第24話 人間、国家、戦争

 バルトルディ候は、無防備に背をさらしながら、僕たちを先導するように、さらに地下へと階段を下りていきます。

 その態度は常と変わらず至って平静で、かえって僕の心を波立たせるのでした。


「この大納骨堂は、古代にこの土地がヴァンパイアの大都市であったことを示している。さまざまな遺物が出土するが、先ほどの竜種は、この遺跡から発掘された竜の化石から、私が魔術的に復元したものだ。ギルモア伯が、勝手に飼育室から引っ張り出したようだな。もともとこの遺跡は私を含め一部の限られた学者が発掘を行っていたのだが、非常に強力なアーティファクトが発見されたために、人間、エルフ、その他の亜人種それぞれを代表する三者で、共同管理することにしたのだ」


 クリオが、そのバルトルディ候の言葉に眉を寄せます。


「共同管理……それができるなら、なぜ帝国といつまでも戦争を続けているのですか?」


 候は、こともなげに答えます。


「国を動かすのと、個人同士が手を握り合うのとでは、まるで意味合いが違うということだ。私たちがしていることは、あくまで私たち個人ができる範囲のことに過ぎない」


 クリオはこれに食い下がりました。


「北部戦線の勝敗を決めてしまうのも、個人の力ですか?」


「個人の力だよ。もちろん、友人たちの力を借りなければ行えないことだが。さて、私の友人を紹介しよう」


 そう言って、候はひとつの扉を開きます。

 扉の先には、見たこともないような光景が広がっていました。


 床も壁も無い、無限に広がる空間。

 おそらくは、魔術によって部屋の中だけが異界化されているのでしょう。その無限に延長された空間の中に、無数の魔法陣が描かれ、さまざまな地域の映像が浮かんでは消えています。

 まるで、世界の全体を俯瞰する、神々の会議場といった様相でした。


 そして、その空間の中で、古代の王者が腰かけたと思われる玉座に座る、二人の人物――一人はまるで絵画のように美しいエルフの女性、もう一人は非常に高齢な人間の男性です。


 バルトルディ候が、二人を指して言います。


「彼女は、エルフの大盟主フレイ・シンダール。彼は、帝国宰相リューベック・ブルーメンベルクだ。どちらも名前くらいは聞いたことがあるかな?」


 名前を聞いたことがある、などという話ではありません。

 エルフの大盟主シンダール公と言えば、7年前に前大盟主から地位を禅譲されると、その辣腕によって荒廃の極みにあったエルフの諸侯連盟を復活させた女傑で、現在、全エルフの頂点に立つ人です。


 そして、帝国宰相リューベックは、3代の皇帝に宰相として仕え、事実上、帝国の政治を掌握する最大権力者と言っていいでしょう。

 これに、魔王エテルナ様の後見人であるバルトルディ候が加わるとなれば、まさしく世界の支配者たちが一堂に会していることになるわけです。


「フレイ、彼がエルンストだよ。リューベック、こちらの女性が、異世界からの訪問者、クリオール・クリオール氏だ」


 バルトルディ候の言葉に、2人の大指導者が、静かに頭を下げて僕たちに黙礼をします。

 候は、自分の座に着くと、穏やかな声で言いました。


「私たちは、ここで世界の情勢について確認しながら、それぞれの国政について助言し合い、ときに、国内の友人の力を使って、政局や戦局に介入している」


 バルトルディ候の態度は、まるで悪びれるそぶりもなく、堂々としたものでした。なにより集まっている顔ぶれの「格」に半ば圧倒され、僕たちは言葉を失ってしまいます。


「もちろん、エテルナはこのことを知らない。閣僚でも、知っているのは私とギルモア伯、あとはリヒテル老だけだ。法に照らせば、国家反逆罪に当たるだろう。クリオール君、私を罪に問うかね?」


 候の言葉に、クリオはたじろぎながらも答えます。


「それを決めるために、私はここに来ました。他国の指導者と交流するのは、悪いことではありません。しかし、それを利用して戦争をコントロールするなどというのは、人道にもとります。なぜそのようなことを必要とするのか、それを教えていただきたいのです」


 これに、エルフの大盟主が答えました。


「それは、戦争が私たちの力でも止めようがないからです」


 その声は、人を包み込むような優しさに満ちながら、有無を言わせない力強いものでした。

 シンダール公が続けます。


「もちろん、私たちも停戦の道を探っていますが、ただ国と国との間で形式上の停戦協定を結んだだけでは、何の問題も解決しないのです。エルフとダークエルフの間の怨恨は、先の大戦から百年を経た今も、強烈な差別感情を伴って生き残っています。ホビットとドワーフ、人間とヴァンパイアの間でも、それぞれ根深い対立があります。また、国内を見ても、エルフには人間を蔑視する者が多く、ヴァンパイアやダークエルフには、オークやドワーフを奴隷として見ている者が多くいるでしょう。こうした現状を改変しようとする者に対する強力な反発もまた同時に存在しています。人は今、争い合うべき理由を背負って生まれてくるのです」


 シンダール公の言葉に、シメオンが声を上げます。


「それは違う」


 シンダール公は、透き通るような声で聞き返しました。


「何が違うのですか? 英雄シメオン」


 シメオンは、シンダール公の気品に気圧けおされながらも、反論を試みます。


「俺は、戦争が起こるまで、人間の親友と、平和に暮らしていた。共存しようと思えば、共存できるはずなんだ」


 シンダール公は、柔らかく微笑んで言いました。


「シメオン、あなたはこれまで、何人の人間を撃ち殺したか、覚えていますか?」


 シメオンは即座に答えます。


「生死の確認はしていないが、撃った人間の数は憶えている。20年で、564人の人間を撃った」


「その564人に連なる親族、すべてがあなたを赦すなら、あるいは今すぐに戦争を止めることもできるかもしれません。しかし、それを赦さない者が多数であるとすれば、それは積み重なって歴史となり、人種の間に横たわる巨大な溝となっていくのです」


 言葉に詰まるシメオンに代わって、クリオが言います。


「フレイ様がおっしゃるように、人種間の軋轢は、歴史が生み出したものです。それを覆すのは困難かもしれませんが、長い時間をかけて塗り替えていくことはできるはずです。まずは停戦し、話し合う時間をもつべきでしょう。魔物の国の内側でも、たしかに人種間対立はありますが、武力を伴う紛争には至っていません。住み分けるべきは住み分け、制度を整えれば、ひとまず悲惨な殺し合いは停止できると思います」


 このクリオの言葉に、バルトルディ候が答えます。


「戦争が相互の国の内部的な統一を保障しているのだ。帝国からの外圧があればこそ、魔物の国は結束しているが、仮に現時点において帝国と我が国が停戦した場合、オークやドワーフに代表されるかつての被支配種族の中から、ダークエルフやヴァンパイアといった支配種族に対して、反旗を翻す者が現れるだろう。これは泥沼の内戦を生み、国民は現在とは比べものにならないほどの地獄を経験することになる。『魔物』とは、実体ある人種ではない。人間とエルフ以外の『その他大勢』を、無理やりくくってまとめているのが、この国の現状なのだよ」


 その言葉に、ベベが震える声で反論します。


「コクマ村の人々の心には、16年前の傷が深く残っています。でも、反乱なんて考えていません。みんな、村の発展、幸せな未来だけを願っています。そのためには安定した平和が必要なんです」


 バルトルディ候は、穏やかな声で、ベベに語りかけます。


「コクマ村のベベか。エテルナから話は聞いている。16年前のあの時、募兵による北部戦線維持策をグラムに提案したのは私だ。結果として、村ひとつ分の若者たちが所属した小隊が全滅するなどとは、予想もしていなかった。あの村だけに公の立場から謝罪をすることはできないが、私個人として、きみに謝ろう。きみの父上を奪うことになったのは、私の政策が原因だ。すまなかった」


 頭を下げる候に、ベベは言葉を失ってしまいました。

 バルトルディ候は、続けて言います。


「いかなる国家も、紛争の原因を完全に封殺することはできない。人知には限界というものがある。我々とて、すべての戦いの芽を事前に摘み取ることなどできないのだ。ただ、起こってしまった戦いを、できるだけ後に影響を残さず、小規模に収めるよう、介入することはできる。それこそが、現在この時点で求め得る、最大限の安定であると、私は考えている」


 この言葉に、クリオが反発します。


「その結果起きたのが、北部戦線での勝利ですか? あの勝利は、事前に決まっていたそうですね」


 クリオの問いに、これまで沈黙を守ってきたリューベックが、口を開きました。


「異世界の人よ、我々は勢力の均衡によって、戦争状態にありながらも、一定程度の安定を得ている。先の北部戦線における有事は、我が帝国の将軍の一人が、ユンカーマン基地攻略の作戦を立案したことに端を発している。君たちも知っている通り、我が国では蒸気船の開発が進んでいるのだ。これが完成すれば、海軍に軍功を奪われると考えた一部の者たちが、決戦主義に傾いた。わしには、この流れを押しとどめることができなかった。それゆえ、軍の一部の部隊を操作し、敵中で急進派の将軍が孤立するよう画策した」


 リューベックは、その老齢からは考えにくいほどの野太い声で、語り続けます。


「卑怯であろう。正義に悖るであろう。自国の兵を見殺しにするというのは、人道にも反しておる。しかしながら北部戦線の戦火が再び燃え上がれば、わしらの力ではもはや制御あたわなくなる。そして一度そうなってしまえば、もはや死者の数は想像もつかぬほど膨れ上がるであろう。我らはそれをこそ恐れる。たとえ罪の汚泥に塗れようとも、これを防ぐ責任があるのだ。なぜなら、わしらにはそれができるからだ。人は、できることをさねばならない。そうは思わんかね?」


 クリオは、決然として反論を試みます。


「しかし、国内を見れば、心情的な対立や利害の相反を含みながらも、なんとか秩序は保たれています。国と国との間でも、国際法を整え、根気よく対話を続ければ、殺し合いをせずに済むのではないですか?」


 リューベックは眉間に深い皺を寄せて問います。


「国際法を整えたとして、それを破った者を、誰が罰する?」


「それは……」


 クリオは、言葉に詰まってしまいました。


「あなたも、法を敷いて人を動かす者ならば、わかるはずだ。罰が下されない罪にはなんの意味もない。国内においては国家が圧倒的な武力をもってこれを処罰できようとも、国と国との間では、誰も違反者を処罰することはできないのだ。そこで戦争が起こる。人知を超越した神がこれを罰するならば秩序は保たれようが、残念ながら神は人の争いを押しとどめようとはなされぬ。なればこそ、我らは勢力の均衡を求める。均衡が大きく崩れるようであれば、自らの腕を折り砕いても、これを保つ。互いの体がばらばらになるよりは、そのほうがましだからだ」


 さらに、リューベックは言葉を続けます。


「あなたは2年もあれば、帝国と肩を並べるだけの国力を手に入れることができると考えているのだろう。しかしその間に、異世界の技術を組み込んだ軍隊が攻め込んで来られては、為すすべがないと危惧している。それならば、我々の存在を肯定すべきだ。あなたは、この世界に均衡をもたらす。我々はそれまで、あの手この手で争いを回避し、軍隊の行動を遅滞させる。それで多くの人が救われる。神ならぬ身であるわしには推測することしかできないが、あなたがこの世界に呼ばれたのは、そのためではないのかね?」


 クリオは頭を抱えて、考え込んでしまいます。

 そこに、シンダール公が声をかけました。


「クリオールさん、あなたはなぜ、そうまでしてこの国を救いたいと思うのでしょう。人とのつながり、単なる愛着とは、違うものを感じます。失礼ですが、あなたのことを少し教えていただきましょう」


 シンダール公はそう言うと、右耳のイヤリングを外し、その宝石を指で砕きました。

 真っ白な光が弾け、広がってゆきます。

 光を浴びた瞬間、体から力が抜け落ち、僕たちはばたばたとその場に倒れます。

 急激な睡魔に襲われ、意識が薄れ……――




 ――……。

 バンコクの5月は、一年の内でいちばん暑い時期です。朝から激しい日差しが照りつけ、目覚めた瞬間から、じっとりと汗をかいているのを感じながら、私は寝室を出ました。


 リビングに出ると、お父さんが一枚の書類を手に、震えているのが見えます。


「なんだこれは……GSは何を考えている!」


 普段、声を荒げたことのない父が、このときばかりは大きな声を上げたのを憶えています。

 テレビではバーツが大量に売られていることが報じられ、対ドル価格の数字がどんどん大きくなっていきます。母は不安げに父を見つめながら、どうすることもできずに立ち尽くしています。


 1997年5月13日。その日を私は忘れることができません。

 その日、ひとつの国の通貨が壊れたのです。

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