誇りまみれの竜賭博 第2話 春の国 集う花
Ⅰ
遥か彼方まで続く大海原、そして空しかない空間にふと眩暈を覚えたが、強い潮の匂いと波の音が青年を現実に引き戻した。まだ春開けたばかりとはいえ、さえぎるもののない強い陽光煌めく蒼天の元、数隻の船が帆に順風を受けて進んでいく。人定歴七百八十八年、ツィーガ・オルセインが大陸を離れ、海に乗り出したのは初めてのことである。潮のうねりを滑るように走る船上で、ようやく慣れはじめた揺れを身体全体で感じつつ、胸一杯に海の香りを吸い込んだ。
「いやー。気持ちいいなあ!」
思わず出た声は、自分が思っていたより遥かに大きかったようで、何人かが何事かと振り向き、ツィーガはうろたえた。愛する祖国エスパダールを出港してから丸二日、ようやく目的地であるハルフノール島が遠く見えてきたところであった。嵐に遭遇することもなく、航海はしごく順調の様子である。
「ご機嫌だなぁ、ツィーガ」
恥ずかしさを抑えるため、飽きることなく水面を見やっているふりをしていると、頭上から声が聞こえた。振り仰いでみれば、高くそびえる帆柱の上で見慣れた顔が笑っている。ツィーガの友人、この世界では希少な存在とされる精霊士。エクイテオ・バーンことテオは、何の躊躇いなく大人三人分くらいの高さから飛び降りた。ツィーガは一瞬ヒヤっとしたが、甲板に到達する直前、エクイテオの身体を風が包み込む。音も立てず、軽やかに着地すると、ふわりと彼を包んでいた風がツィーガの頬を撫でた。涼しい顔で風を纏う立居振舞いは舞台役者のようだ。すっきりとした容姿のエクイテオは、いかにも海と青空に映えて、颯爽とした様子は同船している女性達の目を無意識に誘っていた。
「便利だな。風の精霊ってやつは」
「あのドーミラ事件で仲良くなってね。いまは専属でついてきてもらっている」
「仲良くなるなんて、そんなこともできるんだな」
「そのうち、名前も付けようかと思っているけど。相手が受けてくれればだけどな」
「へえ」
エクイテオが誰もいない空間に笑いかける。風の精霊の微笑みは、ツィーガには見えなかったが、エクイテオには見えているのだろう。定職もなく、根っからの自由人として今回も旅の同行者に顔を連ねていた。神官戦士となったツィーガからしてみれば、幾分かの羨ましさを禁じ得ない。
「結構、名前って大事なんだぜ、何せ精霊からすれば、人の世界や在り方に近づく行為だ。精霊としてもより人間と結びつくことになるから、力が強化される代わりに、制約も多くなるんだよ」
「ふうん。そもそも、精霊に自由意志なんてあるのか?」
「人間みたいに、好きとか嫌いとかではないけどな。より世界が力満ちる方向に、自然と引き寄せられていく、とからしいぜ。多分志力の影響なんだろうけど、細かいことはよくわからん」
わはは、と笑うエクイテオ。いずれにしても専門外の話に、ツィーガは軽く肩をすくめた。
「名前決まったら教えてくれよ」
「ツィーガも一緒に考えてくれよ、神官サマならいずれそう言った仕事もすんだろ?」
「まあ、偉くなれば、名付け親とかになるかもしれないけど……そういやテオ。海は初めてか?」
「いや、数回ある。だけどこんな遠くは初めてだよ。ちなみに、ハルフノールってどんな国なんだ?エスパダールとは仲いいんだっけ?」
「何だよ、いつも他国については訳知り顔で話すくせに……ハルフノール。豊穣の女神ハルを信奉する国。大陸から離れた島全体が一つの国家だ。規模は大きくはないけど、豊かさは5大国にも匹敵するともいわれている。海洋貿易を得意として、色々な国とも交流があるけど、宗教上の関係もあって、国家間の正式な交流はない」
「へえ、何でそんなところに、こんな仰々しい一団が行くんだよ?」
エクイテオが視線を巡らせると、エスパダールの聖印、丸の中、一つの始点から放射状に広がる3本の線の紋章が、そこかしこに飾られている。夜明けの朝日、スパッダの光明を表現しているとのことだが、いささか仰々しい。
「今回島をあげてのお祭りがあってさ、エスパダールに対してはじめて正式な招待があったんだ。お祭りだから、みんな張り切っているのさ」
ツィーガが出張のために勉強したにわか知識を披露するのを、エクイテオは嬉しそうに眺める。弟を見るような眼差しだった。
「豊かで、島国のせいか大きな争いも混乱もない。全て信奉している女神ハルのお蔭だそうだ」
「何でも、人間のために、天に昇ることをやめたんだっけ」
「ああ。身体がまだ竜に燃やし尽くされないうちに、この世界と一体となった、とされている」
豊穣の女神ハルは、他の神々に比べ、自らが生み出した人間を一際愛していたとされる。あまりに弱く、脆い存在であるだけでなく、醜く利己的ですらある生の在り方を甘受する人間を、大層気に入ったという話ではあったが、真偽のほどは定かではない。志力を神が植え付けたばかりに、浅ましく、愚かな大望を背負わされ、叶いもしない夢に向かって誰もが必死、そんな人間の生き様を不憫に思ったのか。そんな人間を見下ろす神としての自分自身をいっそ疎ましく思ったのか。
竜との果てない戦いが続く中で、彼女はいつしか人間を利用することに躊躇いを見せるようになった。他の神々からの非難が起こる中、ハルがついにとった行動は、大地に、空に、世界そのものに我が身を捧げることだった。全ては、自分を無条件で信じてくれる人間達を守るために。
ハルフノール島はもともと大陸と地続きだったとされるが、ハルが世界と一体となった結果、なんと大地が切り離され、一つの島となったという。大陸を離れ、竜の脅威から遠ざかることで、ハルを信奉し、ついてきた人間達は豊かで安全な生活を送れるようになったとされる。ツィーガの話を何となく聞いていたエクイテオが笑顔になった。
「ツィーガの話だと、今回の任務はどうやら観光半分みたいだな。よかったよかった」
「うーん……まあ、そうなんだけどさ」
ツィーガの浮かない顔を見て、エクイテオはあることに思い至る。
「何だよ、もしかしてエスパダールで追っかけてた事件のこと、まだ気になるのか?」
「当たり前だろ。あの子たちは、どうなったんだろうか?無事に親に会えたのかな」
「結果は、そろそろ出てるんじゃないの?何だっけ、あれ。【遠話】の法具とかで話聞けないのか?便利だよな、あれ」
「そんな簡単に使えるものじゃないよ……地位のある人間じゃないと。すまない、ちょいと外す」
「おう、どこに行くんだ?」
「上司のところ」
エスパダールの所有する船の中でもかなり大型のはずだが、沖の波は高く、激流に流される木の葉のようでもある。幸い、船酔い体質はツィーガにはなかったが、幾人かは大地を求めてうなされる羽目になった。ツィーガが探す一人もまた、暗い船室の中でうごめいているところのようだ。
「デリクス司祭長、お水をお持ちしました」
「おー……ありがとう。いやあ、若いってないいねえ。この船って奴は何度乗っても慣れないよ」
寝台から身を起こすやつれた中年男は、全く海に似合っていなかった。デリクス・デミトリウス、四十五歳独身。エスパダール西方教会司祭長。肩書きに全くそぐわない容姿といえば容姿である。
「起きて大丈夫なんですか?」
「いや、起きてても、寝てても良くならん。一刻も早く到着してもらいたいもんだ」
「お疲れさまです」
髪の毛も整えず、ひげも剃らず、いかにも病人という体裁である。いつもはとぼけた風貌ながらもそれなりに威厳めいたものもあり、上司でもあるデリクスは、ツィーガにとっては遠い存在であり、緊張の対象でもあったのだが。今の姿には尊厳も何もあったものではない。周囲に人間も少ないのでツィーガはこれ幸いと願いごとを申し出た。
「あの、【遠話】法具の使用許可をいただきたいのですが」
「何で?忘れ物?」
「忘れ物といえば、忘れ物です。あの、ラ―マ地区の殺人事件の結果が知りたいんです」
「うーん。その件については許可できないかな。何せ【遠話】は貴重な法術だからね。心配しなくても、ハギヤ班長が上手くやっているだろうよ」
「そうですか……あの、一ついいですか?なぜ今回の任務に自分が選ばれたのでしょうか。捜査を中断してまで」
『
「いやあ、ラーガ先輩の推薦だよ。君のような将来ある人間には、後学のためにも広い世界を見てもらったほうがよいってことでね」
「しかし、事件が気になります」
「あちらは、君達の頑張りでもう犯人の目星がついたからね。そろそろ逮捕されているころさ」
『そうだ。後は大して意義のない戦後処理のみ。それよりもこういった出張を通じて大局観を養うべきだ』
かちゃかちゃという音とともに、刀の柄から声がする。人間の持つ意志の力、志力を用い、神の奇跡を世界に発現する『法術』によって生み出されし道具である『法具』としてツィーガの刀に宿った歴戦の勇士の魂、ラーガ・シュタイエルである。彼も自分自身のあり方を問いかけながらも、新人神官戦士であるツィーガの相棒として共に歩むことを決め、日々ツィーガを鍛え導く役割を自ら任じていた。
「そんなもんなのかな」
『そうとも。お前には俺を使うものとして、一刻も早く一人前になってもらう義務がある』
「……分かったよ」
苦笑するツィーガをデリクスは薄く笑みを浮かべて見つめている。出発直前に彼が受けた報告によれば、連続殺人事件の犯人は、被害者である子供の親族とのことである。悲劇と凄惨な記憶に包まれた過去を直視するのは、まだ早いとラーガは判断したのだろうか。
「まあ、気を取り直して。休みの先払い的な気持ちでいてよ。丁度ハルフノールは一年に一回のお祭り『誕春祭』が開催されるしさ。仕事半分、遊び半分くらいでよろしく頼むわ」
「はあ……」
「心配しなくても、仕事はある。ハルフノールへの貢ぎ物の護衛、君とラーガ先輩の腕を見込んでのことだ。悪者をちょちょいとやっつけてちょうだいな」
正義を信奉するスパッダの司祭とは思えない適当な発言である。
『ほほう。この俺を雑兵扱いとは、デリクスも出世をしたな』
「あ、いやいや!『エスパダールの魂』とまで呼ばれた第十三代戦士長、ラーガ・シュタイエルその人に対してそのような失礼なことは決して、決してございません!」
揉み手をせんばかりのデリクスの態度に、ツィーガの上司に対する尊敬の念が削り取られていく。そそくさと退出したあと、ツィーガはラーガに問いかけた。
「なあ、ラーガ。本当のところ、デリクス司祭長ってどんな人なんだ?」
『俺の教え子の中では文句無し、ずば抜けて優秀な男だ。お前なんぞよりよっぽどな。その気になれば、英雄とやらになれるかもしれないぞ』
「英雄?」
ツィーガは目を見開く。ラーガは人物評に関しては冗談を言わないからだ。思わず話の続きを促したが、ラーガは言葉を濁した。
『……まあ、あいつにも色々あったからな。本人が言わないことを、俺が言う訳にもいくまい』
ラーガはそれ以上話そうとはしない。自分達に見せない、デリクスの真実の姿を思い描こうとして、やめる。頭の中で揉み手をしはじめたからだ。再び甲板に上がった青年神官戦士は、そっと視線を海に向けるしか、することはなかった。
Ⅱ
船が船着き場に接岸したときの気持ちは、到着したという安堵と、もう少し船旅を続けたいという気持ちが入り混じった微妙なものだったが、街の活気と熱気を受けて、一瞬でためらいは吹き飛んでいた。
「ここがハルフノールか……」
海の上では分からなかったが、建物と対比すると、エスパダールのそれと比べて空の色が一際明るいのが分かる。港の規模はそれほど大きくはないようだが、色とりどりの魚介類などの物資が次々と荷揚げされており、活気がうかがえた。ハルフノールは、その豊かな水産資源だけではなく、物資輸送の中継点としても機能しており、小国ながらその力はあなどれないものがあるという。何せ、海路を使えば五大国すべてとの直接的な交流が可能である。当然、エスパダールを含めたすべての国がその事実を認識しており、何等かの利益を求めて表裏でハルフノールと交流を取っているのであった。ハルフノールという国が大陸側に認知されたのは七十年ほど前とされる。今ではすっかり寄港地として定着していた。
今回の使節団招待は、『意志の大海』を利用した、情報伝達網へのハルフノール参加許可へのお礼という名目になっている。五大神の信者がいなければ発動しない機構ではあったが、各国の負担とごく僅かな人間の駐在を認めることで可能になったのである。今後、更に外交関係で動きがあるのは確実だ、というのがデリクスの見解である。
「国を開くことは、いいこともあれば悪いこともある。どうなるかねえ」
他人事のようにつぶやいたデリクスの顔を思い浮かべつつ、ツィーガは周囲を観察し続けた。エクイテオも、ツィーガと似たり寄ったりの表情で周囲を見回していたが、何かに気づき声をあげる。
「おいツィーガ、あれは確か、デュミエンドの旗だったよな」
「そうだ、さすがに使節団も規模が大きいなあ」
ほぼ同時刻になったのは偶然かどうか判断できかねるが、質実剛健という言葉がふさわしい船が停泊していた。穏やかであるべき使節団の船からして、常在戦場といった雰囲気を醸し出す。戦の神デュモンを信奉する国、デュミエンドの一団であった。彼らは、戦いによって自らを高めることを教義としており、人同士、国同士、そして神同士が戦うことを否定していない。闘争の果てに進歩があり、栄誉があると考えているからである。
ありていにいえば、国家間の戦争というものを否定どころか推奨しかねないという物騒な一団であった。国としての成り立ちも、近隣諸国との闘争の果てに五大国の一角までのしあがった歴史をもっている。ここまできたにも関わらず、未だ尽きぬ闘争への意欲は、周辺国家にとって、はっきり言っていい迷惑というところである。着々と近隣の小国を併呑し、デュモンへの帰依を要求する。近隣国から見れば、正義と秩序を自国は勿論、他国にも求めるエスパダールとはまた違う意味でやっかいな存在ともいえた。
「デュミエンドの使節代表は、モルガン将軍ですか……これはてこずるかもしれませんな。挨拶している方は、ハルフノールの関係者ですかな?」
「あれは、確か宰相であるモス・シールズだよ。デリクス」
「よく、顔をご存じですね」
「うん、意志の海を使った通信がハルフノールに繋がったとき、最初の挨拶をした顔を覚えている」
全権大使であるジェズト侯爵とデリクスのつぶやきが聞こえる。デュミエンドの代表者を親しげに出迎えている男について話をしているようだ。年齢は五〇代になろうかというところ、政治家という意味では最も脂の乗った時期であろう。いささか金や権力に汚いという声もちらほら聞こえてくるが、それでもハルフノールの住民におおっぴらに不満を抱かせない程度には統治をしているというのが、事前報告である。それにしても、宰相自らが出迎えに立つというのも、また念の入った行動である。島国、閉鎖的な国と思われているハルフノールにおいて、親密さを周囲に見せたいという思惑でもあるのだろうか。やがて、モス・シールズはエスパダール一向の下にやってきた。ジェズトとデリクスに笑顔を振りまく。
「ようこそ、ハルフノールへ」
「お招きいただき、誠にありがとうございます」
「今年の祭は皆さまのお蔭で盛大に催すことができそうです。楽しんでいってください」
軽い挨拶を交わすと、さっさとデュミエンド一行の元へ戻っていく。早速用意された馬車に乗り込み、街頭をまるで凱旋式でもあるかのような盛大さで出発した。前後を守る護衛の一団も皆機敏かつ規律正しい動きで、訓練のほどを伺わせる。紛争に巻き込まれることのない国としては、意外なほどであった。
「見事だな。ラーガ」
『ああ。先頭に立つ男の手腕だろう。こんな島国に置いておくのは惜しいな』
ラーガが称賛した男がツィーガの目の前を駆け抜けていく。横顔をほんの少し確認できただけだが、雰囲気からして只者ではない。兜を目深にかぶり、表情を消しているが、彼の動きに周囲の人間が必死についていっている、という様子である。
「何だよ、戦いたくなったのか?」
『昔なら一手御指南いただいたところだが、お前ではまだ早いな』
ツィーガはラーガほど戦闘というものに興味はないので、嫌味とも評価ともつかない言葉には返事をせず、代わりに近くにいたハルフノールの騎士に問いかける。真面目そうだが、緊張が全身に満ちている男だ。
「すいません。今の行列、先頭で指揮されていたのはどういったお方ですか?」
「ああ、ジェラーレ・シンタイドね……」
「は、はあ」
男は露骨に顔をしかめる。
「確かに腕も立つし、仕事も早い。いまじゃすっかりシールズ宰相のお気に入りです。でも元々奴を見出したのは、ジグハルト様なんですがね、あの野郎、目先の出世のためにさっさと乗換えやがって」
よほど、日頃の鬱憤があったのか。あるいは出世競争で敗れたのか。初対面であるはずのツィーガにひとしきり愚痴を言い始める。
「ま、いい噂はない男です。裏では汚い仕事もしてるって話だ。あんな奴に関わるより、祭りを楽しんだほうが利口ですよ」
「そうですか。ありがとうございました」
一応、丁寧に頭を下げるツィーガに、エクイテオが話かけてきた。
「ちぇ。デュミエンドは盛大なお出迎え。こっちには出迎えなしかよ」
明らかな待遇差に憤慨している様子のエクイテオの顔をみて、ほっと一息つく。ツィーガは周囲を見やると、友の肩をとり、強引に振り向かせた。
「いや、別の人が来たみたいだぜ。ほら」
動かぬ大地に立ち、幾分生気を取り戻したデリクスの前に、一際人の目を引く容貌の男性が立っていた。
「初めまして、私はロイ・ジグハルト。皆様の案内をおおせつかりました」
姿だけでなく、声までもが端正である。光の当たり方によって白銀にも見える金髪、深い緑色に知性の輝きを宿す瞳。長い手足には、しなやかな筋肉がうねっているのが服越しにも伝わってくる。ジェズト侯爵も大げさに喜びの表情を作った。
「ジグハルト卿わざわざのお出迎えとは恐縮ですな」
「ジェズト卿の、エスパダールの皆様のためなら、何処へでも参上いたしますよ。」
親しげに会話を交わしつつ、同じく馬車に乗り込んでいく。彼が動くと、途端に女性達の声援が巻き起こった。花まで投げられる始末である。
「ジグハルト様―!」
「こっち向いて!」
ジグハルトに向けられる歓声の大きさは誰よりも大きい。お客さんはこっちですよ、と心の中でぼやきつつ、デリクスはジェズトとジグハルト、二人の後ろにつき従う。周囲の主だった人間も乗り込み、そのまま出発した。どうやら、挨拶周りにでもいくようであった。ツィーガを含む残りの一団には既に指示がでている。物資搬入のため、先に宿所に直行せよとのことであった。さて荷物を運ぼうとしたところ、後ろに人の気配を感じる。
「長旅お疲れ様」
何の気ない言葉にこもる甘やかな響きにツィーガとテオが振り向く。声の主が分かった途端、二人は対照的な表情を作った。ツィーガは笑顔、テオは渋面。彼等の前には、エスパダール神官、ファナ・イルミが笑顔を見せていたからだ。
「ファナ先輩!」
「先輩はやめてって、いつになったら覚えてくれるのかしら?」
「あんたもいるのか」
「あんたとは、あまり褒められた言葉遣いではないですね。エクイテオさん?」
微笑みながらファナはエクイテオに言う。ツィーガの前だからか、柔らかい口調と表情を崩そうとはしない。
「そうか、テオは聞いていなかったっけ。今回の行事のために先行してたんだ。お疲れ様ですファナ、さん。どうですかこの国は?」
「いいところね。人は親切だし、食べ物もおいしいし」
天使と言ってもさほど違和感をおぼえないほどの美貌に、柔らかく上品な物腰。老若男女問わず、誰しもが魅了されるような魅力に溢れた女性だが、実体は狡猾かつ大胆不敵な女傑であることはエクイテオをはじめ、ごくわずかな人間だけが知っていることである。異国で見るファナの美貌は、青空にも、街の景色にも一際映え、神秘的ですらあった。
「さぞ親切をうけているんでしょうね、その顔のおかげで」
「誰もがあなたのような考え方をするとは限りません。容姿などにこだわらず、皆さんとても快活で寛容ですよ」
「いやいや、ファナさんの笑顔の魅力にはどんな男だってイチコロですよ。何せ内心まではお顔からは読み取れませんからねえ」
「二人はいつの間に、そんなに仲良くなったんですか?」
ツィーガの言葉に、二人は振り向き、何ともいえない笑顔を浮かべると、顔を見合わせ、暗黙のうちに休戦協定を取りつけていた。
「私は誰に対しても友好的でありたいと心がけているだけです」
「ですよねえ。場合によっては無理やりにでも」
再び火花が散るような視線を交わすが、ツィーガは微妙な緊張感など感じてはいなかったため、騒動にならずに中途半端に終わってしまった。ファナは一つ咳払いをする。
「さ、無駄話はここまで、宿所に案内するわ」
気を取り直したファナの手引きにより、宿所に案内される。ファナの笑顔は最大限に効果を発揮しており、一目見ただけで分かる快適な空間が準備されていた。家主はいそいそと一行を出迎え、ファナもとびきりの笑顔で応じていた。
「何から何まで、ご厚意本当に感謝しますわ」
「いえいえ。あなたみたいな美人の力になれて光栄です」
鼻の下が伸び切った家主には苦笑するしかない。私物をとりあえず広い庭に押し込んだ所で休憩となる。行動予定を聞いた後、ツィーガとエクイテオは食事が供される。エクイテオは相変わらずファナについてぶつぶつと苦情を申し立てていた。真実を知っていれば、誰も彼のような反応になるだろうが。
「あの女が来てるってことは、きな臭いな」
「何だよ。テオはファナ先輩が嫌いなのか?」
「嫌いというか、苦手だ」
油断のできる相手では全くないのは確かである。あの日以来、相変わらずファナなツィーガには目をかけているようである。使いやすい手駒、とでも考えているのであろうか。この八カ月の間、ツィーガには彼女の本性を伝えてはいない。下手に話すと、ツィーガのような男は深入りする心配があるからだ。むしろ、進んで虜になる恐れすらあるだろう。この人の好い友人に真相を話すべきか。答えは容易にでてはこなかった。
海鮮たっぷりの昼食を終え、特産のマドラ茶を飲みながら、エクイテオとツィーガは活気ある通りを飽きずに眺めている。満腹、満足といった顔つきのツィーガに、エクイテオは町娘を指差した。買い物籠を抱え、軽い足取りで進んでいくのを、男二人が視線で追う。
「おい、あの娘、なかなかかわいいじゃないか」
街には彫りの深い、目鼻立ちのはっきりした、浅黒い肌を持つ人間が行き来している。ハルフノール人は海の日差しに灼かれたように陽気であった。豊かな表情が、容貌をより一層魅力的に見せているのかもしれなかった。
「そうかな?」
話に乗ってこようとしないツィーガに、エクイテオは大袈裟に呆れてみせた。
「長年付き合って、一番分からないのが、女の好みだ。どんな娘がいいんだよ?何なら紹介するぜ?」
ツィーガはあいまいな笑みでごまかした。エクイテオからみても、ツィーガはそれなりに整った顔立ちであり、神官戦士になった今では、本人が気づかないところで色々と秋波を送られているようなのだが、余りにも手ごたえがない。エクイテオの重ねての問いに、のんびりとツィーガは答えた。
「少なくとも、信仰する神様は同じがいいかなあ」
「成程、国際結婚なんて真似はできないか。神官戦士ともなれば、政治的な問題も無視できないってやつ?」
「そういうわけじゃないけど……それより、船で途中になった話の続きだけどさ」
「ああ、ハルフノールの揉め事の話か?見た所、いい国みたいだけどな。何も揉め事なんぞ起こりそうもないじゃないか。エスパダールにだって負けない栄えようだし。いっそ六大国といってもいいぐらいだぜ」
「それだよ。ハルフノールは結局、『五大国』の仲間には入れなかったんだ」
「なぜだ?」
「神が『降臨』しなかったからさ」
「五大国が『五』大国たる所以、それは竜に対抗する唯一の手段、円蓋の有無によるわ」
部屋に入ってきた、ファナが突然話題に入り、二人は思わずのけぞった。
「ツィーガ、ちょっと来てくれる?あなたの護衛対象が到着したわ」
「はい」
かちゃり、と剣がなったのは、ラーガが意気込んだからであろう。二人がファナに連れられていくと、倉庫に、かなり大きな木箱が収められるところであった。立方体で、一辺の長さが大人の身長四人分といったところである。
「大きいですね」
「ええ。これのために、別途船を用意しなければならなかったくらい」
改めて見れば、相当に厳重な封印が施され、その上法術が込められた鎖で封じられている。何人もの男が早春の陽気にも拘らず、汗だくで作業をしていた。指示を出しているのは、妖精族である技術士官、ドグズ・ウランバである。人間より背が低いが、がっしりした体つきに、大きな鼻と毛むくじゃらの体躯を持つ。金属加工について卓越した技術を持つ一族から派遣されてきた無口な男である。法具作成に傾ける情熱、集中力は並外れたものがあった。
「お疲れ様です」
「……」
ファナの挨拶に無言で頷く。指示を出しているのか不明だが、作業自体は滞りなく進んでいるようだ。妖精族は、人間ほどの繁殖力はなく、また竜に対する対抗心も薄い。全てを自然の摂理の一部と捉えているようではある。人間よりも古い歴史を持つ彼らもまた、人間の持つ志力に触れることで変容をきたした集団であった。
人間よりも高い技術、知性そして長命を持ってはいるがゆえか、作品や技術を次世代につなげ、発展するという意欲に乏しく、自然との調和を旨とする生活を続けてきていたからだ。技術は個々人が追及するものであって、集団のものではないという思想が、人間という存在に価値を見出されたことで、彼ら自身もまた自らの知恵や技術の価値と継承の意味を知ったのである。人間の世界に触れた妖精族の一部が、人間と接触を開始したのは、竜との戦いの最中であったという。彼等は人間社会に順応できるよう、姿形まで人間に似せてきた。人間との交配も可能であると言われるが、ごく僅か限られた例しかない。両者から差別の対象となるものであったからだ。
いずれにせよ、矜持と誇りをもって彼らは人間と相対し、人間もまた世界を生きる先達として、頭を垂れて教えを請うたのである。長年に渡り秘匿されていた妖精族の技術は、人間世界に出ることで初めて日の目を見たのであった。もちろん人間と交流し、社会に出るという生き方をよしとしない一団もいて、技術の伝承を巡っては頻繁に対立も起こっている。
ツィーガには、そんな状況よりも目の前の献上品の正体のほうが重要であったので、ファナに質問する。
「……かなりのものですね。中身は、何ですか?」
「重要機密につき、残念だけど教えられないわ」
「ケチ」
エクイテオの小さなぼやきは、ファナに無視された。ファナは話をそらすためか、やや強引に話題を引き戻す。
「さっきの話の続き、何故ハルフノールが大国の仲間入りできなかったか。円蓋を生み出すために必要なのは、今は空へと旅立った神々を今一度呼び戻し、直接力を借りることが必要。だけど、ハルフノールの神、ハルは違った。彼女は人間を慈しみ、自らの肉体を世界に捧げることで世界と一体化し、世界に豊かな実りをもたらした。その代償として、ハルは自らの意識を世界に拡散させてしまうことになったの」
ファナの話に、エクイテオは納得する。
「だからこそ、もう一度この世界に降臨することがそもそも無理だったのか」
「そういうこと。意識も肉体もほぼ無い中で、どうやって降臨させるのかってことよね」
「あの。ほぼ、なんですね。意識は全く無くなったわけじゃないんですか?」
「ええ。王家の一族は、僅かながら残ったハルの意志を聞き取れるというわ」
ハルフノールには、代々神の声を聴くことのできる王族がいる。彼らは、女神ハルと人間との間に生まれた子孫とも呼ばれており、秘密の力を宿しているとの噂もある。五大神降臨の際に、ハルフノールもまた降臨を行おうと努力を重ねたのだが、結局は成功に至らずにいる。
「豊かな国であり、神の保護もありながら、竜から身を守る術を持てずにいることで、五大国に遅れをとることになってしまったのはいかにも皮肉ね」
「成程なあ」
「自分達だけ竜との戦いから逃げて、安穏とした生活を手に入れた。なんて他の国からやっかみ半分で言われることもあるしね。そこに八年前の王族失踪事件が繋がってくるわ」
「それについては、予習してきました」
五〇年前から、一族の悲願として神の再臨を目指してきたが、一向に成果が出ずにいる中、五大国は傍から見れば結束し、人類の発展を推し進めてきた。一方竜に対する備えを手に入れることができずにいる中で、このまま取り残されることがハルフノールの将来にとって良いことなのかを疑問視する人々が現れ、王族に対する不信感が募ってきた。
「降臨させることのできない王族など必要ないってね。焦ったのか、その時の王は他国へ国を開こうと積極的に外交活動を始め、大陸にもやってきた。そこで失踪事件が起こった。土砂災害に巻き込まれ、今まで遺体は発見されていないわ」
「酷い話だな。いままで世話になってきたのによ」
「世論を陰で動かした人がいるのは、間違いない。結局は権力争いだったんでしょうけどね」
ファナは頭を振る。いい香りが二人に伝わってきたが、エクイテオが風の精霊に頼んで吹き飛ばしていた。
「ちなみに現在の王様ってどんな奴なんだ?」
「わずかながらに王族の血を引いているってだけの下級貴族出身。ちなみに親戚がモス宰相よ」
「後継者争いか……さぞ裏で何かあったんだろうな」
「そう。この間、何人もの王族が原因不明の自己や病気で亡くなっているわ。さらにいうと、国王が失踪した事件が発生したのは、デュミエンド」
エクイテオは思わず天を仰いだが、目に映るのは、土で作られた天井だけである。
「成程、確かにあまり関わりは持ちたくない感じの国だなあ」
こんなにいい街なのに、とぼやくエクイテオ。ツィーガは無言。
「ハルフノールは、大国に入ることができず、障壁に守られることはなかった……でももしかしたら、その体制が変わるかもしれない」
「どうやって?」
興味深々のテオに対し、ファナは意地の悪いまなざしを向けた。
「部外者には教えられません」
「何だよ!」
「これからわかるわ、世界が変わる瞬間に、私たちは立ち会っているってことに」
謎めいた微笑みを残して、ファナは立ち去っていく。これからジグハルト卿のところで会合があるという話であった。ツィーガ達には誕春祭当日以外は、こまめな視察の護衛、夜は献上品の警護となっていたが、今日は当番でもなく、特にすることがない。デリクスからは、自由な時間のときに、きちんと街の様子を把握しておくこと。本番で役に立つからね、との話を聞かされてはいた。
「ったく。思わせぶりなことを」
舌打ちせんばかりにエクイテオは消えたファナに毒づくと、一気にお茶を飲み干して立ち上がった。
「さて、と。じゃあ俺は俺自身の目的を果たしてくるかな」
エクイテオは、先の功績とツィーガの推薦もあって、雇われる形で同行していたが、護衛というよりは、情報収集が役目である。比較的自由な身分であったので、個人の目的を持っての参加であった。
「ああ、凄い精霊士に会いに来たんだよな」
「そういうこと。この街の外れらしいから、いつ帰れるか分からないぜ」
「ああ。気をつけてな」
「あいよ。お前もあの女神官には気をつけな」
気を取り直して、エクイテオも部屋を出て行った。
Ⅲ
ツィーガ達とは別行動となった上層部達は、見学という名目にて王城への道を急ぐ。ロイ・ジグハルトとジェズト・バーズがそつもなければ面白味もない会話を交わす様子を、デリクスは表情を消して見守っていた。もともと存在感がある男でもないので、意識せずとも周囲の風景に溶け込むことができる。ジェズトがいまだ早春の寒さが残る光景を見やり、何気なく話題とした。
「今年の春は、すこし遅いようですね」
「ええ。本格的な春の訪れはまだもう少し時間がかかるでしょう」
「何か気がかりなことでも?」
ジグハルトの表情と口調を見て、デリクスが口を挟む。ジェズトが睨みつけるが、見ないふりである。
「ええ……まだ確証がある訳ではないのですが、作物の収穫量が八年前を頂点に伸びが鈍っています。技術の改良や、優秀な人材を増やして工夫をしているのですが、中々結果がでないありさまでして」
「八年前というと、宰相閣下が変わったときですかな」
ジェズトの視線が棘から刃に代わる。
「そう、哀しい事件があった年です。もしかしたら、考えたくもないことですが、女神ハルの力に何らかの影響があるのではないかという人間もおります」
ジグハルトは自らの言葉で言い切り、デリクスの目が細まった。普通交渉術として、相手に弱みを見せるようなことは望ましくないとされるが、何故こんなことをエスパダールに聞かせたのか。意図がどこにあるのかを見据えなければならない。デリクスは質問を続けた。
「宰相閣下にあらせられましては、この件については何と?」
「気にするようなことではない、ハルフノールは国威も順調、近隣国との関係も良好であり、平地に乱を起こすような言動は慎むべきである、とのおおせでした」
シールズからしてみれば、自分の統治にケチをつけられたと考えたのだろう。ジグハルトは、開明的な気質を持ち、国内きっての外交通であるとされる。人気は抜群、領地の統治能力も水準を大きく超えているとの報告だった。加えて、この容姿。貴族から庶民にいたるまでさぞ女性から騒がれていることであろう。力関係としては、どうやらジグハルトは実に煙たい二番手というところか。
「だからこそ、我々は女神に頼るのではなく、自分達の力でハルフノールを守らねばならない、そう考えています」
デリクスにはかなり踏み込んだ発言にも聞こえたが、ジェズトは一般論として受け止めたのだろう。当たり障りの無い回答を選んでいた。
「御志お見事です。我らエスパダールは正義の国、いつでも御助力いたします」
「ありがたい。よろしくお願いします」
デリクスは再び風景と同化しながら、外見上は全く隙を見せない男の横顔を再び探りはじめた。
ツィーガはエクイテオと別れた後、真面目にデリクスの言い付けを守り、街を歩く。街路はそれほど広くないが、出店が多く並び、商品は雑貨や工芸品が目立つ。正式な国交は開かれていないが、簡単な審査が通れば観光に訪れる人間も多いとのことで、ツィーガを見てもさして珍しいとも思わないようだ。突如、ラーガの声がした。
『街を歩いての感想は』
そら来たぞ、とツィーガは内心身構える。ここでちゃんと答えないとあとで素振りだなんだと要求するのである。この八カ月で、ツィーガはそれこそ骨身に沁みるほど理解していた。おかげといえばおかげだが、身体つきはぐっと引き締まり、剣術の腕も周囲に認められつつあったが。
「そうだな。街は攻めにくいだろうな。こう道が入り組んでいたら、大軍では攻められないし、城に行こうにも袋小路に迷い込んでしまう」
『ふむ。まあまあの答えだな』
「そもそも、俺を見張りなしで歩かせるところからして、自信があるということなのかね」
『おそらくだが、隠し通路があるな。城壁以下、地下に至るまで。さらに言えば区域ごとの組織がしっかりしている。自由に動かせているように見えて、各街区の境には必ず交代制で兵士を配置している』
ツィーガは口を開け、間抜けな表情になった。
「何で、そうなるんだ?」
『同じ道を通ったときに、こちらを伺っている人間がおり、しかもすれ違うこともできないのに兵士の顔が変わっていた。見えないところで人が入れ替われるようになっているということだ。更に家の構造と比較して、壁が不自然に厚い個所もある』
ラーガの視点に、ツィーガは唸るしかない。一瞬で顔や体形を記憶するとは。おそらくは今まで通った経路も覚えているのだろう。
「……どうやって覚えているんだよ」
『目標を凝視しようとするな、なんとなく全体像を把握するほうが違和感に気付きやすい。ま、日々訓練だな。という訳で、素振り五〇〇回』
肩を落として帰路につくツィーガ。呼び込みを何とかかわし、入り組んだ道だったが、何とか宿舎まで戻ることができた。さて、と素振りを始めようとして、誰かがこちらを見ていることに気付く。振り向いて顔を見た瞬間、互いに破顔した。
細身だが繊弱ではない人影に、記憶が一気に奔流となって体内を駆け巡った。喜びと、一瞬の悲哀に胸がつまりかけるも、吐きだすように友の名前を呼んだ。
「リーファ、リーファじゃないか!」
「ツィーガ。久しぶり」
リーファは既にこちらに気付いていたようだ。少し日に焼けて、旅をしている様子を感じ取らせた。女性ながらに鍛え上げられた身体には、八か月前のツィーガでは感じ取ることのできなかったであろう、抑えられた凄みのようなものを漂わせている。ただ、表情は柔らかく、笑みには再会の喜びが溢れていた。神の力を借りず、人類の敵であり、生物の頂点である竜を目指し、己自身の力を磨き続ける『
「なんでリーファがここにいるんだい?」
「街の噂でエスパダールの使節船が来るときいて、もしかしたらと思ったの。ツィーガの顔を見かけたときはびっくりしたけどね」
その後、使節の宿所を尋ね歩き、ここを見つけたとのことである。リーファの顔には純粋な喜びが満ちていた。
「まさか、こんなところでツィーガに会えるなんて」
「本当にそうだね……元気だった?手紙を出そうにもどこにいるか分からなかったから」
感情の潮が胸一杯に満ちて、上手く言葉がでない。
「いろいろと旅していたもの」
「今は一人旅なのかい?」
「いえ、二人連れよ」
ほんの少しだけ動揺したツィーガの表情から、リーファは何かを読み取ったのだろうか、すぐに言葉を繋いだ。
「実は、新しい師匠を見つけてね。以前兄がお世話になった人なの。今は世界を一緒に放浪しながらの修行の日々。この島に来たのもそのためよ」
「そっか、やっぱり修行の日々なんだね」
「私にはそれしかないから」
「じゃあ、俺と同じだ。な、ラーガ」
『うむ。久しいな、リーファ。ここでのドラグナーの立場に問題はないのかな?』
「ラーガさんもお久しぶりです。はい、五大神信仰だけでなく、ドラグナーに対しても偏見も、差別意識もないようです。とても居心地はよいですよ。不思議なものですね」
ツィーガも幾人かの人間と話をして、同様の感想を持っていた。宗教というものに寛容、もしくは無関心な国民性なのかもしれない。
『そうか。壮健そうでなによりだ。もう少し女っぽくなっていれば満点だったのだがな』
「ご期待に沿えず、面目ありません」
柔らかく受け流す少女の笑顔を横目で見つつ、そうかな、とツィーガは首をかしげる。リーファの表情には笑顔と、そこはかとない女性らしさというか、色気のようなものを感じた、ような気がする。一方、以前あったような悲壮感は消え、替わりに強い意志のようなものが感じ取れる、気がする。まあ女性の表情について話をしたら、人生の先達であるラーガから鼻で笑われるであろう。
「そうだ、テオも来ているんだよ」
「本当?でもツィーガは仕事だとして、なんでテオまで?」
「何でも、このハルフノールにすごい精霊士がいるらしくて、機会があれば一度来てみたかったんだってさ。今その人のところに会いに行っているから、テオが帰ってきたらみんなで会おう」
「分かったわ。ごめんなさい、師匠を待たせてきているから今日はこれで帰るね。私は『海流亭』という宿屋にいるわ、ここから歩いてすぐのところよ」
大きく手を振って、リーファは帰っていった。姿が消えるまで、ツィーガは見送る。ハルフノールへ来たことについて、自然と神へ感謝の祈りを捧げる。
『素振り』
再会の喜びを満喫しようとするツィーガに、ラーガの無情な宣告が下されていた。
Ⅳ
夜になり、エスパダールの一行はジグハルトの邸宅へと招かれた。素振りに疲れたツィーガとファナの二人も、警備場所の視察と言う名目で、今回は同行する。エクイテオはまだ帰ってきていなかったが、いつものことだと気にしない。ファナとあれこれ話をするうちに、上司であるデリクスの話題となった。今回特使として派遣されジェズトの護衛としての任務ということになっている、が。
「あの『凪のデリクス』がわざわざ本国を空けてまで来るってことは、かなり重要な案件が裏では待っているかもしれないわね」
「あの献上品のことですか?」
「勿論それもだけど。もっと動きがあるかもしれない」
ファナが訳知り顔で話すと、ツィーガは尊敬のまなざしを向けた。
「ファナ先輩って、本当に色々なことをご存じですよね」
「へ?あ、あは、そうかしらね?まあ皆さん親切にしてくださるからかな?あはは」
ファナは内心の動揺を隠しきれない。つい、気を許してしまうような安らかさがこのツィーガという青年にはあり、中々思うように自分の懐に取り込むことのできない理由の一つでもあった。とりつくろうファナの様子を気に掛けることもなく、ツィーガは自分の正直な気持ちを伝えた。
「でも、あの司祭長が切れ者っていうのは、何となく信じられませんね」
「そうね。気さくな感じだし、人は見かけによらないというか」
態勢を立て直したファナはトボけて話を合わせる。デリクスの裏の顔を知れば、ツィーガはどんな顔をするのか、気になるところであった。
『だからそれが、あの男、デリクス・デミトリウスの手段だよ。あれもまた技術の一つだと思え。ツィーガ、世に学ぶことは多いぞ?』
ラーガのお小言を神妙に受けるツィーガではあったが、何となく隊の規律も緩んでいるようである。それほどにこのハルフノールという町自体がもつ雰囲気は気さくなものであった。エスパダールのような荘厳かつ峻厳といった気配はない。たまたまこの街にきて、そのまま居ついてしまう人が少なくないというのも頷ける。
「ようこそいらっしゃいました」
法術による灯りが煌々と夜を照らす邸宅からでてきたのは、姿の美しい、ロイ・ジグハルトである。正式な礼服が実に似合うが、何となく違和感をおぼえるいでたちでもある。
「あら、素敵な人」
思わずファナの口からそんな言葉がこぼれでてしまうほど、ロイという男の持つ雰囲気は群を抜いていた。
「それにあの服、エスパダールから取り寄せたのね」
「確かに、エスパダール式の礼服ですね」
言われて初めて、ツィーガが抱いていた違和感の正体が分かる。ハルフノール人の服装の中、エスパダールの人間が紛れ込んでいるような様子であった。
「服まで気を使うなんて、大したものだわ」
ファナに続き、ラーガもまた唸るような声をあげる。
『あいつ、かなりできるな』
「ああ、何となく俺でも分かる、それにあの人が佩いている剣……」
ツィーガには志力を感知する能力はないはずではあるが、それであっても圧倒されるような威圧感を、むしろジグハルト本人以上に感じさせる剣であった。細身であったが、さぞかし名のある剣なのであろう。ラーガがかちゃりと身を震わせる。
『俺も、ああいう剣に備え付けられたいものだ。ツィーガ、何とかしろ』
「無理」
『甲斐性なしめ。いつまでも官給品なんぞに繋がれる俺ではないぞ』
「うるさいな、だったら箒にでもつないでやろうか」
『何だと!』
声が大きくなりかけたとき、警護班長がやってきた。
「では、皆は屋敷の警護に回ってくれ、ファナはこちらに来るように。頼んだぞ」
「はい。二人とも、喧嘩はやめてね。みっともないから」
赤面する一人と一本を残し、ジェズト侯爵にしたがって、デリクスとファナその他数名が別室に移っていった。
持ち場につき、しばらく一人と一振りの間に沈黙が飛びまわる中、ツィーガの記憶が遡及していく。ドーミラでの一件後、ラーガ・シュタイエルについて調べたときのことだ。戦乱の収まった今では空位となっているが、五〇年前の、そして最後の戦士長。大規模な騒乱の時期に『剣聖』『エスパダールの魂』『古今無双』とまで讃えられていた英雄などという記述を見て、慌てて本人に対して問いただしたものである。国家間紛争についての論争を好まない社会情勢であり、戦争の時代だった近代史を学ぶ人間が少ないとはいえ、無知を晒したツィーガは恐縮しきりだった。
「ここに書いてある内容、本当にラーガなのか?」
『ま、多少は誇張してあるがな。どうだ、尊敬したか?』
「尊敬というか、あまりに話がでかすぎて、何とも」
ラーガはかちゃりと音を鳴らす。溜息というよりは苦笑のようである。
『まあいい。別に恐縮されたいわけじゃない。堅くなられてもこまるぞ』
あっさりと言い放つと、ラーガの過去についての話題はそれきりとなった。いかに、彼自身の希望とはいえ、伝説の戦士といっても過言ではない男の魂が、一兵卒にすぎない自分のような人間の法具として、果たして使われるようなものなのだろうか。ラーガの人生について、質問したい気持ちは日々強まっていくが、本人が話すのを待ったほうがいいのだろうと考えてもいた……
……気を取り直したツィーガは、勤めて気安げにラーガに話かける。
「世の中にはすごい人間がいっぱいいるなあ。なあ、ラーガ」
ジグハルトという人物の背中が、やたらと印象に残っていた。一国を背負うような人間には、それなりの威容、威厳があるということだろう。不肖の弟子の様子に、ラーガは特に何も言わずに、いつもの調子に戻っていた。
『全くだ。俺も人間の時、戦闘という点においては人後に劣るとは思わなかったが、そういったものと、人の上に立つものが持つ、いわく言い難い雰囲気とは全くの別物だ。位が人を作るという言葉もあるしな。だかそれだけでないというところもまた難しく、面白い』
「はあ」
夜の月に照らされる街の中で、今まさにこの国の未来を占うような会談が行われているのかもしれない。自分が知るよしもない今この時、また誰かが新たな世界を生み出し、切り開いているのかもしれない。
自分は何になりたいのだろう。自分はどこへ行くのだろう。
『ん?』
「どうした、ラーガ?」
『いや、今人の気配がしたような……済まん、気のせいだったようだ』
しっかりしろ、と言おうとして、ツィーガは止める。結局一人と一振りは、言いようのないぼんやりした気持ちを掴まされて、ただ夜空を見上げることしかできなかった。
月はただ、困ったように微笑んでいるかに見えた。
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