第3話

 行きと同じバスを探し、乗り込む。既に特進の生徒は乗り込んでいた。その最前列にいるはずの七星の姿を探すと、彼女はすっかり疲れ果てたのか、窓側に寄りかかり、静かな寝息を立てて座席に身を埋めていた。

 彼女を起こさないように、横の席に腰を下ろした。

 シートベルトを締めたあと、そっと彼女の姿を確認した。

 素……。

 作り笑顔でもない、本当の彼女の姿。それをまじまじと見るんだ。まさに彼女の内面を見るような、寝姿という魔性の状態。

 はっきりいって、それは至高の美。

 閉じられた瞳……瞳というパーツが秘匿されて尚、いや見えないからこそ際立つ彼女の美しさ。規則正しくゆっくりと動くふくよかな胸は、その下で組まれた手と相まって、まるで彼女が神に身を捧げたシスターのような清楚さを醸し出していた。

 やがてバスはゆっくりと発進する。

 発進の振動ゆえか、寝返りを打ったのか。彼女の身体が俺の方に覆い被さる。無防備な肢体、それが俺の肩に腰に触れる。あの鼻孔を刺激する七星の匂いが麻薬のように俺を狂わせる。

 彼女の腰の下敷きになった右手をすこし動かすと、いかに彼女の躰が柔らかいか、ということを痛感させられる。そして、それは神聖なる彼女の躰を淫らに触ったという罪悪感に襲われる。

 さらに、身体を寄せると、彼女の吐息が俺の頬をなでる。強くなる、彼女のフェロモン。ついには彼女の髪に肌が触れる。サラサラの黒髪はまるで蚕の繭のような柔らかさとしなやかさを備えていた。

 そんな彼女に触れる至高の時間はあっという間に過ぎ去り、学校に到着した。次々と降りていく生徒たち。そして、運転手と俺たちだけになってしまった。

「七星さん、着いたよ」

 まだ目覚めない彼女。目の前には彼女の唇。白雪姫、みたいな展開を期待しつつも、さすがにキスするには躊躇するわけで、おそるおそる彼女の肩に手を掛ける。

「ん? ふ?」

 触れるか、触れないかという瞬間に、彼女が目覚める。

「え、誰?」

「花村浩一。朝、来る時に横に座っていた」

「花村……」

 うつろな目、瞼をこすりながら上体を起こす七星。……かわいいなぁ、もう。なんて思いつつ、彼女に化前を告げたのが初めてだったことを今更ながら気がつく。

「もうみんなバスを降りたよ。残ったのは俺たちだけだ」

「そう?」

 そういうと彼女はすっと立ち上がり、そしてまっすぐ手をさしのべて俺の方を見下ろす。

「行こうよ、花村くん」

「う、うん」

 唐突な行動に思わず俺は手を伸ばす。

 ……手、握っちゃった。

 そのまま、手を繋いだままバスを降りる。運転手ニヤニヤしながらもぽつりと、

「青春だねぇ」

と漏らしていたのが俺にとってはやけに誇らしくもあり、気恥ずかしくもあった。

 俺たちが降りたその頃、最後のバスも到着し、学年主任の教師が挨拶をしてそのまま解散。それまで俺たちはずっと手を握っていた。

「じゃあね、花村浩一くんっ!」

 身分違いの恋の、永遠の別れかもしれない。そう思いつつ、目の前から消えつつある彼女の姿をずっと見ていた。見えなくなってからも、そのまま、日が沈み、闇夜の帳が降りるまでその場に立ち尽くした。

 七星莉紗さん。

 彼女の姿を、声を、匂いを、息づかいさえも、自分の記憶と心に刻みつけて……。

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