星々の円卓

@taketakenokai

第1話 旅立つ「志」





 第三聖堂のひんやりした空気が満ちる大広間にて、ツィーガ・オルセインは跪き、心地よい高揚感と緊張感に全身を震わせる。冷たい床の感触が、自分の身体が発する熱と興奮を教えてくれていた。大陸最大の雄国であるエスパダール王国の首都エスパダール、その三分の一を管理統括する西方教会において、今まさに新しい神官戦士が命じられようとしているところであった。

 壮年の男性の姿を持つ主神スパッダの像の前に頭を垂れると、典礼を司る司祭長達が、厳かに祈り始める。周囲に集まった司祭、神官戦士達は、誰もが皆この国で名の知れた人物達である。彼等の視線が自分へと集中しているのを感じ、ツィーガは、自分がまるで天上の神々の前に召されたかのような錯覚に陥っていた。

「ツィーガ・オルセイン。誓いの言葉を」

「はい。私は……」

 一度間を開けて、ツィーガは一言一句噛み締めるように言葉を発する。意思の強そうな濃い眉毛が一瞬だけ跳ね上がった。背はそれほど高くないが、身体は青年らしく引き締まっており、無駄な肉は全く無い。

「ツィーガ・オルセインは、正義と秩序の神スパッダの名の元に、世界に安寧と平穏を築くために身命を捧げることを誓います」

 ツィーガの黒い髪を持つ頭に剣が置かれる。スパッダの象徴であり、彼が携えるべき『法具』であった。

「ツィーガよ、この剣もて悪意の闇を断ち、真実の光にて遍く世界を照らすための尖兵となれ」

「はい」

 更に深く頭を下げたツィーガの耳に剣が鞘に納められる音が届く。促されて顔を上げ、立ち上がったツィーガに差し出されたそれを自らの手で掴んだとき、彼は晴れて栄誉あるスパッダの神官戦士となったのだった。


「いつまでも浮かれているなよ」

 突然降ってきた声に、いつの間にか無意識ににやつく顔を慌てて引き締める。ツィーガの上司であり、エスパダール西方教会の司祭長の一人にして、刑事部門長であるデリクス・デミトリアスは微苦笑を浮かべていた。中年男にしては肉が薄く、かといって若々しいといった様子も無い。切れ者だ、という噂がまことしやかに流れているが、ツィーガには未だに信じられなかった。見る人が見れば、穏やかな表情の中に時折鋭い知性の光が奔る、らしいのだが。神官戦士になりたての二〇歳の洞察力ではまだまだ見通せないもののほうが多いようであった。

「ま、詳しい話は明日にしようや。今日ぐらいはいい気分でいるといい。行事はもう終わりだから、雑用を押し付けられる前にお帰り」

「はい……では、失礼します」

 そのうち家に帰れなくなるからな、デリクスはのんびりした口調で怖いことを言うが、やる気と体力を持て余し気味のツィーガには、むしろ望むところであった。仕事について周りに色々と聞き回りたい気持ちもするが、慌ただしく仕事をしている先輩の邪魔になるのは明らかであったので、今日のところは大人しく家に帰ることにする。

 ひとつには、長年旅に出ていた友人が、何の前触れもなく今朝方訪ねてきたという理由もあった。


 夕闇もまだ遠い時刻、人々の動きを目で追いながら、晴れ晴れとした気持ちでツィーガは歩く。故郷から出て三年、見事試験に合格した後にも続いた厳しい研修と訓練をやり遂げた自分を、今日くらいは褒めたいと思う。王都エスパダールは今日も人の活気に溢れ、世界最大の都市の一つとしての威容を保っている。治安もよく、賑やかに走り回る子供達を見守る、大人たちの目も明るい。ツィーガは袖を通したての神官服を何度も直す。自分を周囲の誰もが見ているような気がして、幾分自意識過剰になっている自分に赤面しつつ帰路を急いだ。

「おめでとう!晴れ姿を見に行きたかったわ」

「一般の人は入れない決まりですからね。でも、ありがとうございます!」

「ようやく、このさえずり荘からも神官戦士様を出すことができたのね……これで私も天国の母さんに顔向けできるわ」

 下宿である「さえずり荘」にて女将さんからの祝いの言葉に迎えられ、気恥ずかしい気持ちのツィーガに頭上から声がかかる。

「おう、帰ってきたな」

「テオ!」

 なぜか屋根の上にいた男はツィーガの声にニヤリと笑い、無造作に飛び降りると、音も無く着地した。猫のように柔軟な動きである。立ち上がったときに長い髪が流れる。

「お疲れさん。神官戦士どの」

 テオことエクイテオ・バーンは、ツィーガとは故郷での幼馴染である。神官戦士を目指し都の神学校で生活をしていたツィーガに、ふらりと旅の土産話を届けに来て以来、二年振りの再会である。すらりと背が高く、手足が長い。すっきりとした顔立ちまで揃って、もともと女性の目を惹くに足る容姿と雰囲気であったが、今日のエクイテオは、更に旅の風雨にさらされた精悍さのようなものを加えていた。同い年であるはずのツィーガは、しみじみとした声を出す。

「なんか、大人になったなあ」

「何だよそりゃ。お前こそキマってるよ。ついに、正式に神官戦士に任命されたんだもんな?おめでとう」

「まだ初日だけどな」

 着なれるはずもない神官の制服を引っ張ってみせた。再会の喜びに、再び気分が盛り上がる。話もそこそこに着替えを済ませ、二人して笑いながら大通りへと繰り出した。活気に溢れた目抜き通りには酒場や串焼き屋などが軒を連ね、喧騒と活気に満ち満ちている。これからこの街を守るのだと思うと、ツィーガの気分は自然と高揚してくるのだった。エクイテオは、そんな友の顔に微笑するだけで声はかけない。

 もう酔い始めた一団をうまいことすり抜けながら、さらに歩き続ける。最後は駆け足になって坂道を上ることしばし、見晴らしの良い場所に出たところにある繁盛店、ツィーガの行きつけである『夜更かし亭』に何とか滑り込んだ。既に八割方埋まった座席には、老若男女が様々な表情を浮かべながら語り合っている。店全体が宴会騒ぎで、密談するのにも大声が必要なほどだ。一番端の席につくなり、互いの顔を見やりつつ、麦酒エールを二つ頼む。お互い覚えたてなのか、などとは言わないし聞かない。

「あらツィーガ、いらっしゃい!」

「やあ、エレナ」

「聞いたわよ、神官戦士、無事任官できたんだってね。おめでとう!」

「ありがとう!」

 麦酒を運んできた顔なじみの給仕、エレナからの称賛を素直に受ける。この国、いや世界にとって、神官とは単に宗教的指導者としての意味、役割を超え、国家行政そのものに深く関わっている。当然門は狭く、神学校で学んだとしても、神官戦士として任官できるのは年に数人という難関である。二〇歳という年齢で任官されたということは、明るい将来を約束されたものといってもそれほど過言ではないのだ。

「それじゃあ早速お祝いしなくっちゃね」

「いや、残念ながら受け取れないよ。なんせ正義の神スパッダに仕えるんだから」

「そう言えばいたわねー、いざ皆の前で治療術を使おうとして法術を使えなかった助平司祭が。何人もの人と不倫してたんだっけ?」

「ナイクル司祭だろ。授業の中で何度も聞かされたよ」

 神官達はこの世界において、神を通じて奇跡を実現する力を得る。ただし、そのためには厳しい修練と欲望を自制する克己心が必要であった。悪事に手を染め、堕落するものは神の代行者たる資格なしと、『神』自身が判断するのである。特に、エスパダールの主神、正義の神スパッダは、力の強さに比例するように、特に堕落に厳しいとされていた。

「じゃあ、しょうがないか。折角の誘いを断るなんて、野暮もいいとこだけど」

「これからも沢山寄らせてもらうから、気を悪くしないでくれよ」

 笑顔で手を振りながら去るエレナの後ろ姿を見やりながら、エクイテオは苦笑した。

「何だよ、しばらく見ないうちにすっかり堅物になっちまって。神様に身も心も売っちまったようだな」

「仕方ないだろ、俺だって残念なんだから……なんてな。賄賂や接待は厳禁だぜ。いざというときに力を借りられない、てなことになったら目も当てられん。それより、乾杯!」

「乾杯!」

 冷えた麦酒が喉を通り抜けていく。以前は単なる苦い汁だったが、味覚は変わるものなのだと不思議に思う。早速飴色に焼き上がった鳥肉が運ばれてきて、二人はしばらく酒と食事にかかりきりになった。追加の注文を繰り返し、ようやく食欲が一息つき、綺麗になった骨を皿に戻しながら、ツィーガが問いかけた。

「お前こそ、ついに精霊に身を捧げるんだって?どっからそういうことになったんだよ」

「あれ?言ってなかったっけ?」

「ご実家から手紙をもらったんだよ。精霊が見えるって話は勿論知ってたけど。家のことはどうすんだよ?」

「ああ、弟に任せた……いいじゃないか。風になって空を駆け、水となって大地に沁み込む。世界とともにあり、世界を自在に操る。俺にぴったりだろ」

 ようやく二杯目に取り掛かったツィーガに対し、エクイテオの持つ杯はすでに三杯目もなくなりかけている。酒の強さはエクイテオに軍配が上がるようだった。

「人間は神様がつくってくれたってのに、恩知らずだな」

「何、俺みたいな変わり者、神様だって願い下げだろうよ。ツィーガが俺の分まで二人分働いてくれ」

「テオ以外の人のためなら喜んで」

お互いの人生を思いやり、笑い合う。昔のままだ。

「しかし、誓いの言葉とはいえ、尖兵たあよく言ったもんだ。竜が来た時はよろしく頼むぜ、神官戦士様」

「竜がこの街に来たら、な」

「おい!あれ、竜じゃないのか!?」

 酔っ払いの声に、あれ程騒がしかった店が静かになる。次の瞬間、全員が窓に殺到して、夜空を見上げた。

「まさか……布告も流れていないのに!」

 一斉に空にいるはずの竜の姿を追うが、それらしき影は見当たらない、澄んだ夜空である。一同の視線が、次第に酔っ払いに集まっていった。

「見間違えたみたい……あはは」

「馬鹿野郎!でかい声で下らねえこと言いやがって!!」

「驚かせないでよ!」

「そもそも、教会から【円蓋】発動の知らせもないってのに、竜が来るわけないだろ!」

 辺りから散々な声を浴びせられ、小さくなる男の肩をたたきつつ、ツィーガ達も席に戻って、残っていた酒をあおった。話していた話題が話題だっただけに、ツィーガはまだ動悸が収まらない。エクイテオが肩ひじを付きながら苦笑している。

「ああ、びっくりした」

「竜がこの街にきたら、勇ましく戦うって、ついさっき言ってませんでしたかな?神官戦士殿」

「うるさいな。心の準備ってもんがあるだろ。相手が相手なんだから」

 ツィーガ自身が誰より自分を情けなく思っていた。神の尖兵が聞いてあきれるというところだ。だが、ツィーガは急に走り出すと、しょげかえる体の男がそそくさと店を出ようとするところに割り込んだ。

「な、なんだよ」

「店をでるのはいいけど、他人の荷物は置いていくんだ」

「!」

「あっ!財布がない!」

 後ろから声が聞こえる。男の目がせわしなく動く。ツィーガの顔色を見て、酔っていると判断したのだろう。体当たりを仕掛けようと突っ込んできた。

「よっと」

 ツィーガも、自分の酔いは理解している。むしろ相手も受け止め、絡みつくようにして二人で床に倒れ込み、男にしがみつく。捕縛術の卒業試験のような気がした。

「神よ!力もて裁きを与えたまえ!」

 引きはがされそうになりながら、必死で祈りを唱えるツィーガの思いは、何とか神に届いたようである。胸からかけたエスパダールの聖印が淡く輝いたかと思うと、発した衝撃波によって、男の体が軽く浮いた。

「げふっ!」

 男は泡を吹いて倒れ、動かなくなり、懐からいくつかの財布をこぼして気絶した。周囲から歓声があがる。

「やるねえ、兄ちゃん!」

「私の財布!」

「いまのが【法術】ってやつか!初めて見たよ!」

 体を強く撃ち、酒の酔いも手伝ってふらふらになりながらも、ツィーガは床に寝そべったまま称賛に手を上げて答えて見せた。

「さすがは、神官戦士様。お見事です」

「やめてくれよ。テオ」

 頭を振りながら、ツィーガはエクイエオが伸ばした腕をつかんで立ち上がる。

「でも大したもんだ。【法術】も使えて立派立派」

「あんなのは初歩の初歩。見習いでもつかえる護身術さ」

「しかし、情けないねぇ。大の男が竜だって一言叫んだだけでびくついてさ。もう少しで大損するところだったわ」

「仕方ないですよ」

 中年の婦人が周囲の男を睨みつつぼやいているところを、ツィーガがなだめる。誰もが竜と聞いて身構えるのは、世界の成り立ち、人類の成り立ちから言えば止むを得ないことでもあった。無論、女性も分かって言っているのであろうが。

「そもそもからして、竜は神にとってすら天敵なのですから」

「そして人類は、竜に対抗するために生まれた。そうだろ?」

「その通りです。この世界において……」

 ツィーガは幾度となく復習した人類史を話しだす。酔いの席なのでできる限り控えめに。世界の成り立ちを興味深く伝えるのは、神官としての大事な役目でもあった。


 この世界において、人間はまさしく神に作られた存在であった。何のためか。戦うためである。人間にとっての創造主である神も、実はこの世界において絶対の存在ではなかった。


 世界の支配者、全にして一なるもの。それは、竜であった。


 神が世界に顕現する前から在り、今もなお天に、地に君臨し続ける覇王。その圧倒的な力には神々ですら対抗するのは難しく、あるいは気まぐれに、あるいは明確な意図を持って竜は世界を、そして神をも蹂躙し続けた。神々は己の存在と誇りを賭けて竜に戦いを挑んだが、力及ばず肉体を焼かれ、切り裂かれ続けたという。

 このままでは、竜という存在以外全ての生命が消え去ろうかとしたとき、神は最後の抵抗を試みた。それは、ある種の賭けでもあった。

 ようやくに屠った竜の死骸を使い、自らの身に似せて生み出されたものこそが賭けの正体、すなわち人間である。神と比して極めて非力で、矮小な人間達は、個人としても種族としても、竜に敵うものでは全く無かったが、神々は彼らに唯一の武器を与え、最後の希望を託した。それは『意志』という力である。人々の魂には、竜の肉体を構成する要素であり、世界そのものに働きかけることのできる力、『志力』が埋め込まれていたのだ。

 生きる『意志』を得た人間は数々の苦難や竜の暴虐にも負けず、時には絶滅寸前まで追い込まれながらも、窮地から這い上がり、次第に生き残る術を磨いていく。互いの絆から『希望』を見出す術を見出すことで団結しはじめ、弛まぬ『意思』を持った開拓者が徐々に竜に支配された世界に広がっていく。

神々もまた、人々の祈りを汲み上げることで自らの糧とし、自身の力である『奇跡』を『志力』によって強化増幅し、発現することで、ようやく竜に対抗することが可能となった。

 竜が神々を、そして人間を滅ぼすことを中断するまでに、それでも数十という世代の人間が戦っては散り、神々自身も斃れ肉体を失っていく。果てしない時間が流れ去った中で、ようやくに人間達は竜から世界を解放し、身を寄せ合い、国を作って自らの生活圏を確立したのだった。人類の創造主である神々達自身は、全て世界を追われるという皮肉な結果とともに……



「にしても、助かったわツィーガ。これは店からの感謝の気持ち、労働に対する正当な報酬なんだから、賄賂じゃないわよね」

 悠久の歴史をなぞり終え、席に戻ってからも何となく放心状態だったツィーガの意識を、エレナの明るい声が呼び戻す。大きな酒瓶が満面の笑顔とともに差し出されていた。店からすれば、泥棒が出るなどと言われては評判が落ちる。酒一瓶で済めばむしろ安いものだろう。ツィーガは貰った酒を、店の皆に注いでいく。

「それじゃあ、せっかくだからいただこうかな。みんな飲んでくれ!」

「店を救った英雄に乾杯だ!」

 先刻の騒動を受け、店内の宴は益々騒ぎを増していく。喧騒と料理の香りと人々の熱気がいっしょくたに混ざった店内で、エクイテオが誓いの言葉を繰り返してはニヤニヤしている。最後にもう一杯、とエレナに声をかけつつ、エクイテオは大分酔いのまわり始めた顔で声を上げ始めた。

「ま、いつ竜が来るって決まっているわけでもなし、そんなにムキになっても仕方ないさ。こうして上手い酒を飲み、素敵な女性と恋をする。人間社会が繁栄すれば、それだけ神に捧げられる『志力』も増える。万々歳ってもんだ」

 竜はまだ人間を、そして肉体を失った神が魂となり、世界を見守るために登ったとされる、中天に輝く「太陽」さえも滅ぼすことを諦めていないとも言われている。人間は自身のため、神々のために志力を蓄え、来るべき決戦に備えを進めているのだが、ここ数十年は大規模な発生もなく、人間は長い春を満喫しているというのが現状である。

 エスパダール、フェンレティ、カーマキュサ、デュミエンド、タントレッタの、いわゆる『五大国』は、それぞれ人類の五大主神を信奉する国家としてお互いを牽制しつつも、竜という大敵に対しては協力するという方針を堅持しており、現在は人類史上、最も安定している時期の一つと言われていた。とはいうものの、まだ世界の大半は竜の勢力圏である。いずれ新たな開拓者が、未踏地を切り開いていくことだろう。人類の誰もが、未来を疑っていなかった。

「にしてもよ、神官サマの前で言うのもなんだが、何で神様がいんのに、犯罪はなくならないんだかな」

「志力って奴は十人十色、様々な形があり、ぶつかり合い、競い合って高め合えるものに『敢えて』した、そうだ。結果として国は広がり、人は安寧を得る。大人しいだけじゃ志力は増えないんだ、そうだよ」

 そう答えるツィーガの顔にも苦笑が浮かぶ。神が人間を定義した経緯は定かではないが、現実を見る限りは極めて辛辣な何かを混ぜ込んで作ったのだと思いたくなる。意志は当然、欲望にも、羨望にもつながるもの。悲劇すらも力にするのが人間であり、他人の絶望を糧にするのも人間である。自己の欲望を満たそうとすれば争いが生じ、争いの中でせめぎ合う心の強さを利用する仕組みとして構築された『志力』は清濁併せた奔流として循環し、竜に対抗する力と成り得た、ということなのだろうか。

 志力を生み出すように作られたゆえかどうかは知らないが、外に騒ぎが無ければ、内に求めるのが人間の常である。現在、人間同士の争いだけでなく、更には急激に発展する人間に恐れをなしたのか、先達たる妖精族との小競り合いはむしろ増しており、神官戦士達は治安の維持に加え、多国間、種族間のせめぎ合いにも神経をすり減らすことになっている。

「安息は犯罪と悲劇と共に、か」

「皮肉をいうなよ。そこら辺を取り締まるのが俺の仕事だよ」

「へへ、そうですよね。失礼失礼」

 肩をすくめる。エクイテオも改めて苦笑すると、エールの杯を掲げた。

「生真面目男に乾杯!」

「風来坊に乾杯!」

 ツィーガも高々と、天にも届けとばかりに杯をかざす。この瞬間を楽しむことは、神の教えに何ら背くことではないはずであった。





 翌日、ツィーガは案の定、二日酔いの頭を抱えての出勤である。成し遂げたという達成感が旧友との再会の喜びと重なり、いつの間にか酒量が増えていたのだろう。しっかりしろ、と自らを叱咤する。

 神官にも色々と種類はあるが、ツィーガの仕事は治安維持、すなわち警察業務である。街を巡回し、もめ事、諍いを処理し、司法である裁判を実施するのが主な仕事となる。そのためにこの三年間、法律から剣術、逮捕術から交渉術まで様々な勉強、試験を超えてきたのである。国王直属の兵士や、雇われ傭兵も存在しているが、彼らは国家間の戦争以外には顔を出すことはほとんどない。

「おはようございます」

「おお、おはよう。昨日はたいそう御活躍だったそうだね」

「は?いえ、その……ありがとうございます」

 デリクスは相変わらずのとぼけ顔で挨拶をした。どうやら酒場での一件がすでに耳に入っているらしい。これは、うかつなことは出来ないぞと、姿勢を正す。

「さて、これから君の長い神官戦士生活が始まるけど……」

 ひとまずは研修として、先輩神官戦士についていくのが仕事と聞かされている。どんな先輩の下につくのだろう、とツィーガが思うその場で、上司が口を開いた。

「さっそくで悪いけど、出張お願いするわ」

「は?出張ですか?」

 突然の話に、姿勢が僅かに崩れる。

「ドーミラって知ってる?」

「ええ、確かタントレッタとの国境でしたよね、スホール山脈の麓にある」

「そ。そのドーミラが襲撃されたという情報が入った」

「そんな⁉」

「被害の大きさもまだ不明、どうやら相当深刻らしい。救援隊を組織したんだけど、護衛として付いて行ってくれる?通常業務の研修その他は終わった後にしてもらうよ」

 知識の神、タルタを主神とする隣国タントレッタとは、一応、友好的な関係を保っており、この時期に侵攻とは考えにくい。だが、外交にまさかはつきものである。ささいな行き違いが、大騒動に発展することもある、一刻も早い調査と、タントレッタへの情報提供が必要であることは、ツィーガにも理解できた。

「分かりました!」

 もとより人助けに異存はない。ありがたいことに二日酔いの痛みもどこかに吹き飛んだようだ。

「うんうん、元気で結構。資料はここにまとめてあるからちゃっちゃと読んじゃって」

「はい!」

「それから、今回及びその後の任務において、任用式でも使った剣型法具、【忠実なる友】が貸与される。貸与だからちゃんと返してね」

「了解です!」

「では、いってらっしゃい。参加者は中央通りの先、大手門前に集合。食糧その他必要な道具は事務のエーテさんに頼んであるから受け取っていくように」

「はい!」

 走り去るツィーガの背中にデリクスは穏やかに笑い印を切った。

「ま、元気なのはよいことさ。スパッダのお導きがあるように」


 ツィーガは荷物を受け取りつつ現状の説明を受ける。話が進む度に、深刻さがひしひしと伝わってきた。近くの村に救援を呼び掛けた男はそのまま死亡、その背中一面が大火傷に覆われていたという。初任務という期待と興奮などはもはや消し飛び、ツィーガの不安と緊張が部隊全体に感染してしまったかのような沈黙が苦痛だった。エスパダール神官戦士団、重大犯罪担当班長レベリ・アルディオラが声を張り上げる。

「事態は一刻を争う。これより法術【疾風】を使用しての行軍を開始する。全員騎乗せよ!」

 ツィーガがこの救援隊に選ばれた理由の一つが、乗馬ができることだ。装備を確認しつつ、貸与された剣であり、法具【忠実なる友】をさする。今まで使っていた刀よりも一回り幅広であり、重量もある。柄頭に丸く磨かれた無色透明の石が嵌めこまれていた。法具というが、慌ただしさで碌な説明を受けていない、大丈夫だろうか。

「ま、よろしく頼むよ」

 何気なく、何の意図もなく剣に声をかける。だからツィーガは次に起こった現象に、対応策を講じる余地などなかった。

『こちらこそ』

「……」

『……』

「は?」

『は?ではない。挨拶には挨拶を。円滑な人間関係の基本ではないか』

「剣が、喋った⁉」

『何を言うか!まったく、説明を聞いていなかったな』

 聞き間違いではない。剣が、意志をもって喋っている!動揺するツィーガなど意に介さず、剣は話を続けた。

『まあいい。不完全な情報収集は戦場では命取りだ。以後気を付けるように』

「え、ええ。分かりました。すいません」

 ツィーガは心を整理し、何を言い返すかを考えようとしてやめた。まずは、無事に出発することが最優先というものである。何とか気持ちの整理をつけたとき、また自分を呼ぶ声がする。幸いにも、というか今度は聞き慣れた声であった。

「おーい。ツィーガ」

「テオ?済まん、仕事だ」

 見送りにしては早いな、と思ったのもつかの間、予想外の言葉がツィーガの耳に届く。

「ドーミラだろ?俺も行くぜ」

「は?」

「街で募集していた救援部隊に志願したんだ。ドーミラは昔立ち寄ったことがあるから、他人事だと思えなくてな」

「そうなのか……お前馬に乗れるのか?」

「ああ、多分お前より上手いぜ。野生馬をならして乗っていたんだから」

 轡型法具、【疾風】が全ての馬に備え付けられたのを確認し、レベリが発動のための言葉を唱えた。

「神よ、朋輩を守るため、我らを疾く駆けさせたまえ!」

 同時に、神官戦士達も唱和する。祈りは無事神に届いたようで、法具が光を放ち、全ての馬体を包み込んだ。

「出発!」

 号令一下、一斉に駆け出す。先頭と最後尾を戦士団が、囲まれる形で治療術に秀でた神官や救援物資を載せた馬車が進む。法具の奇跡によって強化された馬の駆ける速度は、乗馬に充分習熟したツィーガが思わずうろたえるほどだった。

「なんだこりゃ!」

 思わず声が出る。人や荷物など無いかのように、まるで宙を駆けるかのような勢いである。

「うわ、凄いな!これが法術ってやつか!」

 エクイテオも感心しきりである。だが、束の間の歓喜が消え去ると、後には目的地への焦りだけが残り、徐々に部隊から会話を奪っていくのだった。



 昼夜を超えての強行軍は続き、事態の深刻さを表すかのように大量の物資を運んでいく。途中で立ち寄った村で馬を替えつつ、ただひたすらに駆け続ける。本格的な休憩を取ったのは、一夜明けた翌日の更に夕暮れだった。皆が一息つくなか、熱心に剣を磨くツィーガに、テオが話しかけた。

「それが法具って奴かい?」

「ああ。この前酒場で見せた聖印は見習い用だから力はごくごく弱いけど、これは違うぜ」

「見たところ、新品って訳じゃないんだな」

「ああ。官給品だからな……丁度いい。テオにも挨拶しておいてもらおう」

「挨拶?」

 よく手入れされ、使いこまれた様子は、何人もの手を渡ってきたと思われる歴史を感じさせた。ツィーガが強く握ると、反応したかのように輝きが増す。

「先生、友人のエクイテオです」

「先生?」

『はじめまして』

「ギャッ!」

 剣から声がして、テオが飛びあがった。

「け、剣が喋ったのか?」

『お初にお目にかかる。私は法具【忠実なる友】。新人の神官戦士と行動し、戦闘の支援を行うために作られた法具だ』

「へえ、それはどうも……」

 法具とは、神の定めた法をこの世に具現化するために作られた道具であり、法術という『奇跡』を予め封じ込めることで容易に行使することを可能にしたものである。神官にのみ貸与されるものなので、一般人の目には触れても、近くに接することはそれほどない。エクイテオは素直に感心した。

「成程、大したものだなあ」

『私にはこれまで十五人の新人の教育を行ってきた。ツィーガも彼らのように一人前になることを望んでいる』

「お願いします!先生!」

 ツィーガは大袈裟に一礼する。真剣そのものなので嫌味はまったくない。

『ふむ。お前は真面目だな。よろしい、まずは素振りから、私を手になじませることが第一だ』

「はい!」

 元気のよい返事の後、早速素振りをするツィーガ。皆疲労困憊の中、突然の始まった指導に訓練にテオは思わず周囲を見回した。

「おい……見られてるぞ」

『握りは最初緩めて、止める瞬間に強く。もう少しメリハリをつけるんだ』

「わかりました!」

 視線が集まってくる中、それでも一人と一振りは気にせずに素振りを続けていた。



 更なる夜間行軍の後、目的地が近付いた一団は、強風を全身に浴びながら馬を進める。標高が高くなり、生息する植物の種類も変わる頃、部隊は小休止を取りつつ、斥候を走らせた。ツィーガが馬を休ませていると、エクイテオは遠くを見やりながら唇に笑みを浮かべている。いかにも心地よさそうな様子に、ツィーガは声をかけた。

「精霊でも見えるのか?」

「ん?何時でも見えてるぜ。ここはいい風が吹いているんだ」

 エクイテオの視界だけに広がる光景、精霊達が織り成す世界を、ツィーガは何度も聞かされている。頭の中で風景を想像していると、視線を動かさずにエクイテオがツィーガの腰に剣がないのを確認しつつ呟いた。

「あの法具って奴、本当に役にたつのか?」

「素振りや体裁きの助言は的確だよ。まあ、確かにちょっと煩いけどな……」

 ツィーガは苦笑する。一人になりたいと思っているのは事実であったが、厳しい言葉の端々に愛嬌のようなものがあり、【先生】自体を嫌っているわけではなかった。

「それより、改めて聞くけど本当に精霊士ってのは大丈夫なのか?その、色々とさ」

「ああ?俺だって特に何も考えてねえよ。ただの気まぐれさ」

 エクイテオらしいとツィーガは思う。昔から気の向くままにふらりといなくなり、その度に不安になったエクイテオの両親から捜索の手伝いを頼まれたものだった。やっとの思いで探し出すと、当の本人は急流の清水を美味そうに呑んでは喜んでいるだけといったことが繰り返され、周囲を呆れさせ、かつ怒らせてもいた。

 世界成立の根源であり、運営を担う精霊という存在を認識し、かつ接触できる人間はごく稀である。更に精霊の力を借りる術を得、生業となす精霊士までに至る人間は、更に少ない。人間は神を通じて世界に生み出され、神との対話から世界を見、神の許可を得て世界に働きかけるべきとされるこの世界において、余程変わった考え方であり、不審人物とすら判断されてしまうのが常である。偏見で見られることもあるため、能力を持ちつつも隠す人間もいるほどであった。

「親御さんは何も言わなかったのか?」

「はなっから諦めてっからな。道楽息子の行く末なんざ」

 後から聞いた話だが、突然精霊士になりたいといったときも、両親は既に覚悟しており反対するようなことはなかったようだ。年老いた両親はむしろ不肖の息子がもたらす土産話を楽しんでいるとのことである。

「しかしな、精霊って奴も大変なんだぜ、むしろ自然の法則通りに風を吹かせたり、雨を降らせたりで、自由なんかないんだよ」

「そうなのか?」

「ああ。そうと知ってたら精霊士なんかにならなかったのによ。俺はただ精霊達と遊んでたいだけだしな」

 エクイテオは、穏やかな風が常に吹いているような雰囲気を漂わせている。陽光に溢れた風景の中で、明るい色の髪が一際輝いた。

「後悔してんのか?」

「別に。まあいいや、って感じ。飽きたら居酒屋でもするさ」

 そのために今から各地の酒場に知り合いを作っているのさ、とエクイテオは笑う。友を見るツィーガの視線には多少の羨望が含まれていた。実家が資産家だからこその発言であり、生まれつきの鷹揚さと快活さも併せて、誰からも好かれる性格のエクイテオならではのことであったから。自分とは違うな、と思う気持ちを消すことが出来ないことを、ほんの少しだけ恥ずかしいと感じていた。勿論エクイテオは、ツィーガにとっても自慢の友人である。

「大変だ!」

 大きな声がかかる。どうやら斥候が帰ってきたようであった。周囲の人間も動きだす。

「行こうぜ、テオ」

「おう!」

 休憩は終わりのようである。二人はのんびりと川の水を飲む馬に向けて走り出した。



 道が開けた瞬間、惨状がいきなり飛び込んできた。ドーミラは辺境の町であり規模は大きくなかったが、無事な建物は一つとしてない。辺りにはまだ火が燻っているようで、焦げた臭いが一気にツィーガの鼻に飛び込み、嗅覚を痺れさせた。

「ひどいな……」

「ああ」

「治療班は診療台の設置、他の人間は各自、生存者を探せ!」

 レベリ隊長の号令の元、一斉に散らばり、瓦礫を片付け始める。さすがに選抜された一団であり、行動に遅滞がない。ツィーガも慌てて動き始めたが、周りの人間のようにはいかない。足下も崩れやすく、調査は難航しそうだ。

「……!」

 押しのけた瓦礫の下から黒焦げになった手が伸びていて、エクイテオは声を必死で抑えた。所々で神への祈りをささげる声が呟かれはじめる。誰もが知っている、鎮魂の祈りだ。

「先生。生存者の探知とかはできないのですか?」

『残念ながら、そのような能力はない』

「そうですか……」

『それにしても、この焦げ方、破壊痕。一夜にしてこの規模となると……人間の手ではなく、何か鬼や魔物の類による攻撃の可能性が高いな』

「魔物……ですか」

『そう、それこそ竜のような強大な力を持つ魔物だろう』

「竜⁉」

 思わず大きな声が出る。周囲の注目が集まろうとした中、別の場所から大声で呼びかけられた。

「こっちに来てくれ!生存者がいるぞ!」

 ツィーガとエクイテオが靴音高く走り寄ると、その場にいた美しい女性が口に指をあてる仕草で、音を立てないように指示を出す。ツィーガの先輩である、ファナ・イルミだ。治療術の専門家であるが、技術よりもその美貌が注目されてしまうことを、本人自身はあまり喜んでいないように見えた。

「瓦礫の中に誰かがいるみたい。声を探っているから、静かにね」

 瓦礫の中で、微かな声が聞こえてくる。

「ここだ!慌てずに作業しろ!」

 周囲の残骸を慎重に外していく。順序を間違えれば倒壊の危険もある中、苛立ちと焦りに満ちたもどかしい時間が過ぎていく。ようやく男の全身が表われて、一同から安堵のため息が漏れる。ファナが全身の怪我を目視しながら呼び掛けた。

「大丈夫ですか⁉今治療します!」

「……私は大丈夫だ」

「しかし、その怪我では!」

 ファナが治療術を開始しようとする手を抑える。意外な力の強さに思わず祈りを止めるほどであった。

「大丈夫だといったはずだ……!小さい子がこの下にまだ埋もれている、頼む、早く!」

「……分かりました。まずはあちらで横になってください」

 ファナの指示で、ツィーガ達が担架で男を天幕に運ぶ。男の怪我も相当に酷いものである。腕から大量の出血があり、縛った布は既に真っ赤に染まっていた。何があったのかを聞きたい衝動を抑えて、まずは介助に専念する。

「他に手の空いている人間は?」

「私も未熟ですが治療術を使えます!」

 今回の救助に際し志願をした女性が名乗り出た。胸には慈愛の神、レティアの聖印が光る。

「よかった。ひどい怪我なんだ!」

 男も、今や抵抗する気力もないようである。半ば意識を失いつつ、女性に身を委ねていた。

「レティアよ、この傷つきし男に、御身の慈悲を与えたまえ」

 聖印と共にかざした手が微かに発光し、傷口が少しずつ塞がっていくのを見届けると、ツィーガは再び救助へと駆け戻る。救援活動は、まだ始まったばかりであった。


救助活動が始まって半日が過ぎ、再び夜が近づいてきていた。野営の明かりがともる中、今もなお負傷者の治療は続いている。

「お疲れ様です」

 疲労の色を見せるファナに、ツィーガは淹れたての茶を差し出した。

「ありがとう。いい香り」

 長い白金の髪の毛を掻き上げながら、ファナはお茶を受け取り、一口付ける。つい唇を視線で追ってしまい、何となく気恥ずかしさを覚えて目を逸らす。

「生存者は四人、内三人は重傷、一人は意識不明。無傷なのはたまたまその場を外していた少女のみ。死者は二百人を超える。やりきれないわね」

 数字を聞いただけでも背筋が寒くなる。お茶を呷るように飲むファナの態度や動作には、日頃のゆとりは流石にない。隠しきれない苛立ちが見えていたが、ツィーガはむしろ安堵する部分があった。こんな状況を見せつけられて気分が波立たないほうがどうかしている。

「あの、男が言っていた小さい子、というのは?」

「助けられなかった。もう少し救い出すのが早ければ……」

 悔やむ声に力は無い。ツィーガは沈んだ空気に耐えられず何とか言葉を捻りだす。

「今の話だと、生き残りの少女がいるんですよね?その少女は今どこに?」

「レベリ隊長が話を聞いているみたいだけど、詳しいことは何も知らないそうよ。一人でも無事な人がいたのはせめてものことね」

 そういって、はじめてファナは笑顔を見せた。自分だけ感傷的になってしまったことを恥じているようでもある。一つの微笑みだけで、周囲が明るく照らされるような気すらした。

「最初からこんな任務で大変ね。御苦労さま」

「いえ、望むところです」

 本心であったが、美女を前に見栄を張りたかったのも事実である。濡れたように光る瞳が一際輝いたようで、ツィーガは思わずあらぬ方を見やった。

「それにしても、初任務なのにとても落ち付いているわね。無理をしては駄目よ」

「大丈夫です」

 こういう光景は初めてではありませんから、と言う言葉は呑み込んでいた。


被害のあった街でゆっくり休むと言う訳にもいかず、原因が分からない中での長期滞在もまた危険であるという判断から、早々に捜索を打ち切り、遺体については簡易な埋葬をすることになった。身体が興奮し、疲れていても眠れない。天幕をずっと眺めていたツィーガはついに起き出した。隣では旅慣れたエクイテオが静かな寝息をたてている。

『起きているのか?』

「はい。眠れなくて」

『ならば見回りでもするがいい。眠れないなら、疲れきるまで動け。だが一人で無闇に動くなよ。何かを見つけたら、必ず誰かを呼びに行け』

 ツィーガは無言で喋る剣を掴む。それがいい、良くないことばかり考えてしまうときは考えないのも一つの方法だ。空に光る月は、既に地に隠れようとしている。夜の闇を恐れる人間を憐れんで、慈悲の神レティアが太陽を離れて一人夜を照らすようになったというが、本当だろうか。

 神々が太陽であり、月というのなら、人々は何になるのだろう。星だろうか、とツィーガは思う。星々の明るさにも、大きさにも違いがあるが、もし自分が星だったなら、どの程度の大きさなのだろうか。

「⁉」

 空気を裂く気配で、ツィーガは現実に立ち返った。思わず構えた剣の先、遠くの開けた場所に、一人の少女が月光の元で舞うように動いているのが見えた。

「はっ!」

 気合の声も凛々しく拳を突きだす。拳法の型を使っているようだ。軽やかに動く身体には重さが全く感じられない。それでいて放たれる蹴りや突きには、未熟なツィーガが見ても分かるほどの、必殺の鋭さが宿っていた。

「誰……!」

 思わず見とれていたツィーガの気配を察した少女がこちらに向き直る。ただ立っている姿にも隙は全く見えなかった。警戒されていることにようやく新人神官が気付いたのは、少女が静かに身構えたからである。

「いや、違う!怪しいものじゃない」

 下手に動くとそのまま突進されそうな雰囲気である。ツィーガは突然降って湧いた危機に慌てふためいた。少女は睨みつけたままの視線を動かさず、じりじりと距離を取り始める。少女が構えを解くまで、ツィーガが感じる時間は果てしなく長かった。

「……」

 敵意がないのを理解したのか、少女はそのままツィーガに背を向けて歩きだす。

「待って、君は⁉」

 ツィーガの問いに応えることなく少女は去っていく。追いかけることもできずに去っていく背中にすら、全く隙は無い。

『修行不足』

 【先生】の無情な宣告に、ツィーガは全く反論できなかった。





「……ここに安らぎを得し魂に告ぐ、別れは一時なり、空へ昇りし我らが神の身元にて再びまみえん。願わくば光にて残されし者を導かんことを」

 ツィーガの稚拙な祈りの言葉もそこそこに、埋葬が進んでいく。あちこちで同じように祈りの声が上がっていた。神官が多いと便利だな、とエクイテオは不謹慎なこと考えていたが、神妙な気持ちに変わりは無い。友であるツィーガが必死で葬儀を進める姿はぎこちなく、滑稽でもあったが、誰よりも真摯な祈りであったように見えたのは贔屓目なのだろう。

 肉体を失った人間は魂だけの存在に変わり、神の元へと向かう。ある人は神と一つになり、またあるものは再びこの世界に立ち戻り、他の人間を導く存在となり、罪を犯した者は、また人間としてやり直すものとも言われていた。ツィーガは思う。自分は果たしてどのような道を辿るのであろうか。そもそもどんな道を進みたいのだろうか。いつか人生が終わり、スパッダの御前に立ったとき、恥じることの無い生を送りたいものだ、と気持ちを新たにしていると、昨晩見かけた少女が祈りをささげているのが見える。昨日、ファナから聞いた少女であることにようやく思い至ったツィーガは、少しの躊躇いの後、声をかけてみることにした。彼女のほうもツィーガに気付いたようである。

「あの、昨夜は驚かせてすいませんでした」

「……いえ」

 昨晩聞いた裂迫の気合とは程遠い、小さく細い声だった。日の光の元で改めてみると、ツィーガが思っていたよりも幼い。十六、七歳といったところか。ツィーガも若い男ではあるので、異性への興味関心は充分以上にあるのだが、勿論そんな気を起こすような状況ではない。自分の基準で無作法でない程度に姿を眺めやる。黒髪は肩で切り揃えられ、瞳は細く、顔全体もスッキリとしている。手足は鍛えられたものであり、中性的な容姿は動きやすい服装により、さらに強調されていた。いっそ美少年、と言われたほうが違和感ないのかもしれない。

「俺は、ツィーガ・オルセイン。スパッダの神官戦士、君は?」

「リーファ・ラン」

「今回は大変なことになってしまったね。身体は大丈夫?」

「ええ。騒動が起きたときは街を離れていたから」

 やはり、ファナが言っていた少女のようである。冷たい、というよりはこちらを警戒している様子である。化粧っけのない顔には疲労の色が濃く、衝撃の深さが伺われた。

「少し休んだほうがいいよ。あちらで食事も用意しているし。食べられれば、だけれど……」

「ありがとう。そうさせてもらいます」

 そっとしておくしかないだろう。ツィーガの語彙の中で彼女にかける言葉は持ち合わせていなかった。家族を失ったのかもしれない、この場にいるだけでも苦痛なのかもしれなかい。何時までも消えることのない焦げた臭いはとても強く、冷静な思考を妨げていた。



 葬儀が終わり、急いで協議が開かれた。先発隊は状況報告のために既に出発している。重病患者については容態を管理しつつも移動を始めることになった。

「志力による【遠話】法具があればよかったが、まだ全ての村々までいき渡るまでにはいかないからな」

「そう、ですね。あったとしてもこの有り様では……」

 ツィーガにも連日の疲労がようやくに出て、ふらつく身体を必死に保とうと頭を振りつつ、出立の準備を手伝う。ツィーガは後発部隊として、患者の護衛をすることになっていたが、このままで役に立つのか不安である。同じように動いているのに、同僚、先輩神官達は淡々と行動している。自分の動きに無駄が多いのだろう。休めるときに休んでおくというのは、至言であった。

「大丈夫?」

 ツィーガが気落ちしているところ、背中から声をかけられる。振り返った先には楚々とした容姿の女性が一人。ファナである。

「あ、先輩。すいません」

「ファナでいいわよ。先輩って言われるとちょっと変な気分」

 一夜明けたファナの姿はすっかり整っていた。こんな場所で、どうやっているのか、男の自分には皆目見当がつかない。彼女の治療目当てに教会に訪れる人間も多い、というのも納得である。

「いやになるわね。こんなこと」

「全くです」

 どうしても言葉が少なくなる。無意識の言葉で人を傷つけるような状態では、自然と会話は減る。冗談など絶対に口にすることはできなかった。

「一体、ここで何があったんですか?」

「まだ分からない。聞き取りをするにも患者が重傷だしね」

昨日の男性はレティアの神官が付きっきりで看護しているそうだ。

「何とか命は助かりそう」

「……それはよかった」

 ツィーガの様子に、ファナは微笑した。

「後発隊の出発まで時間あるから、少し休みなさい。昨晩も結局寝ずに見回りしていたんでしょ?いざというときに動けないと困るし」

「はあ、すいません」

 ぼんやりと答えるツィーガに、ファナは一包の香料を差し出す。

「これ、あげる」

「何ですか?」

「私の法具で作った薬よ。良く眠れるようになるから使ってみて。祈りの言葉で発動するから」

「わざわざありがとうございます」

 成程、ファナが良い香りがするのは法具のお陰なのか。ツィーガは何となく納得し、素直に甘えることにした。法具には様々な形状があり、個人ごとに向き不向きがあるというが、香料というのは、美しいファナによく似合っていた。昇任すると、それぞれの特性に応じた新たな法具の貸与を受けたり、法具が自身の成長に合わせて進化するものもあるという話であるが、あまり香料とは聞いたことが無い。特別制であろうか。【先生】が声を発した。

『法術には段階があることを学んだな?』

「はい」

『今のお前は、私という法具に込められた奇跡を使うことしかできない状態だ。もう一段階進めば、神の承認を得て、法具の持つ特性の範囲内だが、志力を自らの裁量で行使することができるようになる。さらに最終段階にいたれば、他の者の志力を集めてより偉大な奇跡を起こすことが可能になる』

 そうすることで初めて矮小な人間が竜に対抗しうるのだ。機会を見つけて講義をしたがる【先生】の力説に頷きつつ、ツィーガはそれほど真面目に聞いていない。自分は大それたことがしたい訳ではない。普通に生きる人の力になれればそれでよいのだ、と思う。

『この香料型法具は、第二段階に入ったもの。彼女の意志によって様々な効果を込めているのだろう。見事なものだ』

「はい」

『最終段階はともかく、第二段階は偏に己の精進、克己心が神に届くかどうか、だ。いずれ、第二段階に向けての訓練を行うぞ』

「分かりました。でもその前に」

『腹ごしらえか。よかろう』

 大量に持ってきた食糧であったが、救援物資としては意味の無い物となっていた。せめて美味しくいただくべきだ。ツィーガは妙な使命感を持って大鍋で煮た豆と肉のスープとパンを受け取り、少し離れた場所で食事をとる。姿を見かけたのか、エクイテオが近寄ってきた。

「よう、お仕事御苦労さん」

「お前は働いているのかよ?」

「勿論。こっちは旅慣れているから、荷造りはお手のもんさ」

 差し出された革袋の水筒に、ツィーガが口を着ける。喉を通り抜ける間隔に吹きだしそうになった。

「おい!お前これ、酒……」

「静かに!ばれたら怒られるだろが!」

 小声で鋭く言い放つと、エクイテオは水筒をひったくり、煽るように一口飲んだ。人が大量に死亡している状況でおおっぴらに酒は飲めない。が、飲まずにはいられない気分でもあるのは事実だった。ツィーガは黙って手を出し、エクイテオも静かに水筒を差し出す。喉の奥を強い刺激が通り抜けると、疲れが一気に噴き出たようだ。

「とんでもないことになったな」

「ああ。誰がこんなことをしたんだろうな……【鬼】の類いか」

「鬼って奴は、人の志力を糧にする化け物だろ?こんな根絶やしにしてしまったら自分達が生きていけないだろう?」

 人間は神が作り出したものである。志力は神の助けとなり、また人間自身が生きる力となるが、その志力そのものを欲する存在があった。【鬼】と呼ばれるそれは、人の世に生れ、人から志力を吸い取っては生きるという呪われた存在であり、彼らから人々の生活を守るのも神官戦士の重要な役目である。

「俺も何度か目撃したことがあるけど、街を壊すというより、人に取りついてジワジワ搾り取るって感じだぜ」

 エクイテオが訳知り顔で話す。

「だとしたら、他国の侵略か?ここはタントレッタとの国境だが」

「今の時期に、タントレッタがエスパダールに喧嘩売る意味が分からんなあ」

「あとは妖精族とのいざこざとか……」

「一番でかいのが残ってるぜ、竜だ」

「竜か……なあテオ、お前竜見たことがあるか?」

「旅の途中で一度だけ。かなり遠くを飛んでいたからしっかり見た訳じゃないけどな」

 エクイテオの中で、遠目にも雄大な竜の姿が思い出された。空を舞う姿に、恐怖とともに羨望に近い思いを抱いたのは、我ながら不思議であった。

「竜が、いきなり現れて、街を襲うなんてことがあるのか?活動期でもないのに」

「さあなあ。俺には分からないけど。今は法具で接近が分かるんだろ?急に現れることはできないんじゃないか」

 疲れと酔いが二重に身体を包み、睡魔がツィーガを眠りへと誘う。エクイテオはどうやら、これを見込んで酒を飲ませたようだ。

「悪い、少し寝るわ、出発前に起こしてくれよ」

「ああ、いいぜ。お前の荷造りはやっといてやるから」

 エクイテオに片手を上げて応える。何とか寝台に辿り着くが、そのまま眠りに落ち込みそうになる意識を必死で堪え、ファナからもらった香料を枕元に置いた。

「神よ、安らぎあれ」

 祈りの声に合わせて柔らかな香りが広がり始める。だが、発動を確かめるまでもなく、ツィーガは深い眠りへと入り込んでいた。



「ツィーガ、起きろ。時間だ」

「ん……すまない」

 エクイテオの声がかかり、まだ開かない瞼を擦りつつ起きる。何か夢の名残が残っていたような気もするが、思い出せない。香料のおかげか、短時間の睡眠にも関わらず頭はスッキリしていた。

「ツィーガ、具合はどう?」

 天幕を片付けているとファナが声をかけてきた。

「はい。お陰様で疲れが取れました」

「どういたしまして。そろそろ出発よ。負傷者を近隣の村まで運びます。護衛よろしくね」

「了解です」

 搬送する負傷者の人数は三人。意識の戻らなかった一人はツィーガが寝ている間に息を引き取ったそうだ。二台の馬車に分け、治療術を使える神官が同乗する。

「良かった。あの人は無事だったのね」

 救助直後、ファナの治療を断った男の容台は安定に向かっているようである。ぼんやり眺めていると、馬車に運ばれる姿の中に、一際立派な体格を持つ壮年男性がいた。重傷と聞いていたが血色も良く、意識もしっかりしている。

「ドーミラの村長よ」

 どうやらファナが担当する患者のようだ。ツィーガが頭を下げると、鷹揚に手を上げて答える。

「この度は迅速な救援感謝する」

「いえ、とんでもない」

 硬直するツィーガをそれ以上見ることなく、静かに運ばれていく。【先生】が声を上げた。

『あの男、大分腕が立つな』

「そうなんですか?確かに鍛えてそうですが、寝ている姿からも分かるんですね」

『見て分からなければまだ未熟。息使い、視線の配り方、全てを注視していくことだ』

「分かりました」



 不安を抱いての出発であったが、半日間は特に何事もなく順調な旅路といえた。緊張しつつもツィーガはドーミラの惨劇について思いを巡らす。あれだけのことを一日で、何の前触れもなく行うのは誰か?やはり竜なのだろうか?思わず一人呟く。

「竜、ねえ」

 竜。人間にとって、存在意義ともいえる相手。敵というには余りに圧倒的な脅威に対し、人間はその歴史全てを賭けて挑み続けてきた。太古より竜は、気まぐれに国を襲い、時として一つの都市が失われるようなことがあったと言う。 

 竜が力を集約すれば、たやすく人類など全滅する、というのは紛れもない事実であるが、何故そうしないのかについて議論は一定の方向を向いていない。そもそも相手にしていないという説、いずれくる最終決戦のために力を蓄えているのだ、という説。神と休戦協定を結んでいるという説、様々である。近年、竜の膨大な志力を観測する技術が開発され、発生予測が可能になり、更にある大いなる奇跡の発現と、それに伴う各国の協力体制、人口増加による志力の効率的な運用により誕生した対竜種防御壁、【大いなる円蓋】の構築により、防御機構は完成しつつあり、来襲に対して最小限の被害に留めることにようやく成功してきたところであった。

 とはいうものの、【円蓋】は全ての都市を覆うことはできず、いまだ竜という言葉を聞いただけで、大概の人は縮み上がる。もし今回の被害が竜だとすれば、折角構築された探知の網を潜り抜けるものであり、新たな対策を講じる必要があることになる。竜が今もなおこの国に潜んでいると考えることの恐怖感は大きく、鬱蒼たる木々の奥から姿を見せるかもしれないと思うだけで、身体がすくみ上がるようだった。

『ツィーガ。私を抜け』

 【先生】の声が、ツィーガを思考の森から抜け出させる。

「先生?」

 言われるままに鞘走らせると、鈍い光が煌めく。刃に反応するかのように、周囲に幼子が泣くような声が響き渡った。肌に感じる空気が冷たく張りつめ、ツィーガの心身は一気に緊張する。

「ついに出たな」

 粒子が集まり、複数の不定形の塊となってツィーガが護衛する馬車の周りを取り囲む。鬼が現れたのだ。

『訓練の通りに動け、【破鬼】の能力を発動する』

「はい!」

 声が震える。【先生】が諭すような口調になった。

『緊張するな、とは言わん。初任務、初陣。成功も失敗も、一つ一つ乗り越えていくしかないものだ』

「はい!神よ、この刃に鬼祓う力を宿らせたまえ!」

 ツィーガの声に反応し、刃が燐光を放つ。指から吸い取られるような感覚、人の意思、志力を元に、法具の力が発動した証である。

「できた!」

『次の行動!危機を周囲に報告せよ!』

「鬼発現!繰り返す、鬼発現!」

 ツィーガの呼びかけは一回だけだった。人の志力を糧とし、人の悪意を形とする生物、【鬼】がツィーガめがけて突進してきたからだ。彼らは人間に取りつき、人の感情を増幅し、乱れさせ、激発する感情が呼び起こす志力を搾り取る。取りつかれた人間は衰弱し、或いは他者を傷つけ、世を混乱に巻き込む。世界乱れるところに現れ悲劇を生み出す存在として、決して人間とは相いれない存在である。中には人間に憑依し、意のままに操るものもいた。今回の鬼はまだ生まれたばかりのようで、実体化をしていない。火の玉のような形状で、ゆらゆらと不規則な動きを見せる。嘲笑されているような気がして、ツィーガはいきり立った。

「はっ!」

狙い澄まして振り下ろされた一撃で、塊となった鬼が四散する。人間に憑依する前であれば、新任の神官戦士でもさほど困難ではない相手だ。

『右上、続いて左下だ!』

 【先生】の指示にツィーガは必死でついていく。右は切り払ったが、左は間に合わない。回り込み馬車へと向かう鬼を、ツィーガは追いすがりつつの一撃で払う。途端に横から衝撃がきた。

「ぐッ!」

 見えないところから突進してきた鬼が脇腹にめり込む、憑依しようとして、ツィーガを保護する法力と衝突したのだ。衝撃に一瞬息が詰まる。

「このやろ!」

「離れろ、テオ!」

 ツィーガの声を聞きつけたエクイテオが、手持ちのナイフで切りかかるも、実体を持たない鬼に対して有効な打撃は与えられない。そのまま身体を伝って身体に浸食しようとする。

「テオ!動くなよ!」

 友の腕ギリギリをねらって、ツィーガが突きを繰り出す。悲鳴のような音を上げ、鬼が四散する。

「あっぶね!」

「テオ!当たってないよな⁉」

「ギリギリね……終わったか?」

「多分」

 二人が息をつく、護衛の人間も集まってきたようだ。

『気を抜くな!索敵を続けろ』

 【先生】の声が意識に届くまでの数瞬の間にそれは起こった。

「ぎゃああっ!!」

「しまった!」

 馬車の幌を開ける。すでに回り込んでいたのか、鬼が患者に取りつくのを止めることができなかった。飛び込んだ瞬間、もう一度絶命の叫びが轟き渡る。憑依すると同時に身体の豹変が始まった。

『憑依変質系の鬼か……待て!ツィーガ』

 瞬時に四肢が肥大、硬質化する、瞳は異様な輝きを放ち、最早人間と言う存在をやめ、異形の怪物と化していた。

『焦るな、もう間に合わない。救援が来るまで凌ぐんだ』

「しかし!」

『それ以上突っ込めばお前も無事ではすまないぞ!』

 【先生】の声が聞こえたときには既に走り出した後だった。剣を振り回し、一気に距離を詰める。瞬間、金属がぶつかったような高い音が響いた。硬質化した皮膚は、志力を纏った刃を易々と受け止めていたのだ。もはや人間の姿は残っていない。怒りを込めように歪み切った顔が、ツィーガを見つめている。鬼と化した人間、【鬼人】は何の躊躇もなく、ツィーガに襲い掛かってきた。

「何っ!」

 拳が視界一杯に広がったところで、ようやくに頭を下げてかわす。距離を取る暇もなく、続けて丸太のような足が襲いかかる。ツィーガは剣を構えて耐える姿勢を取った。

『馬鹿!避けろ!』

 【先生】の声と同時に、一陣の風が吹き抜けた。来るはずの衝撃が来なかったかと思うと、逆に目の前にいた鬼があっという間に彼方へと吹き飛んでいく。

「?」

 何が起こったのか分からない。状況を把握する前に、土煙の中から再び鬼人が呆然とするツィーガに向けて跳躍してきた。距離が一瞬にして詰まる。叫び声を上げようとするツィーガの後ろから、巨大な何かが鬼に向けて突出されていた。

「ギャーッ!!」

 何時までも耳に残るような嫌らしい絶叫が響く。飛び込んできた【鬼人】は勢いそのままに巨木と激突し、頭部を貫かれていた。

「ひっ!」

 凄惨な光景に腰を抜かしたツィーガは尻から地面に落ちる。そのまま仰向けになり、背後に開けた視界により、ツィーガは今現在起きていた事実をようやく把握した。

「り、リーファ、さん……」

 何と、大人数人がかりでも持ちあげることが不可能であろう大木を、リーファが片手で持ちあげ、鬼を貫いていたのだ。

『ツィーガ、ぼさっとするな!調服せよ!』

 【先生】の言葉にも、ツィーガは動くことが出来ない。意識も、身体も完全に弛緩していた。

「大丈夫か!」

「制圧開始!」

 先輩神官が二人で残った鬼を制圧する。呪われた悪意が消滅し、志力により浄化されて鬼が世界に散華してもなお、ツィーガは立ち上がることができずにいた。


 ようやく、中継点である村の灯りを確認したとき、一同の溜息は深かった。首都エスパダールはまだ遠いが、屋根の下で眠れることの安堵、幸福を神に感謝する。休むのも仕事の内と、決められた夜警要員を残して、皆泥のように深い眠りに入っていった。ただ一人、ツィーガを除いて。

 同行者達が誰も責めようとしないのが、却って辛い。道中の不手際が頭の中を回り続け、疲れを押しのけるような後悔が胸を締めつける。初仕事にして、初の犠牲者である。あの時、何故俺は気を抜いてしまったのか。もう少し早く周囲の警戒をしていれば。自分じゃなければ犠牲者を増やさなかったのではないか?何度も寝がえりを打っていると、立てかけてあった【先生】が声を発した。

『起きているのか』

「はい」

『昼間のことを悔やんでいるのか?』

「私の失敗で、犠牲者が出てしまいました……」

『……お前は最善を尽くした。が、結果は結果だ。受け止めて精進するしかない』

 ツィーガは寝台から身体を起こした。

「先生。御指導お願いできますか」

『お前ならそう言うと思った。さあ訓練だ』

 ツィーガは起き出し、月光の下素振りを始める。一心不乱に続けている中、ふと人の気配を感じる。振り返ると、最初からそこにいたかのような自然さで、リーファが静かにこちらを見つめていた。どうやら大分前からそこにいたようだ。

「リーファさん、どうかしましたか?」

 夜の世界に溶け込むように佇む姿には、存在感すら消し去った静寂に満ちている。丸太を片手で掴んで【鬼人】を瞬殺したとは今でも信じられなかった。

「昼間は、本当にありがとうございました。貴方のお陰で助かりました。何か、御用ですか?」

「あなたは、いつも訓練をしていますね」

ツィーガの言葉には反応せずに、静かな口調を続ける。感情というものをほとんど感じさせない。

「……未熟ですから」

 偽る必要もない。刀身の長さや重さにまだ慣れていない、不安定な足場や外気等、全ての要素に対応するだけの経験も技術もない。焦りが全身を縛りつけ、緊張がさらに視野を狭める。何もかもが未熟。おかげで大切な命を一つ失ったのだ。

「リーファさんも稽古ですか?」

 少女は頷いた。彼女がいついかなる時も緊張を解かず、ツィーガ以上に時間を惜しんで鍛錬を続けているように思える。

「私は、他にできることがない」

 ツィーガは剣を下ろして少女に向き直った。無駄のない身体は磨き上げられた武器のように鋭く引き締まっている。戦ったら確実に自分は負けるだろうと確信していた。

『その通り。彼女はお前より強い』

 先生の言葉には答えず、ツィーガはリーファに話しかけた。

「何故、そこまで自分を追い込むのですか?」

 都に住む同世代の男も女も、将来の希望に満ち満ちて愛や恋を語らっている。ツィーガなどから見ても眩しいほどだ。人口を増やすというのは人間の存亡に深く関わることなので、むしろ奨励されることである。恋をしろというわけではないが、気持ちを無理に否定する必要もない。そんな人間達に対して、リーファは背を向けているようにすら見える。さらに言えば、戦いそのものに喜びを見いだしている様子もないのがまた不思議だった。

「別に追い込んでいるつもりはない。これが、私達の日常だから……あなたは、何処まで知っているの?私達のこと」

「実は、何も聞かされてなくて。ただ護衛と言われてついて来ただけだから」

 情けない回答をしたツィーガに代わり、【先生】が答えた。

『君達は、竜を目指す者達、【追竜者ドラグナー】だね』

「はい。その通りです」

「【追竜者ドラグナー】……?」

『何だ、最近の若い者はそんなことも知らないのか』

「すいません」

『では問おう。人が奇跡を求め、志力を行使する際、どのような方法を使う?』

「神の御加護を求めます」

『その通り、人の意志は神を通じて世界に行使することが正当な方『法』、手続きとされる。それゆえに志力を行使する為に使われる道具を、【法具】と呼ぶのだ。しかし、世界の中にはそう言った段階を経ずとも志力を具現化する力を持った人間が稀に存在するのだ。正当な方法でなく意志を実現する力、それを』

「魔法、ですね」

 魔法とは逆説的な名前である。正当な方法である法術以外の方法は邪な方法、即ち『魔』法と呼ばれる。厳密には、精霊士や、【追竜者ドラグナー】もまた、魔道を極めんとする者の一団であるといえるのだ、と法具である【先生】の講義は続く。

『魔法を行使するもの、即ち魔法使いにも種類がある。自身の才能だけで生まれつき行使できるものがいれば、魔法使いを目指して絶えまない修行を積む者がいる。その中で最も有名なのは、人の身でありながらこの世界の頂点である竜へと至ることを目指す一団、神の加護を求めず、自らの志力のみを磨き上げることでいと高き存在を目指す孤高の集団、竜を目指す者を【追竜者ドラグナー】と呼ぶのだ』

「良く御存じですね」

 リーファの表情がほんの僅かだけ崩れる。

『もう二十年前になるか、一度だけ戦ったことがある。実に見事な戦振りであった。我ら神官戦士五人に対し、たった一人の【追竜者ドラグナー】に圧倒されたものだ』

「へえ、ただ者ではないと思ったけど、そんな凄かったんだ……って竜を目指すってことは、人間の敵になるってことですか?」

『そうではない。人として竜を超え、竜を打倒することこそ彼らの悲願。決して竜の仲間になるということではない。一部の人間は、お前のように誤解をしているようだがな。神に仕えてはいないかもしれないが、ある意味神の御意志に最も忠実ともいえるのだ』

「そうなんですね……そんなに崇高な集団だったなんて」

 つい出てしまった素直な称賛の言葉にも、リーファは無感動だった。

「私はただの未熟者。魔法使いなどと呼ばれる存在ではない」

 淡々とした言葉の中に、微かな感情の揺れを感じることができたのは、ツィーガがまさに未熟者であったからだろう。同じ未熟者でも、覚悟が違う気がして、内心で赤面する。

「自分が未熟って分かって努力しているなら、『ただの』未熟者じゃないさ。未熟者の俺がいうことじゃないけど」

 リーファは目を見張る。

「……そうですか」

 それ以上何も言わず、少女は去っていく。かける声もなく立っていたツィーガは、やがて頭を振り、素振りを再開した。



 長い夜が明ける。生存者の治療、及び聞き取りが続く中、来訪者があった。見慣れるほどにはまだ会う機会のなかった、くたびれた中年男の顔。

「よ。新人さん元気?」

「デリクス司祭長?わざわざこんなところまで?」

 デリクスは非常事態にありながら、表情にも態度にも全く変化はない。つい呆れてしまいそうになった自分を戒める。平常心での対応こそが重要なのだ、と暗に言われた気分になったからだ。

「いやー思ったよりひどいみたいだからね。聞き取りも早めにしないとだし」

 デリクスはちらり、と剣である【先生】を見やると、手を振ってとある建物に向かった。既に先発隊からある程度の情報を得ていたのだろう、早速生存者に対し聞きこみを開始したようだ。話によると、リーファからも聞き取りを実施したようだが、ツィーガやエクイテオには詳細は伝わってこない。新人として、あまり期待はされていないのだろう。

 新たに神官戦士も増員される中、集められた志願者については、首都エスパダールに戻ることなく、取り合えずお役御免になった。エクイテオは今日までの報酬を受け取ると、大きく伸びをする。

「あー疲れた。お前もこんなのを毎日続けるなんて物好きだなあ」

「いいだろう別に」

「報酬も出たし、折角だから酒飲もうぜ。小さい村だから大したもんはないけど、この地方は確かいい葡萄酒を作っているはずだ」

 早速酒場を見つけているようだ。動きの早いことである。

「いや、これから先輩職員達の手伝いだよ。暇なんてない」

「へいへい。神殿仕えは大変なことで、んじゃまたな」

 テオはひらひらと手を振ると、酒場を目指して人ごみの中に消えていった。


 翌日、昼食の買い出しなどの細々とした仕事をこなしているツィーガに声がかかった。何でもデリクスが呼んでいるとのことである。

「ツィーガ・オルセイン。参上しました」

「ああ、ツィーガ。よく来たね」

 どうにも緊張感に欠ける風貌であるが、何とか気を引き締める。何を言い出すか分からないから気をつけろ、とは、昨日先輩から何度も教えられていた。

「御用は何ですか?」

「折り入って話があってね。君に新しい仕事を頼みたいんだ」

「仕事、ですか。私に?」

「何、意外そうな顔しているんだい?……ああ、そうか。犠牲者のことを考えていたんだね」

「……はい」

「仕方がない、とは言わないよ。だが報告を聞く限りでは、君はできるだけのことをしたとも思えるね。今は、自分のできることをしなさい。反省は全てが終わってからだ」

 デリクスは表情を変えずに言い切った。ツィーガは心に残る痛みを意識しながらも、声を張り上げた。

「はい!」

「うん。元気があってよろしい。早速なんだけど、竜って知ってるよね?」

「勿論です」

「その竜がさ、出現したって聞いたら驚くかい?」

「はい!……って、え?竜が!?」

 あまりに緊張艦の無い声に、反応が遅れる。

「そうなの。ドーミラがボロボロになった日に、実は膨大な志力の発生が認められた。大きさでいうと小型の竜に匹敵する、らしい」

「まさか……もしかしてあの【追竜者ドラグナー】の中から竜が生まれたということなんですか?」

「お、よく調べているじゃないの。感心感心。まあ、ついに竜が生まれたというのであれば、歴史的な快挙なんだけどさ。ただの一瞬だけで、今は全く反応がないらしい」

「それで、あんなことに……」

「もし竜が国内で、そして国外で暴走するということになれば、とてつもない惨事となるからさ。何としても止めなくちゃいけない」

 緊張感の欠落した口調だが、言っていることはとんでもないことである。デリクスが出張ってきた理由なのだろう。

「それで……私は何をすればいいのですか?」

「君にはある人物を探して欲しい。通常の職務から離れてしまって申し訳ないけどね。勿論手当は弾むからさ」

「わかりました。是非やらせてください!」

 力強く返事をしながらも、当然ながら気になる点をツィーガは確認した。

「なぜ、こんな重大な話を、私のような新人に?任務ではミスもしていますし」

 デリクスがじろり、とツィーガを見る。鋭い一瞥に思わず瞬きをしたが、見直したときはいつもの気の抜けた顔だった。

「実は、さ。事件の重要人物である、リーファ・ランが君を指名したんだよ。彼女の兄、ガリューシャ・ランを探すのを手伝って欲しいって」

「リーファさんが?」

「どんな気持ちなのかは分からないけど。たっての希望ってんじゃしょうがない。やれるかい?」

 デリクスの言葉には、重みも威圧感もないが、淡々と選択だけを求めてくるだけに、無機的な凄味がある。少なくとも今のツィーガにはそう感じられた。厚みのある机、色調がやけに暗い壁、部屋全体が圧迫してくるような錯覚を覚える。

「やります」

 言葉が出るまでに、思ったよりも長い時間が過ぎたような気がした。

「よろしい。それではリーファさん、そしてドーミラの村長から話を聞いてくれ」

 デリクスはあくまで表情を変えなかった。


 デリクスに誘われ、ツィーガが別室に入ると、二人の人間が既におり、独りは椅子に座り、独りは寝台から、それぞれの表情でツィーガを迎えていた。

「私は、トレンガ・シン。ドーミラ村長をしている……いや、していたというべきかな」

 自嘲気味な挨拶にツィーガは無言で頭を下げる。以前見たときは分からなかったが、身体から発散する精力は尋常なものではない、一人寝台に寝ているだけで部屋全体が狭く感じる。これで怪我から回復したらどうなるんだ、とツィーガは妙な不安を覚えた。

「私はツィーガ・オルセインと申します。今回、リーファ・ランさんと共に、ガリューシャ・ランさんを探すという任務を受けました。ガリューシャさんについて知っていることを教えてもらえませんか?」

「あの男は、一族の裏切り者だ!」

「……今回の事件と何か関係が?」

 いきなりの強い口調に、たじたじになる。

「奴は、あろうことか、我ら一族の秘宝を持ち去ったのだ」

「秘宝とは?」

「竜の器、よ」

 それ以上話を進めない。ツィーガは話題を変えた。

「貴方がたは【追竜者ドラグナー】なんですよね」

「ドーミラは我ら【追竜者ドラグナー】達の村、生活全てが竜への挑戦であり、実験であるといっていい」

 リーファを見やるが、いつも通りの静かな眼差しを返されるだけだった。真意など全く汲み取ることはできない。

「我々は竜を目指す者として、世代を超えて宿願を繋いできた。そして永き戦いの末、ついに竜へと至る道を見つけたのだ」

「竜へ至る道、ですか」

「我々一族においても、それぞれの得意とする分野がある。己自身を鍛え上げ、頂たる竜への階梯を登る者もいれば、知識や志力を活用して竜たる存在を作り上げようとする者もいる。我々は竜を創り上げたはずだった……だが」

「だが?」

「ガリューシャは秘宝を我がものにせんと、盗みを働き、竜の秘密を宿した秘宝の力を暴走させ、村を焼き払ったのだ」

「……」

 激しい口調で断定するたび、リーファの表情が強張る。

「そういうことらしいのよ。だから今回、ガリューシャって人を探しに行かなきゃならないのさ」

 緊張感のないデリクスの声が、今回ばかりは場の空気を和ませる。意識してのものでは、きっとないのだろうが。

「まず、お答えいただける範囲でよいので教えてください。竜とは何なのですか?何をもって竜を生み出したと判断したんですか?」

「我らの考える竜の定義とは『神の軛を離れ、独力でこの世界に神に等しき奇跡を起こしうる力を持つ存在』であるということなのだが、ここで細かい話は避ける。人間の限界を超え、単独で世界を滅ぼしうる力を持った存在ということだ」

「その竜という存在の鍵を握るのが、竜の器なんですね。なぜ暴走したのですか?」

「分からない。全ては突然のことだ。私も仲間も吹き飛ばされた。ただ分かっているのは、ガリューシャが秘宝を盗み出し、今も逃げおおせているということだ」

「何処に逃げたのかについて、心当たりはありますか?」

「竜の器の独占、それしかあるまい」

 ファナの問いに、トレンガはさもありなんと首を横に振った。 リーファがようやく口を開く。

「私は兄を探しだし、事件について問いたださなければならないのだ」

「リーファの兄、ガリューシャは一族の中でも極めて優秀、理想とも言われた戦士だった。だが彼は私欲に負け、生み出された竜を我が者にしようと画策し、今回の事態に至ったのだ。彼は既に竜を操る術を手に入れているのかもしれない。竜の秘密は独占されるものではない、いずれ皆が竜へと至るためにも」

 トレンガの熱っぽい瞳に見据えられ、ツィーガは身体が強張る。獲物を狙う肉食獣のようだ。

「リーファは、君が信頼に値する人間だと言っている。申し訳ないが、彼女を手伝ってやってくれ」

 トレンガは、そういって深々と頭を下げた。


 トレンガとデリクスを部屋に残し、ツィーガとリーファの二人は廊下を歩きながら話す。

「なぜ、俺を選んだんですか?」

 改めてリーファに質問する。例えどんな理由であっても仕事を受けるつもりであったが、真意の程は知っておきたい。

「……あなたの気持ちが、よく分かるから」

「俺の気持ち、ですか?」

「あなたは失敗し、汚名をそそぐ機会を求めている。私もまた、一族の中では未熟者。常に自分の実力に不満と不安を抱いていた。そこに今回の兄の不始末。私にも、これは大切な機会。あなたならこの気持を分かってくれると思った。だから……」

 彼女は正確に、ツィーガの気持ちを洞察していた。

「不満も、不安も、機会がなければ解消できない。そういうこと?」

 リーファは頷く。それ以上の言葉はいらなかった。

「ありがとう、リーファ。きっとあなたの期待に応えてみせる」

 ツィーガは精一杯の強さを込めた。

「一つ、聞いていい?」

「何ですか?」

「リーファは、お兄さんのことをどう思っているの?」

「……兄は、自分に厳しく、他人に公正な、尊敬に値する人間、と思っていた。村の人間も、トレンガ村長と兄は追竜者としての理想の体現とも。だが今回のことで、私は何を信じていいのか分からなくなった」

「大丈夫だよ。まずは信じてみよう。まずは、そこからだ」

「……ああ」

『しかし、追竜者とは、自らを鍛え上げる集団のはず。竜を作るという発想をするとは、いやはや時代は変わったということか』

【先生】が嘆きともつかない声を上げる。

「そういうものなのですか?」

「そういうものなんだよ」

「……って、テオ!?」

「よう」

「何でお前がここにいるんだよ?」

「私もいるわよ」

「ファナ先輩!」

「先輩はやめてっていったでしょ」

 唇を尖らせる仕草が妙に色っぽい。エクイテオなどは鼻の下がだらしなく伸びるほどだった。

「すいません」

「いや、俺が旅慣れしてるから、今回も雇われたんだよ。あのデリクスって人、気前がいいな!ファナさんも大船に乗ったつもりでいてください!」

 膨らんだ財布に御満悦の様子である。

「私が正式にあなたの育成を担当することになりました。今回の任務中は私の指示に従うこと。いいわね?」

「わかりました」

「では早速打ち合わせといきましょう。」

「「「はい!」」」

 ファナの声にツィーガは元気よく、エクイテオは気楽に、リーファはあくまで硬く声を上げた。



 四人の出立を見送る訳でもなく、デリクスが出張先でもいやいや書類仕事をしていると、仕事を抱えた秘書が話しかけてきた。やぼったい眼鏡をはずすと中々美しい顔が覗くが、愛想というものが欠片も無い視線を上司に送っている。

「デミトリアス司祭長」

「何?」

「良いのですか?リーファという人物、今回の事件において重要かと思いますが。あの新人に任せるのはいささか不安ですが」

「ファナもいるしね。あの子も若いけどしっかりしているから」

「しかし、トレンガ達の話がもし真実なら……」

「その時は、その時さ」

 デミトリウスはむしろのんびりした顔でそう言った。





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