あと九十二本... 「たすけて」

 二年くらい前の事になる。


「ねー……もう帰ろうよ?」


 私は、いい加減早く帰りたい、というような雰囲気で声をあげた。


「まぁもうちょっと待てよ、凄いもの撮るからさ」


 優斗たちは私の意見などまったく頭にないようで、動画撮影しながら懐中電灯であたりを照らしつづけている。私はさっそくついてきた事を後悔しはじめた。雄二も優斗について先に行ってしまうし、仕方なく私は美香と一緒にいた。

 あたりは真暗でひとけもなく、おまけに今いる場所といえば真夜中の山の中だ。

 山の中といってもハイキングやら登山みたいなものではなく、近くの車道から一本外れた道に入った場所だ。とはいえ、辺りは草木に囲まれていて、私にとっては山の中でも一緒だ。ここにはもう営業していない古びた建物があって、見た限り近所の暴走族や肝試しの恰好のスポット……つまりは心霊スポットとなっている。

 懐中電灯で壁を照らすと、内側の壁にはスプレーで描かれた落書きが照らし出された。明るいところで見ればなんとなく笑える落書きも、夜中に見るとなんとなく薄気味悪い。おまけにここにある井戸の中から助けてとか聞こえるらしいのだが、私の方が助けてほしい。なんでこんなことになったんだか。

 大体、いい歳して何で肝試しなんかしなくちゃいけないのか、そこからして意味がわからなかった。車に戻りたかったが、鍵は優斗が持ってるから帰ることもできない。

 そもそもこの企画を発案したのも優斗だった。そこに雄二が乗っかり、私を誘った。私もその時は、いざとなったら雄二が守ってくれるという気分だった。私が乗った事で、優斗は嫌がる美香を無理やり連れてきて、懐中電灯を渡した。雄二はいざ来ると雰囲気に興奮し、動画ばかり撮っている。美香は……たぶんまったく役に立たない。懐中電灯で一応照らして見回ってはいるけど。


 暗いし汚いし怖いし、何もいいところがない。

 とにかくもう一刻も早く切り上げて帰りたかった。


「おい、井戸の方行こうぜ」


 優斗がそう言った。井戸がどこにあるかわかんないじゃん、というと、既に調べはついているという。

 私はここぞとばかりに美香からそれとなく離れ、雄二の腕をとった。その隣で、優斗がひっそりと美香の横に行くのを見た。

 井戸は裏口の方にあるらしく、横道を通ればいいのに、わざわざ一度建物の内部を通って一通りの部屋を覗く、という事をやってから井戸の方へ行く事になった。

 部屋の中といえば暗いし、前に使われていたと思われるテーブルやイスがそのまま残っていた。これといった収穫もなく、私たちは通路を通って裏口の錆びかけたドアを開けた。


 中は空気が籠っていたから、外の空気は気持ちよかった。

 井戸はすぐ見える場所にあった。昔の水飲み場のようなところが隣に見えたから、多分そのまま使っていたか取り壊さずにおいたかどっちかなんだろう。

 声を押し殺し、少しずつ近づいていく。


「えー……、今……、井戸のところにきてまーす……」


 雄二が小さな声で実況をする。そんなことしなくてもいいのに!


「あそこが井戸?」


 私も不安に駆られながら聞いた。

 ちょっとずつ、距離が縮まっていく。その時だった。

 微かな声が聞こえたのだ。

 確かに、たすけて、と聞こえたような気がする。私と雄二、そして優斗は顔を見合わせた。美香もきょろきょろしている。


「……今の、聞こえたよな?」


 確認するように優斗が言う。雄二は動画撮影用のカメラを構えたが、それでも緊張しているのはよくわかった。ぎゅうっと雄二の腕にしがみつく。

 井戸に淡々と近づいていく。ごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。もう怖いからやめようよねぇ、と言ってみたが、二人はやめるつもりはないらしい。


 一歩、また一歩と近づいていく。


「誰か、いるんですかあ?」


 優斗が声をかけた。


「おねぇちゃんたすけて」


 耳元ではっきりとした声が聞こえたかと思うと、隣で男二人の絶叫が聞こえた。私と美香の声も入っていたと思う。

 私は反射的に腰を抜かし、その拍子に雄二の腕がするりと抜けたのを感じた。慌てて腕を取ろうとするも手が掠って、空を掴んだ。一瞬何が起こったのかわからなかったが、見ると、男二人が逃げて行くのが見えた。


「待ってよ雄二! ねぇ! 待ってお願い! 助けて!」


 私は声の限りを尽くして、雄二の後ろ姿に向かって叫んだ。


「立って!」


 ぐい、と引っ張られる気配がした。声は美香のものだった。美香が引っ張り上げてくれたのだろう。それでも私の足は動かなかった。ずるずると何かが近寄ってくる。ボサボサの髪が見えた。

 転がったままの懐中電灯がうつろにそれを照らした。


「おねがいたすけて」


 最後に見たのは、足に手をかける女の姿だった。

 私はそのまま気絶した。


 ……


 私たちはその後、病院で目を覚ました。


 混乱のまま警察の人に聞いたところによると、雄二は鍵がかかった車をガシャガシャやっていて、優斗は失禁しながら暫く殺されるだのなんだの喚いていたらしい。私も起きたら失禁していた。

 驚いたことに、美香だけがパニックから回復し、生きている人間だという事に気が付いたのだという。そのまま警察を呼んだものの、まともに話が聞けるのが美香だけだったらしく、詳しい話は後から聞く事になった。


 あの女の子は、私たちと同じようにあそこで肝試しをして、(というより実際騒いでいたらしい)その途中で連れに暴行されてあそこに転がされていたらしい。廃墟とはいえ私有地だったらしく、そこに立ち入った事は別件として警察にこってり絞られたが、あの子に関しては発見が遅れたら危なかったと教えてくれた。

 結局のところ、私たちが幽霊と思ったのは、人間の気配を感じて助けを求めた生きた女の子だったというわけだ。後日、病院にお見舞いに行くと、回復した女の子とその両親からはお礼を言われた。美香が特にお礼を言われていたのが見えた。


 ……一つだけ気になった事がある。

 あの時おねぇちゃんたすけてと言った声。あれは男の声でもなかったし、あの女の子の声でもなかった。そもそも、おねぇちゃんなどと呼ぶはずがない。子供の声だった。あの人も、姉がいるのかと思えば弟が一人いただけで、お姉ちゃんと呼んでいる従姉妹も知り合いも友人もいないらしい。

 あれ以来私は心霊スポットになど死んでも行かないと誓った。


 ちなみに美香の豪胆さに惚れたのか、優斗が後々告ったようだが、見事に振られたのを何か勘違いした挙句家の中を荒らし、あえなく塀の向こうに行ってしまったのが後日談だ。

 私は自分にこれ以上何もない事を、今は切実に祈っている。

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