彼女の脇で握ったおにぎりを食べる

正輝

彼女の脇で握ったおにぎりを食べる

「鈴木くん。私、今から『脇』でおにぎりを握ります」

「……うん?」

「少し時間掛かっちゃうけど待っててね。美味しいおにぎり作るから」

「佐藤さん、待ってよ! おにぎりは嬉しいけどなんで脇なのッ!?」


 高校3年生の鈴木こと僕は、高校生活最後の一夏に恋の試練に遭遇していた。それは、ずっと想いを寄せていた学年一の美女、佐藤さんの脇で握ったおにぎりを食べるという過酷な試練であった。


 その始まりは今から遡ること、ほんの1時間前……。


「さっ、佐藤さんッ! ぼっ、僕はその……佐藤さんの事がッ!」

「好きなんでしょ? 鈴木くん」

「えっ……あっ、その、はいッ! 高1の時からずっと好きでしたッ!」


 始まりは青春の1ページとも呼べる程のベタな告白シーンからだ。

放課後のタイミングを見計らって、佐藤さんを校舎から離れた体育館の裏に呼び出すことに成功した僕は、成り行き任せに恋心の全てを吐き出した。

 告白された佐藤さんの反応は意外にも冷静だった。学年一の美女と噂される程の人物ともなれば、こういう事には慣れたものなのか?


「鈴木くんは私の事が好きなの?」

「大好きですッ! だから卒業する前に僕と付き合って下さいッ!」

「うん、良いよ。付き合ってあげる」


 佐藤さんからのなんともあっさりとした返事に腰が抜けそうになった。

悲願の達成に喜んだら良いのか、冷静な佐藤さんに戸惑ったら良いのか、この時の僕は淡々と終わった愛の告白シーンに戸惑いを隠せなかった。


「その代わり、今から私の家に来て」

「えっ、でも、この後、吹奏楽部に……」

「良いから、来て! 見せたいものがあるの!」


 それから1時間後。僕は有無を言わさず佐藤さんの部屋に通された。

い草の香りが漂う畳の床と、明りが射す障子の窓。女子高生の部屋だからと小物が沢山置かれた可愛い部屋を想像していたが、佐藤さんの部屋は意外にもこじんまりとした和風の小部屋だった。


 部屋に入るなり「少し待ってて」と言い残してどこかへ行ってしまった佐藤さん。


 その間(恋の為とはいえ、勝手に部活休んじゃったのはヤバいな……)と頭を抱えていた僕の目の前に、タンクトップにレーススカート姿の佐藤さんが現れ、その脇には何故か炊飯器やサランラップ等が抱えられていた。


「鈴木くん。私、今から『脇』でおにぎりを握ります」

「……うん?」

「少し時間掛かっちゃうけど待っててね。美味しいおにぎり作るから」

「佐藤さん、待ってよ! おにぎりには嬉しいけどなんで脇なのッ!?」


 唐突な一言に衝撃を受ける僕。予想だにしていない展開にあたふたする僕を見て、何を思ったのかニコリと嬉しそうに笑う佐藤さん。

 鼻歌交じりに下準備に取り掛かる佐藤さん。脇に抱えていた炊飯器を床に置き、その蓋を開けると中から良い香りの湯気と共に白いご飯が現れた。


「佐藤さん、そのご飯まさか、出来立てなの!?」

「そうよ。いつでも用意できる様にご飯は常に炊いてるの。ちなみに米は北海道産の『ゆめぴりか』を使っているわ。ブランド米よ」

「そんな情報はどうでも良いよッ! いや、美味しそうだけどさッ!」


 脇で握るとなれば当然、そのご飯を皮膚が薄い脇の部位に接触させる事になる。炊き立てのご飯の温度は平均で100℃近いと聞いたことがある。

 料理は何でも出来立てアツアツが美味しいとは言うが、いくら何でも脇にご飯は危険極まりない。下手したら火傷を負ってしまう。


「佐藤さん、そのご飯を脇で握るのは止めた方が良いよ……それに、脇じゃなくて手で握った奴の方が僕は好きだなぁ……ははは」

「……鈴木くんは私が好きなのよね?」

「えぇ、まぁ。仰る通りですけど……」

「じゃあ、問題無いわね。続けるわ」


 むしろ問題しかない状況だ。佐藤さんは何がなんでも僕に脇おにぎりを食べさせたいのだ。僕が止めようにも、彼女は顔色一つ変えずに準備を進める。

 佐藤さんはサランラップと一緒に持ってきた水の入った霧吹きを、なんの躊躇いもなく自身の右脇に吹きかけた。

 タンクトップから拝める美女のあられもない綺麗な脇が、霧吹きの水で濡れていく。学校で滅多に拝めない女子の脇を間近で見ていると少し変な気分に苛まれる。


「……顔が赤くなってるけど、なに考えてるの?」

「いや、これは、その……疚しいことを考えてる訳じゃッ!?」

「フフ、そんなシャイな鈴木くんには、特別にお塩付けさせてあげる」


 佐藤さんは僕に「手を出して」と言い、それに従って右手を出すと佐藤さんは僕の掌に袋から取り出した一つまみの塩を置いた。

 佐藤さん曰く「この塩は、淡路島の海水と海藻から作られた高級品なの」らしい。おにぎり一つにどれだけの金を出しているんだか……。


「えっと、付けるって……まさか……」

「そのまさかよ。私の脇に直接付けて」


 全国の男子高校生の中で一体どれだけの人が、美女の脇に塩を塗り付ける経験をしているのだろうか? いや、きっと日本全国で僕だけだろう。

 恐る恐る脇に手を近付けると、佐藤さんは左手で僕の腕を掴み脇に押し当てた。佐藤さんの脇は、色白くとても弾力があり艶やかなものだった。

 僕は手に付いた塩を佐藤さんの脇に擦り付ける。美女の魅力が凝縮されているであろう濡れた脇に満遍なく高級塩を塗り付けるこの体験。

 佐藤さんは時折「んっ…」とくすぐったさに小声を漏らす。

 なんとも背徳的な気分に陥る。美女の脇を触り堪能している自分が恥ずかしくなる。見ると、佐藤さんの顔は僕と大差ないくらいに赤くなっている。


「もう良いわ。手、放して……」

「う、うん」


 僕はそっと佐藤さんの脇から手を放した。右腕を上げて僕に脇を見せている佐藤さんの顔は赤く染め上がり、季節のせいか汗が流れている。


「……それじゃあ、ご飯握るね」

「本当にやるんだ……佐藤さんはどうしてこんな事を僕に?」

「……鈴木くんは、私のこと好きなんでしょ?」


 佐藤さんはそう呟くと、サランラップを掌より少し大きめに切り、左手に添えて炊き立てのご飯を乗せた。2人っきりの個室でおにぎりを握ってもらうだけなのに、異常なまでに胸の鼓動が高まっていく。


「私、実は『脇で料理を作る』のが趣味なの」

「あぁ、趣味でこんな事してたんだ……って、しゅッ、趣味ッ!?」

「小さい頃から自分の脇の下が大好きで、これを誰かの為に生かしたいって思ってた。だから、私は私のことを好きになってくれた人に脇で料理を作りたいの」


 なんともハチャメチャ思考の持ち主であった佐藤さん。そんな佐藤さんに僕は2年以上もの間、恋い焦がれていたのだ思うと複雑な気分になる。


「鈴木くんは私の事が好きなんでしょ? だから、食べてほしいの……」


 佐藤さんは僕の目の前で、なんの躊躇いも無く脇にご飯を押し付けた。

 心配しながら見守る僕の顔に視線を泳がせながら、佐藤さんは熱さに耐えながら右腕を動かし、宣言通り脇でおにぎりを握っている。

 熱さで小さく身悶えながら学年一の美女が、必死に僕の為におにぎりを握ってくれている。想像すらしなかったこの光景に僕は目が釘付けだ。

 先ほどまで色白で綺麗だった彼女の脇は、大量のご飯粒がくっ付き、その熱さで赤くなっている。火傷しているのではいなかと心配になる。

 脇を動かす度に彼女の口から甘い吐息が漏れる。僕の予想では普段から脇で料理をしているせいで、脇の神経が敏感になっているのだと思う。

 おにぎりを握っている最中、佐藤さんは熱さに悶える綺麗な顔の視線を僕に向けてくる。その度に「鈴木くんは私のことが好きなんでしょ?」という言葉が頭の中で繰り返される。そうだ、僕は佐藤さんのことが……


「ハァ…ハァ…はい、おにぎり…出来たわ……」

「あぁ、うん。ありがとう……」


 出来上がってしまった。美女の脇で握られた『おにぎり』が。

 具の入っていない、無駄に高級な塩だけで味付けされた見事なおにぎり。

 そのおにぎりを作る過程において、彼女が持つ異常な趣向(というか性癖?)と純粋なまでの『好き』という感情に圧倒されてしまった。

 

「……食べて」


 彼女の手からラップごと渡された、脇のおにぎり。

 炊き立て故におにぎりはアツアツで、米の良い香りが湯気となって昇っている。

 『脇』で握ったおにぎり。そう考えると口に運ぶのを躊躇ってしまうが、


「食べてくれるよね? 鈴木くん」


 僕は勢いに任せて、おにぎりを口に運ぶ。 

 おにぎりを一口、口に入れた瞬間、舌の上で塊のご飯粒が柔らかくほぐれてバラバラになっていく。その瞬間、おにぎりが持つ芳醇な香りと塩気が口一杯に広がっていった。それだけじゃない。ほのかに感じるこの苦み……もしかして……


「どっ、どう? もしかして不味かった?」


 米粒まみれになった佐藤さんの脇から滴り落ちる大量の汗。

 他人の汗なんて舐めたことがないから確信はないが、この米の香りと程好い塩気、脇で握ったからこその適度な柔らかさ、それらを一つにする絶妙な汗のアクセント。


 完璧だ……米と塩と脇だけなのに……なんでこんなにも……


「……美味しい」


 僕は無意識にそう言ってしまった。脇で作るからこそ、いや、彼女だからこそ、この味が脇で出せるのだろう。完璧だ。これは美味い。


「そう……良かった。喜んでもらえて……」


 僕の感想に喜ぶ佐藤さんの目に浮かぶ涙。

おにぎりの熱さに苦しんだ末の涙か、僕に美味しいと言ってもらった嬉しさの涙か……今となってはどっちでも良い。僕はこのおにぎりに夢中だった。


「おにぎりでこんなに喜んでもらえるなら、他の料理ももっと喜んでもらえるわね」

「……えっ?」

「私ね、今度は脇で『ドライカレー』作ろうと思ってるの。食べてくれるよね?」


 彼女の言葉におにぎりを食べる手が止まった。

 彼女はこれに懲りず様々な料理を脇を用いて作ろうと考えているらしく、その試食係に僕を採用したのである。

 たかだかおにぎりを一つ作るだけで、こんなにも様々な葛藤や悶々とした感情を抱く僕のことだ。きっと複雑な料理になればなる程……。


「鈴木くんは、私のこと好きだよね……だから、食べてくれるよね?」


 佐藤さんは脇に付いた米粒を一口、口に運びながら僕に言う。

 その言葉では言い表せない女子高生の淫らなな仕草にやられたせいなのか、または佐藤さんの小部屋に籠った夏の暑さにやられてしまったせいなのか……


 僕は固唾を呑みながら、思わず言ってしまった。


「……いたたぎます」


 これは一夏の恋の試練。おにぎりは、その始まりに過ぎない。

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