(III)

第15話

 入学前説明会の朝……。

 二年の俺は、別に行く必要はないのだが、

「ぉ兄ちゃん、学校まで付いてきてよ」

「ぉ兄ちゃん、ね、お願い」

と昨晩、祐佳里に強要されて、取り敢えず学校までのルートを付いていくことになったのである。

 寝ぼけ眼をこすりながら、布団から起き上がろうとすると、額に、柔らかいものが接触する。目の前が真っ白になる。な、なんなんだ、この状況。

「もうっ、ぉ兄ちゃんってエッチなんだから」

 祐佳里の声が、額を通じて俺の頭に響く。それに混じって、早めの心音が混じる。

 もしかして……。

 起こそうとした上体を再び床に戻すと、視界の外から祐佳里の顔が現れる。白を基調としたセーラー服――女子用の制服を身につけた祐佳里。彼女の胸元……真っ正面であるが、そこに皺が寄っていた。俺は思わず目を背けた。

「どう、ぉ兄ちゃん。キ・モ・チ・ヨ・カ・ッ・タ?」

 目の前から消えたはずの祐佳里が、不思議そうに自分から視界に潜り込んでくる。制服の襟に手を掛けながら。

「ぉ兄ちゃんが望むなら、いいんだよ」

 頬を赤らめた祐佳里のその手が、ゆっくりと動く。頸の下の皮膚が、少しずつ、その露出面積を増やしていく。

「や、やめろよ祐佳里。ぉ兄ちゃんはそんな趣味はないから」

 俺は、左手で目を塞ぎ、もう片方の手を左右に振り、拒否の姿勢を示す。少し間を置いて、左手の指の間隔を拡げると、祐佳里は制服の乱れを直していた。しかし、俺の視線に気づいたのか、こちらを凝視したかと思うと、そのまま顔を寄せてくる。

「本当なの? でも、それって変だよね。生物として」

「ふ、普通だろ」

「やっぱり、躰を重ねて、ケダモノの本性を目覚めさせないとダメだよねっ」

「だから、そういう話はやめてくれ」

 熱い。とても、熱い。火照った俺の顔に重ねた左手は、まるでやけどしそうな顔の表面温度を伝えてくる。

「もう、ぉ兄ちゃんったら……想像したでしょ、私のはだか」

 拒否はしない。俺は、苦渋を浮かべながら、ゆっくりとこうべを前に垂らす。

「正直でよろしいっ!! 祐佳里、おにいちゃんのそういうところが大好きだから」

 そういうと、彼女はゆっくりと跳躍する。まるでバレリーナのように制服のスカートを両手で支えながら、くるっと一回り。見えそうで見えない、絶妙な角度で。

「制服、どう?」

 再び俺の正面に顔をさらした彼女は軽く一礼する。そして、はにかんだ笑顔で頸を傾ける。

「どう、って言われると――えーっと、かわい……」

「気持ちがこもっていない!」

 強く指弾される。

「男の人に制服姿晒すの、初めてなんだよ、ぉ兄ちゃん。だからね……」

 そう言って、すこし間を置いて

「好き、だから。ちゃんと、見て欲しいな。ぉ兄ちゃん」

 下向きに顔を赤らめて、手を擦り合わせながらもじもじしている祐佳里に何とか優秀な回答を施そう、などと考えても少し気恥ずかしい言葉が頭を巡るだけで、文章として成立するほどの美辞麗句に発展するには、いかんせん、俺のセンスがなかった。

 それに、うつむいた彼女が時々、『ぉ兄ちゃん』の様子を見るべく見つめてくるのが、なんともいじらしい。

 それが余計に、言葉の成立を阻んでいた。

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