誇りまみれの竜賭博 第4話 動き出す過去 覆われる未来





 朝一番の船が港に到着し、騒がしい一日の幕を開ける。誕春祭を目指してハルフノールを訪れる人々は、日々その数を増しており、様々な人種が集い熱気を高めていく様は、毎年恒例の光景だった。船から降りた人々は、それぞれの目的を果たすために歩みを止めることなく散じ、路上の土産物売りは、眼前で繰り広げられる、瞬間にして無数の出会いと別れに想いを馳せる暇などなく声を張り上げる。

一日が、そして人生が動き出すべき朝という時間には、誰も皆大なり小なり決意を行うものである。自分を、他人を、世界をわずかにでもよい方向に動かすために。町を歩む住人の顔は明るく、交わす声には希望が感じ取れる。今日もこの街には、心地よい決意が小さく芽吹いているようだった。

 そんな、いつもと変わらぬはずの朝に、確かな存在感を放つ人影が二つ降り立った。周囲と比べても頭一つ高い長身、そしてその身長よりも更に長い槍を抱えた女と、一際目立つ紅い外套を纏った小柄な女である。

「到着到着っと。早速酒でも飲もうか?」

「お好きにどうぞ。私は入国手続きやらを済ませておくわ。その物騒な槍を持って街を練り歩くのはいかがなものかと思うけどね、イヴァ?」

 イヴァと呼ばれた女は、誇らしげに槍を地面に突き立てる。顔は皺と、それ以上の刀痕によって占められ、元々の顔が分かりにくくなっているほどである。軽々と槍を扱う姿からは想像もできないが、顔や手からすると、年齢は五〇を超えていよう。

「ふふん。この槍ばっかりはマリシャに頼めないからねえ」

「『この槍』以外は頼りっきりだけどね」

「あはは、違いない」

 眼鏡を直しながら皮肉を言うのはマリシャと呼ばれた女である。年齢はイヴァと同じか、少し上に見える。背筋はぴんと延びており、周囲に配る眼光は戦士というよりは教師の持つ鋭さであった。ただ、やたらと目を引く紅い外套は、大きさがあっておらず、着ているというより包まれているような印象を抱かせる。

「おっと」

 突然、横を走り抜けようとした男の脚をイヴァが槍で払う。さらに後ろから来た数人の男達が、かなりの勢いで転んだ男にぶつかって足止めされた。

「痛え!何しやがるババア!」

 皆若く、たくましい筋骨をもった集団が二人を囲み、マリシャなどはたちまち埋もれてしまう。誰もが、手に酒やら食べ物やらを抱えており、どうやら食い逃げかなにかをした集団と見受けられた。背後から、次第に大きくなってくる追跡者の声が、男達を焦らせる。

「退きやがれ!」

「汝、戦いから逃れるなかれ。あたしはデュモンに忠実な信徒だからね」

 イヴァはいきり立つ男達に片目をつぶってみせた。横でマリシャがこめかみに指をあてながら溜息をついている。何だ何だと周囲に人だかりが出来る中、余裕たっぷりにイヴァは男達をねめつけた。

「あんたら、食い逃げか、それとも置き引きかい?きちんと料金払っていきなよ」

「うるせえ!」

 転がされた男が立ちあがりつつ、手にしていた果実をイヴァの顔面に投げつける。同時に拳を振り上げて突進した。意外なほど隙の無い動作であり、何がしかの武術を習っているかのような身ごなしだった。

「ぎゃっ!!」

 だが、イヴァの目前に迫った男は、あと一歩のところで、突如見えない壁にぶつかったかのような音を立て、後方に吹き飛ばされる。一方、イヴァといえば涼しい顔で、投げつけられた果実を掴み、そのまま旨そうにひと齧りした。周囲の群衆も、何が起こったのか容易には判断できずに静まりかえっていた。この間、マリシャは視線を落とし、一見慎ましげに佇んでいる。

「喧嘩するときゃ相手を選ぶんだね」 

 種を吐き出しながら、にやつくイヴァの声に男達は激昂し、それぞれが言葉にならない声を上げ、中には短刀を抜きだすものまで現れた。再び緊張が高まる中、人だかりの中から錆の強い声がかかる。

「あの紅い服……デュミエンドの精鋭舞台『紅軍団』の外套じゃねえか……!」

 視線がマリシャの外套に集中する。『紅軍団』という言葉に、ざわめきが大きくなった。

「あの一人で百人の騎士に匹敵するとか言う奴か?実在してたのか!」

「たった一〇人で一国を滅ぼしたとかいう……今度はハルフノールが狙われているのか!?」

「デュミエンド秘伝の拷問術の達人らしいぜ」

 ざわめきが行きわたり、男達の表情が怒りから狼狽へと変化していく。虚実ないまぜの噂が一巡し、二人を見る目つきが怖れを含むものに変わるまでたっぷりと時間をかけたところで、マリシャがようやく口を開いた。陽光に眼鏡が一際煌めく。

「最後の警告です。料金置いてさっさと消えなさい!」

 へへ、と笑うイヴァの横で、マリシャが鋭く言い放つ。小柄な体に似合わぬ大声に、男達は我先に財布から金を放り投げ、うずくまった仲間を抱えて逃げて行った。

「デュミエンドの紅軍団といえば泣く子も黙る、とはよく言ったものだけど。こんな島国まで知れ渡っているとはねえ」

「大分尾ひれがついて伝わっているようだけどね」

 再び果実にかぶりつくイヴァに、マリシャは冷たい目を向ける。

「あなたもきちんとした身なりでいれば余計な揉め事が抑えられるんだから、気をつけてね」

「へいへい」

「あんたらすげえな!助かったぜ!」

 人だかりが散っていく中、男達を追いかけてきた酒場の店長に事情を話す。どうやら常習犯であったが、若い男達数人に対抗することもできずに悔しい想いをしてきたそうである。マリシャは一見真摯に話を聞いていたが、イヴァは途中から聞き流していた。

「いやあ、役に立てて良かった。じゃな」

 話を強引に打ち切り、立ち去ろうとするイヴァを、マリシャが止めた。

「何だよ」

「さっきあなた、果実を食べたじゃない。代金払いなさい」

「……ちぇっ」

 渋々財布を出そうとする手を、店長が止めた。

「そんなこと気にしないでくれ。見たところ旅行者のようだが、宿の当てはあるのかい?よかったらウチに来てくれよ!」

 店主の顔には、『また悪さをする連中が来たら何とかしてくれ』、と書いてある。一方、イヴァの顔に『タダ酒』と書いてあるのを見咎めたマリシャは、咳払いを一つした。

「申し訳ありませんが、人と会う約束があるのです。用事がすんだら、是非お店には寄らせていただきます」

 丁寧かつ事務的な返答を受けつつ、店主はそれでもにこやかに返した。

「分かった。ここから見える、角の店だ。宿は今どこも満杯だけど、あんた達のために部屋は取っておくよ!」

「すまないねえ。ツレは堅物だからさ」

 背中に声をかけつつ、残念そうに見送るイヴァ。澄ました顔のマリシャに対し、何を言ってやろうかと顔を向けるが、視線の鋭さに一瞬で負けて目を逸らす。彼女の視線の前では誰もが口頭試問を受ける学生の気分になるとの評判であった。

「別に怒っていないわよ……久しぶりだったから、ああ、こんな感じだったっけって思い出すのに、少し時間がかかっただけ」

 イヴァを見やり、マリシャは口の端に笑みを浮かべた。それだけで、理知的一方だった顔に柔らかい印象が加わる。経験を積んだ聖職者だけが持つ威厳を、自然かつ和やかに伝えることの出来る、そんな表情だった。怒られずに済んだことを悟ったイヴァは、いきなり陽気になる。こちらの笑顔には年齢不肖の子供っぽさが宿っていた。

「しかし、なんだ。あたしたちも変わらないねえ」

「たち、じゃなくて変わらないのはあなただけでしょ。こんな年齢になって、ハルフノールまで遠出することになるとは思わなかったわ」

「まあまあ、ぼやいてないで目的の人探しをはじめようじゃないか」

「その必要はないぜ、お嬢さんたち」

 いかにも軽薄そうな声に、二人が勢いよく振り向く。そこには、にやけた顔のトムス・フォンダがいた。

「トムス!トムス・フォンダ!」

「よお、五年振りくらいか。イヴァ・ソールトンにマリシャ・ゲブニル。もうくたばってるかと思ってたが、見たところ腕も鈍っちゃいないようだな」

 群衆の中でどれだけの人間が気付いていたかは定かではないが、トムスの目には、先程のイヴァの動きが見えていた。イヴァは手首のひねりだけで槍を操作し、周囲の群衆に触れることなく、突進してくる男だけを吹き飛ばしていた。槍の間合いと周囲の状況を完全に把握しているがゆえの静かな一撃である。技量だけでなく膂力も必要とする動作に、イヴァという女性の並々ならぬ鍛錬の積み重ねが感じられる。イヴァは笑うでもなくトムスの賛辞を受け入れると、胡散臭そうな、半ば案じるような顔を向けた。

「あんたは歳とったな。日頃の不摂生が目に浮かぶ」

「俺の信じているマキュストさんの教えに忠実なだけさ」

「お久しぶりです。トムスさん。先程人だかりの中から声をかけてくれたのはあなたですね。ありがとうございます」

「マリシャ。相変わらず綺麗なだけでなく聡明だ。会えて嬉しいよ」

「そんな挨拶をするのはあなたぐらいのものですわ」

「相変わらず、イヴァとくっついているんだな。もう好きな美術品でもいじってりゃいい年齢だろうに」

「もうとっくにそんな生活でしたが、この人、放っておくと何をするか分かりませんから」

「そんなことより!今回の情報は確かなんだろうな!五年前のことは忘れてないからな!」

 不利を悟り、再び会話の流れを強引に変えるイヴァの剣幕を、トムスは涼しい顔で受け流す。

「五年前は俺のせいじゃないだろう?竜は確かに来たじゃないか」

「確かに来た!来たけどどうやって戦えっていうのさ!あんな状態で!空でも飛べっていうのかい!」

「俺に頼めばそれぐらい簡単だったのによ」

「イヴァ、そのくらいにしておきなさい」

「んじゃ、五年前の詫びも込めて、取り敢えず一杯飲みながら、これからの話をしようじゃないか。親愛なるイヴァ嬢のために、とっておきの奴を持ってきているぜ」

 酒、という言葉に容易くぐらつく親友の様子を、マリシャは呆れた顔で見やる。

「……今回は、戦えるんだろうな」

「まかせろ」

 トムスの笑みに、笑みを返すイヴァ。おそらくは同種の人間同士の気安さに肩を並べる二人の、一歩後ろを歩きながら、マリシャはこれまでの旅路を思い返していた……



 ……詰め込んだ荷袋を肩に担ぎ、イヴァが気合を入れて家の玄関を出てくるところに、マリシャは立ち塞がった。刻み込まれた眉間の皺が、いっそう深くなっている。イヴァは状況を察し、努めて明るい声を出してきた。

「マリシャ。止めたって無駄だからね」

「今まで何度、こんなことをしたかしら……行くのね?ハルフノールに」

 眼鏡を直しつつ、マリシャはイヴァを問い詰めた。身にしっくりと馴染む鎧、使い慣れた槍を軽々と担ぐ姿は、まだまだ周囲の人間に衰えを感じさせはしない。齢五〇を越えた今まで欠かさず続けていた鍛錬は、女性であるイヴァの肉体的な限界を広げてくれていたのだろうか。

「勿論、竜が出るって噂。しかもハルフノールには【円蓋】がない。やりあうには絶好の場所じゃないか。ようやく願いが叶うかもしれないってのに、行かない理由なんてある?」

「噂で終わるかもしれないじゃない」

「ところが、そうじゃない。トムス・フォンダの手紙読んだでしょ」

「あの疫病神が、ね」

「この際、疫病神かどうかなんて関係ない。マリシャが止めても無駄」

 深く長い溜息のあと、決然とマリシャは顔を上げた。

「……私も行くわ」

「マリシャ、あんたのことを必要としている人は何人もいる。ここであたしの華々しい戦場譚を待っていなよ」

「あなた、私がいないのに、武器の手入れはどうするの?食事の準備は?竜が出るまでの滞在費は?」

「んなもん、行ってみりゃ何とかなる!」

 狼狽を隠せない口調に、苦笑するしかない。頭の中にあるのは戦うことだけ。幼いころに、「竜を倒す」と、神に誓ってから早四〇年。ことあることに騒動を引き起こしては、後始末をしてきたのがマリシャであることは、誰も疑いようのない事実であった。

「あなたの活躍、話で聞くより、どうせならこの目で直接見たいわ」

 マリシャの中で、数々の記憶が流れていく。苦労も困難も、今ではほとんどが笑顔を持って迎えることができるようになっている。今回の旅もきっとそうなるはずだ。きっと。

「それに、あなたの戦場譚ができるなら、ちょっとくらい私の出番があってもいいんじゃないの?」

「……それで、いままでのツケ、全部チャラになる?」

「勿論、ならないわよ」

 マリシャの眉毛が吊り上がり、イヴァは思わず身を縮めた。

 

 イヴァを待たせて、荷物を取りに帰るマリシャの背中越しに、男の声がかかる。

「行くのかい」

マリシャに声をかけたのは、ガク・ゲブニル、地方神官長であり、彼女の夫でもあった。

「ええ。いい歳になっても、イヴァは若い時と変わらず無茶するからね。私が監視しないと」

「僕のそばには、いてくれないのかい?」

マリシャの動きが止まる。そんなこと、言わなくてもわかるだろうに。言いかけた言葉を飲み込んで振り返った。

「あなたには感謝している。私の子供も立派に成人できたのも、全部あなたのお蔭。でも私が行かなくちゃいけない場所は、ここじゃないわ」

「すまない。聞きたかったのさ。今までは聞けなかったから」

 マリシャが目を見張った。自分の思っていることが筒抜けになる程度の時間は共に過ごしていたことに、改めて気付く。

「変なことをいうのね」

 ガクは、この時とばかりに口を開く。

「マリシャ、行かないでくれ。神殿の運営にも、多くの子供たちを導くためにも、何より私のために。君が必要だ」

 真剣な言葉に対し、言いたいことを押し込むように荷袋の口を閉じると、何も答えずに、マリシャは夫に向き直った。

「ガク。帰ってくるわ。おそらくイヴァのわがままももうこれでおしまい。そしたら私もお役御免よ」

 ガクは笑顔を作ろうとして失敗した。敗北というには、自分は、自分達は年を取りすぎている。床の軋みだけが、わずかに内心を現すのみであった。

「待っていて、いいのかい?」

 マリシャは静かにほほ笑んだ。

「ええ、あなたの料理にふさわしい土産話を持ってくるわ」

 軽口だけでは足りないと感じたのか、マリシャは改めて言葉を繋ぐ。例え分かっていても言葉にすることに意味があると感じるのであれば、相手に要求するだけでなく、自分も義務を果たさねばならない。

「優先順位の問題よ。あなたがいれば神殿の運営はなんとでもなる。でもイヴァの暴走を止めることができるのは、私だけなんだから。わかっているでしょう?私が甘えられるのは、あなただけだってことも」

「わかっているさ。でも、たまには僕にも甘えさせてもらいたいのさ。君の仕事は、帰ってくるまでそっくりそのまま残しておくからね」

 二人はそっと抱き合った。互いのぬくもりが伝わる。

「何度でも言う。君は必要とされている。それを忘れないでくれ」

「こんな年になっても、モテるってのは気分がいいわね」

 決意をこめてガクの体を押すと、神官戦士たる凛々しい顔つきで別れを告げる。ガクは声をもう一度だけかけようと思ったが、振り返ることなくイヴァの背中へ歩み去るマリシャの背中は、何より喜びに満ちているように見えて、そっと口を閉ざした。


……光景が重なり、イヴァの背中を見やるマリシャの意識が現実に引き戻された。自分が何とかする。イヴァ・ソールトンを必ず故郷の街へと連れて帰る。人知れずマリシャは決意していた。彼女の背中を今までも追いかけてきた。これからも変わらず。例え、イヴァ自身がそれを望まなかったとしても。








 王宮の謁見会場に姿を表した国王スタン・ニルグは、見た目も雰囲気も平凡といって差し支えがない男、としか言いようがなかったのが、ファナの正直な感想であった。

ファナの美貌には少し反応があったが、食いついてくるというほどでもない。それよりも、常に背後に控えるシールズを意識しているのは誰にでも分かるところであり、ちらちらと視線を送る仕草は、諦念のような無常を感じさせる光景でもあった。面会ではデュミエンドやフェンレティなど各国の使節団と一緒だったが、特に配慮もなく、台本を読みあげているだけというのがありありと分かるというのは、どの国の誰もが一律に失望するという出来だった。

ファナは内心を美しい澄まし顔でごまかしつつ、周囲を観察している。使節団の規模としては、やはりエスパダールとデュミエンドが規模の点では抜けている。ハルフノールへの意気込みの差であろうか。ハルフノール側の人間としては国王の他に、最高司祭長である、フォンデク・ルイネルの様子が気になった。女神ハルに対する信仰は国民全体に広く行き渡っており、その影響力は侮れないものがあるはずではあったが、発言もなく、つとめて気配を消しているような様子がうかがえる。神への信奉が力へとつながる現在の国家体制としては、いささか頼りないと言わざるを得ない。

「あーあ。私もツィーガと同じく、残って献上品の護衛でもしてたほうが良かったな」

「何をいってんの。これからが君の真骨頂でしょ」

 欠伸をこらえる様子のファナに、デリクスは呆れたように声をかける。礼服が恐ろしいほど似合わない男であった。

「まあね。でもいまいち乗り切らないのよね。何と言うか」

「いい男がいない?」

「そうね、『都合の』いい男はいなそうね」

 肩をすくめるデリクス達を、ジェズト侯爵が睨んでいたが、無論気付かぬふりである。ファナは、頭の中でだけ舌を出していた。


「是非、祭を楽しんでいってください」

 覇気が全く感じられない挨拶が終わり、スタンは退出する。誰もがうんざりしていた儀式が終わり、晩餐会へと移行する。まるで冷めきったその場を取り繕うかのよう、歌舞音曲が鳴り響き、美しく着飾った男女が場に華やぎを加える。これからの時間こそが、各国代表の戦場であった。

「モルガン将軍、お久しぶりです」

「これはデミトリウス司祭長」

 デリクスも酒が入っているように見えるが、所作は普段と変わらない。いかにも武将、という容姿と雰囲気の男に対し、気安げに挨拶をする。先ほどシールズと別室で密談をしていたことを目ざとく見つけてはいるが、知らぬ存ぜぬの笑顔を作る。

「相変わらずお元気そうで、何よりです。デュミエンド十五将軍が一人に登り詰めるとは、流石の一言に尽きます」

「そちらこそ。凪のデリクスの御尊名はデュミエンドまで鳴り響いておりますよ」

「いやはや、お耳汚しでお恥ずかしい。そちらこそヨレン島での悪魔討伐の話は聞き及んでおります」

「あれぐらい、私一人でも充分でしたわ」

 謙遜はせず、モルガン将軍は豪快に笑う。猛将と呼んで差し支えない果断な攻めだけでなく、謀略面においても一筋縄でいかない曲者と評判の男だった。

「将軍が自らハルフノールに来たということであれば、何か起こりそうですな。挑戦、戦いこそ至高。デュモンの教義に忠実で、頭が下がります」

「頭が下がるとはこちらの台詞。どうやら、大層見事な献上品を用意しているとのこと、是非拝見させてもらいたいものです」

 先日の襲撃が頭をよぎり、デリクスは表情を消す。

「……いやいや、デュミエンドの精兵達の装備には全く恐れ入ります。常時臨戦態勢、いつでも戦闘可能、陣地展開も迅速容易。いつでも領土を増やさんとする、その気概には感服です」

「何の何の。そちらこそ、スパッダの栄光がいよいよハルフノールを照らさんというところに巡り会うとは私も運がない。でもまあ、夜のない世界は落ち着かないものですし、一つお手柔らかにお願いしますよ!」

 不毛な二人が不毛な会話を繰り広げている中、フォンデク最高司祭がやってきたため、中断する。切り替えの速さは互角、といったところであった。

「お招きにあずかり、光栄です」

「誕春祭、楽しみにしております」

にこやかに微笑みながら、フォンデクはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ありがとうございます。以前は、女神ハルを目覚めさせることができる人は幾人もおりましてな。誕春祭は王位継承を選ぶための儀式でもあったのですが、今ではより庶民的な、娯楽に近い催しですので、気楽にご参加ください」

「楽しみにさせていただきます」

 フォンデク司祭はこのまま神殿に帰るということであった。確かにこれからの時間帯の宴に、司祭がいるというのもそぐわない話ではあった。


宴の最中に、エスパダールの一行に密やかな声がかかる。ジェズト、そしてデリクスの二人が連れてこられた先に待っていたのは、ロイ・ジグハルト。そして国王であるスタン・ニルグであった。煌めくようなジグハルトの笑顔に対し、スタンの顔は冴えない。

「余は忙しい、手短に頼む」

 目の前の男に対し、ごく僅かな同情心を持って、ジグハルトは声をかける。夢、野心といったものをことごとく切り刻まれた、残滓のような人生は、ジグハルトのような男にとっては想像することすら拒むものであった。

「宰相閣下のことならご心配なく。いまはデュミエンド使節団の接待にかかりきりですから」

「そうか……全く。何をやるにも、何をしないにも、全てはあの男の許可がなければならぬ」

 つい飛び出た本音を抑えるために、手で口を覆うことまでしてみせる。こういった子供っぽさに、親しみでなく危うさしか感じ取れないのが、スタン・ニルグという男の悲哀、限界であろう。

「心中、お察し申し上げます。ですが陛下、これからのお話を聞けば、心も少しは安らぐものかと」

「あいつを超えることができるとでもいうのか?そんなこと、在りえない!」

 王の言葉は疑心に満ちている。怒りを帯びる視線を、ジグハルトは泰然と受けとめ、やってきたデリクス達を促した。ジェズトが一歩前に踏み出す。

「陛下、今のあなたは孤立無援。しかし我々がもたらす奇跡によってハルフノール国民、何より陛下は大いなる守りを得ると断言いたします」

「何だと?あるのか、そんなものが!?」

「はい、こちらです」

 ジグハルトの先導により、四人は秘かに王宮の外れの創庫まで歩く。鍵に閉ざされた扉を開けると、何と今現在もツィーガが警備しているはずのあの箱が置かれていた。

「何だ、これは?こんなもの、何時の間に運び込んだ?」

「エスパダール本国より一羽ばたきに転移させました……というのは冗談。ジグハルト様のお力をお借りしまして、秘かに持ちこませていただきました」

 よく見れば、箱は小屋に置かれていたものより一回り程小さい。デリクスは到着と同時に中身だけを抜き出してさっさと王宮内まで献上品を持ちこんでいたのであった。哀れツィーガは残った外側の箱を今でも警備し続けているということになる。デリクスは心の中でだけ、一人と一振りに頭を下げた。運び込む経路についてはすべてジグハルトの手配であり、デリクスが詳細を尋ねても回答はない。街のお祭り騒ぎにも、周囲の警戒にも覚られることなく悠々と王宮まで持ちこんだ手腕は、非凡といえた。

「ごらんください。これが、切り札です」

「これは……まさか……!」

 スタンの声が驚きと、生気に満ちたのはいつ以来であったろう。ジグハルトもたっぷりと情感を込めて声を出す。芝居がかったしぐさが似合う男だった。

「そのまさか、でございます。人類の最大法術、大いなる【円蓋】の柱となる法具です」

「なぜ……そんなものがここに」

「エスパダールの御好意と、友諠の証です。エスパダールは我らハルフノールを正式に五国同盟の盟約の中に組み入れたいとのおおせです」

「竜への守りは、限られた国だけのものではない。人類全てが神々の恩寵の下に安寧な暮らしを保障されるべき、と考えています」

「しかし、我々は五大神を信奉していないぞ」

「その通りです。しかし円蓋の法術にはある秘密がございます。実は……必ずしも国家全体の五大神への寄与は必要ではございません」

「何だと……!?」

「円蓋の機構は、神々の住まう星のたゆたう『意志の大海』を通じ、人類の志力を集約し、適切な場所に配分すること。その場所に五大神の信仰が広まっているかどうかは問わないのです。そして我々エスパダールとしては、ハルフノールを新たな一つとして加えるべきと考えております」

「エスパダールは、何を考えている?」

「五ヶ国によって形成された連合の拡大。すなわち、世界国家の大連合です」

「……!」

 ジェズトは高らかに言い放った。とっさには飲みこむことができないほどの壮大な規模の話である。

「……!」

「世界大連合に向けて、今後全ての国に繋がる海路を持つハルフノールの意義は極めて重要となります。世界平和の達成のため、エスパダールは貴国の協力を求めております」

「そして、他国にも五神への信仰が広まれば、更に円蓋の守りは強固になる、ということか……」

 これが、エスパダールの選んだ道であった。五大国の守りを敢えて、国家を超えて解放し、より大きな円蓋の下に人類を庇護する。達成されれば、さぞかし壮観な世界図となろう。そしてその中心にいるのは、正義と覇権を手にしたエスパダールとなるのであろうか。

「しかし、他国は反対するのでは?デュミエンドなどは、侵略先が無くなってしまう」

 ジェズトも、ジグハルトも苦笑する。

「御意。最初から諸手で受け入れられる話ではないでしょう。まずはこちらの国に在中する五大国の外交官及び信徒への緊急避難としての役割、といったところから話を進めていくことになると思われます」

「勝手に設置して、回りから非難を浴びないのか?」

「それについても一計が。私ジグハルトがエスパダールの神、スパッダに帰依します」

 スタンは一瞬、きょとんとし、次いで仰天した。

「ジグハルト、貴様本気で言っているのか?」

「本気です。私がスパッダ信徒になれば、この国に柱を設置する大義名分ができる。大切なのは、ハルフノールの国民が保護されるという事実です。五大国以外の人間も円蓋の庇護を受けられるとなれば、各国もまたエスパダールに賛同する動きが出てくるはず。結果としてハルフノールも救われる」

「では……デュミエンドとは?」

「彼らの元にいれば、いずれ併吞されることは火を見るよりも明らか。エスパダールはあくまで我らを一つの国として遇していただけます」

このときとばかりジグハルトは詰め寄った。

「エスパダールよりいただいたこの絶好の好機を活かせば、もはや、宰相閣下の顔色を窺って日々を過ごす必要はございません。どうかご決断を」

スタンの身体が震えている。想像もしていなかった世界が目の間に開けた気がしたのだ。

「すまない、エスパダールの友よ!この厚意、決して無駄にはせぬぞ!」

この間、デリクスはひと言も発しなかった。心中の想いは様々であったが、彼の意志を貫く場面ではなかったのだった。


再びジェズトとデリクス、そしてジグハルトが広間に戻ってくると、いよいよ酒の酔いも回った宴席が繰り広げられていた。まずは上々の感触を手にし、ジェズトはたいそうご満悦であった。

「これで、世界の新しい地平が開けるというものだ。なあデリクス司祭長」

「はあ、そんなものですかね」

「そうだとも。まあ今日は前祝いといこうじゃないか。君も楽しむがいい」

踊りに興じるものもいれば、一夜の恋の相手を探すものもいる。ジェズト侯爵もその口のようで、早速美しい娘を見つけ話はじめた。姿を消すのも時間の問題であろう。

「やれやれ、この宴席ってやつはどうにも苦手だ。みんなに差し入れでももっていきたいけど」

 何人か異国の人間を興味深げにみやる視線を感じながら、デリクスは溜息を小さくついた。


一方ジグハルトは、国家の大事を話した気配などおくびにも感じさせずに、人の輪に入っていく。彼がいくところ常に女性達の華やぐ声が広がり、男達は嫉妬と羨望の目を向けるものもいれば、英雄の如く崇拝するものがいる。彼は一通り室内を回り終えると、好色そうな中年貴族につつましやかに対応していたファナのもとへやってきた。貴族が敗北を悟って身を引くなか、ジグハルトはファナに話しかける。

「楽しんでいらっしゃいますか」

「御蔭さまで。皆様とても陽気で、いっしょにいて退屈しませんわ」

ファナは、この場に敢えて修道服を着て参加していた。周囲からは当然浮き立つが、ファナの美貌と重なり合うと、可憐で、いっそ壮麗とさえいえる雰囲気をまとわせる。勿論、計算であり、にっこりとほほ笑む姿は、ジグハルトと十二分に貼り合えるほどに際立っていた。

「誕春祭はもう少しです、楽しんでいってください。この祭りに、国家として正式にお越しいただくのは、皆様が初めてです。おもてなしに不備があれば何なりと申しつけてくださいね」

「ありがとうございます。最初の人間だなんて、光栄ですわ」

ファナも女性として、容姿も稼ぎもよい男に愛想をふるまうぐらいの気持ちは持ち合わせている。大義名分も成立するのであれば、ためらう理由などなかった。ジグハルトについて来ていた取り巻きもファナの美貌に気圧されて、追いすがることができない。まったく美人というものは得なものであった。

「盛況ですね、ジグハルト卿」

「全く、皆さまの友諠には感謝してもしきれません」

楚々と微笑むファナに対し、一分の隙もない服装に、白い歯を見せつけて笑うジグハルト。お互い、自身の武器を最大限に利用する術を知っている、というところである。

「皆、この夜を祝福しているようですね」

「そうであればよいのですが……どうぞ、こちらへ」

幾人もの嫉視を平然と白い貌で受け流し、ファナはジグハルトと展望室に移動する。

「スパッダは、きっと祝福していると思います。この国にも等しく正義がもたらされんことを。きっと」

「もし、改宗をすれば、あなたから教えを受けることができるのですか?」

 煌めくまなざしが、ファナを射る。

「私などの説法では、スパッダがお怒りになりますわ」

 するりと体をいれかえ、夜に浮かぶ街の灯りを見渡した。

「美しい街ですね」

「ええ。ですが、美しい街も、竜の息吹一つで灰燼と化す。あっけないものです」

「……」

「私はこの街が好きです。それにどんな街にも負けないという自負もある。ただ、あなたの住む帝都エスパダールとの決定的な違い。それは【円蓋】です」

「女神ハルの守護は、期待できないというのですか?」

「ええ。少なくとも今の国王、スタン・ニルグにハルを目覚めさせる力はありません。そして現国王に期待できないということは、血族にも期待できないということです」

「……随分と、率直な物言いですわ、ジグハルト様」

「あなたにだから、エスパダールの使節団のあなたにだからこそ申しあげるのです。ファナ・イルミ。いずれ、この国は立ち行かなくなる前に、手を打たねばならない。私はそう思っているのです」

 ファナの手を握らんばかりの勢いで話すジグハルト。率直といえば聞こえがよいが、一国を背負う人間として、いささか口が軽い気もしないではない。私を舐めているのか、それともそこまで追いつめられているのか。単に底が浅いだけか。胸の中で様々に頭を巡らせつつ、神妙な顔を崩さないファナを見てどう思ったのか、ジグハルトはさらに大胆になった。

「もしよろしかったら、私にスパッダの教えをもう少し詳しく教えていただけませんか、今晩、我が屋敷で……」

 今まで異性を口説いて失敗したことが無い、と態度が示している。多少強引なやり取りでも余裕たっぷりというところである。無論、ファナとしても望むところである。こうこなくては、懐に仕舞った法具が泣くというものだ。

「わ、わかりました。私などで良かったら……」

 頬を染め、しおらしい中にも媚を秘めて、恥じらう花が匂い立つような仕草である。ファナが修練の末に会得した必殺技に、ジグハルトの表情も揺れた。

「ありがたい。また。あなたと知り合えたことは、この祭一番の収穫です」

「……光栄ですわ」

 お互い、一番甘い笑みを浮かべ、招かれるままに宮殿を離れ、馬車へと足を運ぶ。ハルフノールの街は密やかな灯りを湛えながら、夜を楽しむ恋人達がいるようであった。馬車に乗り込む前に、小声でファナは祈りを唱える。

「神よ、恩寵を持て我が身に芳香を纏わせたまえ」

 法具を発動すると、柔らかい花のような香りが広がる。人を惹きつけ、心を開かせる法術、知らずに人をたぶらかす魔性の秘術である。正義の神スパッダがこの法術の使用を認めているというのも、懐の深さを感じさせる話だった。たちまち馬車は夜の闇の中、微かながら存在を主張するようかのようにひっそりと音を立てはじめた。

「さて、と。実際どうしようかな」

 ジグハルトはファナのような女性から見ても非常に魅力的である。上手く垂らし込めれば公私ともに万々歳であったが、心まで許すに足る男であろうか。ファナは自分の美貌の価値を極めて正確に把握しており、一番高く売りつける時期を慎重に図っていた。そんな内心の計算などおくびにも出さず、柔らかい微笑みを浮かべて話かける。

「では、どこからお話しましょうか?」

「焦らなくても、夜はまだ長いではありませんか……イルミさん」

「ファナと呼んでください、ジグハルト様」

「では、私のこともロイとお呼びください」

 見つめ合う二人、距離が近づきそうになったとき、するりとジグハルトが立ちあがる。

「馬車を止めろ……ファナさん、失礼します」

 馬車を止め、そのまま外に出てしまうと、手にした剣を無造作に構える。片手で使う程度の長さで、刀身は薄い。女性でも取り回しの好さそうな外見である。ただ、剣がもつ威風のような何かが吹き付けてきて、ファナの身体に震えが走った。

「あれが、【ハルフノールの剣】……」

 ジグハルトの動作一つ一つには華があり、歩く姿勢までもが端正である。夜の闇に向かって緩やかに歩みを進めていたが、突如ハルフノールの剣が紅く輝く。無造作に振り上げられた剣が虚空を斬り払うと、流星のような紅い軌跡がファナの目を焼いた。

「ギャア!!」

 人間のものでは決してない絶叫が周囲に響き渡る。ファナの足元に飛んできたのは、醜く歪んだ鬼人の頭部だった。

「きゃあぁぁっ!!」

 絶妙の間合いで、絹を裂くような悲鳴を上げるファナ。もはや名人芸といってもさしつかえない声を上げつつ、目はジグハルトの一挙手一投足を追っていた、のだが。

「……見えない」

 紅い光が夜の闇に美しい弧を残して消えていく度に、鈍い音が鳴る。次々と絶叫が響き、両断された肉塊が飛び散る。ジグハルトは全く力むことなく、反撃の機会など一瞬すらも与えずに周囲の鬼を蹴散らした。ファナも仕事柄、人並み以上に武術の修練を積んでいるのだが、ジグハルトの剣技は遥か高い域に達しているようである。絶叫が止み、淡々とした振舞いに舞の如き華麗さを秘めつつ、ジグハルトは悠々と剣を納め戻ってきた。

「申し訳ありません。御不快な思いをさせてしまいましたね。お怪我はありませんか?」

 ファナは演技でなく呆気にとられつつ、首肯した。

「それはよかった。あなたの美しい顔に傷でもついたら、国家的な損失だ」

「今のは……魔族、いや鬼ですか?」

「どうやら、そのようです。実は、最近、鬼が街中にもごく稀に現れるようになりましてね……嘗てなかったことですが。辻斬りも出没し、対応に苦慮しています」

 ジグハルトは、不安そうな顔を務めて隠すように笑う。

「これがハルフノールの現実です。私達にはもう後がないのですよ」

男の表情から真摯さを読み取ったファナは、先刻の話が彼の真情から出たことを理解する。憂いや心配を隠すことなく自分をさらけ出し、現実に正面から向き合い、熱意を持って周囲に働きかけ、解決策を模索する。百戦錬磨のファナにとっても、一番苦手とする類の人間といえた。

「どうも、今日は教えを乞うには相応しい日ではなさそうですな。宿舎までお送りしますよ」

 ファナの心情を知ってか知らずか、あくまで余裕たっぷりに、そして申し訳なさそうにジグハルトは微笑んだ。

「ええ……残念ですが」

 返すファナの言葉には、ほんの僅かながらも、真実味がこもっていたようであった。



 同時刻、モス・シールズを乗せた馬車も、闇夜を勢いよく走っていた。この忙しいときに、数多くいる愛人の一人と会う約束を果たさねばならないとは。口ではぼやきつつも、表情には余裕が見て取れる。デュミエンドのモルガン将軍とも込み入った話ができ、収穫としては十分であった。ハルフノールにデュミエンドの軍隊を駐留させることに合意が得られた。あとは彼等に領地と自治権を与えつつ、最終的にはハルフノールを属国として併呑させる。その時、シールズはハルフノールの領主として迎え入れられることになる手筈となっていた。

いずれ、ハルフノールは名実ともに自分のものになる。幼い頃より抱いていた野望が、ついに現実味を帯び始め、流石の宰相も胸を高ぶらせていた。

「あとは、スタンの小僧をどうするか、だが……」

誕春祭がもうすぐやってくる。スタンにとっては唯一の出番ともいえるこの場所で、引導を渡してやるというのも、良いかもしれない。今まで曖昧にしてきたが、奴が女神ハルを目覚めさせることができない事実を公表すれば、更に国王としての権威は失墜するだろう。自分のすることがいかに醜いか、すでにシールズに自制心という理性は残っていなかった。

「さて、と。舶来品の首飾りだが、少しは効き目があるだろうか……」

愛人に渡すべき贈り物を確認しようと頭を下げたのと、窓硝子を割って、矢が飛び込んできたのがほとんど同時だった。

「何事だ!」

 馬車が急停車し、御者の悲鳴が聞こえる。火矢がさらに飛んできて、馬車が燃え上がり始めた。

「ひ、ひぃっ!!」

 たまらずに扉を開け、地面に転がり出る。剣を抜き放ったところで、殺到する複数の刺客と対面した。襲撃者は無言でシールズに襲い掛かる。剣を振り回し、距離をとって逃げようとするが、進んだ先には既に別の刺客が潜んでいた。

「くそっ!」

 一応剣技は修めていたものの、実践経験などほとんどない。シールズはたちまち壁際まで追いつめられていた。腕を浅く切り付けられ、肝心の剣を放してしまう。

「ま、待て!金なら払う!貰った金額の倍払う!だから助けてくれ!」

 命乞いを始めたシールズの声を聴かず、一斉に剣が振り上げられる。絶望がシールズの視界を真っ暗に染めた。

「ぎぃ!」

「ガッ!」

「ごはっ!」

 瞬間、この世のものとは思えない声が響いた。

「ひえぇ!」

 シールズも遅れて声を上げる。自分を囲んだ三人の胸に、背中から突き抜けた矢が生え、シールズの眼前に届かんばかりになっていたからだ。矢尻が体を突き抜けるとは、何という剛弓であろうか。血が噴き出して、シールズの顔を真紅に染め上げる。

「びゃっ!!」

 どこからともなく飛来した矢が別の男のこめかみに突き立つ。次の瞬間には、さらにもう一人が叫ぶ声も上げる間もなく切り伏せられていた。血臭が広がり、吐き気がこみ上げ、へたり込んだシールズの前には、ジェラーレの背中があった。

「閣下、ご無事で」

「おお、おお!ジェラーレ!よく来てくれた」

 ジェラーレは肩越しに素早くモスの全身を見渡す。軽傷であることを確認すると、猛然と残りの刺客達を切り伏せ始めた。

「!」

ジェラーレの剛剣は、防ごうとした剣ごと相手を叩き切っていく。たった一人に形成をひっくり返された残党たちは、不利とみて闇に消え始めた。

「待て!」

 追いすがろうとするジェラーレをシールズが止めた。

「私を逃がすのが先だ!刺客などは放っておけばいい!」

「承知しました」

 あっさりと方針を変え、シールズを抱えてその場を離れる。燃え上がる馬車に気づいた人が消火をしようと集まって来はじめたところだった。息が上がり、動くことができなくなるまで離れたところで、シールズはえずきながら膝をついた。ジェラーレが応急処置を終える頃、ようやく異変に気付いた部下達が集結しはじめ、シールズも平静を取り戻す、かに見えた。

「傷は浅い。間に合ってよかった」

「おのれ……おのれスタンの小僧め!」

 乱れた髪を撫でつけながら、次第に怒りの形相にゆがみ始める。

「まだ、そうと決まったわけではないと思われますが」

「いや、そうに決まっている!」

 恥辱にまみれ、威厳を切り裂かれた男は、全身を震わせながら怒りを吐き出した。

「一刻も早く証拠を見つけろ!」

「御意」

 否も応もない。彼の言う証拠を見つけろは、無ければ作り出せ、という意味であることを部下達は皆知っている。スタン・ニルグの命運は定まった。誰もが思い、今後の混乱を恐れた。平静を保っているのは、ジェラーレだけである。当然ながら愛人宅への訪問を取りやめ自らの邸宅に戻る。治療を受け、ようやくにくつろげる態勢となったシールズに対し、ジェラーレは再び問いかけた。

「今回の襲撃の件。本当に、スタン陛下の差し金と、本気でお考えなのですか?」

「いや」

 酒杯を傾けながら、シールズの顔には余裕が戻っている。

「もしかして、閣下の自作自演でらっしゃいますか?」

「勿論違う。恐らくは、ロイあたりが仕組んだことであろうよ」

「であれば、手を打たねばなりません」

「あの男が、こんなことで尻尾を出しはしないさ。刺客にしても、追いかけたところで何も知らされておるまい」

「は……」

「であれば、だ。この機会を何かに活用せねばやられ損ではないか」

「……恐れ入りました」

 やはり、宰相とまでなる男は只者ではないということだろう。怒り、動転しながらもシールズは反撃の策を講じていた。この機会に、自身の立場を盤石なものにするつもりのようである。

襲撃者に追手をかけなかったのは、むしろ余計な情報を引き出したくないということか。ジェラーレは素直に感心していた。さらに、逆の言い方をすれば、現在対処すべきなのは、ロイ・ジグハルトではなく、スタン・ニルグであるということでもあった。

「今回の忠勤に対する褒美として教えよう、最早ロイ・ジグハルトも、スタンも考慮するに値せぬ。デュミエンドとの契約が正式に決まった。もう女神ハルには頼ることも出来ぬ今、形だけの王族には早々に御退場願おう」

 モス・シールズの言葉には、発せられた内容以上の価値がある。ジェラーレ・シンタイドもまた、彼等の仲間として認められたということであったからだ。寡黙な戦士は、さらに深く頭を下げた。

「では、私はスタン陛下を追い詰めます」

「やり方はまかせるが、殺すなよ。いずれ離宮にでも追いやればいい。下手に反感を買うのは得策ではないからな」

「御意」

 様々な思惑が絡み合い、人と人として思わぬ争いが幕を開けた。常春の国、とまで呼ばれたハルフノールは、いまや、早春の嵐が吹き荒れようとしていた。





「やれやれ、『戦と酒の女神様』イヴァ・ソールトンも、酒が弱くなったな」

食台に突っ伏すイヴァを見やりつつ、トムスは杯を軽く掲げた。

「あなたが別格なだけでしょ。全く、この大きな身体を運ぶ者の身にもなってもらいたいわ」

海辺の宿屋にていつの間にか飲み比べとなった二人を呆れながら眺めつつ、マリシャは言葉の棘を隠さない。イヴァは気持ちよさそうに寝息を立てているが、何気なく見やるマリシャの目は、暗い灯の下でも隠し切れないイヴァの老いが写し出されていた。己の運命に抗しようと常に煌めく炎を宿す瞳が、眠りに閉ざされている今、尚更老いだけが痛切に感じとれるのであろう。友の、夢を追いかける瞳の強さを羨ましくも思いつつも、それ以上に胸が痛む。

 イヴァとマリシャはかつて、デュミエンドが誇る一〇軍団中、選りすぐりの戦士だけを集めた最精鋭集団、『紅軍団』に女性としてたった二人、選ばれた傑物である。軍団が解体するまでの間、人にも魔にも不敗という戦績はもはや伝説に近い。二人は戦姫と謳われ、現役を退いた今でも国内では名士、英雄として名が知れ渡っているほどだ。

「いい歳なんだから、無茶はやめてちょうだい」

「別にいいじゃねえか。俺にゃ帰りを待ってる奴もいねぇしな。あんたとは違うよ」

あっけらかんと言い放つと、トムスは立ち上がり、マリシャの正面に座りなおした。

「なあ、どうしてついて来たんだい?もう好きにさせてやれ。老い先短いんだからよ。それとも、何か訳でもあるのかい?」

「私は……イヴァに借りがあるのよ」

 マリシャがためらいがちに語りだす。イヴァがどうしても果たせなかった、果たしたかった夢は、マリシャにとっては返しきれない負債でもあった。

「イヴァが三〇代、心身ともに全盛であったころ、彼女はついに竜と戦う機会を得た。でもその時、私が体調を崩してしまってね」

「風邪か?」

「流行り病で、絶対安静。命の危険まであったようね」

「ほう」

「その時ね、寝ずの看病をしてくれて、また危険を冒し貴重な霊薬まで取ってきたのがイヴァよ」

 マリシャの記憶には、そのときのイヴァの眼差しが残っている。忘れられない後悔とともに。

「……」

「結局、その時竜を倒すことはできなかった。けど、イヴァがいればあるいは、とは後から聞いたわ」

「聞いたのか?理由を」

「勿論。何度も聞いたわ。なんて言ったと思う?『助けてもらった人間が言う台詞じゃないわね』だって」

それ以上の発言を決してイヴァはしようとはしなかった。竜の打倒を一生の宿願に捧げたはずの彼女は、最大の好機を捨て、自分を助けることを選んだのだった。悔しくないはずがない、残念でないはずではない。けれども彼女からどんな恨み節も出てこない。

破天荒な性格で、神殿に迷惑をかけたことも数知れない。だが、他人がどう思っていてもマリシャにとって、イヴァは命の恩人であり、かけがえのない存在であった。

「成程ね、そりゃあ、返すことのできない借りだわな」

「はっきり言ってくれてありがとう。でも何故、イヴァは私を選んだのか分からない。未だに」

「んなこと、俺が知るかよ」

「そうね。いつか、堪え切れなくなって話をしたことがある。『あの時戦っていたら、きっとイヴァは竜を倒していたはずだわ』ってね」

「何て言っていた?」

「『逃した獲物について話をしてもしょうがないさ。それよりもこれからのことを考えるべきだろ?』って。これからなんて、もうそんなに時間はないのに」

 人生の黄昏が迫ってなお、明日のことを考えられる親友を、マリシャは頼もしく思いつつも、心配せずにはいられなかった。トムスは鼻を鳴らし、残っていた酒を流し込んだ。

「さあ、準備は完了している。あんた等の出番は近いぜ」

「……わかりました。ねえトムス。私も聞いていい?あなたこそ、何故ハルフノールに来たのよ」

「あんたと同じさ、返せない借りを返すため」

「へえ」



 それ以上聞かなかったのは、トムスの顔が蒼白になっていたからだ。マリシャはただ胸の中で、デュモンに祈るだけだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る