番外――私と電話と平和な一日
彼の名前はドクター・BB。
全ては彼がうちに来たときから始まった。
* * * * *
「だーかーらぁ、今買っておかないと、ブルーベリーも真っ青のベリー損ですヨ!!」
「はぁ……」
「いまならっ、オマケとしてこの安楽堂のトイレットペーパーも30コつけちゃいましょう! おおっ、なんてオトク!!」
「……はぁ」
「んん!? ノリ気じゃない。ノリ気じゃないね!?」
そりゃ、いきなりこんな時代錯誤の押し売りに玄関を占拠されたら、テンションも下がるってものだ。ドクター・BBと名乗った瓶底メガネに白衣の彼は、私がドアを開けた瞬間に玄関を占拠すると、私にいきなり「世界を構成する物質における考察とその実験の全て」だとか「科学と宇宙における四次元的繋がり」だとか「何故鯉が滝を登るのか」とかいう事を説明しだした。
そして。
「いいです、それならこーしましょう!!」
「……はい?」
「二週間! 二週間無料でこの電話をお貸し致しましょう!! 二週間で満足できなければお返し下さってケッコーコケッコーでーす!!」
「……はぁ?」
「それでは、またお会いしませう!! はーーっはっはっはっは!!」
バタン。
というわけで、私の両手の上には、昔懐かしき黒電話がどーんと乗っかっているわけである。かくしてこの黒電話は私の家に鎮座することと相成った、という次第だ。
彼の――ドクター・BBの言葉を借りると、これは電話線ではなく、直接的な電波をキャッチして電話ができる、という一種犯罪じみたものらしい。といっても、今は携帯電話なるものが存在するし、その論理を応用したものだと考えればいいと思うのだが、電波を直接キャッチするというところが気になる。私はその電話を居間に持ち込むと、テーブルの上にそれを置いて、ソファに座った。
見れば見るほど昔懐かしい代物だ。
しかし、その瞬間は何の前触れもなく訪れた。
リンリンリーン!! とけたたましくそして懐かしい音が響いたのだ。
それは明らかに目の前の黒電話からのものだった。私はほとんど反射的に手を伸ばしていて、気がついた時には受話器を耳に持ってきてしまっていた。
「……はい。もしもし」
『アナタハー、神ヲー、信ヂマスカー?』
「いいえ」
ガチャン。
――どうやら電話線に繋がなくても電話ができるというのは本当のようだ。誰からかかってくるかはわからないようだが。
リンリンリーン!!
『あの……どうにも息子夫婦とうまくいってなくて……ダンナは浮気してるみたいで……』
「あー、でもね。それはね、奥さん、貴方の問題だから。一旦CMいれるから」
ガチャン。
どうにも法則性は無いようだった。というか、今のは明らかに間違っていたわけで、こういうのはちゃんと正しいところにつなげないと……。
リンリンリーン!!
『オレオレ! オレだよ、オーレ!』
「オーレなんて友人はいませんが」
ガチャン。
リンリンリーン!!
『すいませーん。ハーフピザ一つとコーラ一つ』
「冷凍で良ければ」
ガチャン。
リンリンリーン!!
『はーーはっはっは!! 油断したな土田マサヒロぉーーッ!!』
「弟なら出かけてますよ」
ガチャン。
やはり、法則性は見出せない。そもそもどこからかかってくるのだろうか、これは。最後の弟宛の電話からして、尾長町のみの電波なんだろうか?
私は黒電話を持ち上げ、底の方を見てみたり、何もかかってきていないのに受話器をとってみたり、名前は知らないが、黒電話特有の回転式の番号をまわしてみたりしてみた。関係ないが、この回転するときのジーコジーコいう音は好きだ。名前は知らないが。
まぁそれはともかく、もう一度底を見てみたり、コンコンとたたいてみたり、その最中にかかってきた電話に出ている間に、その瞬間は訪れた。
その瞬間はとてもあっけなかった。
いとも簡単に、黒電話が手から離れたのだ。
「あ」
つるっ、と。流しソーメンのように。
黒電話はゆっくりと、スローモーションのように、床に落ちていった。
そして見事に――がしゃこーん、とあっけない音を立てて床に衝突したのであった。
私は床に転がる電話を前に、数秒考え。
考え。
考えてから。
テレビをつけた。
私は、平日家にいるときは、必ずお昼休みはウキウキウォッチングだと決めている。
しかし、いつもの行動をしたからといって、目の前の電話がどうにかなるとは限らない。私はまた、思考の迷宮に陥ってしまった。どうにもできない沈黙に包まれる中、さっきつけたテレビの音声だけがその場に流れていた。
が、突然。いつものバラエティーの音から、緊迫したような雰囲気へとテレビの内容が変わった。
『臨時ニュースです! 秘密結社マッド・サイエンス総統と名乗る男が、市内の大学に現れました! 現場の森井さん! 森井さーん!』
『現場の森井です。現場は混乱しています』
臨時ニュースが入るとは小賢しい。しかも、混乱と言いながらリポーターが冷静なのが更に小賢しい。私の楽しみを返してもらいたい。が、正義と悪が戦っているならしょうがないだろう。付けっぱなしのテレビに目を向けると、ニュース通り市内の大学が映っていた。というか、弟も私も揃って通っている大学だ。大概なぜかよく狙われる。何かあるんだろうか。
「あ……学ラン戦隊」
五色のヒーローも映っていた。
そのままじっと見ていると、現場には先ほどうちに現れた瓶底メガネに白衣の、つまるところドクター・BBが変な機械に乗って高笑いをしていた。私が子供だったころに比べて、最近の秘密結社は進んでいるなと思う。パソコンやテレビと同じような要領かもしれない。
しばらく見ていると、ドクター・BBはガクセイファイブに邪魔されていたものの、やがて奇妙な電話のような――そう、強いていうなら黒電話のような――ものを取り出し、なにやら操作した。その様子を、リポーターが現場の興奮具合と共に冷静に伝えていた。
リン、と床に転がった黒電話が鳴りかけて止まった。私はテレビから目をそらし、黒電話を持ち上げたが、いったいどこが壊れたのか、電話がそれ以上音を鳴らすことはなかった。私はもう一度、無言で黒電話を振ってみたり、ひっくり返してみたり、ノックしてみたりを繰り返したが、どこをどうしても黒電話が反応することはなかった。ちなみに水をかけてみるのは止めておいたが。
そうして、諦めかけた私が再びテレビに眼をやった時。衝撃で、私はもう一度黒電話を落とした。
テレビの中で、黒電話を持った人々が、続々と集まってきていたのだ。
ちょっと怖い光景だ。ガクセイファイブが狼狽しているのが見える。そりゃそうだろう。一般人なのだ、彼らは。今、黒電話をもってガクセイファイブを囲もうとしているのは。ついでに、相変わらずリポーターは冷静だった。あの人は只者ではないかもしれない。
ドクター・BBの高笑いが聞こえる。今のはいわゆる――彼の話を簡潔に略すと、つまり毒電波……じゃなかった黒電話を渡した人間には今送った洗脳電波が届いて全員俺様の配下になっちゃうんですよとか、そういうわけらしい。
『卑怯だぞドクター・BB!!』
『なんとでも言うがいい!!』
そんな声を聞きながら、私は壊れた黒電話をじっと見つめた後、カバンに入れた。
そうして、しばらく止まって考えて――
とりあえず、お昼ご飯を作ることにした。
*
その数時間後、私は黒電話を入れたカバンを手に、外に出ていた。(洗濯物はちゃんと取り込んだ)それからまた一時間ほど外を彷徨って、日が沈んできた頃に、私は目当ての人物を見つけ出した。
いつからそこに居たのだろうか。それとも、一度帰って外出したのだろうか。ともあれ、私は人の居ないその場所で、目当ての人物に声をかけた。
「ドクター・BB」
私は両手の上に黒電話を乗せながら、彼に言った。彼は若干たそがれているようだった。彼が今大学に居ないということと、街自体が静かだということで、ある一つの決定的な結論が導き出せる。
結局、そうなったのだ。
「負けたんですね――ガクセイファイブに」
「む。キミは確か――私が最後に訪れた家に居た娘ではないか」
私は最後だったのか。そういえば、私が黒電話を受け取ってから、彼が大学に現れるまでは、結構短かった気がする。あれは、私のところに来てすぐに大学に現れたからなのだろう。
「そういえばあの場面にキミはいなかったな。何故キミには電波が届かなかったのかね?」
「壊れました」
私はあっさりと言った。
そうか、と彼は言った。
風が吹きぬけ、沈黙だけが重かった。彼は、何故私が自分に会いにきたのか、真意をはかりかねているのだろう。
「……何故」
「む?」
「世界征服は成されるのでしょうか……?」
「なんだと?」
「いずれはガクセイファイブに代表されるような――正義の味方につぶされる。それでも何故、あなたたちは世界を手に入れようとするのか――」
「わからないというのかね」
彼は笑って、ばさぁッと白衣を翻した。
「簡単なことだ! キミにとって夢とは何だね!?」
「ゆめ……?」
「単なる幼少時代の良き思い出か!? いや、違う! 人は、人とは、夢を持つことによって、その夢に向かって頑張れるんじゃないのか! その夢に追いつく為に、その夢を実現する為に努力をするんじゃないのか!! ”人間は、1%の才能と99%の努力だ”、そういうことではないのかね!! どんなに泥水を啜ろうと、どんなに虐げられようと、その夢に向かってゴーゴーゴーイングマイマイウェイ!! 違うかね!?」
「……」
「私を含め、ある種の人々が飽くることなく追い求めるそれこそ!! 人類の永遠の夢!! 世 界 征 服 !!」
力説を終えたドクター・BBは、くるりと後ろを向いた。おそらく瓶底メガネを取って、溢れる涙か汗を拭いたのだろう。
「……いや、失礼した。つい熱くなってしまったようだ」
「いえ」
私はそう答えて、少し考えてから、また口を開いた。
「……偶然だな、と思って」
「……何がだね?」
「私の夢も――同じですから」
ドクター・BBは、驚いたようにこちらを向いた。おそらく私の真意にようやく気づいたのだろう。こちらを向いた彼は、メガネをかけていなかった。そういえば、メガネをかけていない彼をようやく見た気がする。意外に普通だった。3みたいなのかと思ってたのに。
「今ドサクサに紛れて関係ないことを考えたな?」
「いいえ」
「……まぁいい。改めて聞こう! 私の洗脳電波にひっかからなかった幸運で強運な持ち主! キミの名は何だね!?」
「ミヤコです。……土田、ミヤコ」
「そうか……ミヤコ君。では、今ここに! 新生! 秘密結社マッド・サイエンスが誕生したのだッッ!!」
彼はばさりと白衣を翻すと、夕陽に向かってのしのしと歩き出した。
「ゆくぞッ、ミヤコ君!! まず倒さねばならない相手は――学ラン戦隊ガクセイファイブだーーッ!!」
「私怨ですね、ドクター・BB」
「そういったわけで、今ここに新たな悪の組織が結成された。
どうする!? 学ラン戦隊ガクセイファイブ!!
どうなる!? 尾長町!!
そんなことより、今日も平和な一日だった!
ありがとう! 学ラン戦隊ガクセイファイブ!!
負けるな! 学ラン戦隊ガクセイファイブ!!
今日のご飯はカレーライスだーー!!」
誰かがナレーションを読み上げた。
とりあえず、今日の夕ご飯はカレーライスを作っておこう。
ともあれ、今日もとても――平和な一日だったに違いない。
土田ミヤコ 22歳 大学4年生――就職先、確保。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます