第39話 白い光

 皇帝が逃げて行った先で、爆発音と、何かが崩れるような音が響きました。

 恐らくは、皇帝が僕たちの追跡を防ぐために、出口を封鎖したのでしょう。


 一方、目の前の巨大な立体魔法陣は、急速にその構造を変化させながら、次第に膨張を始めています。

 数万に及ぶ多重魔法陣の連鎖起動で、核となる魔力を増幅しながら圧縮を繰り返し、極限まで高密度化された魔力を一気に爆発させる、古代の超兵器。その起動プロセスが、すでに開始されてしまっているのでした。


「クソッ! 解除が追いつかない!」


 強制解除を試みたものの、すでに起動プロセスに入った魔法陣は構造が大幅に変化しており、父から伝えられた解除プロセスはすでに無効となっています。

 魔術介入による起動停止は、急速に広げられていく複雑極まる折り紙をひとつひとつ折り戻しながら、同時に立体パズルを解いていくようなもので、脳が焼けるほど考えても、展開のスピードに追いつくことができませんでした。


「エル! どうすればいい? 私に何かできることはないのか!?」


 エテルナ様が、僕の手を握り、縋るようにそう言います。


 起動プロセスの完了まで、どれだけ引き延ばしても、あと10分弱。


 爆発規模の予測。


 腕に残った魔力の核。


 魔物の国。


 戦争。


 父の声。


 ベセスダのホテルで見た、海に沈む夕日。


「エテルナ様、魔力の防御を解いてください」


「……わかった。それで?」


「いえ、それだけで十分です」


 僕の腕が光り、握った手から、エテルナ様の体を包むように魔力が流れます。

 展開される転移魔法陣。

 人ひとり、空間を超えて転送するための膨大な魔力を、腕に封印した魔力の核で補います。


「……待て、エル! 何をしている!?」


「魔王城につながる転移魔法陣です。船の上で少しずつ構築しました」


「馬鹿な! やめろ! お前は……」


「エテルナ様、一緒に帰れなくて、ごめんなさい。クリオに伝えてください。この一年……とても楽しかったと」


 エテルナ様が何かを叫んでいますが、もう声は届きません。

 姿が魔力の光へと変わり、消えていきます。

 悲しいけれど、結果だけ見れば、これで魔物の国にも平和が戻るでしょう。

 僕はとことん役に立たなかったけれど、最後に、エテルナ様を守ることができて、よかった。


「……小僧、貴様、ここで死ぬ気か?」


 膝を突いていたリューベックが、僕に問います。


「そりゃ僕も、死にたくはないですよ」


「ならばなぜ、“黒の涙”の解除を続けているのだ。到底間に合いはすまい」


 そう言われて、僕は少し返答に困りました。


「……やれることはやっておきたいからですよ。たぶん」


「やれることをやっておく、か」


 リューベックは、そう言ってゆっくりと立ち上がると、“黒の涙”の構造体に手をかざしました。


「エルンストと言ったな。覚悟ができているなら手伝え」


「言われなくてもやってるでしょう!」


「解除など到底間に合わん。今からやって効果があるとすれば、この魔法陣構造の要所に新たな魔法陣を挿入して、魔力の増幅と圧縮を阻害し、威力を減殺していくことだ」


 リューベックの指摘は、盲点でした。

 確かに、生き延びることを考えなければ、それが最も効果的です。


「た、確かに。でも、こんな複雑な、しかも変化しつづける構造の魔法陣のどこに、どんなものを差し込めばいいのか……」


「静止状態の構造は把握しているのだろう。全体の設計思想から展開後の形態を予想し、妨害に最も効果的な箇所と形式を選択するのだ。ある程度、私が指示してやる」


 こんな状況だというのに、なんと高圧的な態度でしょう。

 それでも、リューベックの言葉には理がありました。

 僕は彼の言うとおり、この古代の超難解な魔法陣に、改めて挑むことにしたのです。


「無駄な場所に手を入れるな。時間が限られている。最も有効な箇所だけを狙え」


「わかってますよ!」


「そこにそんな手の込んだ形式を使う必要はない。単に経路を逸らすだけで十分だ」


「……はい」


「いちいちすべての箇所で魔法陣の構築から始めるんじゃない。部分的な複製を連結させて有効活用できる形式を選択しろ」


「うっ……」


 リューベックはそうして僕を指導しながら、自身も恐るべき速さで、妨害魔術を構造体の中に組み込んでいきました。

 その手並みと、構造読解の正確さ、早さは、魔法学院の教授たちと比べても隔絶したレベルのもので、僕は畏敬の念が生まれるのを否定できませんでした。


「その区画は任せた。50秒で構築を終えろ」


「やってやりますよ!」


「いいぞ。この機能も無効化してみろ」


「任せて!」


「そうだ。それでいい。こちらも頼む」


「……はい!」


 刻一刻と爆発の時間が迫る中、僕たちは、夢中でこの作業に没頭しました。

 そうして、有効と思われる箇所すべてに妨害魔術をありったけ詰め込み終えたとき、リューベックはぼそりとつぶやきました。


「……すばらしい出来だ。バルトルディは、よい息子を持った」


「いまさら、そんなこと。それより、後はどこに?」


「もういい。ここまでだ。これ以上は、何をやってもさして威力は削れんだろう」


 言いながら、リューベックは何かの呪文を唱え、持っていた宝石にその魔術を吹き込みました。

 できることをすべて終えた彼は、地下納骨堂で初めて会ったときの彼とはまるで別人のように小さく、疲れた老人のように見えました。


「……ひとつ、聞いてもいいですか?」


 僕はリューベックにそう尋ねます。


「なんだね」


「あなたはどうして、そこまで国に尽くすのですか? あなたにとって、国家とはいったいなんなんです?」


 僕の問いに、リューベックは苦い顔をします。


「まるで新聞記者のような質問だな」


「……愚問ですか?」


「いや……正直に答えよう。思えば、本当のところは、私も必死だっただけだ。きみと同じだ。やれることを、精一杯やろうとした。だが歩むうちに、道は狭く、もといた場所は遠くなっていった」


 リューベックは、過去を振り返るように、静かに語ります。


「私にも友がいた。彼が死ぬと、彼の子に仕えた。その子も死に、いつしか周りには誰もいなくなっていた。国家とは……私に残った、過去との最後の絆だったのかもしれない」


 聞きたいことは、もっとたくさんあったはずでした。

 でも、もう僕たちには、時間が残されていませんでした。


 “黒の涙”が、発動の30秒前を知らせる警報を放ちます。


「……時間が来たようだ。どこまで威力を落とせたか、正確な試算は困難だが、少なくとも帝都が消し飛ぶような事態は避けられたはずだ」


 そうして彼は、僕の前で初めて、ぎこちない笑顔を浮かべて、こう言いました。


「ありがとう、バルトルディの子よ。私は最後に、大切なものを守ることができた。何十年もの間、忘れていた場所に、戻ってきたような気がするよ」


 “黒の涙”の圧縮された魔法陣が一気に展開され、周囲の空間全体に複雑な文様が浮かび上がります。

 魔力の急激な膨張。

 やがて目の前が、真っ白な光に――。

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