第2.5話(後)

「大丈夫なんですか?」

「何が。」


「だから、――今日の。」

「ああ、まぁ大丈夫だろ。」


 そう言って、椎名さんは研究室を出ると、電気を切ってから廊下に出、鍵をかけた。





* * * * *





 結局、今日も椎名さんの研究室を訪ねてしまった。椎名さんは快く出迎えてくれたが、約束の時間が近いのを理由にすぐに研究室を出る事になった。

 二人して棟から外に出ると、不意に椎名さんは着ていた薄めのコートを脱ぎ、鞄と共に俺に手渡した。


「土田。これ持っててくれないか?」

「いいですけど……」

「すまんな。なんか嫌な気配がするから、そろそろ――」


「椎名!!」


 椎名さんの嫌な気配とやらは、当たっていたみたいだった。


「勝負だ椎名! 私が勝ったら、約束通り私の部下になってもらうぞッ!!」

「まったく、人の将来を勝手に賭けるなよ……」

「貴様だって私の人生を賭けただろうが。」

「部下になるんじゃなかったら、もっと面白い条件出したぞ?」


 なるほど、それが”約束”だったわけか。それにしても、どうしてお互いの人生を賭けてるんだろう。いや、主な原因はチャリ(略)の方にあると思われるけれど。


「それに、私はもうここに講師として就職したんだが、その辺りは……」

「何? 貴様ここの講師になってたのか!? そんな話は聞いていないぞ!?」

「当たり前だ、今言ったんだからな。」


 それは一体どういう意味なんだろう。いやそれより、椎名さんの条件って具体的に何なんだ。


「ならば、尚更だ! 私が勝ったら、ここを辞めてもらうぞ!」

「……ちょっと待て。そんな話は聞いてない。」

「当然だ、今言ったのだからな。それに決着などすぐつくと思っていたからな、9年前は。」

「あー……。」


 椎名さんは手を眉間に当て、溜息をついた。だがすぐに顔をあげると、表情を固くして、体を構えた。


「……わかった、いいだろう。その代わり、こっちも条件を追加だ。」

「何だ?」

「私が勝ったら……そのコスチューム目の前で処分してやる!」


 ・・・。


「いいだろう! どちらにしろ私が勝つ!」


 一瞬、間があったのは気のせいだろうか――と考える間もなく、二人が動くのはほぼ同時だった。そして、更に俺が大丈夫なのかと心配するまでもなく、椎名さんはチャリ(略)の最初の一撃を身を低くして避け、見事なタイミングで懐に入り込んだ。

 それは俺が思った以上に本格的な戦い――と言っても過言じゃなかったと思う。しかも、動きも早い。というより、思ったよりも椎名さんの戦い方が本格的なのだ。おそらく基本となっているものの上に、更に独学での方法を重ねているんだと思う。


 それにしても、ゴシック系というか、そういう系統に片足突っ込んだような格好をした女性が、チャリ(略)と戦いを繰り広げているというのは、端から見ていて物凄く奇妙だ。

 と、その時。


「何だ!? 何が起こってるんだ!?」


 突然後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには友人の赤野烈土――じゃなかった、学ラン戦隊・ガクセイファイブのレッドが立っていた。ついでにブルーもいる。


「ともかく、ちょっと待てそこの二人!!」


 ちょっと待て。今行ったら更にややこしい事になるんじゃないか? 俺が声をかけようとしたその瞬間、既にチャリ(略)はレッドの、椎名さんはブルーの懐に入り込んでいた。


「邪魔だ!」

「悪いな。」


 ドッ、という重たい音が重なった。今のは多分、鳩尾に入っただろう。というよりどうして二人してタイミングを合わせたようにピッタリなんだ。


「邪魔が入ったようだな――来い、椎名! あっちに絶好の場所がある!」

「何でお前が知ってるんだ?」


 それは俺も疑問だ。だが、会話をそれだけ交わすと、二人は一番遠い棟に続いている階段を飛び降りて、駆けていってしまった。


「あ、あいつは……一体……」

「レッド! ブルー! 大丈夫か!?」


 声をかけるかどうか迷うヒマもなく、一体何処から来たのか、ガクセイファイブの他の三人が駆けつけてきた。


「しかし、何者なんだ……あの女……」

「ああ……互角に戦っていた。一体……何者なんだ……!?」


 レッドは――おそらく鳩尾のダメージもあるんだろうが――シリアスにそう呟いた。うちの大学の臨時講師だと今ここで断言してもいいものだろうか。


「ともかく……一旦引こう、レッド。」

「そんな……何も、何もできないっていうのか!?」

「現実を見ろレッド! あいつが何者かはわからないが、ここは引くべきだ!」

「くッ……」

「レッド!!」

「……。わかった……引こう。」


 そんな会話を交わすと、学ラン戦隊の五人はそのままバラバラに散ってゆき、何処かに行ってしまった。

 なんだか一人残された気分だ。


「……あ。」


 ――そういえば。

 いつの間にか二人を見失ってしまっていた。おそらくは、学内で一番遠い棟の前辺りにいるんだろうが。そして俺は自分の手に残った椎名さんの荷物を見下ろすと、どうにも逃げられない事を悟るしかなかったのだった。


 階段を降り、そのまま一番遠い棟まで行くと、やはりというか何と言うか、二人は棟の前で対峙していた。


「……ふふふふ。」

「お前、その笑い方気持ち悪いんだけど……」

「ふははははッ! かかったな、椎名!! 何故私がここに貴様を誘い出したかわかるかッ!?」

「はぁ?」


 そういうと、チャリ(略)はどこからともなく箱を取り出した。よくは見えないが、虫かごのようだ。椎名さんを見ると、どことなく嫌な表情に変わっていくのが見える。


「お前、まさか……その中身って……」

「貴様の弱点などリサーチ済みだ、椎名……、これを見ろッ!!」

「こっち投げるなバカッ!!」


 チャリ(略)が箱を投げると、椎名さんの目の前にそれは落ち、蓋が外れて中に入っていた虫が一斉に飛び出した。


「ふはははッ!! 貴様は正攻法でいってもおそらく通じないだろうからな! 昨日集めさせてもらったッ!!」

「集めなくていいッ! というか集めるなッ!!」

「貴様が蝶だの蛾だの、そういうヒラヒラした虫が嫌いな事など、お見通しだ!!」

「お前なぁ……! うわ、寄るなッ!?」


 椎名さんは完全に翻弄されているようだった。目の前を飛ぶ虫を防ぐのに精一杯で、虫の向こう側から来たチャリ(略)の拳も完全に受け切る事ができなかった。


「くッ……!?」

「勝負あったな、椎名?」


 だが椎名さんはちらりと箱の方を見ると、一瞬目を見開いた。


「おい!」

「何だ?」

「あそこに、某メーカーの新作自転車が」

「何処だ!?」


 チャリ(略)が椎名さんの指差した方向を見た瞬間。椎名さんはその一瞬の隙のうちに、とても綺麗にハイキックを決めていた。

 そして。


「――ウソv」


 椎名さんは茶目っ気を出したような顔でにこりと笑いながら、トドメとばかりに鳩尾に右ストレートを綺麗に決めたのだった。


「ぐはッ!?」

「……勝負あったな。」


 椎名さんは腕組みをして、片膝をついたチャリ(略)を見下ろしながらそう言った。


「くッ、……卑怯だぞ椎名……!!」

「どっちもどっちだろ……。まさか私も引っかかるとは思ってなかったんだけどな。」

「しかし、何故――貴様はああいう虫が嫌いなハズ……!!」

「ああ、確かに嫌いだ。だがな、箱から出てくるのは限度があるし、あーゆうのは光に集まるだろ?」


 椎名さんが指差した方向には、電灯があった。そういえば、もう暗くなってきている。離れて飛んでいってしまえばそれまで、というわけか。


「そ、そんな、そんな事で――!?」

「ハッ、お前は自分の好きなモノが仇になったようだがな。」


 椎名さんはマジメな顔でそう言っていたが、その顔には徐々に明らかに楽しげなものが浮かんできていた。


「――ところで、ナントカ。」

「呼ぶなら呼ぶでちゃんと呼んでもらおうか、椎名……」

「今更だな。そんなことより……勝負は私の勝ちだな? ……なぁ?」

「ッだから何だ! 何が言いたい!?」


 椎名さんはその問いに応える前に、もったいぶったようににんまりと笑った。


「”約束”だろ? それから今日の追加分。忘れたわけじゃなかろう!?」

「くッ……」

「それにまだ6時だ。ちょうどいい時間じゃないか!」


 椎名さんはそう言うと、チャリ(略)の肩をぽん、と叩いた――ように見えたが、その手に力を入れているのはハッキリと解る。それからマントをぐっと掴むと、不意に俺の方を向いた。


「悪いな、預かってもらってて。」


 椎名さんは俺の手からコートと鞄を取ると、微笑みながらそう言った。


「そうだ、土田。お前も来るか? 8時から焼肉屋でパーティーなんだ。その前にちょっとした余興もあるがね。」

「余興って何だ!?」

「……俺は、家で姉さんが夕飯作って待ってるんで……」

「そうか。そりゃ残念だ。なら明日どうなったか教えてやろう。行くぞ、チャリ。まずはお前の家だ。」

「”アジト”だ! それから引っ張るな! いや待て、本当に本気なのか貴様はー!?」


 俺は騒ぎながら(いや騒いでるのは一人だが)去っていく二人を見ながら、俺も帰るか――と思い直した。




 そして、その翌日。


 授業後、俺が椎名さんの研究室を訪ねると、ごく普通に歓迎され、椅子に座るように促された。椎名さんは会った当初と何も変わっておらず、まるで何も無かったかのようだった。


「そうえいば、結局、椎名さんとあの人ってどういう関係なんですか?」

「あ? ……ああ、佐伯の事か。」

「佐伯?」

「アイツの本名。」


 椎名さんはそう言いながらペットボトルの紅茶を空け、コップに注ぎながら話し出した。心なしか可笑しそうなのは何故だろう。


「一言で言えば――喧嘩仲間ってところか。高校時代からの付き合いでな。まぁその当時から色々あったけど。」


 そのコップを俺の前に置くと、椎名さんは今度は資料の整理をし始めた。


「私が関西に行くことになったから、当然アイツともお別れー、となったんだが……引越し当日に勝ち逃げ勝ち逃げうるさくてなー。」

「ああ……」


 何だかわかる気がする。昨日・一昨日の一件を見ているだけでも容易く想像できてしまう。それに、色々、という所に納得できてしまうのも否めない。


「それがあまりにも煩かったから、つい、勢いで、な。帰ってきた時に勝負してやると約束を……。」

「……で、今回のアレですか。」

「そういうこと。ま、でもかなりマジな勝負だったし、これでしばらくは――」



「椎名ァーーー!!」



 突然扉が開き、怒鳴り声が響いた。この声は、前に聞いた事がある。確か、自転車置き場でいきなり俺に拳を食らわせたり、一昨日くらいに椎名さんと約束がどうのといっていた人の声だ。

 しかし、声の主の方を振り返った俺の眼に入ってきたのは、想像とは違うものだった――というよりも、多分こういう格好の人がいるはずだという予測から大きく外れてしまっていた。


「……お前なぁ。」

「椎名! もう一度私と、正々堂々と勝負をしろ!」

「正々堂々と勝負はしたし、決着もついたろ?」


 確かに、あの”彼”だ。しかし前に見た事ある彼と一つだけ決定的に違うことがある。



 ――どうしよう、普通すぎる。



 前と比べて普通、ということじゃあない。普通にカジュアルな格好をした彼は、どう見ても普通の人だ。繁華街ですれ違ってもきっと解らない。

 というか、一体何があったんだ、この人たち。


「それにお前……昨日も思ったけど、なんで私服はそんなに普通なんだ?」

「ッ黙れ! 誰の所為だと思っている!?」

「まぁどっちにしろ、もうコスチュームも無いしな。」

「ぐッ!!」


 途端にチャリ(略)――もとい。佐伯さんのテンションが下がったような気がする。逆に椎名さんのテンションは上がったような気がするが。


「だ、だが、もう今となってはそんな事はどうでもいい! 私は私として、改めて貴様に勝負を申し込む!」

「いい加減しつこいな、お前も……。昨日の今日で嫌だぞ、普通。」

「ならばもう一度約束をするのはどうなんだ!?」

「断る。しばらく忙しくなるしな。」

「それならその間を使えばいいだけの話だろう!?」

「イヤだ。」

「とにかく勝負だ椎名!!」

「イーヤーだッ!」


 俺はそこで、静かに溜息をついた。でもとりあえず、世界征服を狙う輩が減った(?)のだから、一応はめでたしめでたしとでも言うべきところなんだろうか。



「ちょっと待ったぁーーッ!!」



 突然聞こえた声に振り返ると、そこには友人の赤野烈土――じゃなかった、学ラン戦隊・ガクセイファイブのレッドが立っていた。

「やっと見つけたぞ! 昨日の女! それから……えーと、誰だ?」

「忘れるな!」

「ハッ、だがもうその必要は無いんじゃないか? 悪の総司令降りたんだろ、お前? 約束通り。」

「ぐッ!!」


 ああ――……そういう、事か。椎名さんも人生賭けられた代わりに、佐伯さんの人生(?)を賭けたわけか。いや、人生と言っていいのかはわからないけど。


「まぁいい。それより、お前は誰なんだ!? 俺たちを倒し、チャリケッタキラーも倒し、一体何を考えている!?」

「あー……」


 椎名さんは虚ろな目で遠くの方を見てしまっていた。その気持ちはよくわかる。

 それにしても、午前中だって椎名さんはここに居たわけだし、どうして今学ラン戦隊が――あ、そうか、佐伯さんが一緒にいるからか。


「そうか、椎名……貴様、まさか総司令を降りろと言ったのは、自分が世界征服をする為だったんじゃないだろうな!?」

「そんなわけあるか!」

「何!? ……いいだろう、お前の野望は、この学ラン戦隊ガクセイファイブが絶対に阻止してやるからなッ!!」

「だから何故そうなる!?」


 ちなみに――この後繰り広げられた戦いについては、深くは言わない。学ラン戦隊が一時撤退し、椎名さんが佐伯さんを窓から追い出すまで戦いは続いたわけだが……何だか、また学生生活に不安要素が増えたような気がする。

 まぁどっちにしろ、一つだけいえることがある。

 それは――




 ――今日も平和な一日だった、ということだ――

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