだけど」

「ご近所の癌?」

「範囲が一気に狭まったな」


 言いながら新聞を畳んで、テーブルの隅の、元あった場所へ置いた。


「で、このガクセイファイブがどうかした?」

「ん…ちょっと聞きたかっただけ。この間、仕事見学中に、ガクセイファイブの一人が、仲間になれって言ってやってきたから」

「それ、何色だった?」


 何の仕事なのかは正直聞きたくない。


「…うーん。あんまりよく覚えてない…かも。赤と青じゃなかったはずだけど…ピンクだったかもしれないし、黒だったかもしれないし…はたまた白かったかもしれないわ。虹色っていう可能性も…」

「それで、どうしたんだ?」

「うん。なんか、ドクターが…」


『結論から言おう。大いに結構! だがしかし、我々には科学を吟味するという目標があーる! すべての生き物が進化の賜物であるように、人は科学を操ることで進化する!! それが理解できるかね、ガクセイファイブ!』


「…って」

「全然結論から言ってないじゃないか」

「そうなんだけどね」

「それで、結局どうなったんだ?」

「そのガクセイファイブも科学者志望タイプだったらしくて…ドクターとものすごく意気投合して、その場はそれでお開き」


 俺は頭を抱えた。


「どうしたの、頭痛? マサヒロって低血圧だったっけ。それは寝起きが悪いんだっけ?」

「…なんでもない」


 しかしその話が確かだとすると、イエローとグリーンがあの状態で動くとは思えないし、残るはレッドとブルーの二人だということになる。グリーンなんて椎名さんに思いきり蹴飛ばされてたし。

 これでなんとか解決すればいいんだが…残りの不安はやっぱりレッドとブルーだ。ガクセイファイブのように、リーダーがレッドなのだとすれば、おそらくは同じような立ち位置にいるはずだ。いわゆる最難関…に違いない。

 俺はひとつため息をつくと、諦めて学校に向かうことにした。


 学校に着くと、予想したとおりに烈土が新聞を片手に俺のところへ走ってきた。というより突撃してきた。広い大学のキャンパスの中からよく見つけられるものだと思う。

 そういえば、商店街の出来事について連絡するのを忘れていた気がする。それについては怒られたが、とにかくかいつまんで二日前の出来事を伝えた。淡々と伝えたらまた烈土に文句を言われたが、俺に血沸き肉踊る冒険譚のような解説を求めないでほしい。


「そっか…そんなことが…」

「たぶん、あの二人はしばらくは出てこないだろうな」

「それにしても、ガクセイファイブ・ハリケーンか…確かにイエローとグリーンの合体技だよな?」

「”な?”とか言われてもそれ初耳なんだけど」

「まさかとは思ったけど、本当にガクセイファイブの技まで使ってくるなんてな…」

「俺の発言は無視なのか…。ああ、それから」

「まだあるのか?」


 聞いてるじゃないか、と思ったが、突っ込みはしなかった。

 俺はさらにかいつまんで、今度は「聞いた話だから」と一応断りを入れて、ドクターとガクセイファイブの一件について話した。


「それが誰なのかはわからないけど、赤と青ではなかったような気がするし、ピンクのような黒のような白のような、虹色かもしれないと…」

「メカニックか。ということは、おそらく残りは偽レッドと偽ブルー…」


 烈土は腕組みをしてから、顎に手を当てた。「考える人」のようなポーズだ。烈土はしばらくそうしてから、再び俺を見やった。


「しかし、お前に頼んでから一気に進展したよな!」

「…俺をそんな明るい目で見ないでくれないか」

「謙遜するなよ! お前だってわかってるだろ!?」

「何が?」

「さて、そうなると一気に相手を叩けるかもしれないな…」

「だから何が?」


 とは言いつつ、答えなんて期待していない。実際、烈土からの返答もなかった。


「…って言っときながら、偽レッドに関しては全然情報が無いんだよなー…」


 テーブルに手と頭をついて、今度は大きなため息をつく。


「…他のメンバーに関する情報も全くなかったんだが」

「いや、あったぞ一応」

「それもっと早く教えろよ!?」

「だって、あの場で会うなんて思ってないだろ!」


 それもそうだ。


「じゃあ、その情報っていうのは…?」

「うん。説明するとな」


 烈土の情報を感情を抜いて説明すると、つまりこういうことだった。偽ガクセイファイブは、本物と同じく、レッドをリーダーとして成り立っている。最初期こそ全員が外に出てきていたが、やがて役割がしっかりとしてきたようだ。

 その役割は次の通り。レッドはおそらく…というよりも予想通り司令塔であり、最近はほとんど出てこない。それゆえに情報もまったくないらしい。

 ブルーは主にその補佐という感じだが、最近では一人で部下を引き連れ街を荒らしていることも多い。

 イエローとグリーンは先日わかったように、ペアで戦闘担当をしているらしい。

 そして残りの一人がメカニック担当、ということだった。

 たったこれだけのことが、烈土の感情と熱っぽさが加わったことにより、一時間近くにもわたる講義と化してしまった。この間のシャドウよりもひどい。原稿用紙何百枚分とかそれぐらいだ。


「というわけで、以上が偽ファイブについての情報だ」

「……長いな……」

「なんだよーっ、いつもこの倍近い講義聞いてるだろ!?」

「いや、そういうことじゃなくてな…うん」


 何か言おうと思ったが、諦めた。


「おそらく、このままいくと次に出てくるのは偽ブルーだな」

「だろうな。レッドが…ごほん! 偽レッドが出てきてくれれば手っ取り早いんだけど」


 いちいち睨むのはやめてほしい。


「でも、そうはいかないだろうな」

「それでもガクセイファイブを名乗ってる以上、標的は彼らに違いないだろうし、この先は彼らに任せても…」

「そうかな? 俺はお前も危ないとちょっと思うんだけど」

「うん。…は?」


 うっかり流してしまったが、聞き捨てならないセリフだ。なんでそこで俺が出てくるんだろう。


「…なんで、俺が?」

「だって、チャリケッタキラーと一緒にいたり、シャドウと一緒にいるところを見つかってたり…、何より、偽イエローたちに知られてるんだろ?」


 烈土は真顔で怖い事を言った。


「確かに標的はガクセイファイブだろうけど、そこに絡んでるお前に矛先が向く可能性も…」


 誰のせいだ! と心の中で叫んだが、どうせ口に出したってどうにもならないことはわかっている。そもそもシャドウに襲われている時点で向こうにばれているなら、時間の問題だっただろう。


「でも、お前なら大丈夫だって信じてるからな!!」

「何が?」


 笑顔でサムズアップされても困る。そのあたりは本当に答えが欲しかったが、結局答えが返ってくることはなかった。


「でもさ、烈土」

「何だ?」

「彼らは、ガクセイファイブを名乗ってるわけだろ」

「そうだな」

「その狙いが本物なら、直接出て行けばいいんじゃないのか?」


 その時の烈土は、「時が止まった」と形容するにふさわしいほどだった。


「そ…」

「え?」

「それはそうっ……だけどっ、どどどうしてそれを俺に言うんだ!!?」

「え? い、いや、ただの疑問! ただの疑問なんだ!」


 動揺っぷりが見ていてとてもよくわかるほどだったので、思わず俺の方からフォローを入れてしまった。


「えーっと、そう、狙いが本物なら、どうして本物のガクセイファイブが出ていかないんだろうなっていう、そういう疑問だったんだ」

「あ、ああ…そういうことか」


 危うく余計に大変なことになるところだった。


「それは…あれなんじゃ…ないか? たとえば…そう…このままやみくもに出て行ってもだめだって言われたとか…」


 充分すぎるほどよくわかった。


「とにかく、なんか事情があるんだろうな」

「ああ! そう! それだ!」


 烈土が俺の鼻先をビシッと指さす。その手をやんわりと退けながら、俺は頷いた。とにかくそういった事情で出てこれないらしい。

 それから数分も経たずに、今日のところは解散することになった。俺は講義があったし、烈土は俺から聞いた話を整理するから帰るらしい。誰とするのかは知らないが。

 しかしいずれにしろ、イエローとグリーンがやられたのは多少打撃になっていたのは間違いないだろう。実際、今日を含めたこの三日ほど、本当に平和そのものだったからだ。

 今日を含めるといっても、講義が終わって友人たちと別れてから魔王シャドウに襲撃されたが。


「土田マシャヒロッ、うにゃにゃにゃ…」

「噛んだ!?」


 そのことに驚いて、俺は変な杖に応戦できず殴られた。正直痛い。


「か、噛んでないぞ!! ちゃんと土田ましゃ…ま…マサヒロと言った!!」

「わかったから、振り回すな! 危ないだろ!」


 闇雲にぶんぶんと杖が振り回され、空を切る音が耳元で響く。


「大体なんなんだ、その杖」

「これか! これはシャドウフックだ」


 全然フックじゃない。ごく普通の、先に青色の透明な球体がついたただの杖だ。


「ふふふ。説明してやろう。これは、相手の頭部に打撃を与えることで、相手をしびれさせることができるのだ。どうだ、すごいだろう?」

「それはただの殴打って言わないか?」

「ちっがーーう!! シャドウフックだ!!」


 シャドウは憤慨して、俺の鼻先に球体を向けた。それをやんわりと手で退ける前に、シャドウが叫んだ。


「っとにかく、勝負だ、土田マサヒロ!!」

「ちょ、ちょっと待てシャドウ!」

「なんだ!? 勝負に待ったは無しだ! 正々堂々、勝負しろ!!」

「そ、そういえば忘れてたんだが…こないだの俺の発言覚えてるか!?」

「お前の発言…?」

「そう。花千のケーキ奢るっていう…」


 シャドウは杖を俺の鼻先にあてたまま考え込んでいたが、しばらくして、ああ、と呟いた。


「なんだ、花千に連れ込んで休戦という腹積もりか?」


 俺を下から覗き込んでニィ、と笑う。読まれている。

 シャドウは俺から離れた後、ふむ、と首をかしげた。


「…、まぁいいだろう。そういうところで律儀なのは嫌いではない」


 助かった。それだけで助かるならケーキの一つや二つ安いものだ。俺は人知れずほっとした。


「それならば、ちょっと待て」

「なんだ?」

「…花千に行くならいろいろと準備をしてくる」

「準備?」


 何の準備か聞こうとした瞬間に、シャドウにキッとにらまれた。


「貴様、その間に逃げたりしたらどういう目にあうか…」

「いや、逃げないから」


 俺の答えを聞くと、シャドウは忘れるなよ! と叫び、ぴょん、と跳んで茂みに入ってがさがさと音をたてた。


「そっちなのか!?」


 道を歩いていくとばかり思っていたのに。がさがさいう音はやがて聞こえなくなったので、おそらく急いでどこかに行ったのだろう。そうなるともちろん俺の声に対する返事はなく、俺は仕方なくそこで帰りを待つはめになってしまった。

 しばらく待っていると、待たせたな、という声が聞こえた。予想通りだが、茂みとは全然別の、反対方向からだ。目線を向けたとたん、俺は思わず微妙な表情をシャドウに向けてしまった。


「なんだ、私に見惚れても何も出んぞ」


 シャドウはニヤリと笑いながらそう言ったが、いかんせんなんとも言い難い。

 変わったというか全然変わってないというか、とりあえずはマントが無い。


「…マントと杖、か?」

「何を言う。マントどころか装飾もマークも何もかもが無いぞ。あとちゃんと服も変えてきた!」


 確かに、全体的に何かが足りない雰囲気がある。とはいえ、コスチュームも私服もたいしてセンスが変わらない。同時に、それらがなくなったら普通だ、とも思った。


「できるだけ抑えたのだぞ!? 花千に行くならあの格好ではまずいだろう!」

「何が?」


 まずいもなにも、俺に勝負を吹っかけてくるときはいつも同じだ。あまりに同じだから一度聞いてみたら、なんでも同じ服を何着か作っているらしい。しかも、古くなったら捨てたり、新しく作ったり、冬と夏で微妙に違うらしい。どうりで冬でも(ほぼ)同じ格好だと思った。


「貴様、今全然関係ないことを考えたな?」

「いや、別に」

「…まぁいい…。とにかく、あそこは絶対不可侵領域なのだぞ!? わかっているのか!?」

「はぁ」

「まさか貴様、それもわからずに言ったのか?」


 なんだそれは。

 説明を求めた結果をシャドウの感情抜きで説明すると、花千は――駅前にある花千という和洋菓子屋は――昔から唯一無二の絶対不可侵領域になっているらしい。花千では正義の味方も悪の結社もなく争いは暗黙の了解として禁じられているようだ。

 確かに花千のケーキはおいしい。ケーキも様々で、甘いものはちょっと…という人にも難なく食べられるものも置いてある。花千の近辺に住んでいるならば、客に出す時も、時間が許すならば、近所にあるチェーン店の洋菓子屋より多少遠くてもそっちに行く、ぐらいの認識を持っている。それぐらいの場所だ。


「つまり…そこでは争いができないってことか?」

「そういうことだ。たとえばだ、そこにお前が居ても私は手を出せん。同様にお前は私に手を出せんのだ。いつからかは知らんが、暗黙の了解なのだ。それゆえ、花千は絶対不可侵領域! 逆にいえば、花千を制するものは尾長町をも制するのだ! わかるか!?」

「よくわかった」


 しかし、花千は有名だが全然気づかなかった。よりにもよって、そんなことになっていたとは…。


「あと、今から少しだけ本名で呼ぶのを許可しよう。私の隠れ蓑の名前だからな」

「お前、いろいろ使い方間違ってる」


 とにかく俺は自転車をとりにいくと、シャドウと――もとい、咲と再び合流した。自転車をひいて戻ると、咲の眉間に皺が寄っていた。


「どうした?」

「…すごく落ち着かない」


 俺は何も言えなかった。

 とはいえ、花千に向かう間、俺も落ち着かなかった。


「…なんなんだろうな、これは」

「…わからん」


 変なところで意見が一致してしまった。

 おそらくはごく普通の光景なのに、本人たちが違和感を感じてしまっているというのは、いったいどういうことなのだろう。

 とにかく俺たちはどことなく不思議な感覚に囚われながら、駅前に着いた。


「今日は人が少ないのだな」

「平日だし、時間が時間だからな」


 この辺は学校はあるが、オフィス街はない。平日の昼間ともなると、外を出歩いている人間なんて限られているのだ。

 花千の中に入ると、相変わらず落ち着く雰囲気が漂っていた。別に誰もしゃべっていない、というわけでもないのに、不思議な空間ではある。和洋菓子店、というだけあって、和菓子のスペースもあるのだが、ちゃんと調和している。目の前の持ち帰り用のスペースでは、おばあさんが一人、ショーケースを覗き込んでいた。右側から入れる喫茶スペースに目をやると、既に何人かの人が入っている。

 俺は振り返って咲を見た。


「どうするんだ?」

「わざわざこんな格好までしてきたんだ。ここでいい」


 咲はそう言うと、さっさと喫茶スペースに入り込み、店員に人数を伝えた。


「早く来い、マサヒロ」


 土田マサヒロと呼ばないことに対しても物凄い違和感を感じながら、俺は咲のあとに続いた。

 窓際にあるソファの席に着くと、咲はさっそくメニューとにらめっこを始めていた。


「あ」

「なんだよ」

「飲み物もお前持ちだろうな?」

「はいはい」


 返事を返して、俺はもう一つ備え付けてあるメニューを開いた。

 正直言って、俺はそんなに甘いものが得意ではない。そのうえで、花千のケーキの甘さに慣れてしまっていたので、他の場所で同じケーキを食べた時は甘くてすごく驚いた。


「む。季節限定のが出ているな」

「え、どこだ?」

「最後のページだ。セットで出ている。和菓子のセットもある」


 見てみると、季節の果物を使ったケーキが、飲み物とのセットで写っていた。花千はバレンタインやクリスマスといった季節の行事の時も特別なものを出すが、こういった季節別に出しているものもある。


「それにするか?」

「今迷っている……」

「それにするなら一口くれ」

「…そう言われるととりたくない、が…!!」

「…まあ、ゆっくり決めろ」

「そうする」


 咲はそう答え、他人の食べているものもこっそりと見回していた。俺はそんなに悩むことはない。頼むものが限られているからだ。俺はメニューをしまって、なんとはなしに店内を見回した。

 やはり時間のせいもあってか、井戸端ならぬこんなところで談笑しているおばさま二人組とか、コーヒーらしきものを飲んでいるおばあさんがいる。とはいえ、私服の女の子の集団もいる。おそらくは、同じ大学の学生といったところだろう。この辺りで学生といったら、うちの大学ぐらいしかない。それとは対照的に、本当に学校帰りと思しき制服姿の女の子が、同じく制服姿の男の子に楽しそうにメニューを見せているのも見えた。とても微笑ましい光景だ。その向こう側に、二日前に見たことのある黄色い服を着た人さえいなければ。

 俺は即効で目をそらした。そして俯き加減にして二度と見ないように努めた。

 しかも黄色い服だけではない。なんだか青い服を着た人も一緒にいた。どうやら二人のようだが、青い方も以前見たブルーとは何かがいろいろ違うような気がするから、おそらくは偽物の方だろうということにしておく。

 ちらりと目をやると、二人が席を立つのが見えた。そのまま出て行ってほしい。…出て行ってほしいが、案の定隣で立ち止まる気配がした。


「魔王シャドウ…だな?」


 俺は頭を抱えていたために見えなかったが、たぶんどちらかが言ったのだろう。咲がゆっくりと二人を見つめ、睨みつけるような気配がした。


「私の正体を見抜くとは…何者だ?」


 今の方が正体だろうという突っ込みは野暮だろうか。


「そこのお兄さんなら、俺がわかると思うんだがね。…アンタだな、この間チャリケッタキラーと一緒にいたのは」

「いえ、人違いです」

「またそれか! なんで速攻で否定するんだお前は!」

「…まぁ、そういうな、イエロー。俺たちは少し話がしたいんだ」


 そこで俺は、ようやく顔をあげることができた。別に話がしたいと言われたからじゃない。もうそろそろ誤魔化すのも無理だと思ったからだ。

 目の前には黄色い服を着たイエローを従えるかのように、青い服を着た青年が立っていた。

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