第35話 沈まぬ船

 ネグロス島の軍港を出航しておよそ5日。

 索敵網が洋上に敵艦隊の姿を捉えました。


「敵旗艦“オライオン”を捕捉。敵艦隊は“オライオン”を中心に、我が艦隊の進路を包むように布陣しております!」


 敵はルキアの艦隊が帝都侵攻を目論んでいることを、すでに察知しているようです。明らかに敵対の意志をもって、進路上に艦隊が布陣されていました。


「風は出ているな」


 艦橋に立つルキアの長い髪が、追い風を受けてなびいています。

 ルキアの艦隊も“パラベラム”以外の船は未だ風を受けて走る帆船。その速度は、風の向きに大きく左右されるのでした。


「作戦は予定の通りだと全艦に伝えろ」


 ルキアの言葉に従い、兵が魔力線による指令を発します。

 既に魔力の回復したエテルナ様が、ルキアの横に立ち、作戦を問います。


「敵の数は多く、この位置取りは明らかに不利だ。どうするつもりだ?」


「“パラベラム”を先頭に、縦列陣形のまま敵艦隊の中央を突き破る」


「馬鹿な、自殺行為だ」


 エテルナ様が驚くのももっともでした。

 艦砲というものは基本的に船の側面にあるものですから、敵の艦隊に対して正面を向けたまま、縦に並んで突っ込むのは、常識に反しています。


 しかも、敵艦隊はこちらの進路を予測し、全艦がその砲を向けて待ち構えているのです。こちらが正面を向けているのに対し、敵はすべて攻撃力の高い側面を向けているわけですから、圧倒的に不利な位置取りと言えます。


「魔王エテルナ、あなたを信じて今から魔術拘束を解く。戦ってくれという意味ではない。この作戦は、本艦に多数の被弾が予想される。自らの身は自ら守ってほしい」


 ルキアはそう言って、僕とエテルナ様に魔法鍵を渡します。


「提督、全艦に作戦を通達いたしました」


 先ほどルキアから指令を受けた兵士が、報告に戻りました。


「作戦行動は通達済みですが、信号旗には何を掲揚しましょう?」


 魔力通信が一般化したのちも、艦隊決戦の際は、士気高揚のため信号旗を掲げるものだと父に聞いたことがあります。

 ルキアは不敵な笑みを浮かべて答えます。


「決まっている。“各員がその義務を果たすことを期待する”だ」


「了解しました!」


 命令の通り、“パラベラム”のマストに信号旗が上っていきます。

 旗が掲げられるとともに、艦隊から次々と歓声が沸き起こりました。

 僕たちの知らない何か特別な意味が、その信号には込められているようでした。


「決戦のときである。“パラベラム”全速前進!」


 ルキアの声に応じて、“パラベラム”の蒸気機関がその動きを激化させます。


「エテルナ様、もしもの際は……」


「わかっている。だが、私は彼女の戦いを見たい」


 僕の言葉に、エテルナ様は短く、そう答えました。

 僕もまた、同じ気持ちでした。


「提督、敵艦隊からの通信です」


「よし、つなげ」


 僕たちの前に、敵旗艦艦橋の映像が映し出されました。

 髭面の将校が、険しい顔をしてこちらを睨んでいます。


「ルキア……貴様、大恩ある帝国への忠義を忘れおって、この禽獣めが!」


 音声通信がつながると同時に、激しい罵倒が飛んできました。


「昨年、辺土オルシュテインから中央に戻ってみれば、帝都では貴族と豪商が富を牛耳り、街には貧民が溢れていた。10年にわたって国を支えるため戦ってきた身として、慙愧に耐えん。忠義とは、国家への忠義か、それとも国民への忠義か。あなたはそれを一度でも考えたことがあるかね?」


 ルキアはさらりとそう答えると、小さな声で、後ろに続く艦と距離を開いておくよう指示を飛ばしました。


「小賢しい理屈を……我が艦隊は不甲斐ない陸軍に代わって帝都を防衛すべく、すぐにでも戻らねばならん! 貴様を相手にしている暇はない! 直ちに踵を返して魔物の国攻撃に戻れ! かの国を征服の暁には、貴様の故郷であるトルメキアの地に加え、魔物の国の全土を貴様にくれてやると陛下は仰せだ! そこで女王にでもなんでもなるがいい!」


「皇帝陛下のお心遣い痛み入る。しかしその条件を飲むことはできないな」


「なぜだ? 仮に国家転覆が成功したとして、貴様が新たな皇帝になれるわけでもあるまい。ならば今、魔物の国を乗っ取るほうが、はるかに好条件ではないか!」


 この言葉に対し、ルキアはニヤリと笑って言いました。


「私が女王になっても意味がない。私は、私の身分を変えるためではなく、帝国に住まうすべての人々の身分を変えるために、この戦いに参加したからだ」


「……もうよい。貴様はこの海に沈むのだ。砲打撃戦、開始!」


 通信がブツリと切れました。

 そして、その代わりに、激しい揺れが襲ってきました。


「いっ……いきなり被弾ですか!?」


「落ち着け。当たっちゃあいない。だいぶ近かったがな。気をつけろ」


 僕の悲鳴に、ルキアが答えます。


「次は当たる」


 彼女がそう言った瞬間。

 さっきとは比べ物にならないほど激しい衝撃と、音。


「左舷後部に被弾! 損害軽微!」


 船内放送で被害報告が響きます。


「弾着観測射撃――不可視化した使い魔を飛ばしているな。さっきの通信はそのための時間稼ぎか。相変わらず、やることが小さい」


 ルキアは何事もないかのように笑い、指示を飛ばします。


「魔術班、敵の索敵機を捕えて乗っ取れ。敵にこちらの被害を過剰に申告してやれ」


「了解!」


 すかさず妨害魔術が発され、敵の照準は乱れたようです。

 次弾は船からかなり離れたところに着弾しました。


「さあ、ショータイムはこれからだ。もうすぐ敵旗艦以外からの砲撃も射程圏内に入るぞ」


 数秒後、ルキアの言葉通り、すさまじい数の砲弾が降ってきました。

 照準はそこまで正確ではありませんが、数発被弾したようです。


 降り注ぐ砲弾と激しい揺れの中で、エテルナ様がルキアに問います。


「ルキア、この調子では敵艦隊を分断するどころか、敵艦の手前で船が沈むぞ!」


。だが、“パラベラム”は沈まんよ」


 再び被弾の衝撃。

 左舷喫水付近の装甲が破れ、浸水しているのが見えます。


「左が浸水していますよ! このままじゃ沈んでしまう!」


「よく見ろ、バルトルディ卿。言っただろう、“パラベラム”は沈まない」


 ルキアにそう言われ、目を凝らすと、驚くべきことに、破壊されたはずの箇所がすでに応急修復ダメコンを終えていました。


「なっ……そんな馬鹿な、こんな短期間で……」


 戸惑ううちに、再びの被弾。

 今度は甲板への被弾だったため、その様子がはっきりと見えました。

 

 被弾した直後、その被害箇所に船内の資材が集まり、修復されたのです。


 誰も何の魔術も使用していません。

 一切の魔術的な介入なしに、この船は自己修復しているのです。

 まるで、船自体が一個の魔術的な生命体であるかのように。


「見たか。これこそがトルメキアの至宝。我が武器にして我が盾、我が城、我が揺籃の地、不沈艦“パラベラム”の真の力だ」


 すでに、どんな船だろうと轟沈していておかしくないだけの砲弾が、“パラベラム”の船体に吸い込まれていきました。

 狂ったように“パラベラム”目掛けて砲を放つ敵艦隊が、もはや目の前にあります。


「“パラベラム”は沈まない。なんとなれば、海で散っていった幾千幾万の同朋たちが、水底からこの船を支えているからだ。近接射撃用意!」


 巨大な同型の船、“パラベラム”と“オライオン”が、その船体を交差させます。


「撃てェい!」


 ルキアの咆哮とともに、“パラベラム”の砲門が一斉に射撃を開始します。

 至近距離から放たれる、無数の砲撃。

 そのほとんどすべてが、“オライオン”の船体を貫きました。


「よーし、速度落とせ! 敵旗艦は崩れた! 左右の敵を駆逐せよ!」


 轟音とともに、“オライオン”が大きく傾きます。

 被弾した船首側が沈み、まるで海に突き立てられた槍のように、巨大な船がまっすぐになって沈んでゆくのでした。


 船内放送が響きます。


「敵旗艦“オライオン”撃沈を確認! 敵艦隊の分断に成功しました!」


 もし今、この海域の姿をはるか上空から見たなら、楔となったルキアの艦隊が、帝国第一艦隊の中央を突き破っている姿が見えたでしょう。

 不利だった位置関係は完全に逆転し、今では圧倒的な火力の前に、第一艦隊の船が次々と撃沈されていきます。


「……父上、母上、ルキアは勝ちました。これで少しでも……皆の無念に報いることができたでしょうか」


 ルキアは天を仰ぎ、誰にともなく、そうつぶやきました。

 そのとき僕は初めて、彼女もまた永い戦いの果てにここに来ていることを痛感したのでした。

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