第2話
「おい、花村」
声を掛けてきたのは自分と同じクラスの悪友、小田であった。
「七星さんの横、どうだった?」
「七星さん?」
「さっきまでバスで一緒に座っていた彼女だよ」
俺の疑問点に対して、小田は顎を突き出して、先程まで自分の隣にいた少女をのことを指し示す。
「七星莉紗、知らないのか? 今年の学園美少女ランキングでトップだぞ」
「へぇー」
実際、他人の評価などどうでもよかった。
「どうしたんだ、様子がおかしいぞ。かわいい子よりも、アパートのアマゾネスの方が好きってか?」
「あ、いや、そんなことはないよ。かわいいね、うん」
「で、何か話したのか? 彼女の秘密とか」
「いや、秘密だなんて……何のこと?」
俺が聞き返すと、意外なことを言う。
「彼女ってさ、無口だろ」
「えっ?」
俺にはいろいろ喋ってくれていたのは確かだ。ただ、浮かれすぎて、話の内容がさっぱり記憶にないのは残念なばかりであるが。
「だからさ、何でもいいからさ、七星さんのこと、知りたいんだよ。そりゃさ、取り敢えず特進の奴らから色々聞いて調べてさ、プロフィールくらいはなんとか分かった。知りたいか?」
「あぁ」
曖昧な答えだが、少しでも彼女のことを知りたい、という本音をひた隠しつつ聞き入る。
「誕生日は七月十二日、東京出身で、こっちへは金融関係の親の仕事の都合で引っ越してきたらしい。なお、親は再転勤していて、彼女だけが勉強のために一人暮らし。アパートは東町のほうらしい」
ちょうど学校を挟んで向こう……か。登下校で逢うのは難しいか。
「友達とかもあまりいないみたいで、これ以上の情報はとれなかった。あと、コクろうとした男子は数知れないが、下駄箱の手紙も、告白しても無視されまくったという話。とにかく、どんな相手にも勉強以外は無関心、無反応、みたいなんだよ」
俺は……特別なのか?
「でも、そこがいいよな。超クール。それを口説き落として彼女にできたらたまんねーなー、ぐへへ」
「なんだよ、その変な笑い方」
そう言って小田を諭す自分に、ちょっとした優越感を覚えていた。
自分だけに声をかけてくれた?
自分だけに微笑んでくれた?
自分だけに……
いや、たまたまだよ。
で、でも……。
空を見上げると七つの星が浮かぶ、ということは昼間なのでなかったが、真っ青な空に重なって、目に焼き付いた七星の顔が離れない。
当の七星は、ずっと前を歩いているはずだ。もう、施設の中に入っているだろう。彼女の姿を追って、フェロモンの匂いに惹き連れられて俺は行くのか。
「お~い、花村、花村……。な~に七星さんでトリップしてんだよ」
「あ、悪ぃ」
小田の声でまさに現実に引き戻された、と実感できるほどに彼女に心酔していた。彼女の容姿を思い出すだけで、感情が高ぶる。鼻孔に残る彼女の匂いを感じる度に、過度の性的興奮を覚える。彼女の足跡を追っていることに、頭の中が熱にうなされる。彼女の……。
忘れようとした。でも、もう一度、もう一度だけ、帰りに彼女の横へ座れるという奇跡に、俺は小田に対して、いやこの学校の全生徒に対して優越感を感じている。悶々とした気持ちを抑えきれないまま歩き続けると、やがて、目的の施設に到着する。
そこは、戦争の記憶……かつての地下壕であり、軍需工場が空爆によって破壊された時の疎開工場として使用されていた人工洞窟であった。その史跡を、戦争の歴史を伝える資料館として整備したもので、当時の勤労女学生たちが航空機の部品を組み立てる所などが蝋人形で再現されていた。
……あの人形の顔が七星に見える。
「なんかさ、学校の先生もさ、……まぁ、お前もだけど、こういうの好きだよな。俺にはちっともわからないが」
小田の言葉など上の空だった。
「おーい、花村。いつもならさ、お前、こういうの見てさ、爆撃で大変な目に遭ってるのにさ、なんでそんな自分たちがひどい目に遭っている同じ事をさせるための機械作っているんだよ、って軽口叩くだろ。てゆうかさ、お前のうんちくを適当に聞き流していればつまらない展示もあっという間に終わっていく感覚なのに、どうしたんだよ、なんでそんな無口なんだよ。暇を感じてしまうじゃねーか」
「……いいだろ。たまにはこんな日もあったって」
「まあな」
そう言うと、小田は俺から少し離れて、意外なことに展示物の説明文をまじまじと読んでいたりしていた。
当時はなかったであろう、素掘りのトンネルの中に設置された、崩落防止用のアクリル製のトンネルは、まるで俺と七星を直接つなぐダクトに感じられた。やけに数多く設置された、裸電球を模した照明器具も、妖しい光を放つ。その光の先の七星に繋がる道だと言わんばかりに、何十年も前の光景とは無縁の情景が、まるでしつらえたように思えてくる。
さぁ、先へ行け。
……とでも言うように。
「おい、花村、どうした?」
先生の制止する言葉を振り切って、俺は狭い通路を我先へと急いだ。
「なんかいつもと口数が少なかったから、我慢してたんじゃないんですか? 用足すの」
「ま、あいつに限って問題行動は起こさんだろ。最近、こういう施設を破壊して回る輩も多いから、気にはなるんだが」
そんな声などお構いなしに、前へ進む、進む。
結局、彼女の姿を見たのは、施設の外であった。遠目に七星の姿を認めると、それまで必死に走っていた自分の足が突然動かなくなる。とりあえず近くにあったベンチに腰を落ち着かせると、そのまま、なにもせず、ただただ七星の姿を目で追っていた。
彼女は時々振り返るものの、一人でずっと佇んでいた。
誰かを待っていた? 彼氏?
そんなものだろう。七星さんに近付くことなんて出来やしなかったんだ。
やがて、最後である俺のクラスの面々も出てきて、ついにバスが出発する時間になったものの、ついに七星が探していた相手が目の前に現れることはなかった。
「花村、体調はどうだ」
担任教師は、俺が列を離れたことを気分が悪くなったかどうか、と思ったのだろう。特進の教師から車酔いの話を聞いたのかもしれない。
「休んでいたから、いまは大丈夫です」
「そうか。ま、あとは帰るだけだから、もう少しの辛抱だな」
そこが最大の恋の難所です。
口には出さないものの、心の中では帰りのバスを待ちわびていた。
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