誇りまみれの竜賭博 第7話 咲くは復讐 散るは野心





 周囲の、世界の違和感に気づくことは、隠れた犯罪を見つけ出し、治安を守る役割を与えられた神官戦士にとって重要な能力の一つである。だが、今回の違和感については優秀な神官戦士でなくとも気付いただろう。ヤンからの情報を携え全速力で走ってきたツィーガは、牢獄のある建物に入った瞬間に首を傾げた。

『どうした?』

「やけに静かだな、と思って」

 場内には、相変わらず人が溢れている。だが、誰もがうつむいてこちらと目を合わそうとはしなかった。前回は野次と怒号の中を歩いたはずだ。ともすれば祭の延長のような騒ぎは消え果て、いかつい集団が無言で座っている様は、不気味ですらあった。

『うむ。この変化の原因について、想像がつくか?』

「そうだな、誰かがひどい目に遭って、自分はそうなりたくないから大人しくしてるとか」

『悪くない線だ。だとすると、今回の面会は厄介だぞ』

 珍しく褒めたラーガの声を胸に納め、ツィーガは衛士のいる部屋の扉を開く。

「毎度すいません。トムス・フォンダさんへの面会をお願いします」

「面会はできません」

 敢えて軽い口調と態度をとったツィーガへの返答は必要最小限のものだった。

「何故ですか?」

「現在はこちらで尋問中です。お帰りください」

 相手の顔からも、声からも緊張が伝わってくる。昨日までの友好的な対応との落差に、ツィーガは戸惑ったが、重ねて主張した。

「では、終わるまでお待ちします」

「おそらく、終わらないでしょう」

 ツィーガも表情を変えざるを得ない。突如として態度を急変させた衛士に対して、口調を強める。

「終わらないとはどういうことですか?そもそも彼は一連の騒動の原因とはいえ、暴動を扇動したわけでもない。どんな犯罪者であれ、少なくとも最低限の権利保障は必要のはず。休息時間すら取れないという尋問だとしたら、さすがに問題があるのでは?」

「これは、命令なのです。とにかくお帰りください!」

 高圧的な態度に、ツィーガはむっとする。温和な性格だが、いざとなると梃でも動かないような頑固な面があり、今回の対応は、ツィーガの一番堅い部分をもろに刺激していた。

「重ねて面会を希望する。何時までも待ちます」

「困ります!」

 困惑というよりも、もはや恐怖に震えるかのように、声を上げる。ツィーガが改めて理由を尋ねようとしたとき、背後の扉が開き、偉丈夫が姿を表した。

「ジェラーレ卿……」

 部屋が突如として息苦しくなったのは、その身体の大きさだけではない。周囲を凍りつかせるような緊張感に、ツィーガは思わず息を飲みはしたが、退出しようとはしなかった。

「エスパダール神官戦士殿、ここは我らの国。法の適用も執行も、我らの判断の下に行われる。トムス・フォンダは今私が尋問をしているところだ。お引き取り願いたい」

 刀創の後がびっしりと顔にあり、迫力は桁違いとはいえ、よく見れば年齢はさほどツィーガと変わらないように思われた。にも拘らず、言葉の一つ一つが、重い斬撃のようにツィーガの肺腑にずんと響く。

「トムス・フォンダ氏に対する人権侵害の疑いがある。即刻尋問の停止、面会を要求する」

「何の権限を持って?卿の発言は、エスパダール使節団を代表してのものか?」

 何とか声を出したツィーガに向け、ジェラーレの全身から殺意の如き敵意が吹きだし始めた。ハルフノールの衛士などは縮こまり、壁に背中を押しつけるような姿勢だ。

「権限はない。だがこれは国家間協定において、他国民に対する身体の安全等、権利保障は当然に締結されるべき事項である。今後国を開き、他国との交誼を深めるに当たって配慮すべき義務がハルフノールにはあるはずだ」

 何故ここまで自分がむきになっているのかは分からないが、もはや止めることは出来なくなっていた。かちゃりかちゃりとラーガが警告を発していたようであるが、まったく耳に入っていない。

「これは、エスパダールの総意ではなく、ツィーガ・オルセイン個人としての言だ。だが今後、正式にエスパダールとして抗議するものと思われたい!」

 ツィーガの理性がようやく口に追いついたのは、この時である。じんわりと額に汗が浮かんできたが、もう遅い。だが、予想に反し、眼前の偉丈夫の声は沈着を保っていた。

「発言は覚えておこう。だが何の権限もない一個人の意見を持って、国の大事を止めることはできない。これ以上口を挟むなら、捜査妨害と判断する。即刻退去されたし」

 ジェラーレの威圧を受け、ツィーガはそれ以上一言も言えずに振り返った。背中越しに斬りかかられるのではないかという恐怖にかられつつ、走って逃げ出したくなるのを必死でこらえて。



「あーあ」

「申し訳ありませんっ!」

 デリクスの第一声に、ツィーガは全力で頭を下げたので、上司の苦笑気味の表情を見ることはなかった。

「こういうことをやるときは、きちんと証拠を出さないとさ。国際問題になってもしらないよ」

「分かってはいたのですが……もし拷問でもされているとすれば問題ですし、一刻も早く止めるべきと考えて、その……」

「それに近いことはしてるかもなあ。何せ情勢が情勢だしね。トムス・フォンダの背後に何かいると考えてもおかしくないしね。あんな騒動、一介の賭博師がやることじゃないんだし」

「しかし、拷問は許されることではありません」

 二人の議論に、ファナが割って入る。

「ツィーガの気持ちは分かるけど、それぞれの国の立場と正義があるわ。トムスという男の行動は、ハルフノールの治安を乱し、観光業への影響もある。その一事をもってしても刑罰の対象になるでしょう」

「だからといって、罪名が確定していない以上、私刑のような行為を認めることは……」

「その通りよ。でも、だからといって、あなたまで拘束されることになっては本末転倒でしょう」

「まあ、取り敢えずこの件はここまで、ツィーガは自室でたっぷり反省しておくこと。ラーガ先輩、よろしく頼みます」

『まかされた。さ、ツィーガ。夜は長いぞ』

「……」

「そら、行った行った」

 悄然と去るツィーガの背中を面白そうに眺めやるデリクスを、呆れたようにみやるファナが声をかける。

「大丈夫なの?」

「まあ、誰も国際問題にしたくないし、大きなことにはならないでしょ。ジェズト卿あたりがネチネチ言ってくるかもしれないけどね。これも勉強だよ。若いうちはこれくらいじゃないと」

 指を組んだり離したりするデリクスの子供じみた仕草を見やりつつ、ファナは煩わしげに髪を掻き上げた。

「だといいんだけど。まったく、やんなるわね。どこもかしこもくだらない、そんな奴らを守るのも仕事だなんて」

「前から思ってたんだけどさ、疲れない?ツィーガの前でだけいい子ぶるの」

「別に。本性を晒すのは、あの子がどうなっていくかを見極めてからでも遅くないもの」

「さいですか」

 デリクスは内心おかしい。推測ではあるが、ファナがツィーガに本心を出さない理由が、単純にいまさら素になるのが気恥ずかしいから、だということだ。口ではどう強がっていても、甘い理想を捨てきれていないのは、この『可憐な乙女』とて同じというのが、デリクスの見立てである。本心では似通っているツィーガ・オルセインという男に、どういう顔を向けていいのか自分でも分からなくなっているのだろう。

「そんなことより、この竜騒動は収まるのかしら?」

「簡単に収まるもんじゃないよ。君の年じゃ知らなくて当然だけど、昔は竜が来るとなると、そりゃあお祭り騒ぎだったもんだ」

「まだ竜が来ると決まったわけではないのに?」

「むしろ竜賭博は来ると決まるまでの勝負。本当に来ちゃったら逃げるしかないんだから、それまでに稼げるだけ稼ぐのさ。動く金は凄いからね、小国なら丸ごと一つ買える位の額が行ったり来たりだよ」

「ふーん。それにしても、今回の騒動のおかげで、同盟を結ぶっていう、エスパダールの仕事はやり易くなったわけよね」

 ファナの目に、追及の光が宿る。

「まるで、俺が仕組んだみたいな目で見ないでくれる?」

「あら、違うの?」

「それをいうなら、デュミエンドだって同じだろ?」

「まあ、そうだけど」

 ファナの視線から顔を逸らしつつ、これからのことを考える。昨夜のスタン国王辻斬りの一件で、天秤はシールズに傾いたかに見える。権威として、ジグハルトはあくまでも有力貴族の一人であり、権力中枢におり、多数派まで確保している宰相を追い詰めるには、より位の高い権威を利用するしかなかったからだ。

 となると、エスパダールとしてはハルフノールとデュミエンドとの同盟を一旦は認めつつ、あくまでジグハルトに加勢し外交手段を一つ確保するか、いっそのこと切り捨てて、シールズに擦り寄るかの二択を迫られたことになる。ジェズトあたりはさぞ頭を悩ませているだろう。例の注進の結果、どうやら煙たがられているので、放っておくことにしよう、デリクスは勝手に決定していた。

 そういった状況においてツィーガの行動は、実際それほど悪くない。トムスを起点にハルフノールに正論で切り込み、介入の余地を作ることになるからだ。ジェラーレという手強そうな男が直接関わっているということは、トムスという男に何らかの価値があると表明しているようなものでもある。

「何を考えているのよ?」

「何でこんな面倒臭い仕事をしているのかなってさ」

 中年男の悲哀など、ファナには銅貨一枚の価値もない。さっさと立ち去るのを確認して、デリクスはゆっくりと立ち上がった。





 デュミエンドの宿営地は、シールズの別邸をそれだけのために改装を施した豪奢なものであった。モルガン将軍らは、最大限の厚遇を受けつつも、組織としての緩みは全く無く、街で羽目をはずすような戦士もいない。部下達が抱える心地よい緊迫感に、モルガンは満足していた。

「いよいよ、ですね」

 若い補佐官であるクルート・ランブリンは、モルガンの広い背中に声をかけた。豪放磊落を地でいく男は満面の笑みを持って答える。デュミエンドの人間にとって、戦いこそが生きることそのもの、笑わずにいられようか、とばかりに。

「うむ。華の儀において、ハルフノールとの同盟が達成され、我々の軍隊の駐留が許可されれば、今まで未踏の地、五大国の同盟が及ばぬ範囲に我らが旗を打ち立てることもできよう。さらにハルフノール内部における内紛の火種に風を送り続け、更に混乱を大きくすれば、新たな戦場、即ち晴れ舞台となりうる。全ては、我らの働き次第よ」

「はい」

 モルガンは、興奮に上気するクルートに笑みを向ける。

「戦ははじめてか?」

「はい、何時も仲間達の武勲を聞く度に、次こそはと念じておりました」

「そうか、であれば今は自制こそが肝要だ。いずれ滾る血を燃やしつくす瞬間が到来するまでは、力を溜めに溜めておく、これが戦に生き延びる秘訣よ」

「分かっております。必ずや勝利をデュモンに」

 何十年か前の自分の姿に重ねつつモルガンは再び笑う。自分の言葉が理解できるようになるまでの時が、この若者に与えられるのかどうか、頭に過った思いを隠すためでもあった。

「勝敗は、神が与えるもの。我らはただ敵を撃ち払うことに専念すればよい……そう言えば、シールズ宰相が何やら影でこそこそ動いているとの話だったが、動きは掴めたか?」

「いえ、どうやら華の儀が開催されるゼピュロシア神殿に、何者かが潜入したとのことですが……申し訳ありません」

「何、当日の楽しみが増えたということよ。トムス・フォンダという男からは何か聞き出せたのか?」

「いえ、何の報告もございません。かなり手厳しく責められているようですが……」

「口を割らぬか。国を相手に喧嘩を吹っ掛ける男、一度会ってみたいな」

 モルガンの頭の中には、ジェラーレと、背後に控えるシールズの顔が浮かぶ。あの二人が素直に情報を寄こすことなどあり得ない。彼等にしてみればデュミエンドを最大限に利用したいところであろうが、こちらとしてはあまり目立てば他国の掣肘を受けることになる。八年前、ハルフノールの王族に関する事件について、コソコソ動いている理由が恐らくそこにあるということも承知しているが、果たしてどこまで信用すべきか。もう少し調査のための手勢が欲しい、などデリクスと同じことを考えているところに、急使がやってきた。

「閣下!」

「何事だ」

「エスパダールのデリクス・デミトリウス司祭長が突然訪問の上、閣下への面会を求めております!」

 モルガンの顔に驚きと興味の入り混じった笑みがひらめく。

「連れは?」

「いえ、お一人で、武器も持たずに……」

 モルガンは破顔した。

「お通しせよ、くれぐれも粗相のないようにな」

 半ば走るように部屋を出て行く男。クルートはモルガンに問わずにいられなかった。

「こんな夜更けに、何事でしょうか?それもたった一人で」

「さあな。だが、我らデュミエンドの精兵集う屋敷に単身で乗り込んでくる度胸は買うべきだ。どうやら、腹の探り合いになろうよ。凪のデリクスが何をしかけてくるか、話を聞いてみようではないか」


 客間に通されたデリクスは、屈強な兵士にそう広くない部屋の四方を固められた中で、埋もれるように座らされていた。

「いやあ、デミトリウス司祭長。わざわざお越しいただいて恐縮至極」

「申し訳ございません。手土産も持たずに。是非ともお耳に入れておくべきことがございまして」

「何、酒ならいくらでも置いてありますよ。ハルフノールは豊かな国のようですな」

 モルガンが酒を持ってこさせようとするのをデリクスが止める。

「それはまあ、お話の後で。それと、できればお人払いを」

「……わかりました。クルート、お前は残れ。それ以外の者は外で待機せよ」

 モルガンの指示で、中に居た戦士達はそれぞれの表情で退出する。

「この男は、私の秘書。今後のためにも同席を許して欲しい」

「お任せいたします。いや、いずれも一騎当千といった面構え、囲まれているときはヒヤヒヤしましたよ」

 デリクスは全く緊張感のない顔で、額の汗を拭う仕草をしてみせる。あまりの適当さに、クルートが吹きだしかけ、モルガンの咳払いを受けることになった。

「早速ですが、実は私の下にピトー・ヴィッチなるものの所在に関する情報が飛び込んでまいりました」

「……ほう」

 クルートは目を剥き、モルガンは表情を変えまいとして失敗した。デュミエンド上層部にとっては口にだすのもはばかられるほどの男である。この日、この場所で、しかも他国の人間から聞くことになるとは夢にも思わなかった。

「職業柄、色々なところで、色々な話を聞くものですが、このお話はすぐにお伝えすべきと思いましてね」

 デリクスは、所在が記された紙片をモルガンに手渡す。

「既に所在は確認しております。私直属の密偵で、エスパダール本国とは無関係の人間ですので、御心配なく」

「そうですか……いや、これは全く頭が下がります。我らデュミエンドにとって、ピトー・ヴィッチは拭おうとしても拭いきれぬ汚れのようなもの。この恩には報いようとしても報い切れませぬ」

「いえいえ。国を動かすには、汚れることを厭う間などありませんからな。これは私とモルガン将軍、二人だけの胸に仕舞っておきましょう」

 デリクスは立ち上がった。

「では、これで失礼します」

「これはこれは、何におもてなしもできずに……」

「いやいやお互い国事に励む身です。何時かゆっくりと杯を交し合えればよいのですが……ああ、そういえば、この度の騒動の首謀者、トムス・フォンダ。どうやらこってり絞られているようですな。正義の神スパッダを信奉する身としては、人道に基づく立場から主張せざるを得ないかもしれません。何卒ご理解のほどを」

「我らのような仕事をしていると、思わず苦笑したくなりますな。こちらとしてもエスパダール、デリクス司祭長の立場は充分に理解しておりますよ」

「祭りも近い中、血生臭い話はご勘弁いただきたいものです。まああれだけ騒いだのだから、当分は牢の中で反省することになるのでしょうが、ね。モルガン将軍の御配慮、痛み入ります。それでは、華の儀でお会いすることを楽しみにしております」

「……こちらこそ、全てが終わった後に、善き酒を交すとしましょう」

 心にもない笑みを浮かべ合い、デリクスは背中を向けた。モルガンは座ったまま腕を組み、暫く身じろぎもしない。たまらずにクルートが話かけた。

「モルガン閣下、なぜ彼はこんな重大な情報を我々に提供したのでしょうか?ピトーめは、我らの重大な秘密を数多く握ったまま姿を消した存在。八年前のハルフノール王族死亡事故にも関与しているとの話。エスパダール自身にて身柄を押さえれば、我々に対する脅威となりましたでしょうに」

「分からぬか」

「はい」

「デリクスの奴が、私に情報を流したのには二つ、いや三つの訳がある。一つは、八年前にハルフノールで起こった事件について、把握しているぞ、そしてそれを華の儀で使うぞ、ということを言いにきたのだ」

 モルガンは笑いもせず、視線を虚空に定めたまま唸るような声をだす。

「わざわざ、何故そんなことを言う意味があるのですか?」

「わざわざ言うということに意味がある。恐らくデリクス司祭長本人ではなく、誰かが武器として使うということ、それを自分の立場では止められないということよ。恐らくは、ジグハルトあたりだろうな」

「そんなことになれば、デュミエンドにとって大問題でしょう。ひょっとして大事になる前に今回の主導権争いから手を引けということですか?」

「いやいや、さにあらず。であれば華の儀で再会しようとは言わぬさ」

「では、一体何が目的なのですか?お前らは恥をかくぞとでも言いに来たと?」

 であれば捨て置かぬ、と飛び出しかけたクルートを手で制する。

「逆だ。自分では止められぬから、事前に策を打てということさ。我々を慮っての行動よ。もめ事の種を事前に摘んで回るとは、さすが凪と呼ばれるだけのことはある」

 鼻を鳴らすモルガンの様子に、クルートも居住まいを正す。国同士の衝突を避けるためという説明を一応は理解した。

「それが、第一の目的ですか……では残りは?」

「まずは、改めて考えてみよう。我らの目的はそもそも何であったか?」

「ハルフノールと同盟を結び、この地において拠点を確保すること、ですか?」

「そうだ。そのために、我らはあのシールズと手を結ぶことを決めた。だが同盟を発表するにあたり、今回の華の儀という機会を利用する必要は、はたしてあるだろうか?」

「それはその……世に知らしめるためには大きい場所のほうがよいのでは」

「その通り、あくまで宣伝効果の狙ってのことだ。しかもどちらかといえば、ハルフノール側に利益が多いがな。それに今回の話が真実ならば、華の儀に出席すると確実に八年前の事件について追及を受けることになる。となれば、いっそのこと出ない方が良くはないか?」

「成程……」

 クルートはモルガンの発言を理解した。実は、既に目的は達成されつつあるということだ。むしろ華の儀に出席し、反対派の追及を浴びせられるよりも、理由をつけて欠席し、対応は宰相にまかせてしまってもよい。むしろ公式な発言をしない分有耶無耶にしやすいかもしれない、ということだろう。

「しかしあの男、デリクスは、八年前の件を暗に持ち出しつつ、華の儀には出席しろと釘を刺してきた。意味が分かるか?」

「それは、その」

 言葉に詰まるクルートに向けたモルガンの瞳は、炯々と輝いていた。

「つまりは、俺に勝負を挑んできたということよ」

「勝負?」

「そうだ。国々の命運を決する勝負を華の儀という舞台でやろうと挑戦状を叩きつけてきたのだ」

「……!」

「我らデュミエンドは戦いをこそ欲する。ここで、勝負を挑まれたにも関わらず、逃げることができようか?」

「そのようなことは決してできません……!」

「そうであろう。奴は、堂々と勝負を申し込んできた。自らの手札すら晒してな。元々勝負の分はこちらにある。だがここで勝ち逃げでもすれば、俺は国に対して申し開きできたとしても、戦いをこそ欲する大神デュモンに顔向け出来ぬ」

 更に、もしここでデュミエンドの人間が出席しなければ、エスパダールとしてピトーを確保し、正式に国際間の問題とするだろう、とは内心でのみモルガンは呟く。どこまでも抜け目のない提案であった。

「何か、逆転の秘策があるということなのでしょうか?」

「さあな。だとしても俺は逃げぬ。正面から奴を打ち砕くことこそ、我が本懐。益々華の儀が楽しみになったわい」

 状況をしってなお浮かべるモルガンの不敵な笑みは、クルートに絶大の信頼を与えていた。高揚を抑えきれずにいる中で、クルートは三つ目の目的を尋ねると、敬愛する上官は指示という形で答えた。

「クルート、お前に仕事だ。これから俺の使者として、トムス・フォンダへの尋問を中止するように要請せよ。おそらく他国からも同様の動きがあるはずだ。あの抜け目ないデリクスめが、もうフェンレティ辺りにも働きかけているだろうからな。情報の返礼としては相応だろうて。シールズには、トムスめが抱えている情報にも検討がついたと伝えるがよい」

「それが、三つめの目的ですか?しかし、何故あの無頼漢をエスパダールが助けるのですか?」

「例えデュミエンドとの同盟がなされたとしても、エスパダールは正義の名の下にハルフノールに対して今後も口を出す、という立場の表明ではあるが……あと、これは推測だが、ピトーの居場所はトムスという男からもたらされたと考えるべきだろうな」

「……」

「こたびのデリクスの行動は、トムスから頼まれたということよ。釈放まで求めなかったのは、エスパダールはトムスを華の儀において、武器にする気はないということでもあり、トムスという男が自分の保身のために望んだことでもあろう。うかうかと外にでて、我らに身柄を確保されでもしたらたまったものではないからな」

 クルートはモルガンの説明を聞きつつ、自分がこの場に残された理由に気づき、動悸がおさまらなかった。たったあれだけの二人のやり取りの中に、ここまでの情報が秘められていたとは。自分と敬愛する上司との差をまざまざと見せつけられて、声も出ない。モルガンはそんなクルートの心中を察したのか、気を取り直したように笑いつつ、肩をばんばんと叩いた。

「これが、国を背負った人間同士の話し合いというものだ。言葉は時として剣となりうる。いずれお前にも出番がやってくるのだ。それまでせいぜい勉強しろよ。さ、行ってこい!」

 クルートを押しやるように送り出しながら、モルガンは部屋に備えてあった酒を思い切り呷った。

「しかし、デリクスという男、策を弄するかと思えば、戦士として全く見事な振る舞い。これは骨が折れる仕事になりそうだ」

 口ではそういいつつ、腹の底から沸き起こる喜悦に堪えきれず、モルガンは一人大笑した。





 次の日、祭を二日後に控えた朝、デリクスの元にツィーガが飛び込んできた。

「デリクス司祭長!」

「何だい、朝から騒々しい」

「トムス・フォンダへの面会許可が出ました!」

「ほう、そりゃよかったね」

「何でも、各国の使節団が抗議をしてくれたそうで。デュミエンドまでも!」

「まあ、明日は我が身だからねえ」

「早速、行ってきます!」

 さっさと姿を消すツィーガ。振り返るときにかちゃりと鳴ったラーガに目配せしつつ、デリクスは朝の光を眠そうに浴びていた。


 意気揚々とやってきたツィーガであったが、牢獄の雰囲気は以前とは変わっていない。

「ということは……」

 緊張を固める半瞬前に、偉丈夫が姿を見せた。ジェラーレはまじまじとツィーガを見つめる。いきなり切りかかられるかと錯覚しそうな目つきに、ツィーガは硬直した。だが、ジェラーレが発した声は、比較的穏やかなものだった。

「この前、名前を名乗っていただいたが、忘れてしまった。再度教えていただけないだろうか」

 殺気などはないが、それにしても異常なまでの威圧感である。膝が震えるのを自覚しつつ、精一杯の虚勢を張って名乗りを上げた。

「ツィーガ・オルセイン。エスパダール神官戦士」

「ツィーガ卿、私はジェラーレ・シンタイド。今回のことはよく覚えておくことにする。色々と勉強させてもらったよ。だがトムスという男に対する司法権はこちらにある。軽挙は慎まれたい」

「……」

 そういって、ジェラーレは退出した。それだけで室内の温度が上がった気がする。大きく息をつくツィーガにハルフノールの衛兵から声がかかった。

「ツィーガさん。あんた凄いな!」

「は?」

「あのジェラーレ・シンタイドと向き合って何とか耐えるなんて、なかなかいないぜ!」

「まったく、化け物だよあいつは!」

 同僚を化け物呼ばわりするのはどうかと思うが、どうやら仲間からも恐れられている男のようである。ツィーガ自身、よく逃げ出さないなと毎度思うほどの相手であった。戦場で会うときはこの比ではないのだろう。ツィーガは相手からの賞賛には曖昧に答えつつ、何より心配なことを尋ねた。

「それで、トムスさんは?」

「ん、ああまあ生きてるよ」

「ガリューシャの奴、ひでえもんだ。よくもまあ他人にあそこまでできるよな……今、治療しているから少し待ってくれ」


 尋問室に現れた男は体中に包帯を巻いていた。怪我の程度はぱっと見ただけではツィーガには判別できなかったが、ラーガが低く声を出した。

『なるほど、できる限り痛みの強く、命に別状がないように責めているな。大したものだ』

 妙な褒め方をしたラーガの柄を握りしめて黙らせつつ、椅子に座ったトムスに声をかけた。

「大丈夫ですか?」

「わざわざ歩いてここに出向いてやれるくらいには、な」

 トムスの口調と態度は全く変わらない。ツィーガの行動に感謝しようともしない。妙な安心感を覚えるほどだ。自分が巻き起こした騒動がどれだけ拡大したとしても、自分がどんな仕打ちを受けても、平然と眺める度胸と覚悟を持っているのだろう。かける声もなく、ツィーガは要件に入った。

「カスバロの惨劇について、調べました」

「ほう。他国でよく知っている奴を見つけたな」

「あの時、カスバロが竜の進路に重なるという話を受け、村人達が集団で避難し、無事に回避したまではよかったが、避難先で原因不明の大量殺戮が発生。犠牲者は一〇〇人を超えるとされる、歴史上稀に見る大事件だったそうですね」

 トムスはツィーガを見るわけでもなく、視線をさまよわせている。恐らくは傷が痛むのだろう、表情を消していた。

「一説には、避難を誘導した人物がいるといわれており、逃げたのか、殺されたのか、真犯人なのか、原因は解明されないまま、捜査は終了していると聞きました」

「それで?」

「犯人の一番有力な説としては、山賊達が街ごと財産を奪うためにでっち上げた壮大な狂言、ということでした。竜が来たのは偶然だった、と……もしかして、あなたが、この事件に関与しているとのことなんでしょうか」

 ツィーガは好奇の目を向けないように意識しつつ、トムスを注視する。トムスが笑みを浮かべるまでに、しばしの間があった。

「避難を誘導したのは、俺の知り合いだ。避難場所を指定したのは、この俺だ。言っとくが、俺には何の罪もないぜ。信じた奴が馬鹿だったのさ」

「何故、あなたには捜査が及ばなかったのですか?」

「俺が金持ちだったからかな?いろんな人間に鼻薬をかませてきたからな。いざというときに役に立つんだよ」

「……つまり、あなたはこの惨劇に関与している、と?」

「そうだ、といったらどうするよ。だが証拠なんざ何もない。どう思われようと裁かれる筋合いはねー。あんたが俺に対する拷問をとめたのはそういうことだろう?憶測で人を裁いてはいけないってことさ」

「……」

 言葉を続けることができないツィーガをせせら笑う。

「分かっただろう?俺はこういう男だ。それに、竜の予測なんてもんは外れることもあれば、悪用する奴もいる。人助けなんざ、簡単なことじゃねえんだ。分かったら、竜を予想して人助けをするなんて、簡単にできるかのようなことを言うんじゃねえよ」

 少なくとも俺の前ではな。そういってトムスは目を閉じた。

「一つ聞いていいですか?」

「何だよ」

「本当に、山賊達が虐殺したのですか?」

「どういう意味だ?」

「死体が全く発見されなかったとあります。金品を奪うだけならともかく、死体まで持っていくとは考えにくいのですが」

「大方、鬼が取り憑いたんだろ。悪魔に身体も魂も食われちまったのさ」

「それに結果として、竜はカスバロを通過し、街は壊滅しています。事実として、あなたは竜から街の市民を助けたことには変わりない」

「ふん……」

「話を変えます。事件以降も、あなたは竜賭博を続けてきたんですか?」

「まあな。表立ってやることは避けてきたがね。一番稼げることをやるのが一番だろ。天職ってもんさ」

「では、何故今回は、こうして出てきたんですか?自分で言ったではないですか?人助けなんかできないって。なぜ今回は人助けをしようと思ったんですか?」

 ツィーガの問いに、トムスはこちらを見ようともせず、答えようとはしなかった。沈黙に耐えかねるようにツィーガが話題を変えた。

「今この島には、竜賭博の関係者が山程集まっている。私はあなたの評判を聞き続けました。そして、実際にあなたと話をしていて、一つ確信できたことがある」

「勿体ぶらずにいいな」

「借りは作らない。やられたらやり返す。最後には絶対勝つ。行動原理は一貫している。一言で表すならば、『誇り』でしょうか」

 ツィーガは滔々と考えを述べた。いつもより多弁になっているかもしれない。

「あなたは、自分自身に誇りを持っている。そのための努力なら惜しまない。勘や成り行きなどに自分を賭けるようなことはしない。己の選択に自信があるからこそ、賭博師の世界で生きることを選んだんだ」

 トムスはこの面談中、はじめてツィーガを見た。

「だから、何だ?」

「やはり。あなたは誇りという言葉を否定しない。だから気になるのです。あなたが行動するということは、自己の誇りを賭けているということだから。自らに向けられた汚名を理解しつつ、姿を表してまで、何をしようとしているのですか?もしそれが、あなたのいう人助けだというのなら……」

「いうのなら?」

「協力させてください」

 ツィーガの瞳には一点の曇りがない。まっすぐな視線からトムスは顔を逸らす。痛みに耐えるような顔を一瞬だけした。

「そうかい……ならば賭けようか?」

「賭け?ですか」

「今から教える場所に行け。そこに、何故俺が動いたか、俺が何をしてきたかの手がかりがある。三日以内に答えを見出してみろ」

「私は、何を賭ければいいのですか?」

「そうだな……その法具、貰いうけようか」

「!」

「官給品だろ。そいつは。もし賭けで失った、なんて話になったら仕事なんざ続けられないよな?」

 せせら笑うトムス。だが、目は全く笑っていなかった。

「賭けっていうのはこういうもんだ。お前は誇りという言葉を使った。男が誇りという言葉を使った以上、一度約束したことは翻せない。どうする?別にここはお前の故郷ではない。人助けなんて無理して人生棒に振ることはあるまい」

 ラーガは、音を発しなかった。ツィーガはトムスから視線をそらさずに、剣の柄を強く握った。

「わかりました。賭けましょう」

 ツィーガは剣の柄についていた宝玉を取り、トムスに手渡す。トムスはさも面白そうに上に放り投げてみせた。

「三日したら、また取りに来ます」

「分かった。楽しみにしてるぜ」

 トムスはラーガの魂が宿った玉を握りしめて、笑った。



「申し訳ありません!」

「申し訳ありませんじゃないよまったく。ラーガ先輩を人質、いや法具質に差し出すなんてさ」

 デリクスがここまで困った顔をツィーガに見せたのは初めてのことである。よほどラーガに世話になったのだろうか。自分のしたことの大きさにようやく気付かされたというところだ。ファナの美しい顔も、これ以上ないほどに呆れていた。

「賭け事なんかして、相手は一流の賭博師なんでしょ。勝てるわけないじゃない……いやその賭け事していいってわけじゃないのよそもそも」

「それで……何か考えでもあるのかい?」

 気を取り直したデリクスが、指を鼻の下で組んでツィーガに問いかける。表情を隠そうとしているのかもしれない。

「きっとあの男と接触する人間がいるはずです。ラーガがそれを見てくれると思います。それが分かれば、きっと真相を知る手助けになるのではないかと」

「うんうん」

「トムスはラーガに意識があることを知りません。きっと何か情報が手に入るはずです」

「賭けの勝算は?」

「分かりません。ただいえることは、あの男、トムスは何かを伝えたがっているのだと思います。でなければこんな賭けを仕掛けてくる意味はない」

 デリクスは、頷きながらも内心で驚いていた。ツィーガは精神的な部分でもラーガに頼る傾向があり、離れることについては抵抗を示すと思っていたからだ。

「私はこれから、何とかしてトムスの真意を探ってみたいと思います。お時間をいただいていいですか?」

「勿論。あとでラーガ先輩にどやされたくないから、何とか頑張ってよ」

ツィーガは力強く頷いてみせる。離れてすこしホッとした、という言葉は大事にしまっておく。

「はい」

「あと、賭けごとしたことについては、始末書を書くように。エスパダールに戻ってからでいいからね」

「……失礼します!」


 指定された場所は、あまりに豪華な客船であった。ツィーガはエクイテオを連れ立って歩きながら、リーファの所在などの情報交換をする。

「そうか、早く出てこれるといいけど。祭が終わっちまうぜ」

「どっちかというと、祭が終わるまで出れないんだろうけど……」

 リーファの不在はツィーガにとって残念でもあり、不安でもあった。化粧をしたときの薄く微笑んだ顔が唐突に思い起こされる。ツィーガは頭を振って、今の懸案に集中すべく雑念を追い出した。

「テオの用事は済んだのか?」

「おう……何とかな」

 エクイテオは口を濁す。あれからカイムと二人、しばらく街の上空をさまよった後、屋上に全裸のエクイテオを残し、カイムが何とかエルンに渡りをつけることで事なきを得た。服が届くまでの数刻は、エクイテオの人生において最も緊迫した時間といっても過言ではない。二人してこっぴどくエルンから絞られたのを含めて、二度と思い出したくない経験であった。

「まあ、そんなことより、これからのことさ。ちゃっちゃと手がかりを見つけて、祭を楽しもうぜ」

 エクイテオは結局カイムの立場を、まだツィーガに話してはいない。この『賭け事』が終わったら話そうと、心中に決めていた。

「そうだな。よし、いくぞ」

 決意も新たに、二人は船に乗り込んだ。甲板には一人の中年男性が待ち構えていた。身なりと言い仕草といい、執事長とでもいうべき貫禄である。伸びた背筋に、誇りのような何かを感じる。

「お待ちしておりました。ツィーガ・オルセイン様。トムス様よりご連絡いただいております」

「……やっぱり、どうやってか外と連携を取り合っているんだな」

「……」

 小声を交わし合う。エクイテオには、仲介人がカイムということは既に分かっている。精霊を使えば容易いことであった。内部へ至る階段へ進もうとすると、男性から声がかかる。

「申し訳ございません。ここから先はツィーガ様お一人で、とトムス様からのお言いつけです」

 厳粛な雰囲気と余地のない厳正さでエクイテオを見据える。ツィーガとトムスの一対一の勝負であるならば、当然のことでもある。

「分かりました。テオ、行ってくる」

「仕方ねえな。頑張れよ。あの玉が景品じゃあ、やる気もでないだろうけどよ」

 苦笑を別れに、階段を下り、指定された重い扉を開ける。

「何だ……これは……」

 ツィーガは絶句した。室内一杯に詰め込まれていたのは、古今の書物、びっしりと書き込まれた地図、殴り書きされた紙の束であった。トムスの外見からは全く想像できないような知識の宝庫とも言うべき部屋である。

「これが、あの人の自信の下地なのか……」

 歴史から地理風土、紀行文に竜のデッサンから法律書に至るまで、ざっとみても数千冊はあるだろう。ここから、どうやって回答を、僅か三日で探し出せというのか。

「食事等の世話をするよう、おおせつかっております。なんなりとお申し付けください」

「ありがとうございます。ですが、その暇はないかと」

 丁重な礼に、できるだけ丁寧に頭を下げる。扉が閉められ、ツィーガは大軍に包囲された一兵士の気分を存分に味わった。

「ええい、やってやる!」

 手掛かりは、カスバロの惨劇である。目を閉じ、これまでの試験勉強を思い起こす。そうだ、俺はこういった敵と何度も死闘を繰り広げてきたのだ。今更何を恐れよう。

「一夜漬けの天才と呼ばれた実力、見せてやる!」

 猛然と書類を読み始めたツィーガを、海は柔らかく揺らしていた。


 残されたエクイテオは、デリクスに状況報告を終えたあと、街をぶらついていた。話を聞けば、これから華の儀に出席するために、出立するとことであるとのことだった。そもそも、自分は正式なエスパダールの使節団の一員でもない。ツィーガもリーファもいない中、参加しても意味なし、というところである。

 適当に女の子でもひっかけるか、などと考えていたところに、カイムがまたしてもひょっこり現れた。しかも、ひとりではない。顔ぶれを見つつ、エクイテオはうんざりした表情を見せる。

「やあ」

「カイムさん!それにあんたたちは……」

「覚えていてくれたとは光栄じゃな」

「光栄じゃな、じゃないっすよ!」

 ヤン・ジン・クイはいかにも好々爺という笑顔を向けてくる。よく考えれば、リーファの師匠であるこの老人も、トムスに与するものであったのだから、カイムと繋がっていてもおかしくはなかった。背の高い女性が素っ気ない挨拶をする。少し酒が入っているようだった。

「リーファのこと、知っているんですか?」

「無論。屋敷には挨拶してきたよ」

「はあ、さいですか……それと、イヴァ・ソールトンさんでしたっけ、あと……」

「ああ。この前はどうも、こっちはあたしの連れさ」

「顔を合わせるのは初めてですね。マリシャ・ゲブニル、イヴァの友人です」

 エクイテオは美醜、年齢にかかわらず女性には大層紳士であるので、色々と思いがありつつも丁寧に挨拶をする。

「あの、なかなか使える神官戦士はいないのかい?」

「今、賭け事の真っ最中ですよ」

「そいつは、隅におけないねぇ。一手ご指南願おうか」

「イヴァ。やめて」

 マリシャの棘のある声に、イヴァは首を縮める。力関係が良く分かる光景だ。エクイテオは素朴な疑問を口にする。

「勝負こそ、デュモンの教えなのでは?」

「自らを戒め、自制することも、戦いの一つですよ。精霊士さん」

 ハッキリ言い切ったマリシャの発言は、ここにいる全ての人間の耳に痛い言葉であった。一つ咳払いをしつつ、エクイテオはイヴァに向き直る。

「にしても。よくもまあ、捕まりもせずに大手を振って歩いてますね」

「あんた、こんな状況で取り締まりなんざできるわけないだろう?衛兵達も大分付き添いで行っちまったし、仮装した連中や、観光客でごちゃまぜさ」

 エクイテオは苦笑しつつ肩をすくめる。ツィーガと行動し続けていたため、堅苦しくなってしまった自分を振り落とす。

「エクイテオ君。この前は本当にお世話になってしまって申し訳なかったね」

 にこにこと微笑む中年男性ことカイムに、エクイテオはいつも毒気を抜かれてしまう。何を言っても堪えない人間に、むきになっても仕方がない。精霊士とはそもそもそういう人種の集まりであることを痛感していた。

「何か用ですか?もう頼まれごとはごめんですよ」

「いやいや。この前のお礼をしたくてね。一緒にこないかい?」

「行くって、どこにですか?」

「僕が華の儀に招待しよう。折角だから、君の連れもどうだい?」

「また何か企んでいるんですね」

 中年、老年の紳士淑女達が一斉にいい笑顔をつくる。溜息をつきかけたエクイテオだったが、一転笑みを作って自らを切り替える。折角の、お祭りなら、羽目を外さなければ。


 合図のように、花火が鳴り響いた。






 花弁が舞い飛んでは周囲を鮮やかな色彩に染め、陽気な曲に街中が浸る。ツィーガが船に籠る中、あっという間に時間が過ぎ、いよいよ誕春祭も大詰めを迎えていた。華の儀のためにガーデニオンを出立した一行は、一昼夜をかけてゼピュロシア大神殿へと到着する。王族、街の名士や有力者、国内競技会の優勝者といった街の顔役、有名人が終結し、儀式を待ち構える。彼らは神殿で春を受け取り、街へと運ぶ役目を担うとされる。華の儀そのものに参加できる人間は限られており、一般人や観光客は神殿の外でハルフノールに春が咲くその瞬間を待つ。わざわざ街から歩いてくる彼等の目当ては、王によって開花した桜の花弁である。女神ハルの不思議な力が秘められているとされており、古くから法具の材料として使用されたという。その価値ゆえに、花びら一枚が金貨十枚に相当するともいわれ、旅行代にお釣りがくる代物となっている。以前は皆争って奪い合った年もあったそうだが、今は桜を力によって開花させることもないため、国から正式に配布はしないとの通達がでており、皆を失望させた。が、事情を知らない者、今年こそはと思う者達も多く、過去を忘れられずに集っては、目を血走らせていた。

 その一方、神殿と街を繋ぐ街道には至るところに休憩所や宴席が設けられ、観光客は途中で一団を離れ酒や食事を楽しむもよし、というところだ。華の儀が終わり、ガーデニオンに持ち帰られた桜の枝を王城に捧げ、今年の誕春祭は終わりを迎える。トムスによる混乱もひとまずは落ち着き、何にせよ華の儀が終わってから、という街の雰囲気である。だが、今まさに神事を迎えようとするゼピュロシア大神殿は、ひりつくような緊迫感をまとって全ての人間を包んでいた。

「いやだねえ、若いときから仕事一辺倒だと、よいことないよ」

 神殿内の一室にて、時を待つデリクスはツィーガについて言及した。彼もまた華の儀において、デュミエンドのモルガン将軍との対決を控えているはずだが、呑気なものである。ジェズトはジグハルトとの打ち合わせのため席を外している。

「どうするの?デリクス・デミトリウス。何か策はあるの?」

「ここまできたらどうしようもないでしょ。あとは神様に祈るだけ」

 色々と周囲から情報を仕入れてきたのか、ファナは不安そうな顔でデリクスに詰め寄る。

「それより、一つ頼みたいことがあるんだけど」

「何よ……他の神域で出来るとは思えないけど……まあやってみるわ」

 そっと耳打ちされた内容に、ファナの顔は渋面になったが、やがて嫌々頷いた。


 ハルフノールの一団は、他国の使節団が全て退出した後の最後の話し合いを行っている。祭りにはそぐわない険悪な空気は、爆発寸前といってもよかった。シールズの下に、神官が近づき、耳打ちをして去っていった。

「お気づきのことかと思われるが、陛下がご不在である。今、体調がすぐれぬために欠席するとの連絡が正式にあった」

 シールズは、事情すべてを承知しているのを知りながらの台詞である。ジグハルトは表情を変えずに、顔を上げていた。

「陛下は病篤く、宮廷医師によれば癒えるまでには相当の期間を要する、癒えたとしても国事を担うのは困難との見立てとのことだ。私はこのことを今回の儀式に置いて国民に広くしらしめ、しかるべき措置をとりたいと考えている」

「しかるべき措置、とは?」

「陛下には国王を退位していただく。一時的に国王が不在の間は、私が国事を代行することになろう」

 シールズの発言に、反対派が一斉に立ちあがる。ジグハルトは座ったまま、宰相を凝視していた。

「何としたことか!」

「簒奪者め!」

 一部から声があがるが、シールズその他の人間に睨みつけらえると、小さくなって黙り込んだ。

「本日、私自身より正式に国民に伝えたいと思っている。そのつもりでいるように」

 言い捨てて、さっさと退場した。ジグハルトを促す声もあったが、ジグハルトは無言を貫く。部屋に残された改革派の一派は、盛んに盟主をあおった。

「もはや、剣を取って立つべきです!」

「このままでは、ハルフノールは終わってしまう!」

 すべての訴えを聞いたあと、ジグハルトは立ち上がった。

「ここで、剣を取ったとしても、大義は我らにはない。シールズの罪を白日の下に晒し、正式な手続きを取ることこそが必要だ。宰相であるシールズを裁くためには国王の裁可が必要であることは皆知っているはず」

「それでは間に合わないではありませんか!」

 ジグハルトが強く歯が鳴るほどに強く噛み締める。もはや残された手段は武力によるものと分かってはいても、それに続くのは国内の混乱、そしてデュミエンドら他国の介入である。情勢からも、何よりジグハルトの真情からいっても取りうる選択肢ではなかった。

「我々が求めるのは、ハルフノールの安寧である。自ら混乱を招き、国民に不安と混迷をもたらすようなことだけは避けねばならぬ。皆、耐えてくれ」

 ジグハルトの声は地の底からわき上がるような苦悩に満ちている。周囲の人間もそれ以上の追及ができなかった。笑顔を見せることはあっても、怒りや悲しみといった感情を見せることは必要がない限りほぼしない男である。その彼が僅かに見せる感情の根がいかに深いものであるか、周囲の人間は理解していた。

「私にもまだ出来ることがある。皆は私を信じてほしい。今言えることはそれだけだ」


 

退出したシールズの顔は、さすがに引き締まっている。己の欲望を完全に支配下に置くことができなければ、国の要職を務めることなど出来はしない。その点においては、ジグハルトの精神構造と同一である。

「ジェラーレ。しくじったようだな」

「申し訳ありません。神殿への侵入者について、内通者を使い調査をしましたが、予想以上に警備が固く。モルガン将軍からの情報があって助かりました」

「おかげで、状況も対応策も検討できたがな。トムス・フォンダからは何か聞き出せたのか?」

「いえ、これからというときに、エスパダールの人間が他国の使節団と示し合わせ抗議をしてきたため、意味のあることは。デュミエンドも連座しておりましたので無視することもできませんでした」

 ジェラーレの言葉の奥にある苛立ちを、シールズは敏感に感じ取る。

「そうか、どう処置する?」

「祭りが終わり次第、騒乱罪を適用し、即刻処刑するのがよろしいかと。色々と裏の情報を知っているのでしょうが、エスパダール辺りからの介入の口実にされると何かとうるさいでしょう」

「そうだな……いよいよ、新しい時代が始まる。お前にはこれからも働いてもらうぞ」

「命に代えましても。では私は警備任務にあたります」

「宰相閣下!申し訳ありません!」

 突然の呼び出しに、シールズが、祭の最高潮を迎えるべき舞台である祭壇へとやってくると、神官と兵士達との間で一悶着が起こっていた。

「桜が、咲いていない、だと?」

 シールズの到着に、ざわめきは更に広がっていく。桜を咲かせるべき神事において、全く咲いていないということでは、そもそも祭にもならないではないか。

「どういうことだ!確認していなかったのか」

 緊張からか、興奮からか、シールズの声は自然と大きくなり、周囲の部下達を縮み上がらせた。

「は、こちらとしてもこれまで確認に入ろうとしたのですが、フォンデク最高司祭長の命で、祭壇に近づくことができず、桜は咲いたとの通達のみで……」

「フォンデクはどこだ」

「ただ今、儀式に向けて身を清めております」

 シールズは激怒し大きく舌打ちするが、かといって、いまさらどうしようもできない。フォンデクめ、シールズは真意を測りかねたが、口に出してはこういった。

「まあいい、この情けなき姿を白日の下にさらし王族の無力を知らしめるためにも必要なことであろうよ!」

 敢えて周囲に聞こえるような大声を出す。半ばは自らを鼓舞するためでもあったが、もはや自らの野心を隠そうとしなかった。周囲を取り囲む人間達は同調も反論もできない。彼等の鈍さもまた、シールズにとっては歯がゆかった。

「急げ、もう時間は無いぞ!早く準備せぬか!」

 一喝により、散り散りになる人間達に、言いようのない怒りと覚えつつ、シールズもその場を立ち去る。桜の大木だけが、一部始終を無言で眺めやっていた。



 桜の大木の前にある祭壇を中心に半円形に広がった観客席には、無理やり押し込まれたかのように人々が密集している。なんやかやと囁き合う中、とくに祭壇に一番近い座席近辺の人間たちはあることに気付かされていた。中心に立つ桜の木には膨らんだ蕾はあるものの、いまだ花が咲くことなく、ここ数年の祭を当然知っている人間からは、軽い困惑が生じている。

「なあ、桜、咲いてないよな」

「そうだな……もしかして、あの王様ついに女神ハルと交信できるようになったのか?」

「だから、咲いてないってか?まさか」

「そうだよなあ……じゃあどうして咲いてないんだ?」

「おそらく、シールズ閣下お得意の『深謀遠慮』だろ。上手くこじつけがあるはずさ」

「どんな理由があるんだよ」

「さあ?おおかた、大事なお客さんであるデュミエンドさんが、急な用事でも思い出したから、さっさと形式的な祭を済ませちまおうってことじゃない」

「成程な。まあジグハルト様とも喧嘩しないで、祭が楽しめるといいんだけどな」

「まったくだ。揉め事なんざ御免だぜ」

 あれやこれやと口に登る周囲の呟きをエクイテオとリーファは内心動揺しつつ聞いている。何故自分達がこんなところにいるのか、時折分からなくなるからだ。

「いいんですか、カイムさん。黙って入ってきちゃって⁉」

「どうせ皆桜に気をとられて、気付きやしませんよ。今まで何回もやってますが、注意されたことはありません」

「ひょっとして、あなたが桜を咲かせたりしませんよね?」

「残念ですが、あの桜は別物です。いわばハルそのもの。精霊の力も通じませんよ」

「そうですか」

 カイムはのほほんと行ってのける。彼等は精霊の力を使い、姿を消して神殿に入り込んでいた。ヤンやイヴァ達はいつの間にか別行動を取っており、今はいない。エクイテオは何やらきな臭い匂いを感じつつも、今は祭りへの好奇心が勝っていた。一体、各国の思惑がどう収斂していくのか、楽しみでもあり不安でもある。顔を巡らすと、重要な役割を演ずるであろう、デリクスは所在なげに貴賓席に座っており、ファナは席を立ったと思えば戻ってきたりとせわしく動いているのが見えた。少し離れてデュミエンドの使節団が陣取っている。物々しい雰囲気は、祭りにはまったくそぐわなかった。

「ツィーガも来れればよかったのにね」

「お仕事だからしょうがない。あいついつも間が悪いんだよ」

 リーファも、エクイテオと同じく、困惑しながらも興味津々の様子である。流石に顔を隠すために、薄布を纏わせていた。

「せっかくの機会なのに、本当に残念」

「ちょいとした好奇心なんだけどさ、リーファってツィーガのことどう思ってんの?」

「どうって、とってもよい仲間、かな?エクイテオと一緒」

「あ、そう」

 邪気のない笑顔を向けられ、エクイテオはそれ以上の追及を避ける。二人の問題であるし、余計なお節介であることも承知していたが、二人だけでは話が進まなそうなのもまた事実である。

「ひょっとして、迷惑だったりする?」

「いやいや!そう言うことじゃなくてさ……おっと、そろそろ始まるみたいだぜ」

 このお祭りが終わったら、二人でじっくり語らう場面でも設定しますかね。ざわめきが静まっていく周囲に合わせ、エクイテオは静かに祭壇を見やると、宰相であるシールズを先頭に、フォンデク最高司祭長、そしてジグハルトら大貴族達が祭壇に姿を見せた。


 シールズは、自信を体中に漲らせてゆっくりと祭壇の一番高いところに登る。こうしてみれば、貫禄も迫力も十分、上に立つものの器量のようなものを感じさせている。フォンデクなどは、その場にいるはずなのに、まるで気配を消したかのような存在感である。一度祭壇の奥にある桜の古木を眺めやると、やがて、勢いをつけて振り返り、原稿もなしに周囲の観衆に向かって朗々たる声で語りかけ始めた。

「集まりし諸君、遠路を越え集いし各国の大使の方々、そして親愛なるハルフノール市民よ、私、宰相モス・シールズは訴える。この佳き日において、このようなことを伝えるのは私自身、痛恨の極みである」

 シールズの声は静まり返った神殿に響き渡る。好悪はどうあれ、聞かざるを得ない迫力を備え、聴衆を圧倒した。

「見てのとおり、神木たる桜に花はない!本来であれば女神ハルの元、一番に春の芽吹きを先導し、我らに豊かな実りをもたらす先駆けであるはずの桜が、だ!」

 誰もが気付いていたことであったが、発言を受けてさざ波のようなざわめきが起こる。シールズはそんな反応すら糾弾するかごとく、腕を振り上げた。

「この桜は、ハルがその身体を世界に捧げたときからここにあるとされる、我に語り掛けよ、我目覚めて、花にて春の訪れを告げんと初代国王に囁いたとされる伝説の木である。女神ハルと我らを繋ぐ、唯一の架け橋であったはずの桜が、今はもう何のささやきも発することなく、他の木々と同じく、漫然と咲いては散っていく存在へと貶められたのだ。何故か!偏に王族の、能力の欠如によって、である!」

 シールズの言葉は、投擲される刃と化して広がっていく。こうやって、国の要職を担う人間から、王族が否定されたのは当然はじめてのことであった。ジグハルトですら想像していなかったほどの激しい論調である。

「はっきりと言おう、現国王陛下に神と対話する力は残されていない!」

 ざわめきは個々の意味ある叫びと化していく。誰もが気付いていたことではある、だがこうして公になったことで、王族としての務めを全く果たせていないことへの疑問が言葉となって飛び出したのだ。

「スタン国王はどうした!」

「きちんと説明しろ!」

 聴衆から声が上がった。シールズの取り巻き連中もこの舞台のために与えられた役割を果たしている。シールズは声にむけて平手で制した。

「国王は急慮体調を崩された。一年で最も重要な祭事である華の儀の欠席されるにあたり、先ほどの私の発言内容について国王自らがお認めになり、広く知らしめるべしと私に依頼されたものである!」

 声は怒号となって、拡大する。エクイテオは、皮肉っぽく、シールズと観客両方を見やる。どちらも、事情についてはお見通し。その上でさも重大事が起きたかのように自分の役を演じているようであった。

「王は御療養とともに、自らの不明を恥じ、一旦は国事から身を引き、神の声を聴くためにしばらくは聖堂にてお過ごしになるとのことであった。その間の統治については、全てこの私、宰相であるシールズにおまかせになるとのこと!私は、つつしんでお受けしようと思う!」

 一部からわっと歓声があがり、周囲もまた流されるように声をあげる。反対の声も小さくあがったようだが、ことごとくつぶされていった。デリクスは感心したように息を吐く。この日のために、余程準備をしてきたと見える。

「皆、ありがとう。これからも、この身全てを捧げ、我らがハルフノールのために尽くそうと思う……だがしかし、ここで気になる話がある、竜がこの永遠の春の島、ハルフノールにやってくるという噂である!これもまた、神の恩寵を受ける術を失ったこの島に対する新たな試練である!危難は続き、今もなお民を不安にさせる一方で、ここに集まりし列強は円蓋という大いなる守りを手に入れているこの時にだ!」

「我々はハルフノールを見捨てはしませんぞ!」

 モルガン将軍の大声が響き、聴衆はギョッとする。シールズは僅かに笑顔を見せたが、すぐに厳しい表情に戻る。

「女神ハルの加護なき今、この国を守るため、私は思い切った決断をくださねばならぬ。これは私に課せられた大いなる天命といえよう!」

「シールズ宰相閣下万歳!」

 気の早い言葉を、再び手をもって制すると、上げた両手を思い切り開きつつ宣言した。

「私は、ここに宣言する。ハルフノールは世に門戸を開き、世界と一体となり人類に発展に寄与すること、そして竜との戦いに勝利するために全力を挙げることを!ここに参列した列国の中、私の意志に賛同を示してくれた国がある、その国は……!」

「宰相閣下、お話しがあります!」

 熱気に満ちた言葉をいよいよ吐き出そうとした瞬間、ついにジグハルトが立ち上がり、同じく祭壇に登り、シールズに対して詰め寄った。止めようとする衛兵たちを、眼光だけで抑えつける。彼の剣名は国中に鳴り響いている。敢えて立ちはだかろうとする人間はいなかった。観客たちも、舞台でおきる波乱に、期待を込めて沈黙する。

「下がれ!今は、お前の話を聞いている暇などない」

「いいえ、今こそお聞き願いたい。あなたは宰相に就任して十数年、国事に精励してきた。そのことについては疑いようもない事実だ。ただ、唯一疑問が残っていたことを、この機会に解決したい!」

 ジグハルトの声に僅かながら歓声があがる。

「何か、ジグハルト卿?」

「閣下にお会いいただきたい人物を連れてきております」

 ジグハルトの合図を受け、扉が開かれると、エクイテオの顔が驚きに満ちた。

「スクエア・アトラン……」

 エクイテオが苦労の末に神殿へと導いた女性が、そこにいた。神官の服を着た姿は、あの時とは別人のように楚々としている。カイムを見やると、小さく笑みを浮かべていた。祭壇上では、眉根を寄せ、緊張と、それに勝る怒りを顔一杯に漲らせて、スクエアはシールズと対峙した。

「お久しぶりです宰相閣下……いえ、モス・シールズ!」

「お前は……スクエア。スクエア・アトランか」

「スクエア、前王付きの侍女じゃないか!」」

 ハルフノール関係者は一気にざわめく。八年前の王族死亡事件唯一の行方不明者が、いきなり姿を見せたのだ。動揺は瞬時に観衆にも伝わり、一部の人間は名前に敏感に反応した。

「スクエア・アトランだって?あの事故の行方不明者が、生きていたのか!?」

「何が起こっているですか?」

 ことさら驚いている男に対し、さりげなく質問するエクイテオに、話したくてしょうがなさそうな男が食いついた。

「王家がデュミエンドで事故にあってみんな死んじまったんだけど、一人だけ行方が分からなかった奴がいたんだよ!まさか生きていたなんて!」

「八年間、どこで何してたんだよ」

「あの時何があったのか、ついにわかるのか!こいつは面白くなってきた!」

 周囲の動揺を意に介さず、スクエアはシールズだけを睨みつける。

「まだ覚えていたのですね。私のことを。それはそうでしょう。あなたが下した国王暗殺の命令書の中に、当然私も末席ながら入っていたのでしょうから!」

「何のことだ!」

「証拠は、これです!」

 突き出された親書を、ジグハルトに渡す。最後の切り札を使った男は、朗々とした声で内容を読み上げる。

「これは、デュミエンドとの密書。今後の同盟を進めること、シールズ宰相の身分を保証する代わりに、王族についての警備を一時的に緩めるとの話が書かれている!相手はピトー・ヴィッチ、宰相閣下の署名もある!」

 聴衆の声が一気に爆発した。列国施設団も動揺を隠せない中、デリクスと、モルガンだけは沈黙を守っている。ジェズトは悲壮な顔で、舞台へと上がる。

「エスパダール使節団長、ジェズト・グルーデニア。正義の神スパッダを信奉するものとして問う、シールズ宰相、これは事実であれば、ただで済むものではない!」

 ジェズトに対し、モルガンも立ち上がる。

「お控えなさい。あなたの発現は内政干渉に相当するものですぞ。五大国の盟約をお忘れか?」

「こちらこそ問いたい、ピトー・ヴィッチとはそもデュミエンド国の戦士ではありませぬか。八年前、ハルフノールとデュミエンドとの間に何があったのですか!」

 モルガンはジェズトの追及を受け止め、身じろぎもしない。スクエアがシールズを糾弾した。

「私がこの八年間、何もしていないとでも思ったのですか?あの事件を調べあげ、関係者を洗い出し、一人ずつ聞き出した結果です!彼、ピトー・ヴィッチはは自身の保身のために、写しを処分し、本物については肌身離さず隠し持っていたのですよ!」

「そんなことが……」

 エクイテオは唸った。彼が感じたスクエアの強さは、辛苦を極めた八年間の結果と知り、二の句が継げない。ジグハルトが言葉を重ねて追及する。

「ここに、あなたの署名がある。あなたが事故に見せかけて国王陛下殺害に関与している決定的な証拠です!それに!モルガン将軍!デュミエンドの関与についてもお聞かせいただきたい!」

 話をふられ、モルガンはゆったりと立ち上がる。巨体から立ち上る迫力を、ジグハルトは真正面から受け止める。

「まさにこれは我がデュミエンドの不徳といたすところ。書簡に記されしピトーなる男はかつて王宮に勤めた経歴もある、我らデュミエンド戦士の一人であったのは事実。だが彼奴めは、私欲に負け、己が技術と信念を暗殺という唾棄すべき生業に向けた!ピトーはその罪によって既に一〇年前に王宮を追われ、今や国際指名手配の罪人である」

 モルガンは一歩観客に向かって進むと、大きく頭を下げた。

「ハルフノール市民よ。八年前の不幸については、心よりお悔やみ申し上げる。だがこれだけは断言する。前国王陛下の死に、デュミエンドは全く関与していない!」

 モルガンの声に対し、非難の野次が飛び交う。

「尚武の誉れ高いデュミエンドにおいて、なぜ前王陛下暗殺などという暴挙が達成されたというのだ!何等かの関与があったとみるほうが自然ではないのか?」

「我らデュミエンドは、まっとうな批判であれば頭を低くして教えを乞う。だがいわれなき誹謗には断固として立ち向かいますぞ!」

 モルガンの声に合わせ。配下の戦士が一斉に立ち上がる。その威容に、ジェズドは思わず一歩後ずさり、群衆の熱狂もまた冷水を浴びせられたかのように静まった。モルガンが再び声を出す。

「まずは、我々の主張を聞いていただこう。ピトーなる奸物めが、暗殺とともに得意とした仕事があるのだ、それは、書類の偽造」

 スクエアが驚きの表情を見せる。

「書類の偽造、ですって!?」

「いかにも。彼はあらゆる国の王族、貴族の筆跡を知り尽くし、利用することで混乱を生じさせる達人。そこの文書もまた、ハルフノールを争いに引き込むための卑劣な手段と考える!」

「この署名が偽物と言いたいの⁉」

「その恐れがある、と言っているのだ。このままではハルフノールとしても、デュミエンド並びに諸国の皆様も納得すまい。そこで、一つ提案を申し上げる。この事件について、デュミエンドは国際裁判所での調査を要求する」

「国際裁判所、だと?」

 やはりそうきたか、デリクスは内心で唸った。ツィーガがトムスやジェラーレに発言したとおり、国家間での協定に基づき、諸国間の司法については取り決めがなされており、国際的な犯罪についても調停を実施する機構が設立されていた。

「左様。これは我らの信義、シールズ閣下の名誉、何よりハルフノールの安寧のかかった重要な事件。ここでお互いが言い争うよりも、公平、公正な立場からの判断こそが重要と認識する。シールズ閣下の御意志やいかに?」

「裁判に応じる。私としても、自身の潔白を証明したい」

 ジグハルトは無言。ファナがデリクスに耳打ちした。

「どういうこと、これってうちらの勝ちってこと?」

「そうじゃない。国際裁判所では確かに公平な裁判が行われるだろうが、確定するまではシールズの身分は保証される。ようするに時間稼ぎさ。この間にデュミエンドはピトーを秘密裏に処分してしまえば、証拠不十分で罪には問えない」

「……シールズを裁きたくても、国王がいなければ処分できるものがいない、か。考えたわね」

 ファナは状況を理解し、押し黙った。

「ジェズト卿、国際裁判所はエスパダールの発案によるもの。公平な裁判を期待してもよいだろうか」

 モルガンの提案は狡猾ですらあった。エスパダールとしては自国発案である国際裁判所の実績を積みたいと国際会議のあらゆる場所で発言しているのを認識していた上での提案である。ここで国際的な裁判を実施できれば、司法という点からエスパダールは他国への睨みを利かせることも可能となろう。ハルフノールとの同盟が成立しなくても、充分に外交上の成果となりうる。そうジェズトに思わせるだけの魅力を持っていた。勝利の確信に笑みを浮かべるモルガンに対し、ジェズトは悔しそうに頷くだけだった。

「ジグハルト、よいな。私は甘んじて裁判を受けよう。だがその間、国政に穴をあけるわけにはいかぬ。これまで通り、私は宰相として国事に精励しよう」

「……御意」

 ジグハルトは頭を下げ、引き下がった。スタンを抑えられたことの限界を、何よりも彼自身が悟っていたからだ。

「スクエア・アトラン。お前のお蔭で、八年前の闇が明るみに出ようとしている。大義であった」

「この……人殺し!」

 シールズの余裕たっぷりの発言に、スクエアは思わず組みつこうとして警備にさえぎられる。フォンデクが衛兵を制し、スクエアの身を預かった。モルガンがちらりとデリクスと見やるが、デリクスは視線を落とし、何も反応しなかった。

「ハルフノール市民よ!私は裁判に応じる。だが何の心配もいらない!私の潔白は、何より女神ハルが知っているのだから!」

 観衆は声を上げた。喜びなのか、諦めなのか、自棄なのかは判別できない。大きいだけの声に耳を塞ぎつつ、エクイテオは失意に沈んでいるであろうスクエアを見やり、驚いた。彼女の目はいまだ輝きを失っていない。まだ何かあるのか、とエクイテオがいぶかしむ横で、リーファがふと声をあげた。

「あれ?カイムさんは?」

「ありゃ、姿が見えないな」

 頭を巡らしたそのとき、檀上では誰もが予想しない動きが起きていた。フォンデク最高司祭長が祭壇に登り、ゆらりとシールズに近づいたからだ。宰相の煩わしげな視線を受け止めるには、余りに頼りなく見えた、が。

「フォンデク最高司祭長、何の用ですかな。我が身は司法の身にゆだねた。われを裁くのは国王を除けば、女神ハルのみ。あなたではない」

「その通り。そして先ほど、スタン陛下が王権を返還するというお話でしたな。であれば、私の出番でしょう。誕春祭本来の役目を果たすときと考えます」

「本来の役目?」

「お忘れになられたか、歴代の国王は、この誕春祭にて女神ハルに祈りをささげ、花を咲かせることをもって血族であることを証明し、王にふさわしい人物であることを証明してきたことを!この場は、今この時より、新たな王を選定する場となった!」

 フォンデクの言葉に鋭気が宿った。ただ老い朽ちていくだけの存在と、誰もが思っていた男が、ここにきて、何を言おうとしているのか。予想外の事態に、周囲も静まりかえる。デリクスだけは、表情を変えずに俯きがちな姿勢を崩さない。シールズは一瞬の動揺から立ち直り、改めて向き合う。ジグハルトも、突然の行動にとっさに反応できない。

「最高司祭長の言うことは最もだが、最早血族が絶えた今、そのようなことは無意味ではないか。ハッキリと言おう、もうこの国に、女神ハルを目覚めさせることのできる人物はいない。あなたでさえ」

 デリクスはシールズの言葉を皮肉っぽく聞いていた。ハルが、この国の人間を真に愛するなら、もう少し広く声を聞くべきなのではないか、と。血族と呼ばれる人間だけが目覚めさせ得るというのは、女神とはいえ『えこひいき』するということなのだろうか。

「ハルがこの国を作り、守ってきた。それは認めよう。だがこれからは人が己の意志で、力でこの国を守り続けることこそ、女神の願いに沿うものではないか?」

「では、あなたには、ハルを目覚めさせることはできない、と?」

「残念ながら、な」

「ではモス・シールズ。そこを下がりなさい」

 突如として、スクエアが会話に入ってきた。恭しくフォンデクが道を開け、スクエアは桜の木に触れた。

「何ごとだ」

「あなたができないのなら、私がやります」

「何を、世迷言を」

 スクエアを笑おうとして、失敗する。彼女の目は燃え上がるように輝き、シールズともあろうものが圧倒されていた。

「スクエア・アトラン……お前は……もしかして」

「御推察のとおりです。私は、カリア・アトランの子として生まれ、先王の侍女として育てられた身。だがこの身には、女神ハルに繋がる血が流れているのです」

「何だと?」

「これが、何よりの証です!」


 世界は一変した。むせかえるような花の香が広がり、色彩が瞬時に可憐な薄紅に染まる。


「おお!」

「何と!」

「こ、これは!」

「奇跡だ……!」

 侍女であった少女が目を開き、振り向いたときには、満開に咲き誇った桜を背負い、ハルフノールの臣民を見下ろす女王へと変貌していた。

「綺麗……」

 リーファがうっとりと呟いた。世界に花が満ちている。桜だけでなく、周囲の花壇にあった花々までもが大輪となって、新しい国王の誕生を祝福するかのようだ。今までにない怒声のような歓声が響く中、一人楽園から追放されようとする男、シールズは蒼白になりながらあることに気付き、問いかけた。

「何故だ……お前にこのような力があったとは……そうか。だからこそ侍女になったということか……」

「その通りです。私が力に目覚めたのは十二歳の時。その場で国王の侍女となりました。たとえ私が力を持っていたとしても、それが国王の力であると周囲に信じさせるためです」

「木を隠すのは森、ということか……」

 ジグハルトの呟きもまた小さい。自分が聞いていたのは八年前の事件で侍女がただ一人生き残っていること、そしてシールズが暗殺を企てた証拠を握っているというところまでだったからだ。諸国大使も、目の前の光景が信じられない。奇跡を目撃すると、人は誰もこうなるのだろうか。フォンデクが、小さい身体からは想像できないほどの大声で宣言する。

「スクエア・アトランは華の儀を見事達成した。これすなわち、女神ハルが彼女を新しき王と認めた何よりの証である!」

「新しい国王!」

「女神を取り戻した聖女だ!」

 割れんばかりの喝采の中、スクエアは怒りに満ちた顔でシールズを睨みつける。神の力を得たのか、シールズは彼女の身体から突風が吹き荒れるような感覚に襲われた。

「モス・シールズ。新しい国王として命じます。あなたの宰相職を解く。王族殺し、主君殺しの大罪人として大人しく罰を受けなさい!」

 絶叫、また絶叫。誰もが安泰だと信じてきた世界が一瞬で崩れ去り、押さえつけていた感情が爆発する。スクエアの指示を受け、動揺から引き戻された屈強な神官兵士が数名、かつて誰も手がかけられなかった男を、引っ立てる。シールズに向かって、石が投げつけられはじめて。皆が思い出していたのだ。彼から受けた仕打ちを。

「人殺し!」

「思い知れ。神の目は節穴じゃない!」

「さっさとくたばれ!」

 嘗て見下していた人間からの罵詈雑言。それだけで、シールズという男の屈辱は許容量を超えかけた。だが、一瞬にして表情が消える。理性が現状を把握し、次の策を見出そうとするかに見えた。

「……!」

 だが、次の瞬間、矢が飛来しシールズを抑えていた衛兵を射ぬいた。絶叫があがり、周囲から人が一斉に引いていく。シールズがかつてない虚ろな表情を浮かべたが、半瞬で己を取り戻し、決断していた。衛兵の腰にあった剣を奪い取り、声を上げる。こうなった以上、何としてもここを脱出せねばならぬ。剣を振り回し、空間を確保しながら絶叫した。

「我が兵たちよ、私を助けよ!」

「ぎゃあ!」

 神官達が一斉に悲鳴を上げる中、シールズは神殿の出口を目指した。自領に戻りさえすれば、国内最高にして最大の軍勢が待っているのだ。彼の行動の意味を悟り、腹心の部下達も追従した。鞘奔る音がそこかしこから聞こえ、シールズを取り囲んで、脱出を図ろうとする。ジグハルトが勝利宣言ともいうべき言葉を浴びせかけた。

「この神域で、刃傷沙汰を起こすというのか!」

「黙れ!」

 シールズは身を翻す。

「反逆者を捉えよ!」

 ジグハルトも指示を出す。シールズの計算は理解している。ここで彼を自由にさせるつもりはない。国が割れ、取り返しのつかない悲劇を起こさないためには、言葉とは裏腹に、この場でシールズを処断する必要があったのだ。

「国王の仇、王妃の仇!姫殿下の仇!」

 スクエアは、宰相に激しく敵意を向ける。シールズもまた自分を破滅へと追い込んだ憎き敵に向けて、呪い殺すかの如き眼差しを向けつつも、退路を開くために塞ぐ者すべてに刃を向けた。春を迎え入れるべき祭礼が、一転して修羅場へと様相を変える。神官を切り払った際に飛び散った鮮血が、観客の顔にかかり、絶叫が混乱をさらに拡大していった。


 逃げ惑う群衆に阻まれて、追いかけるハルフノールの兵士達も、シールズの配下もまた統率のとれた行動がとれない。だが、そんな状態にあって唯一沈着を守る一団がある。モルガンは笑みを抑えている。計算とは違ったが、まさに求めていた状況、このままシールズを護衛し、軍を持ってハルフノールの覇権を争うべし。デュミエンドの精兵に対し、いまこそとモルガンが指示を出そうとしたその時であった。

「お静かに、モルガン将軍」

「!」

 背後から聞こえた声は、デリクスだった。何時背後を取られたのか、全く分からなかった。背中に固いものが押しつけられる。

「今動くならば、ハルフノールの治安を乱すものとして、正義の神の名の下、貴方を切らねばならない」

 言葉とともに叩きつけられる鬼気といってもよい気迫は、戦場にあってただの一度も恐れを抱いたことのないモルガンをすら硬直させる。部下達も上司の危機に対し、適切な対処をとることが出来なかった。

「モルガン将軍!」

「……我が親愛なる同志達よ、俺の負けだ。剣を収めよ!」

 部下に指示をだし、モルガンは笑った。突然の意識の空白から抜け出しかけ、まさに闘志を湧き立たせようとした絶妙の瞬間、デュミエンドの兵士誰一人として反応できない虚を捉えたデリクスの勝利であった。

「ありがとうございます。あなたが自分を犠牲にして、戦闘を指示していたら、と思うとぞっとする」

「それでもよかったのだがな。周囲に達人どもが配備されていては、将のない軍では勝ち目がなかろうて」

 モルガンが自然と目をやる先には、イヴァやマリシャの姿があった。

「何にせよ。お見事。凪の名は伊達ではないな……どこまで知っていた?」

「あなたに伝えたところまでですよ。まさか王族の生き残りがいるとは……」

「そうか、であれば本当に俺の負けだな」

「あとは見物としゃれこみましょうよ。いよいよ主役の登場のようですし」

 鬼気がたちまちに消える。後ろを振り向くと、冴えない中年男の笑顔と、その手にあったのは、刃ではなく、酒杯であった。モルガンはもう一度大笑し、潔く敗北を認めて座り込んだ。


 混乱が極まったところで、ジグハルトがいよいよハルフノールの剣を抜き放った。刃の持つ輝きが周囲を照らす。果敢に踊りかかるやいなや、シールズの部下が持つ剣が、根元から斬り飛ばされる。斬られた方も、何が起こったのか認識できないほど何の手ごたえもない早技である。

「ひ!」

 あくまで神聖たる領域において、殺人を犯さずに無力化させるだけの技量を見せつけられ、狂乱に陥っていた人間達がジグハルトを中心に静まっていくようだ。

「お見事」

 デリクスが思わず呟くほどの剣技の冴えであった。あっという間に、シールズまでの道が開かれる。憎悪の塊と化し、剣を振り回して逃げようとするシールズの脚を植物の蔓が伸びてがんじがらめにした。倒れ込み、剣を手放してしまった男の上に、今度は群衆が殺到した。

「モス・シールズ!親の仇だ!」

「いままでよくも好き勝手してくれたな!思い知れ!」

 たまりにたまった鬱憤、憎悪が解放された瞬間である。シールズの支持者たちも、取り囲まれては八つ当たりのように蹴りまわされていた。

「皆の者、そこまでだ。道を開けよ!」

 ジグハルトの声は、復讐に目のくらんだ市民達に理性を取り戻させた。血まみれ、あざだらけのシールズを起き上がらせ、ジグハルトの目の前に突き飛ばす。

「ここまでだな。シールズ」

「ジグハルト……」

「王族殺しの大罪、余罪は数えきることなどできまい、今ここで、私が処断する。剣を取れ」

 ハルフノールの剣が赤々と輝く。シールズは観念したのか、差し出された剣を取り、引き込まれるかのように構えた。何年もの歳月が一瞬で流れたような表情となった男が、最後の声をあげて突進する。

「だぁぁっ!」

 ジグハルトは飛び込んできた剣先を吹き飛ばし、返す刀でシールズの首を両断した。ジグハルトの一刀は、全ての混乱を断ち切ったようだ。一瞬の静寂の後に、大歓声が巻き起こる。

「宰相、モス・シールズは討ち取った!これで混迷は断たれたのだ!」

「ジグハルト様、万歳!」


 エクイテオとリーファは呆気にとられたまま、全ての推移を見守っていた。カイムがいつの間にか戻って来て、二人に笑いかける。

「これで、少しはハルフノールもましになるかもしれません」

 カイムの顔が透きとおっているように見え、エクイテオは思わず目をこすった。カイムはそんな様子に気づかず、満面の笑みを浮かべていた。

「さあ、二人ともお祝いしてください。新たなハルフノールの門出を!」

 目を再び戻せば、ジグハルトがハルフノールの剣を掲げていた。

「皆の者!これでハルフノールを覆う暗雲は晴れた!そして……」

 フォンデクが進みでる。ジグハルトに負けない、朗々とした声で宣言する

「スクエア・アトラン……いやスクエア陛下の誕生である。ハルフノールを守るため、神は奇跡を再び起こしたのだ!」

 恭しく頭を垂れる最高司祭を、無表情で見下ろすスクエアは、まぎれも無く女王としての気迫に溢れていた。

「皆の者!女神ハルが御目覚めになられた!春はいまここに生れたのだ!」

 フォンデク最高司祭もまたスクエアの気慨に押されたかのような声で告げる。

「神はここにいる!迷うことは無い!我らハルフノールは永遠に一つである!」

「スクエア陛下、万歳!ジグハルト宰相閣下万歳!ハルフノール万歳!」

 

 国を、王を讃える声は何時までも神殿に鳴り響いた。終わりを知らぬ桜の花のように。





 祭の雰囲気でむせ返る街、ガーデニオンを一人の男が歩く。新国王誕生の知らせは風よりも早く届き、かつてない狂騒となって街を包みこんでいた。男はそんな街に溶け込むことなく孤高を保ったまま歩き続け、留置場へと辿りついていた。

「おう、どうやら、終わったようだな」

 トムスの声に、顔中に刀傷を持つ男、ジェラーレは頷いた。

「ったく、てめえは手加減て奴を知らねえのか。まだ体中が痛むぜ」

「死んでも構わなかったからな。むしろ殺すべきだった」

「言うねえ」

 トムスは、誰に対しても上から目線の態度を崩さない。まるで貴族が奴隷の迎えを待っていたかのごとき振舞い、ジェラーレは内心の感情を抑えるのに苦労した。

「モス・シールズは気付いてたのか?お前が裏切り者だったことによ」

「最後の瞬間、気付いたかもな。顔つきが変わっていた」

 祭りにおいて、尋常ならざる遠矢を持ってモス・シールズを抑えていた衛士を射抜いたのは、誰でもない、このジェラーレである。あの場面、当初シールズはおそらく幽閉されることを望んだに違いない。その後人脈を使い無罪を勝ち取った後、せいぜい派手に復讐を果たしたことだろう。そんなことはさせない、あの男はあそこで死ぬべきだったのだ。

「正式な伝達だ。お前は、宰相モス・シールズ襲撃犯として裁かれる。判決は死刑だ」

「そうかい」

 突然の宣告を受けても、希代の賭博師が発した言葉はたった一言であった。表情にも全く恐怖はない。

「今日は、誕春祭当日。晴れやかであるべき日に刑は執行できぬ。後日改めて裁かれることになろう」

 ジェラーレの貌には、怒りも悲しみを浮かんではいない。

「どうだ?少しは気持ちが晴れたかよ。カスバロの惨劇、唯一の生存者さんよ」

 対照的に、トムスはいつもの通り不敵な笑みを浮かべ、ジェラーレを嘲るかのごとくである。

「当然の結末だ。お前は自身の犯した罪に相応しい死に方をするだけだ。お前のせいで、俺の人生が無茶苦茶なったのだからな!」

 ジェラーレの瞳が燃え上がった。この十五年の苦難が一度に思い出される。何もかも失った中、必死の思いで飢えをしのぎ、命を繋ぐ日々。あらゆる悪事に手を染め、トムス・フォンダという男が、あの事件に関わっているらしいという情報を得た頃には、人殺しを平然と行えるまでになっていた自分を振り返り、全ての想いを憎悪に変えて吐き出した。

「お前の俺の気持ちが分かるか!」

「悪いとは思っているさ、だからこそ手を貸してやったんだろ。スクエア嬢ちゃんを連れてきたり、柄も頭も悪い連中を紹介したりな。何に使ったんだかしらね―けど」

 反射的に手が出て、トムスの頬を思い切り殴る。鈍い音がしたが、唇が切れて血が流れても、トムスは表情を変えなかった。第二撃を必死に自制すると、ありったけの怨嗟を言葉に込めた。

「お前を信じて死んだ人間に対して、何も言うことはないのか?」

「俺はただ、賭けただけだ。それに乗ろうが乗るまいが、他人のことは知ったこっちゃねえ」

「死ね、トムス・フォンダ!お前の歩む道には、数多くの怨恨が渦巻いている!全てを背負って、死んでしまえ!」

「ひでえもんだ。人を利用して、使い捨てにするたあ、俺のことを悪く言えねえじゃねえか」

「うるさい!本来なら俺が殺してやるところだが、その気も失せた。処刑場でむごたらしく死ね!簡単に天に登れると思うなよ!」

「天に昇ったときゃ、お前の父ちゃん母ちゃんに挨拶しといてやるよ」

「貴様!」

 今ここで、斬るべきだ。そういう気持ちが渦巻いたが、寸前で思いとどまったのはまさにトムスが言った言葉によるものだった。自分はこいつとは違う、この男、トムス・フォンダへの復讐は、トムス自身の罪が裁かれることによって達成されるべきなのだ。

「この国は、俺の手によって生まれ変わる。差別のない、真っ当に生きる人間が報われる社会にしてみせる。そんな世界に、お前はいるべきじゃない」

「確かに、そんな世界はご免だな」

 ジェラーレは、もう一度睨みつけると、憤怒を抑えたまま部屋をでた。トムスは、しばらくは扉を見つめていたが、やがて大声で笑い出す。祭りの夜に消えたそれは、誰の胸を打つことも無い、空虚な笑いであった。




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