第53話 贖罪の旅路の果てに

 僕とシメオンが向かった先は、帝都の富裕層が住む高級住宅地でした。

 人口過密な帝都にあってなお数百坪規模の敷地が、個人の宅地として保有されている、極めて特殊な土地です。


「シメオン、その、赤髪の狩人というのは、大富豪か何かだったんですか?」


 僕が聞くと、シメオンは気味悪そうにかぶりを振ります。


「そんなわけないだろう。山で獣を狩って暮らしていたんだぞ」


 ルキアから伝えられた住所は、広大な邸宅が立ち並ぶ中でも、ひときわ大きな敷地の豪邸でした。

 正門で身分と来意を告げると、受付係の応答とともに門が開き、そのまま馬車で敷地内に乗り入れ、建物につくまで数分の行程を必要とするほどの規模の敷地です。


 それほどの豪邸だというのに、案内された建物の入り口で僕たちを出迎えたのは、驚くことにこの家の主人その人でした。


 重厚な扉を自ら開き、僕たちを招き入れるその青年の髪は、シメオンの話にあった通り、燃えるように真っ赤でした。

 しかし、その人物の印象は、髪の色とは真逆です。

 丸く分厚い眼鏡と実直が顔ににじみ出ているような容貌が、派手な髪の色と不思議に調和して、とても温和な雰囲気を感じさせる人物です。


「ああ、シメオン……あなたのことを覚えています。小さなころ、僕と遊んでくれた、銀色の人狼ワーウルフ。今は魔物の国の英雄。よく来てくれました」


 意外にも、その青年がシメオンを見る目は、憎しみというよりも純粋な懐かしさを湛えていて、かえってシメオンは戸惑ってしまったようです。


「ユ、ユライアの息子か?」


「はい。リヒャルト・ヒープです」


「そうか……そうか。ユライアによく似ている。すまない、俺は、お前の親父を……」


 深く頭を下げるシメオンに、リヒャルトと名乗った男性は少なからず驚き、慌てて言いました。


「そんな! よしてください、シメオン。私も父も、あなたを恨んでなんかいません! それより、ともかく中にお入りください」


 僕たちはリヒャルトさんの招きのままに、邸内へと入っていきます。


 そこかしこの装飾、壁に掛けられた絵画や棚の美術品、調度一切に至るまで、一級の品々が並べられた通路。

 だというのに、なぜかこの屋敷には、人の気配がありません。

 広い客間で豪奢なテーブルにお茶のカップを並べるのも、すべてリヒャルトさんが自ら行いました。


「……リヒャルトさん、失礼でしたら申し訳ありません、その、このお屋敷では、こうした家事などをすべてリヒャルトさんが?」


 僕がそう聞くと、リヒャルトさんは眼鏡の位置を直して、居住まいを正してから、深呼吸して語り始めました。


「はい、そうなのです。実は、そのことをご相談したかったのです。父の旧友であるシメオン、あなたに」


 シメオンはまだ状況がよく呑み込めないといった体でいましたが、リヒャルトさんは丁寧な口調で続けます。


「そもそも私たちが本来流れ者であるにも関わらず、このような屋敷に住んでいるのは、こちらの大陸に渡ってから始めた事業での成功のおかげなのです」


 そう言って、リヒャルトさんは一丁の銃を棚から引き出して来ました。


「ヒープ家の事業は、これです。この世界で初めて、火薬銃の量産化を行ったのが、私たちなのです。チャオ・ウェイ嬢の知見をもとに、父が銃を設計し、私が弾薬を製品化して売り出しました。局地戦の激化に伴い、銃は飛ぶように売れ、私たちは瞬く間に、大陸でも有数の金持ちになったのです」


 リヒャルトさんの言葉を聞いて、シメオンがとっさに立ち上がります。


「待ってくれ! 父が設計しただと? ユライアは、16年前に死んだんじゃあなかったのか!?」


 リヒャルトさんは、驚いたような表情で答えました。


「は、はい。父は北部戦線で負傷しましたが、死んではいません。そのときの怪我で従軍が難しくなったことと、当時の家が北部戦線の真っただ中に入ってしまったことから、家族で帝都に移住したのです。父はそれから十数年、小さな銃砲店を営んできました」


「なんてこった……俺はてっきり、あんたの親父を殺しちまったもんだと」


「それは、申し訳ないことをしました。父は、何かあるとあなたのことをよく自慢していました。“俺の親友は魔物の国の英雄だ!”って。でもそれだけに、敵国の人間と繋がってるなんて変な噂が立つのを恐れて、あなたと連絡を取ろうとはしなかった」


 シメオンは、その事実を聞いて、呆然と立ち尽くしています。

 僕はシメオンの代わりに、リヒャルトさんの話を促します。


「驚きましたけど、それはよい報せです。シメオンは、親友を殺めてはいなかったんですから。それで、リヒャルトさんが相談したいことというのは?」


「え、ええ、そうでした。ともかく、火薬銃の成功により、ヒープ家は豊かになりました。しかしそれと同時に、戦いは激化していきます。防御法の確立された魔弾銃に比べて、火薬銃は殺傷力が極めて高く、戦死者の数は膨大なものになりました。いつしか私たちは、“死の商人”と呼ばれるようになったのです」


 リヒャルトさんは、手元の銃を悲し気に見つめて言います。


「ヒープ家に近づくのは、痛烈な批判者か、そうでなければ私たちの財産を奪おうとする詐欺師たち。父は、そうした中で心を病んでしまいました。人を信じられなくなったのです。この屋敷に人がいないのは、そのせいです。敷地内の他の棟はともかく、父が住まうこの屋敷には、使用人を一人も置いていません」


 そうして、リヒャルトさんはシメオンに頭を下げます。


「シメオン、どうか父と会ってやってください。もう、血縁の者でさえはっきりと認識できなくなってしまった父ですが、あなたのことだけは、どんな時でも忘れなかった。あなたなら、父の心を蝕む病を癒せるかもしれない」


 シメオンは、何かを決意するように、ゆっくりとうなずきます。


「わかった。会わせてくれ、あいつに」





 リヒャルトさんに連れられて、僕たちは屋敷の奥へと進みました。

 奥へ奥へと進むうちに、だんだんと周囲の様子が荒れていくのがわかります。


 ガラスの割れた戸棚、破けた絨毯、弾痕の残る壁……


「お見苦しいところで、申し訳ありません。物騒に見えるかもしれませんが、父は決して人に銃は向けませんので……」


 やがて僕たちは、ボロボロになった扉の前にたどり着きました。

 リヒャルトさんが、扉の向こうに声をかけます。


「父さん、シメオンが来てくれたんだ。あのシメオンだよ。昔のままの」


 確かに、扉の向こうには人の気配があります。

 しかし、リヒャルトさんの声に応えはありませんでした。


「……いるんだな。この向こうに」


 シメオンはそうつぶやくと、ずかずかと歩き出し、有無を言わさず扉を開きます。

 扉の向こうに、人がうずくまっているのが見えました。


 ボロボロの毛布、痩せた手足、丸まった背中、そうしてぼさぼさの赤い髪の毛。

 シメオンと一対一で渡り合った伝説のスナイパーとは、到底思えない姿です。


「ユライア!」


 シメオンが、大きな声で語り掛けます。


「ユライア、俺はずっと、お前に謝りたかった! あの時、俺は銃を捨てて、お前の名前を呼べばよかった。それだけのことができなかった。怖かったんだ。いまさら、戦いが終わってからこんなことを言うのを、お前は笑うかもしれない。でも、俺はようやく、今お前の名前を呼ぶぞ!」


 吼えるように呼ぶ、その名前。


「ユライア、俺だ! シメオンだ! 世界で親友ともと呼べるのは、お前しかいない! 俺の名を呼んでくれ! ユライア!」


 その声は、16年の時を超えて、張り裂けるような想いとともに、闇に向かって放たれていきます。


 扉の向こうの人物が、ゆっくりと立ち上がりました。

 よろめきながら、彼はシメオンのほうへ、歩み寄ります。


「……シメオン」


 かすれた声で、しかし、はっきりと彼はそう言いました。


「シメオン、俺もだ。俺も怖かった。怖くて、どうしたらいいのかわかんねえまま、お前に撃たせちまった……だのに俺は、人に人を撃たせる武器を造って……ずっと、ずっと謝らなくちゃならねえと思ってた。すまねえ、シメオン。すまねえ」


「何を言ってやがる……友よ、ありがとうよ。生きていてくれて。世界の誰がお前を責めようと、俺だけは、お前が生きてることに感謝するよ」


 シメオンの瞳から、涙が溢れます。


 二人の永い贖罪の旅路、それは、終わることのない道のりなのかもしれません。 

 彼らは、多くの人の命を奪い、多くの罪を背負いました。

 それでも僕は、彼らの行く先に安息があることを、切に願わずにはいられません。

 そして、二度とこの友情が引き裂かれることのないようにと。

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