第2話 過ちの「竜」





 ツィーガ、エクイテオ、リーファそしてお目付け役(?)のファナの四人が集合し、今後の打ち合わせを行う。机と椅子だけの殺風景な部屋であったが、ファナの入れたお茶の芳香が、一同の緊張を幾分か和ませていた。

「しかし、どうやって探せばいいんだよ」

「竜の気配は、消えたままなんですよね」

 エクイテオの言葉を受けたツィーガに、ファナが答える。

「事件発生当日には確かに発生した痕跡があるんだけど、本当かどうか怪しいわね。リーファは心当たりある?」

「竜の器というものについて、私を含め村のほとんどの人間は何も聞かされていません」

 エクイテオはファナの話を聞きながら考える。痕跡があったということは、もしかしたら他国も認識している可能性もあるということなのだろうか。ツィーガがリーファに問いかける。

「となると、やはり鍵はリーファさんのお兄さんか。何か手はある?」

「私達【追竜者ドラグナー】達は、神を介さずに志力を行使するために、志力を認識し、感知するための修行を行っています。兄と妹である私は志力の色が似ているので、ある程度近くにいれば感知することは出来ると思います」

「色?色がついているの?」

「あなた方に分かりやすいよう、敢えてそういう言い方をしただけです」

 素っ気無いリーファの返答にツィーガはやや鼻白むが、ファナが上手く合いの手を入れた。

「今はどう?駄目?」

 リーファは首肯する。

「兄との距離がもう少し近ければ、何とかなると思うのですが……」

「逆に言えば、今は近くにいないということか」

「【遠視】の法術を使おうにも、直接見た人がいないし、何より範囲が広すぎるから。困ったわね」

「テオ、何とかならないか?」

 誰もが発言しなくなったとき、のほほんとしていたエクイテオにツィーガが問う。エクイテオはあっさりと言った。

「ああ、なるんじゃないの」

「「え?」」

 正直何も期待していなかったためか、リーファもファナもあまりに簡単な物言いを受けて声を上げた。

「何だよ、その反応は……」

「どうするんですか?」

「精霊に聞いてみるよ。あいつらにとっても竜はいるだけで周囲の環境を壊す厄介者だから、教えてくれるんじゃないかな、多分」

「でも、精霊って、いつも型通りの仕事しかしないんだろ?」

 ツィーガの質問に、悪そうな笑顔でエクイテオは答えた。

「それだけだったら精霊士なんて職業無いだろが。精霊達も人間と同じで、たまにゃあ羽目をはずしたいわけよ。機会があれば好きなことしたいのさ。その機会を作ってやるのが精霊士の御役目ってこと」

「機会?」

「精霊も管理社会でね。遊ぶためには上役の許可も必要だし、お小遣いも用意してやる必要があるってことさ。いやはや、哀しいねえ」

 大袈裟な身振りのエクイテオに対し、ファナが苦笑気味に応じた。

「人間があげるお小遣いってことは、志力ってこと?」

「お察しのよいことで」

 拍手でファナを讃える。おそらく一番の自由人であるエクイテオが労働者の悲哀を歌うというのも皮肉なものである。残りの三人は慎ましく沈黙を守った。

「ま、そういうことだから取り敢えず広いところ、風の強い場所に行こう。こういう話は、風の精霊に聞くに限る」



 街を出た一同はしばし歩き、風の舞う丘に辿りつく。エクイテオの目は、既に周囲を美しく舞う風の精霊が見えていた。顔は人間の顔と鳥の顔が混ざったような流線型で、羽毛のようなものに覆われている。大きな翼を四枚持ち、風の子は翼に乗るものもいれば、周囲を飛び回るようにじゃれついているものもいる。彼等の役割は、風を引きつれて所定の場所まで到着すること。目的地に辿り着くと、そこでまた別の仕事を受けては、ひたすら世界中を旅するという、いうなれば風の配達人である。

 幼少期から既に、エクイテオだけは彼らの美しい姿を捉えていた。だが周囲は皆、彼の話を信じず、馬鹿にされ、親からは外で話すことを禁じられた。彼の話を喜んで聞き、羨ましがりさえしたのは、ツィーガだけであった。

「よう、精霊さん。元気?」

 精霊はテオの呼びかけに気付いた。特別な儀式も言語もなく、傍目から見ると虚空に向かって呟いているだけなので、不審者扱いされても仕方がないところである。勿論、姿を見るだけでなく、声を届かせるのも才能が必要である。姿が見えなくとも声だけ届く人間もおり、しらずに精霊が話を聞き騒動になることも稀にある。才能ある人間を把握し、余計な混乱を招かないことも精霊士の仕事の一つであった。ともあれ、エクイテオの声は無事風の精霊に届いたようだ。エクイテオに気づき、寄ってくる。風を切り裂くような、流線形だった精霊の顔がより人間の顔に近くなる。言葉を発するためであろう。

『ナニカヨウカ?』

 聞き取りにくい、まさしく風の唸りのような抑揚の無い声に、にっこりと笑うエクイテオ。興味を引くことも精霊士には必要な才能である。

「最近竜が出たって話、聞いたことある?」

 風の精霊は特に気を悪くした様子もなく、むしろ人間との会話に興味を覚えたようだ。精霊がエクイテオに近づくと、鼻先をくすぐるような風が舞う。犬が臭いをかぐような仕草だった。

『ワタシハシラナイ』

「君は今どこに風を運んでいるの?竜が出たのはここから北にいったドーミラってところなんだけど」

『オマエラガ、デュミエンド、トナノルバショカラキタ。ツイテコイ、ドーミラカラカゼヲハコンダナカマトヒキアワセル』

「本当?親切にどうも、じゃあ行こうか」

 最後の言葉は周囲の仲間への呼びかけである。当然のことながらきょとんとしているファナとリーファを促すように、状況を察したツィーガが声をかけた。

「よし、行こう」



 『風の交差点』と呼ばれるそれは、丁度山から吹いてくる風とぶつかり、精霊達がすれ違う場所である。テオを導いた精霊が、別の精霊に聞き込みをしてくれてはいたが、次第に風の精霊達が自然と集まりはじめては好きなことを喋り始めていた。大きな会合、というよりむしろ井戸端会議の様相を呈している。皆、これ幸いと話に興じているようであった。

「何か分かった?」

「んー。何か話が別の方向にずれているな……何だか皆、自分の受け持ちの自慢話を始めているみたいだ」

「本当に、大丈夫なのですか?」

 最初は呆然とエクイテオの様子を眺めていたリーファも、次第に苛立ちが募ってきたようである。傍から見ればエクイテオはぼんやりと空を見て、適当におしゃべりをしているだけなのだから、無理もないかもしれない。

「まあ、焦らないで。精霊ってのは皆こんなもんなんだよ」

 精霊達の話が急に止まった。何事が起きたのかとエクイテオが訝しんでいると、何やらより強い精霊の気配を感じ取る。どうやら、この地域を統括する精霊が騒ぎを聞きつけたようだ。わいわいと騒いでいた風の精霊達が、一斉に整列する。

『何をしている』

 恐縮し、うなだれている風の精霊達を圧するように、威厳ある男性の姿、八枚の翼持つ姿で現れたのは、上位に位置する風霊長である。エクイテオに向けての声はより鮮明に警戒の意志を含んでいるようだ。

「あーすいません。話聞いていたら収集つかなくなりまして」

『彼らにも仕事がある。あまり困らせるな』

 へこへこと頭を下げつつ、エクイテオは風霊長に質問する。

「すいません。ちょっとお尋ねしますが、最近竜を見た、という話はありますか?ドーミラのあたりなんですが」

『私が見た。竜と言っていいのかは分からないが』

「と言うと?」

『今は竜の姿をしていないが、あれは竜と呼んでよいものなのだろう。それほどに強大だった』

 あっさりと答える。この地域を統括しているのだから、当たり前と言えば当たり前である。

「おい、やっぱり竜いたってよ!」

 エクイテオの言葉に、むしろツィーガのほうがホッとしていた。

「本当?」

「何処に行ったか分かるのか?」

 人間達の様子を見やりつつ、風霊長は厳かに断言する。

『国境沿いの道を、北東に進んでいる。お前達の言うフェンレティの方向だ』

「そうですか?何か他に情報は?」

『人間の男が一人一緒にいる』

「おそらく、ガリューシャさんだな……お忙しい所すいませんが、うちら、その人達と会いたいんですよね。道案内お願いできませんか?勿論私の志力を献上します」

『よかろう。我々にとっても竜は脅威である。ここにいるものに案内させよう。お前の志力はどうやって捧げるつもりだ?』

「これから七日の間、毎朝瞑想により身体を開放します。志力を持って行ってください」

『契約は成立した。お前に道案内を命じる。他のものは仕事に戻るんだ』

 エクイテオが最初に声をかけた精霊が恭しくお辞儀をする。それ以外のものは名残惜しそうに飛び去っていった。

『では私も行く。さらばだ』

「ありがとうございました!」

 全てが終わり、エクイテオが再び振り向いた。

「俺について来てくれ。何とかなりそうだ」

 浮かべた笑顔は実にさわやかなものであった。





「この街にいる、ようなんだが」

 エクイテオの話を全面的に信用し、急ぎ足で追跡すること二日。辿り着いた街は、エスパダールとフェンレティの国境に隣接した、人口規模において国内第三の都市、カルドヴァだった。街の広さは首都エスパダールには及ばないが、小さい建物が密集しており、袋小路も多く、慣れない人間には迷路のような都市である。ここから特定の人物を探し出すのは非常に困難であり、ガリューシャという男が隠れるには絶好の場所とも言えた。

「もうちょい細かいところまで分からないのか?」

「うーん。俺は竜の気配って奴を感じ取れるわけじゃないからなあ」

「精霊は教えてくれないの?」

「それが、人が多すぎてよく分からないってさ」

 エクイテオは肩をすくめる。案内役の風の精霊は既に別の精霊とおしゃべりに興じていた。

「リーファ、何とかお兄さんの気配を追えそうかい?」

「やってみます。少し時間をください」

 スパッダの神殿に立ち寄り、調査協力の依頼をすると、早めに宿を定める。神官戦士指定の常宿であり、細かく話をしなくてもこちらの事情を何となく察してくれたようであった。リーファは兄ガリューシャの志力を探るため、与えられた個室に籠り切りになる。ファナはこの街に赴任している知り合いがいるとかで、神殿に残った。

「これからどうするんだよ、ツィーガ」

「俺に聞かれてもな……いや、そんなんじゃいかんのは分かってるけど」

 ツィーガは自分が何をすべきか、方針を立てられずにいる。慣れない街とはいえ、状況に振り回されっぱなしの自分が情けない。

「そうかい。じゃあ取り敢えず俺も精霊と交信するから部屋に行くわ」

 エクイテオは友の様子を察したのか、話を切り上げる。ツィーガは現状や考えを整理することにした。

「おう。俺は少し街を歩いてくる」

「おい、ツィーガ」

「何だ?」

「気になるか、リーファのこと」

 笑顔を消した顔に向けて、ツィーガは笑顔を作る。

「……ああ、気になるよ。何せ俺はお前と違って真面目な子が好みだからな」

 そうかい、そりゃよかった。そう言って、ツィーガの下手な冗談を聞き流し、エクイテオは部屋に入っていった。あの日精霊と交信してから、エクイテオは精霊との約束を果たすために毎日瞑想を行っている。話によれば精霊に身体を預け、精霊は人間の体にある志力を吸い取るのだそうである。捧げられた志力は世界に還元され、新たな命を生み出す苗床となり、あるいは精霊が世界に行使する力の源となるらしい。志力を全て失った精霊士は、自身の身体全てを世界に還元し、いずれは精霊として再生するものとされている。実際、瞑想を終えたテオは、ツィーガが見ても気だるそうな様子が垣間見られる。

『中々、楽な仕事ってやつははないものなんだな。精霊士という奴も』

 【先生】の言葉に、ツィーガは頷く。結局、何の代償もなしに力を得られるということは無いということなのだろう。

『甘い話はないということだ』

「全くですね。先生、私はこれからどうするべきでしょうか」

『リーファの兄ということであれば、当然【追竜者ドラグナー】。己の身体を極限まで鍛え上げ、自らの力で志力を世界に顕現できる超常的な能力の持ち主であることは間違いない。危険な敵だな』

 人のもつ『志力』の真に偉大な点は、己の望む方向へと自らを変えていける力であろうと、ツィーガは思う。追竜者達は、世代すら超えて悲願に向けて邁進する。ツィーガはその単純で、実直な生き方に好感に近いものを抱いていた。

 いつかは彼らが竜に届いて欲しい、とツィーガが思う気持ちには、人間全体に対する願いであり、祈りのようなものであると同時に、いまだ不安定な自分自身に対する叱咤が含まれていた。願えば、努力すれば叶う、そう信じなければ未熟な自分を許すことができないのだから。

「まだ、戦うと決まったわけではないでしょうが……」

『常に危険を想定しろ。大切なのは、生き残ることだ』

 【先生】は断言する。ツィーガは自分の感情の動きを悟られた気がしていた。追竜者への共感を、仕事に持ち込むことは危険であることは明白であった。気を引き締め直す。

「生き残ること、ですか」

『その通り、生き残ってこそ、学んだ知識も技術も生きる。お前はまだ未熟者、功を焦ることだけは慎むようにな』

「分かりました」

 いささか説教臭いと思わなくはないが、今の自分にはそれが丁度いいのだろう。素直に返事をしながら街並みや街路を地図と見比べながら頭に入れていった。

『うむ。ではもう一つ助言を。あのリーファという少女にも注意を払うべきだ』

「何故ですか?」

『何度もいうことになるが、お前は未熟者だ。その未熟者を敢えて同行者に選ぶのには、何か理由があるのではないか?』

「まさか。あの子は真面目ないい子じゃないですか」

『警告はしたぞ』

 かちゃり、と剣から音がする。それっきり、【先生】は黙った。


 深夜、街は静かに寝静まっている。ツィーガ達は皆、旅の疲れからか、安らかな寝息を立てている……はずだったが、遠く喧騒の音が聞こえる中、ただ一つの影が行動を開始していた。しなやかな、物音が全く立たない動きで窓辺に立つと、躊躇いも無く二階からその身を投げ出す。跳躍は高く遠く、隣の建物の屋根にあっという間に到達していた。

「……」

 月光が姿を照らすが、顔は覆面に隠れて見ることができない。影は再び跳躍し、屋根伝いに一定の方向を目指して突き進む。辿り着いたのは、街の中でも最も治安の悪い地区、浮浪者や犯罪者の寝床であった。悪臭が鼻をつくような街路に降り立ち、足音を立てずに建物に歩みよると、一気に跳躍して窓から室内に飛び込んだ。

「!」

 影が遭遇したのは、真っ向から自分を見据える鋭い眼光である。鍛え上げられた身体が服の上からでも分かるような盛り上がり方をしている。凛々しいというよりも猛々しいという言顔つきには、微塵の油断も困惑も浮かんではいなかった。

「リーファか。よくここが分かったな」

「ガリューシャ兄さん……」

 覆面を取ると、少女の顔が姿を表した。どうみても兄妹の再会という雰囲気ではない。殺気に近い緊張感がその場の空気を張りつめさせる。

「気付いていたんですね」

「お前が分かるのに、俺が分からないとでも思ったか」

「一体、ドーミラに何があったんですか?竜の器とは?」

「それを聞いてどうする」

 会話になるようでならない。ガリューシャとの会話はいつの頃からかそうなってしまっていた。

「兄さんを止めに来ました。兄さんのしていることは、一族の掟に反します」

「一族の掟とやらがそんなに大事か、ならば教えておく、掟を破ったのは私ではない、トレンガ村長の方だ」

「だったら何故逃げる!正々堂々と身の潔白を証明すればよいではないですか!?」

「『竜の子』を守るため。それ以外にない」

「竜の、子?どこにいるのですか!?」

「教えるつもりはない」

 堅い言葉以上に、決して届くことのない拒絶の壁を目の当たりにして、リーファの胸に、苦い痛みがじんわりと広がっていく。

「……兄さんは変わってしまった。昔から頑固だったけど、あのことが起こるまでは……」

「それ以上話すな、妹でも許さん」

 兄の返答に、リーファは静かに身構えた。

「兄さんのいうことは何一つ信じられない。一族の掟に従い、ガリューシャ、あなたを捕縛します」

「できるのか?お前に」

 ガリューシャの問いに、リーファは無言の突進からの突きで答えた。常人の目では捉える事すらできない速度、だが受けて立つ男の動きは、更に上回っていた。猛烈な勢いであるはずの拳を軽く払いのけると、電光の速さで反撃の蹴りを返す。リーファは受けることなく必死でかわした。

 蹴りの余波で食台が真っ二つに切断されるほどの鋭さである。さらに踏み込んだガリューシャの突きを辛うじて避けたリーファは、距離をとるために窓から飛び出した。だが、着地をする寸前、追いかけてきたガリューシャに足を掴まれて倒れ伏す。

「くっ!」

 遅滞なくガリューシャの蹴りが飛んでくる。両手を交差させて受け止めるが、身体ごと吹き飛ばされた。五ミール(五メートル)ほど宙を舞ったまま、壁に激突する。身体がめり込み、亀裂が入るほどの威力である。常人であれば全身の骨を砕かれて即死だろう。

「お前では私の相手にならない。未熟者め」

「黙れ!裏切り者!」

 吐血しながら、それでもリーファはガリューシャに向けて突進する。未熟者という言葉がリーファの理性を奪った。目にも止まらぬ連撃を、ガリューシャはしかし、まるで稽古を着けるかのように軽々と捌き切る。二人の実力差は歴然としていたが、リーファの闘志は不屈だった。突進すると見せかけて、踏み込んだ力を使って宙に舞い、背後に回り込むように動く。勢いそのままに放ったリーファの回し蹴りを、身体の向きを変えないまま腕だけで受けとめ、そのまま足を掴んだ。

「もうやめろ。これ以上は手加減できない」

「でぇい!」

 自由なもう一本の脚で蹴りを入れようとするリーファだったが、ガリューシャは妹の動きなど全く意に介さず、脚を掴んだ片手で振り回し、リーファを壁に向けて思い切り放り投げた。

「きゃあ!」

 ついに悲鳴を漏らすリーファ。体勢を整える暇もなく吸い込まれるように頭から壁へと向かっていく。だが、衝突の破壊音は響かなかった。激突するかに見えた身体はしかし、何者かに受け止められていたのだ。

「……ほう」

「……!ツィーガ!エクイテオ!」

「危なかったな」

「独りで無茶するからだぜ、ったく」

 現れたのはツィーガとエクイテオだった。激突の瞬間、エクイテオが風の精霊に頼み、風によって勢いを緩めたリーファをツィーガが何とか受け止めていた。

「一族内の争いに、他人を巻き込むべからず。掟を守らないのはお前のほうではないか」

「違う!」

「そうだ、俺達が勝手についてきただけだよ」

 ツィーガの手を払い、更に突進を敢行しようとするリーファを抱え込むように止める。物凄い力でひきずられそうになるのを、エクイテオがさらに止める。

「取り敢えず、お互い戦いを止めてくれ。兄妹で争う理由などないだろ」

「私にはある!」

 静止を振り切って、再びリーファは突進する。ツィーガは瞬時の判断を求められたが、迷わずに剣を抜いた。

「先生、法力の発動を」

『現在、対人用法術である【強化】は付与されていない』

「……分かりました!」

 ラーガの返答を受けつつ、ツィーガはリーファに次いで突進した。リーファをいなしたガリューシャに対し、一気に踏み込み躊躇い無く剣を振り下ろす。高い、澄んだ音が鳴った。

「何!?」

 何と、ガリューシャは生身の腕で刃を受け止めている。視線を合わせた瞬間、ツィーガは彼の瞳に宿る威圧感に圧倒されてしまい、指に力を込めることができない。ゴミか何かを扱うように一睨みした後、ガリューシャの手が手刀の形で掲げられる。やけにゆっくりとした動作に感じられた。

『ツィーガ!』

 先生の叱咤に、時間が急加速する。手刀がツィーガの胸に吸い込まれそうになる瞬間。リーファが再び飛び込んできた。寸前で止まった腕が彼女の蹴りを受け止める。

「二人で来るのかと思えば、連携も満足にできていない。未熟者同士か」

「うるさい!」

「リーファ!落ち付け!」

『冷静になれ!死ぬぞ!』

 【先生】の声はツィーガに届かない。いや、届いているが対応する余裕などない。リーファもまた感情に任せた単調な攻撃を繰り返すだけであった。エクイテオはちぐはぐな二人の様子を見届けると、やれやれと言わんばかりに首を横に振ると、同行している風の精霊に呼び掛けた

「戦うのは苦手なんだけどね……風の精霊よ。『即決依頼』を提案。力を貸してくれ」

『ワカッタ』

 エクイテオは身体の力を抜き、風の精霊が自身に入り込み、自身の魂に触れるのを実感する。次第に自分自身の存在が希薄になっていく中、『我』を強く認識しつつも、自分と一体となった精霊の力を知覚した。

 通常、精霊との交信は口頭による契約だが、緊急事態において自らの体内に精霊を取り込むことでその力を行使する代わりに、無制限に志力を与える『即決契約』という方法がある。精霊の力を自在に、なお且つ直接的に行使することが可能になるが、完全に一体化すればエクイテオと言う人格は消える。命を削って行う危険な行為でもあった。

「契約完了……こりゃしんどい。長くは持たないね」

 額には冷や汗が浮かぶ。こうしている間にも意識が遠のき、感覚が失われていく。自分が失われていく感覚は、腹の底からの寒気に襲われる。この寒気すら感じなくなったときが、最後の時とされている。意識をはっきりさせ、肝心の戦闘に注意を向ける。リーファとツィーガ二人がかりの攻撃を、軽く受け流しているガリューシャに対し、エクイテオは気合を入れなおした。

「さて、いきますか……ツィーガ!」

 エクイテオの声にツィーガは敏感に反応する。地面に身を投げ出すようにガリューシャから離れた瞬間、エクイテオが右手に風を纏わせ、一気に開放した。突風が吹き荒れ、瓦礫がガリューシャに殺到する。

「ふん……精霊士か」

 殺到する瓦礫を腕の一振りであっさりと払いのけ、突風にも大樹の如く揺るがない。

「それで終わりか?」

「その通り」

 吹き荒れた風が突如向きを変え、粉塵が盛大に舞い上がる。視界が塞がれたガリューシャに向けて、三人が一斉に突進した。

「があっ!」

 三人の攻撃が届く寸前、あと一歩の時にそれは起こった。ガリューシャが吠えると、彼を起点にいきなり爆発が起こり、ツィーガ達はまとめて巻き込まれ、吹き飛ばされる。影響は周囲にまで及び、荒廃していた家屋は崩壊し、街路にも大きな穴が穿たれていた。

「最後だけはまあまあだった」

「ぐう……」

 ツィーガは腕をあげようとして激痛に身を捩る。エクイテオは綺麗に気絶していた。辛うじてリーファだけが立ちあがる。

「さらばだ、『竜の子』は、私が預かる」

「待って!兄さん!」

「……もし真実が知りたければ……」

 意識が遠のき、何を話しているかは聞き取れない。足音が次第に近づいてきていることを、耳でなく身体に伝わる振動で感じつつ、ツィーガの意識は失われていった。





 唐突に意識が戻った時、目に飛び込んできたのは白い天井だった。起き上がろうとすると、腕に鈍い痛みが奔る。頭にも身体にも包帯で巻きつけられているようだ。

「いたた……」

「ツィーガ!良かった!」

枕元にいたファナが明るい声を上げた。

「先輩……」

「あ、じっとして。安静に、安静に」

 そっと肩を押されて横たわる。ファナの身体からは甘い香りが漂った。

「あれから、どうなったんですか?」

「ガリューシャ・ランは逃亡中。使命手配をかけているけど、実際のところお手上げ。追竜者って、噂には聞いていたけど、思っていた以上に滅茶苦茶ね」

 聞けば、建物二棟が全壊。死人は出なかったものの、負傷者は多数とのことである。

「まるで、嵐が吹き抜けたよう。発見できたとしても、うかつには手を出せないわ」

「そうですか……すいません。もう少し俺が……」

「相手が悪いわ。気にしすぎては駄目」

「おう!ツィーガ!目覚めたか!」

 エクイテオが声を聞きつけたのかやってきた。ツィーガ程の怪我はないようだ。運の良さの違いだろうか。

「いやーよかった、よかった。目を覚まさないからどうなるかと思ったぜ」

「今は何日ですか?」

「戦ったのは昨晩よ。今治癒術をかけるから、動かないでね」

 ファナはスパッダの聖印がついた装飾品を握り締める。

「スパッダよ。この者に神の癒しと安息を与えたまえ」

 柔らかい香りが全身を包むと、体中の痛みが和らいでいくのを実感する。

「どう?痛む所ある?」

「全身痛いですが、今はとてもいい気持ちです」

「良かった。これは【女神の息吹】という法具なの。香りで治癒を促進するのよ」

「どれぐらいで直りそうですか?」

「そうね……幸い骨は折れていないし、それでも今日一日はゆっくりしてね」

 今日は駄目か。ツィーガの脳裏にはガリューシャに叩きのめされた苦い記憶が浮かんでいる。近くに【先生】が置かれているのを見つけて質問する。

「あの時、何が起こったのか、分かりますか?」

『あの技は、【竜破】と呼ばれるもの。全てを消しさる竜の『息吹』を人の手で再現を試みる中で生まれた奥義の一つだ。相当手加減して放っていたがな。もし本気ならお前は今頃バラバラだ』

 腕が疼く。手加減するなら、もう少し何とかしてほしかったとツィーガは腹の中で愚痴る。

『休むのも稽古の内だぞ』

 気は焦るが、何もしようがない。【先生】の小言はさすがに少々うるさく感じるが、ツィーガは黙って従うことにする。

「それで、リーファは?」

 エクイテオとファナは見つめあうと、互いに思わせぶりな顔を作り、そのまま顔をツィーガに向けた。

「監視をつけて警戒中、だけど特に必要ないかも。大分落ち込んでいるから」



 傷心のリーファがツィーガの前に姿を表したのは、それからしばらく経ってからのことだった。うなだれていたが、決意を込めてやってきたのだろう、手が少し震えていた。

「ツィーガ」

「リーファ。怪我は大丈夫なのか」

「……ああ。今回はすまなかった」

 しょげかえるリーファだったが、次の言葉はそれでもツィーガの目をみて答えた。

「正直に言う。最初から私は兄と戦うつもりでいた。あなたを同行者に選んだのは、出し抜きやすいと考えたから」

 まあ、そんなところだろうと言う気持ちの準備が既にツィーガにはあった。新人の自分を敢えて指名した理由も、【先生】の言葉から察しはついていた。

「まあ、しょうがないよ」

 ツィーガの顔と言葉を見て、リーファの目は驚きのためか、ほんの少し見開かれた。

「怒らないのか?」

 騙された、という実感は不思議なほど浮かばない。自分が未熟だったのだ。ツィーガの頭にはそれしかなかった。

「別に。そこまでハッキリ言われるとどうしようもないさ。にしてもさ、素直だねリーファは」

 はじめてリーファは赤面した。途端に少女の顔になる。

「ごめんなさい……」

 可愛らしい、と思うのは不謹慎だ。ツィーガは自分を戒めつつ、早々に話を切り替えた。

「ひょっとして、最初からお兄さんのいる場所分かってた?」

「微かに……エクイテオのお陰で発見が早くなったのは確かだ」

 はは、とツィーガは乾いた笑いを浮かべる。笑うしかない、というところだ。

「私は、ドーミラの長から使命を受けていた。兄を殺せ、と。彼は一族の掟を破った裏切り者だと、だが……兄の話は違っていた」

「教えてくれないか?まあ、俺では力になれないかもしれないけど」

「……兄は言った。掟を破ったのは自分ではない、長のほうだと」

「どういうこと?」

「詳しくは語ってはくれなかった。ただ」

「ただ?」

 リーファは躊躇いを押しのけるかのように声を出す。胸中を察することは出来ないが、複雑な思いが渦巻いているようだった。

「真実が知りたければ、この場所に行け、と地図を渡された」

 手渡された地図を見たが、ツィーガにはピンとこない。土地勘がないと分からないかもしれない。

「そうか……ならば、調べてみよう、一緒に」

「え?」

「もし本当に、お兄さんが無実なのであれば放っておけない」

「私は、あなたを騙したのに?そんな相手を信じるの?私にまた騙されると思わないの?」

「何と言うか……この後に及んで俺を騙す意味は無いと思うし、それに知りたいんだ。今、何がおこっているか。それに、一人で行けばよいのに、わざわざ俺に謝りにきて、教えてくれたんだろ?だったら、力になりたい」

 ツィーガは屈託のない笑顔でこたえる。リーファは部屋の中が明るくなったような錯覚を覚え、目をしばたたかせる。ツィーガはそんな少女の様子を気にせず言葉を続けた。

「改めて教えて欲しい。秘宝ってのは一体何?ちょっとだけリーファとお兄さんの話が聞こえたんだけど、竜の子って言うのが秘宝なの?」

「……本当に私にも詳しい話は分からないんだ。トレンガ村長と、あと数人だけで秘密裏に保管していた、ということだけ。ずっと、同じ村で暮らしていたというのに……」

無念を噛み締めるリーファに、何か声をかけようとツィーガは思考を巡らせる。

「リーファは、志力を感知する能力を持っていたよね?その竜の子については分からないの?」

「今までそういったものを感じたことはない。私の修行不足ゆえ、かもしれないけど……」

「そうか……」

 寝込むツィーガの元にファナとエクイテオがやってきて、もう一度会話を整理することになった。

「…というわけなんです。ファナ先輩。時間をください」

「ガリューシャに言われた場所を調べにいくの?」

「ええ。できれば村長や生き残りの人にも話を聞いてみたい。ガリューシャが言っていた、掟を破ったのは自分ではないという言葉が気になります」

 ファナが首を傾げる。

「ガリューシャの狙いは何かしら?」

「他国へ高飛びですかね。竜の子とやらを持って」

 エクイテオが他人ごとのように答える。

「もしそうだとしたら面倒ね。教会は今回の事件はあくまで秘密裏に解決すべきだって立場だし。もし竜の子とやらを持って他国へ亡命なんてことになったら、国家間でどんなトラブルが生じるか想像もできないわ」

 一晩であっさり一つの村を破壊する力がもし手に入るとしたら。甘い考えを持つ人間は誰もいなかった。

五大国はそれぞれ別の神を信奉している。竜に対しては協力すべき国家達であっても、五か国間の主導権争いは常に存在している中、竜の子とやらが国家間の勢力図を書き換える可能性は十分にあるだろう。軍事国家デュミエンドなどは、常日頃から完全統一された国家による人間社会の管理と竜討伐への組織構築を提唱し、そのためなら他国への侵略すら正当化するほどだ。かの国が竜の子を手にしたとき、何が起こるか、想像するに容易いことであった。

「竜の情報は、清く正しいエスパダールで独占すべき、ということかな」

 エクイテオが緊張感の無い声で、しかし辛辣な言葉を投げかける。ファナは気色ばんだ。

「そうは言ってないわ。単純に他国に逃げ込んで、はいおしまいとはならないもの。亡命先にだって様々な勢力や思惑はある、何の後ろ盾もないままに飛び込んだら、どんなことになるか分からないわ。それを防ぐのは、正義を信奉するスパッダの役目ではなくて?」

「いやいや、すんません」

 予想外の強い口調と視線にタジタジとなるエクイテオを尻目に、リーファはファナに向かって頭を下げた。

「お願いです。私もツィーガに同行させてください」

「あなたには、ガリューシャを探す手伝いをしてもらいたいのだけど……」

「土地勘がなければ目的地には辿りつけないと思います。あの辺りは危険ですし。それに……何故か昨日から兄の気配を感じないのです」

「そうなの?」

「また、遠くに逃げてしまったかもしれない。そうであればまず動けることからしたいんです」

 結論はでない。とにかく、指示を仰ぎます。そういってファナは部屋を出た。

「やれやれ、可愛い顔だけど、やっぱり神様にお仕えしてる人は怖いねえ」

 エクイテオが肩をすくめる。ツィーガは黙ったままであった。長くない協議の結果、リーファの行動の自由が認められた。状況を調べる必要があることについては全ての人間の意見が一致していた。

「私はガリューシャにやられた人達の治療に専念しないといけないから同行できないけど、気をつけてね。人が亡くなった場所には鬼や魔族が出やすいから」

「ありがとうございます!」

 ファナの笑顔に見送られ、三人は慌ただしく街を後にした。





 ドーミラへの道を急ぐ。トレンガ達については、近郊の村にとどまり、神官達の事情聴取をまだ行っているとのことである。

「今の段階で聞いてもしょうがない。まずは、地図の場所を調査してからだ」

「なあリーファ。お兄さんのこととか、トレンガ村長のこととか、他に気付いたことはある?」

「……」

 この旅の最中、リーファは無言を貫いていた。ツィーガの呼びかけが耳に届いていないようだ。受けたショックの大きさか、信じてきたものが崩れたことによる怒りなのか、ガリューシャに敗れた己の未熟さへの羞恥ゆえか。

 意を決し、いきなりツィーガはリーファの両肩を掴んだ。

「リーファ!」

「きゃっ!」

 リーファとは思えないような悲鳴があがるやいなや、たちまち、ツィーガの身体が宙を舞う。思い切り投げ飛ばされて、目の前に星がまった。

「いたた……」

「ご、ごめんなさい!つい……」

 起き上ったツィーガはそれでもこりずにリーファを掴んだ。少女は再び反射的に投げ飛ばそうとするのを必死に堪える。

「俺は、君がこれまで生きてきた道を信じる。それはドーミラで起きたことや、【追竜者ドラグナー】が行ってきた道とは全く関係ない。君が、自分を信じて生きてきた道は間違ってなんかいないんだ!」

「はじまった」

 苦笑気味のエクイテオに、【先生】が尋ねた。

『何がはじまったのだ?』

「あいつはいつもああさ。暑っ苦しいんだよ。悩んでる人の前だと特に」

 ツィーガは言葉で想いを告げることを躊躇わない。言葉を聞かされる側が恥ずかしくなるほどである。だが、エクイテオは知っている。精霊の存在に悩む自分を支えたのは、ツィーガの言葉であったことは。誰にも、決して、言わないことであったが。

「だからこそ今、君は君自身が信じた兄さんを信じていいんだ。俺が保証する」

 リーファの瞳にかかっていた膜が剥がれおちたような気がする。彼女の瞳に光が宿ったのをエクイテオは見た。何となく気まずい沈黙が訪れ、三人は無言で目的地を目指し始める。リーファが呟くように口を開いたのは、少し時間が経過してからだった。

「……兄は元々から一途に竜を目指していたが、ある時を境に周りが見えなくなるほどに熱中するようになった」

「それは、いつからだい?」

「兄の子供……娘が、病に犯されてから。そのときから厳しくも優しい兄が、変わってしまった。それが、怖い」

「その、娘さんは、今は?」

「ほんの少し前に、亡くなった。その時の兄さんの顔、怖くて見れなかった」

 それ以上、誰も何も言えなくなっていた。



 目的地に近づく程に、うそ寒い空気が三人を包むのは、事件の影響なのだろうか。鬼も頻繁に姿を見せるようになり、その度にツィーガが先頭に立って斬り払っていた。

「おりゃぁ!」

 ツィーガの一撃が鬼を霧消させる。ツィーガも最初の実戦から経験を増やし、徐々にではあるが、落ちついて対処ができるようになっている。ガリューシャのとの戦いも無駄ではなかったようだ。

『ようやく、まともになりかかる道のはじまりにたどり着く可能性が見えかけてきた、というところだな』

「頑張ります」

 律儀に回答する姿を見て、エクイテオはリーファに向けて肩をすくめて見せる。リーファの唇の端に、笑みともつかない歪みが浮かんで消える。旅を通じて、少しずつではあるが、頑なな心にも変化が生じてきたようだ。

「テオ、すまないな。こんなところまでつき合わせて」

「まあ、いいんじゃないの?特にすることもねーし。あとで酒をたらふく飲ませてくれよ。お前の給料で」

「ああ、勿論だ。リーファ、どっちに行けばいい?」

「おそらく、こちらのはずだ」

 ドーミラから半日、という距離。鬱蒼と木々が茂る中、獣道のような細い山道を少しずつ進む。一番頑健なのはリーファであり、男二人を引っ張るようにして歩き続ける。今自分に出来ることをしよう、そうふっ切ったようだった。

「精霊に聞いたら分かったりしないのか?大地の精霊に何か埋まってないか聞くとかさ」

「あいつらと話するの苦手なんだよな……ちょっとまってな」

 地面に手を当てて何事かをつぶやいていたが、しばらくしてあっさりと顔を上げた。エクイテオの前で、ほんの僅かに顔を見せたのは、岩石と思しき地霊である。岩のような顎でとある方角を示すと、さっさと地面に潜っていく。エクイテオは聞こえないように口内で何か罵りの言葉を呟いた後、一人で奥へと進んでいった。暫くして、戻ってくると、誇らしげに声を出した。

「おい!あったぜ!」

「本当か!?」

「ったく。土の精霊の奴らは人間嫌いだから、あの家はお前が責任持って壊せだの、大地の安寧を壊す厄介者だの、うるさいの何のって。だから嫌なんだよ石頭は。俺に何の責任があるってんだ」

 愚痴りながらエクイテオが示す先には、森が一部だけ開かれた場所があった。近づくと一軒の家屋が突如現れる。見た目もそれほど痛んでおらず、最近まで手入れがなされていたようである。

「こんなところに何ででかい家が……」

 近づこうとしたとき、【先生】が警告を発した。

『ツィーガ。私を抜け』

「……鬼ですか」

『うむ』

「神よ、この刃に鬼祓う力宿らせたまえ!」

 刀身に【破鬼】の力を宿らせつつ、ツィーガを先頭に、少しずつ距離を詰める。後数歩というところで、扉が内から開け放たれた。咆哮が響き渡る。

「さっそくかい!」

 既に憑依が終わっていたようだ。ツィーガが【鬼人】となった鬼の攻撃を刃で受ける。想像していたよりも、はるかに重い一撃に、それ以上踏み込めない。リーファが躊躇わずに右拳を顔めがけて突きだし、【鬼人】の顔面がひしゃげるほどの威力だ。室内に飛び込んでいく鬼を追って、三人も突入した。

「まだいるぞ!」

 テオがナイフで鬼の身体を切り裂く。神官戦士でなければ直接【鬼】に対するダメージは与えられないので、憑依している肉体を破壊するしかない。怯んだ鬼に、ツィーガが一歩踏み込む。

「えいっ!」

 気合一閃、肩口から鬼を切り裂く。腕に確かな手ごたえが伝わってきて、鬼はその場に倒れ伏した。

「はっ!」

 リーファのつま先が美しい弧を描き、飛びかかってきた鬼を迎え撃つ。首がへし折れ、壁に激突した鬼は、そのまま動くことを止めた。埃が舞い上がり、周囲を包む。薄暗い室内に目が慣れたころ、一同は驚愕した。

「……なんだここは?」

 無数の人骨が所狭しと置かれている。戦闘で気付かなかった腐臭が三人の嗅覚を襲う。まったく埋葬も供養もされていないままに放置された無数の人骨に蛆が湧いている。数は、数えきれない。

「何なんだよ!?」

 たまらずに飛び出そうとするエクイテオ、呆然と立ちすくむリーファ。

『これは……おそらく魔道の類か』

「魔道……まさに」

 それ以上声が出ない。これが、【追竜者ドラグナー】達の真実だと、ガリューシャは言いたかったのだろうか。

「我々は、こんなことはしない!こんなことは……!」

『そうだろう。目指すべきは、高みであって、深淵ではないはずだ』

 リーファの叫びに、【先生】が同意した。エクイテオは手で鼻と口を覆いながらもごもごと喋った。

「にしたってよ、これはひどいや。何人死んだんだ?ここで」

 厳密な調査をするためには、かなりの人数を出さねばなるまい。魔法に関する専門家も必要だろう。今必要なのは、この惨状が誰によってもたらされたのかということだ。あまり現場をいじらないように最低限の調査を行う。

「リーファ、辛いなら外で待っていていいよ」

「大丈夫だ」

 強く張り詰めた声を受け、ツィーガもそれ以上は何も言えない。祈りをささげつつ、室内を注意深く観察する。

「これは……?」

 ツィーガ達が奥の部屋で見つけたのは、透明な液体で満ちた、巨大なガラスの筒に入れられた人体であった。若い男性、死んでいると思われるが、傷一つない肉体は死後どの程度時間が経っているのか判別がつかなかった。

「何だこりゃ?」

 テオが近くに顔を寄せる。すると、突如中の男が目を開ける。

「ひゃっ!」

 エクイテオが情けない声を上げて飛び退く。中の男は容器を割って出ようとするかの様な動きを見せたが、突如苦しみはじめる。

「お、おい。大丈夫か⁉」

 ツィーガが異変に近寄ると、男の体が容器の中ではじけ飛び、中に満たされた液体が瞬時に真っ赤に染まる。

「うわ!」

 エクイテオと同じように飛び退き、尻餅をつく。リーファだけが胸の悪くなる光景をじっと見つめ続けていた。

「何なんだよ!ここは!」

 エクイテオの絶叫は、天井に吸い込まれ、ここに居る人間以外にはとどきようもなかった。 



 ツィーガが祈りをささげ、鬼を浄化する作業が続き、瞬く間に一刻程経過したころ、唐突にそれは訪れた。

「伏せて!」

 リーファの鋭い叱咤と、火矢が突き刺さるのは同時である。

「何があった?何でこんなところに襲撃が入る⁉」

 矢が途切れる瞬間に、リーファが撃って出る。止める間もない速度だった。たちまちぶつかり会う音が聞こえてくる。

「エクイテオ!火を頼む!」

「おいこらリーファ、待て!」

『危険だ!動くな!』

 【先生】からの声に瞬間的に足が止まるのは、教育というものの恐ろしさか。

「リーファが危険です!」

『まずは様子を探ることだ。お前とあの娘では実力が違う』

「……っ!」

 舌打ちを必死で堪える。自分のふがいなさをひとしきり呪った後、窓から外を見やる。影が奔り、金属音が響くが、姿を捉えることができない。

「おい、ぼーっとしているなら火を……」

 消してくれ。エクイテオの言葉が全て聞こえる前に、窓から人間が飛び込んでくる。

「わっ!」

 瞬間、リーファに見えたのは、来ている服装が似ていたからだった。背筋が寒くなる感覚は、男の顔を見やるまでのほんの一瞬である。断末魔の絶叫が外で起こる。

「出てこい。火矢の始末をしろ」

「ガリューシャ・ラン!」

 外から聞こえてきたのは、何と、ガリューシャだった。



 とりあえず急いで火を消したあと、恐る恐るガリューシャに問いかける。リーファも警戒を解いていなかった。

「気配を感じなかったのに、何故?」

「お前が未熟だからだ。気配を断つ修練を積めば、誰でもできる」

 師の顔で妹に叱咤しつつ、ツィーガ達を見る。

「まだ、一緒に行動しているのだな」

「私が頼みました。彼らは信頼に値する人物です」

「何で、あんたがここにいるんだ?」

「証拠であるこの建物を隠滅されるのを防ぐためだ。遅くなったのは、竜の子の安全を確保するのが先だったからな。お前達のお陰で最悪の事態は避けられた。礼を言う」

 淡々として悪びれないガリューシャに、味方なのかと錯覚してしまう。つい気安く話しそうになるのを堪えて、息を整えるツィーガだったが、そこでリーファが何かに気付いて声を上げた。

「チョウ?チョウじゃない!」

 リーファが近づいたのは、ツィーガが切り裂いた鬼人だった。【破鬼】の法力により、鬼が浄化され、最後に人間の姿を取り戻していたからだ。

「チョウ、しっかりして!」

「う、あ……リーファ……」

「何が、何があったの!?」

「竜……生み出す、実験……ここで」

「竜?実験?」

「トレンガ……あいつが……」

 チョウはそこでこと切れた。ツィーガも、テオも、状況の深刻さに言葉がでない。家全体から圧迫され、息をすることすら困難であった。

「兄さん、答えて!ここで何があったの!」

「詳しくはトレンガに聞くといい。」

ガリューシャはそういうと、姿を消した。

「兄さん!」

 追いかけようとして果たせず、リーファはその場に崩れ落ちた。





「トレンガ・シン。聞きたいことがある」

「何のことだね?」

 罪を宣告する側の人間が、たじろぐほどの迫力。それほどに、ドーミラ村長トレンガの態度は不遜、沈着を極めていた。声に込められた威圧感は取り囲む全ての人間を軽々と吹き飛ばしてしまいそうだ。

 村では、負傷者達が静養している間にも、秘密裏に調査が進められている。ツィーガ達が森の奥の実験場で捕えた男も運ばれ、同時に聞き取りも行われる中、ついにトレンガに対する調査がはじまろうとしていた。被害者ではなく、容疑者として。

「ドーミラの奥で、人間の白骨死体が大量に発見された。詳しい事情をお聞かせいただきたい」

「……」

 無言のまま立ち上がる。身体の周囲に暴風が吹き荒れているような迫力がある。だが、トレンガは案外素直に、神官達に従うことになった。



 忌まわしき建物から戻ったツィーガは、ドーミラの生き残りの尋問に参加することになった。ガルナ・ティエン、と名乗った男は、よく見ればファナが発見した人物であった。ガルナは観念した様子で話し始める。エクイテオは現場を見たことで参加を許可されたが、リーファはドーミラの関係者ということで別の場所で待機させられている。

「誰もトレンガに意見出来る者はいなかった。あいつが村の、追竜者の掟そのものだからだ」

「研究の参加者は?」

「トレンガ、ガリューシャと幾人か……二人以外は皆死んだ」

「あんたの役目は?」

「人を集めること。山賊やらを捕まえてきてはトレンガに差し出していた」

「どんな実験をしていたか分かるか?探したが、何の資料も残っていなかった」

「そうだな……恐らくだが、人間のもつ、志力の根源である『魂』を使った研究だろう。魂は志力を生み出す源。志力を高めることで自身を変容させるためには、魂とは何かを知る必要がある。竜へと変容するためにも」

「その材料として、人間が集められ、使い捨てられたということか……」

 白骨化した死体、腐乱した死体、どれもが皆、今となってはどのような人物であるか知る術はない。どんな希望を抱えて、悩みを抱えて生きてきたのか。ツィーガは今更ながらに、非道ぶりに怒りを覚えていた。

「透明の容器に、人が入っていた。あれは、何だ」

「あれは死して、魂が抜け落ちた後の肉体を維持するための実験だ。あの液体には、人間から抜き取った志力で満ちている。破裂した、というのは魂を閉じ込めておくための形を維持できなかったということだろう」

「何で急に動きはじめたんだ?魂を抜いたんだろ?」

「他の人間の魂を移植した。そうとしか考えられない……」

「別の人間の魂を、移植だと?」

「ああ。人が人を超えるためには、肉体という限界を超える必要がある。トレンガが常に言っていたことだ」

「限界を超えるために、自らを鍛えるのではなく、他者を踏み台、犠牲にしたということか」

 沈黙は、怒りと困惑を伴って深まるばかりである。

「何故、こんなことになったんだ?」

 ガルナは俯きながら重苦しい言葉を吐き出す。

「トレンガは人を導く情熱に溢れていた。あの狭い空間で、限られた人数の中で、私達は次第に狂っていったのだろう。気づいたときには、後戻りできなかった。竜を目指すということは、高みを望むことはそれほどに、魅力的だった」

「後悔しているのか?」

「あれだけのことをしながら、結局竜の秘宝は暴走し、ドーミラは滅んだ。俺達は、何の為に生きてきたのか、竜を目指してきたのか、分からない」

 尋問が終わり、外に出たツィーガとエクイテオは思い切り伸びをした。淀んでいた空気を急いで入れ変えるために大きく深呼吸をしていると、レベリ隊長が寄って来た。

「ツィーガ。お手柄だな」

「いえ、まだ何とも言えません。トレンガ村長の様子は」

「逃げもせず、部屋に籠ったままだが、いやはや、何と言う威圧感だ。同じ部屋にいるだけで押しつぶされそうだよ。ちなみに証拠隠滅を図った連中は、【追竜者】ではないようだ。金でトレンガに雇われたと言っている」

 事件の重さと深刻さが徐々に明らかになるにつれ、自分達の立つ場所が揺らぐかのようである。

「まったく、おぞましいものだ。自分達の大望を果たすためとはいえ、数多くの人間を手にかけるとはな。ガリューシャという男がお前達にあの場所を伝えたということだが?」

「はい。真意がどこにあるのかは分かりませんが」

「トレンガ達の足止めをして、自分は竜を連れて逃げるという考えも出来る訳か。妹、リーファ・ランは何か企んでいるのではないか?」

「いえ、それは無いと思います」

「何故だ?」

 知らずに諮問のような形になってしまった。ツィーガは頭を整理する。

「えーと、まず彼女がトレンガ達と関係を持っているという線は、今回の件で消えたと思います。彼女の行動は彼らを利するものでは全くありません」

「では、彼女と兄が繋がっているという可能性は?入れ知恵をされて、トレンガ達に責任を負わせ、自分たちは竜の子とやらを手に入れるために」

「それは……彼女は兄を止めようと戦いを挑んでいますし」

「演技の可能性は捨てきれまい」

「まず、彼女は兄から聞いて初めて、実験場の存在を知っています。トレンガを捕まえたいのであれば、何よりもまず証拠である現場の確保が必要なはず、我々などに構わず、真っ先にあの場所に行くべきなのに、それをしなかった」

「だから彼女と兄は無関係か。街で出会った際に共謀を持ちかけられた、と言う可能性は?」

 しつこい追及に、ついツィーガの声が高ぶる。

「彼女は嘘を着けるような人間ではありません!私は彼女を信じています!」

「ツィーガ。人を信頼する気持ちは必要だ。だが、信頼のみを根拠にしてはいかん。理性と証拠の上にこそ事実は宿ると、何度も教わったはずだ」

「……」

「改めて聞くが、共謀の可能性はないといっていいか?」

「それは……」

「気配を感じ取れないというのも、今一つ信じ難い」

 兄が竜の子を確保し、リーファがトレンガ達を止めるという論理は成立するように思える。だが、リーファと共に行動する中で、ツィーガは彼女が無関係であることを確信している。彼女を守るために、何とか回答しなければならなかった。

「リーファが、兄の気配を感じ取れなかったとしても、感じ取れると嘘をつくべきではないでしょうか?」

「ほう、何故だ?」

「その方が、捜査を混乱させることができるからです。彼女の思うままに誘導できるから」

「ふむ」

「それに、トレンガが確保された今になって、彼女がなお我々と行動を共にする理由はもうない。彼女は【追竜者ドラグナー】という超常の力を持つ人間。我々だけで止め置くのは難しいにもかかわらず、です」

「俺達が同行したのも、彼女が許可したからだし」

「テオ」

 横から声をはさんだのは、エクイテオであった。

「その気になれば逃げだせるんであれば、猶更兄の気配を探れると嘘をつけばいい、散々引っ掻き回して、好きなときにとんずらかませばいいってことさ」

 エクイテオは胸を張って答える。

「駄目だろうツィーガ。法を守るべき神官戦士が、感情に支配されるなんて。こう、俺のように理路整然と物事を見通さなくちゃ」

 友の言葉にツィーガはうろたえ、レべリは苦笑する。

「成程。では、彼女は何故我々と行動を共にしている」

 ツィーガは、言葉を選ぶように、ゆっくり口に出す。まるで彼自身が信じたいから、といわんばかりに。

「彼女は真実を知りたがっている。竜の子とは何か、兄が何を考えているのかを」

「分かった。お前達の行動には理屈がある」

 レベリは満足そうに頷いた。既にこの結論には達していたのだろう。ツィーガは内心赤面する。

「後はなぜ、ガリューシャが建物の場所を教えたか。敢えて一族の恥、悪行を晒したのか、だが」

「……仲間割れ、ってことじゃないすか?」

「ガリューシャの一番の目的は、竜の子と言われる秘宝です。彼は真実を告げることで、捜査が自分に集中することを避けたんだと思います」

 ツィーガとエクイテオが口を挟んだ。

「それだけの価値が、竜の子とやらにあるということか……何故一目散に逃げださないのかな」

「それもおそらく竜の子のせいだろう。何か、問題を抱えているのかもしれない。無論、国境では既に厳重な警備が敷かれている。気づかれずに逃亡はできまい」

「となると、ガリューシャはおそらくはカルドヴァに。竜の子を預けたとなればあの街以外にないと思います」

 隊長は男二人に笑いかける。いい仲間を持ったな、といいたげであった。手を胸で組む。神に祈り、また神官同士の挨拶の際に使う仕草である。ツィーガも従った。

「では、カルドヴァに戻るのだな。我々はトレンガを護送せねばならない。いずれまた会おう」





 再びカルドヴァに向かう道の途中、夜営をする時間になる。食事はエクイテオが作る。ツィーガの料理は塩辛く、リーファのそれは逆に薄味であり、技量不足と食への興味の無さは同等といったところだ。

「こんなときこそ、旨いもん食わにゃ」

 エクイテオの主張の元、豚肉の燻製を挟んだパン。鶏肉とトマトと茸のスープなどが食欲をそそる香りを漂わせる。ずっと無言だったリーファも口にした瞬間目を見張るほどであった。

「美味しい」

「そうかい、良かった」

 食事が終わり、ほとんど無言のままに時間だけが過ぎていく。さて寝るか、という段になり、意を決したようにリーファが口を開いた。火の番をするツィーガに対し、星降る夜空を見つめながら。

「ツィーガ」

「?何だ」

「ありがとう。貴方が私を信じると言ってくれた言葉はとても嬉しい」

 ツィーガの胸が熱くなる。失敗続きの自分にとって過分に過ぎる言葉だった。

「いや、その……」

「ちぇっ。何だよ、俺だってリーファの潔白の証明に協力したのに」

 エクイテオがからかい気味に不満を述べるとリーファは赤面し、そのあと深く俯いた。

「私は、いや私達は潔白などではない。あんな実験をしていたなんて。一体、何故……」

「なあ、リーファ。トレンガ村長って、どんな人だったんだ?」

「ああ……情熱を持って理想に向かって皆を導くような人だった。兄と二人、竜を目指す者の模範となるべき人間だと思っていた。それなのに」

「信じている人から、裏切られた気持ち、か」

『信念は人に預けるものではないぞ。己自身に刻むものだ』

 【先生】の言葉が響く。ツィーガは正しさを認めつつも、単純に首肯できなかった。未熟さゆえと言われても構わない。先の見えない未熟な人間にとって、行く先を照らす何かを求めざるを得ないのだ。それが、どんな微かな、星のような光であっても。

「分かっています。分かっていますが……」

 焚火が爆ぜる中、次の言葉は出てこない。炎は人を癒すというが、彼らの気持ちを包むほどには大きくないようだ。何をいっても、どんな慰めも、励ましも役にたたない感情があることを、知らぬ間に気付いていた。言葉とは、何と不便なものだろうか。だが、それでも。

「リーファ。【追竜者ドラグナー】の人達の気持ちや掟は分からない、だけど俺達は君だけは信じる。忘れないでくれ」

「おうともよ!」

 ツィーガ、エクイテオの言葉を、リーファもまた何も言えずに聞いていた。瞳の端に光るものがあったのだが。そんな少女の表情に一人は全く気付かず、もう一人は気づきながら何も言わなかった。ツィーガが見張りと称して【先生】とともに周囲を見回りに離れたとき、片づけをするエクイテオにリーファが話しかける。

「ツィーガは、何故私なんかをここまで信じてくれるの?」

「まあ、そういう奴なんだよ。それに……」

「それに?」

 あいつには内緒だぜ、と前置きしてエクイテオは続ける。

「あいつも、家族や友達を竜に殺されてるからな。リーファのことを放っておけないんだと、思う」

 エクイテオはそれ以上言わなかった。戻ってきたツィーガは、そのまま火の番をはじめる。焚き火に照らされたツィーガの顔を、横になったリーファはしばらくの間、そっと見つめていた。


 休む間もなく、再び、カルドヴァ戻ってきたツィーガの報告を聞き、ファナが大きく息を吐いた。

「竜を生み出す、か。もし成功したなら、冗談じゃなく世界がひっくり返りそうね」

「確かに、竜にこれ以上おびえなくてもよくなりますからね」

「それだけじゃないわ。他国に対してこれ以上ない力を見せつけることになる。どの国も喉から手が出るほど欲しがる秘密ね」

 夢見るような瞳で、現実的なことを話すファナ。印象がずれるが、仮にも神官である。政治的、軍事的な認識をもつのは当然であろう。養護施設や病院、学校などで子供やお年寄りの世話をしているほうが余程似合っている、というより絵になるような女性が、なぜここまでこんな血生臭い事件を担当するのか、ツィーガはふと疑問に思った。

「それで、ガリューシャは?」

 ファナは首を横に振る。途端に身に纏う甘い香りが広がる。

「まだ発見されていないわ。この街全体に捜索は広げているけど、一筋縄じゃいかないわね。もし見つけたって、あの強さじゃあ、誰も何にもできないし」

 複数の国境が近いカルドヴァの交易は盛んであり、様々な人種が入り混じりながら生活をする。国際性でいえばエスパダール随一といってもいい都市である。それぞれに事情もあれば規則もあるというところで、神官戦士とはいえおいそれと捜査する訳にもいかない場面が多々あった。

「わかりました。私も手伝います」

「そうしてください」

「あの、私は……」

 おずおず、というリーファに対し、ファナは申し訳なさそうに宣言する。

「ごめんなさいね、あなたは自由にさせる訳にはいかない。お兄さんの気配はする?」

「いえ……申し訳ありません」

「では、分かったらすぐ教えて。実際に探すのは私達でやるから」

 ファナの言葉に、リーファは力なく俯いた。神殿内で待機することで、体のいい監禁であることは誰しもが理解するところである。

「ツィーガ。エクイテオさんは?」

「はい、街に入った途端、いなくなってしまいまして。すいません。でも、あいつは勝手に動いたほうがきっと役に立つ男です」

 ツィーガの声に、ファナは肩をすくめて見せた。



 再びガリューシャを求めて探し始めて、二日が経過した。当ても無い捜索に、皆に疲労の色が目立ちはじめており、些細なことで揉め事が生じている。ツィーガは新人ゆえの雑用も割り当てられ、目が回るような忙しさである。

「ツィーガ!客だ!」

「はい!」

 休んでいたところを呼び出され、少しつっけんどんな対応をしそうになるが、相手が少年だったので、何とか顔を和らげる。

「この手紙を渡してくれって頼まれた」

 名前を見ると、何とガリューシャである。何気なく封を切ると、そこにはごく簡単な手紙があった。

「誰にも、何もいわずに五番地区の銀行裏の空き家にくること」

 ツィーガは無言で折り畳むと、少年に礼をいって駈け出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る