第2.5話(前)

 ――結局、引越し前と同じような家具配置になってしまった。


 私はテーブルの上にジュースとコップを置き、テレビのスイッチを入れながら、そう考えて苦笑した。午前中を買い物に当て、午後を丸々使って整理をしたものの、結局こういう配置に落ち着いたわけだ。

 それに、あと二日もすれば来月からの勤め先に一度行かなければならないし、なるべく早く片付けたかった所為でもある。唯一の助けは、部屋は前より多少広いが、ほぼ同じような間取りだった所為で、あまり考えずに済んだことだ。


『本日午後未明、商店街に――』


 テレビを見ると、ローカルニュースが流れてきていた。この9年間、ほぼ半年ごとに帰省していたとはいえ、改めて見ると、やはり帰ってきたのだという実感が湧く。

 しかし私は、そのニュースを聞きながら目を見張った。

 そして同時に口の端をあげて、つい笑ってしまった。どうやら私は、遂に帰ってきてしまったらしい。


 ――この、尾長町に。





* * * * *





「おッ……覚えてろよ土田マサヒロ!! 次こそは必ずお前を……ばかーー!!」


 捨て台詞を残して、半泣きで走り去っていった咲を見つめながら、俺は軽く溜息をついた。


 俺の名前は土田マサヒロ。

 ごく普通の大学に通う、ごく普通の男子大学生だ。


 専門は歴史の研究で、教職は取るつもりは無いが、将来は今やっている事を仕事にできれば一番いいと思っている。

 ちなみに今さっき逃げ去って行ったのは、俺の幼稚園時代からの知り合いで、水野咲――自称”魔王シャドウ”だ。何故魔王なのかはよく解らないが、彼女は世界征服を狙う悪の組織の総裁で、俺を永遠のライバルと認定して、自作のコスチュームで毎日のようにやってくる。

 ちなみにこれだけは言っておきたいが、俺は正義の味方でもヒーローでもない。それなのに何故追ってくるのかというと、幼稚園時代、俺が「将来は正義の味方になる!」と口走ってしまったからに他ならない。


 ――とりあえず、帰るか。


 どっちにしろ咲は帰ってこないだろうし、まだ用があればやって来るだろう。そう思い、自転車を引き取る為に自転車置き場に向かおうとした、その時。俺の視界の中に、一人の女の人が入ってきた。


 やけに目立つ人だ、と思った。


 しかもそれは、黒ずくめの服装をしているからだとか、しかもそれがゴシック系とかパンク系とかに片足突っ込んだような格好だからとか、それだけではないと思う。見たところ結構若い――だが大学生という雰囲気ではないから、おそらく院生だろう。

 そういう人が、いくつか積んだ皮本を運びながら、ドアを開けるのに苦労しているというのが、目立つ原因なのだと思う。


「……あの、手伝いましょうか?」

「……助かる。」


 俺がドアを開けると、彼女はそれだけ言って、建物の中に本を運び込んだ。


「すまない。急にドアが閉められててな。」

「いえ。……まだあるんですか?」

「手伝ってくれるなら物凄く助かる。」


 それは多分、暗に手伝え、という意味なのだろう。結局俺はその後駐車場に連れていかれ、残りの本やらダンボールやらを運び込むハメになった。ただ、運び込んだ場所は、確か使われてなかった研究室のハズだ。本の題を見て判断する限り、同じ学部の人のようだったが、(とはいっても、院生なんだから上の学部なんだろうが。)一体誰の部屋なのか、見当もつかなかった。


「……まぁ、こんなものか。ありがとう、お陰で早く済んだ。」


 全ての荷物を運び込むと、彼女はそう言ってにこりと笑った。


「ああ、いえ。……あの、でもこの部屋って、確か使われてなかったハズじゃ……」

「ああ、9月からは使われるようになるぞ? 私がこの部屋陣取るし。」

「え?」


 この部屋に陣取るってことは――。


「……先生だったんですか!?」

「はは、まだ今期は臨時講師だけどな。あと先生は止めてくれ。」


 でもその格好で講師と言われてもちょっと驚きだ。それに若い。滅多な事ではもう驚かないと思っていたが、さすがに驚いてしまった。


「そうだ。お前、次、授業は? 無いならちょっと座っててくれ、茶でも淹れよう。今ペットボトルしか無いがね。」

「あの、お構いなく。」

「お茶請けに生八つ橋があるんだ。一人で食うのも何だし、ちょっとぐらい付き合え。」

「はぁ……」


 俺は言われるがままに適当な椅子に座り、改めて周囲を見回した。歴史や民俗学に関する本が本棚を埋め尽くしている。ダンボールの中はおそらく資料だろう。やっぱりうちの学部の先生なのか。

 俺がそんなことを考えていると、先生は(名前を知らないから結局先生と呼ぶしかない)俺の前に生八つ橋を置いた。


「京都にでも行ったんですか?」

「ああ。こっちに帰ってくるときに京都に寄ってな、買ってきた。ニッキと抹茶とどっちがいい?」

「じゃあ抹茶で――って、帰ってくる?」

「実家はこっちなんだ。大学は関西の方だったがね。」


 先生は俺の目の前の席に座りながら、そう続けた。


「そっちの方で研究もしてたんだが……なんの因果かね。最終的な就職先がまさか地元になるとは、思ってもみなかった。」

「はは……。でも、だから京都なんかに寄ったんですね。」

「そういうこと。……そういや、名前聞いてなかったな。」

「土田です。土田マサヒロ。日本史学専攻の……」

「じゃあ私の生徒になるんじゃないか!」

 先生はそう叫んで、僅かに微笑んだ。

「私は日本史学専攻講師予定の椎名。椎名キョウだ。」


 それじゃあ、椎名先生――もとい。椎名さんというわけか。


「ということは、やっぱりうちの講師だったんですね。」

「まぁそうだな。ああ、そうだ。来年には正式な講師になるしゼミもやるから、今から私のゼミ生候補にでもなっておくか?」

「ゼミ、ですか? じゃあ椎名さんの専門を聞――」


 俺がそう言いかけた、その時。


「マサヒロぉぉーーーッ!!」


 突然、外の廊下で名前を叫ばれた。しかも聞き覚えのある声で。この声は……。


「大変なんだマサヒロ! 今自転車置き場にチャリケッタキラーが!!」

「……烈土……」


 いきなり扉を開けたのは、俺の友人でもある赤野烈土だった。相変わらず赤いジャケットが目立つ。そして何故そんなことを俺に報告してくるのかはよくわからない(ということにしておこう)が、とりあえず烈土はその直後にいきなり腹を押さえて呻き出した。


「くッ! それなのにこんなときにハラがッ! すまんマサヒロ、ここは任せた!!」

「いや、お前一体何しに……」


 俺の質問が終わる前に、烈土は本当に腹が痛いのかと問いたくなるようなスピードで走っていってしまった。

 俺がそのままの体勢で固まってしまっていると、僅かな沈黙の後に、椎名さんが口を開いた。


「なぁ、土田。」

「はい?」

「チャリなんとかって、一昨日くらいに商店街に出たヤツか?」

「……はい?」


 俺が答える間もなく、自転車置き場の方角から、ドーン、という爆発音が聞こえてきた。一体何が起こっているのかはわからないが、おそらく五人くらいの戦隊が戦っているのは明白だ。

 椎名さんは何か考え込むような格好で窓際に立ち、音のした方向を見つめた。


「あ、あの、椎名さん?」


 またも俺の質問が成される前に、再び爆音が起こった。ついでに、ついさっき聞いたような声(これも気のせいという事にしておこう)で、「何処だ! 何処に行った!」という声も聞こえてきた。


「お、こっち来たな。チャリ…ナントカめ。」


 椎名さんの一言で我に返ると、窓の下にチャリ(略)の姿が見えた。多分五人くらいの戦隊との戦いの方に夢中なんだろう。

 椎名さんを見ると、椎名さんは腕組みをしながら、チャリ(略)を見下ろしていた。いや、建物の一階とはいえこっちの方が高い位置になるんだから、結果的にそうなってしまうのだが、どうも似合いすぎている。

 そして。


「よぉ。楽しそうだなぁ?」


 ……そう。椎名さんはまるで、古くからの友人に話しかけるような口調でそう言ったのだった。

 下に居た彼も驚いたようで、返ってきた返事には明らかな動揺が含まれていた。


「貴様は……!?」

「いやまさか、私もこんなに早くお前と出会うだなんて思ってもみなかったがね。」

「いや、そんなはずは……貴様は、まさか……」

「何だ、忘れたか? ……チャリ? 何だ? お前、名前長い。もうちょっと短くしろよ。」

「椎名ァ!!?」

「大正解だ。久しぶりだな。」


 ――いや、その前に、一体どういう関係なんだろう、この二人。


「な、何故此処に――」

「つい三日、四日前に帰ってきた。あ、そうそう。お前、ニッキか抹茶か選べ。」

「は?」

「帰って来る時に京都寄って、生八つ橋買ってきた。どっちがいい?」

「はぁ!?」

「いいから選べよ。」


 椎名さんはニッキと抹茶の二つを手に持ちながら迫っていた。有無を言わさぬ空気――というよりは、完全にペースを掴んでしまっている。ある意味チャリ(略)よりタチが悪いと思う。


「…………ニッキだ。」

「そうか。じゃあ食え。」


 椎名さんは彼にニッキの方を渡すと、自分は抹茶の方を口に含んだ。


「……って、そういう事では無いッッ!!」


「抹茶か?」

「違うッッ!! まさか、こんなところで貴様と再会する事になろうとは……。椎名……、私はこの9年間、貴様が帰ってくるのを待ち続けた。だがもうその必要も無いというわけだ! さぁ、あの時の約束を果たせ! 椎名!!」

「いや、まぁ、うん……そうだな。」


 椎名さんの反応は、傍目から見ても嫌そうだというのがわかる。顔には出さないようにしているのだろうが、その反応からして明らかだ。


「忘れてたらバックレようと思ってたのに……」

「何だ、今更怖気づいたか? まさか、それで9年も待たせたわけではないだろうな?」

「それは無い。……あ。」


 椎名さんが、不意に左側の方を見た。


「見つけたぞ! チャリケッタキラー!」


 すると、どこかで……というよりもついさっきも聞いたような声が聞こえてきた。学ラン戦隊の赤いのが追ってきたようだ。


「くッ……邪魔が入ったか。」

「……しょうがないな。私もお前もいい加減律儀すぎる。」

「ぁあ?」

「明日の、……そうだな、同じ時間に此処に来い。果たしてやろうじゃないか――9年越しの約束を。」

「やっとその気になったようだな?」

「ところで、ニッキ食わないなら返せ。」

「明日を楽しみにしているぞ、椎名!」


 外からは、走り去っていく音と、それを追っていく五人の足音と声が聞こえてきた。そんな喧騒が去った後、椎名さんは呆れたような声を出した。


「まったく……うるさいヤツだな、あいつは。」

「……というか、何の約束してたんですか、あの人と?」

「……要は喧嘩だ、喧嘩……」


 椎名さんはそう言ってから、恨みがましい目で俺を見つめた。そんな目で見られても俺は悪くないと思う。


「でも、よく9年も前の約束を覚えてましたね?」

「そりゃそうだろ。半年ごとに帰省する度に思い出したし、出会わないように気をつけてたからな。」

「はぁ……」

「ま、いいさ。どうせ明日になればカタがつく!」


 椎名さんはそう言うと、再び椅子に座り、俺にも椅子に座るように促した。まぁ明日がなんとなく怖いような気もするが、今日のところは大方平和なようだし、特に問題は無いのだろうと思う。


 ――とにもかくにも、椎名さんとチャリ(略)の戦い? は明日に持ち越しというわけだ――

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