にやけた顔面

 ある日の朝、僕の体中に数百の顔面が生えていた。にやけた顔面だ。足先の顔面からは汚れた壁が見え、頭上の顔面から回る換気扇が見える。目をつぶっても光が瞼に映るから、それが僕の闇を赤くして、吐き気がした。一つの脳では追いつかない、そのままふて寝した。今日は学校に行かなきゃいけないから、すぐに起きよう。どうせこれは悪い夢だ。そう思った。



 人と綾なす生物。それが人間だ。そう習った。人と綾なして、そして関係ができる。それで? 関係はどこにいくのだろう。僕にとって綾というのが鬼門なのは、最近知ったことだから、まだ考えが浅くてつまらない。綾を嫌う人。綾を守る僕。綾と死。そういえば、彼女は幾つかの顔面を持っている。それを切り替えて、息切れしながら生きている。それを彼女は、死にながら生きると表現する。僕の好きだった綾は、もう死んでしまった。僕が守れなかったから。同じ名前の彼女は、歌を愛してるから。僕は、それをどうにかしてあげたいと思ってる。僕は、また愚かなことしているんだ。どうせ、また不幸にしてしまうのに。それがわかってて関わる。もう大切なものは造りたくなかったのに。



 顔面が消えないから、これは昨日飲んだ酒のせいにして、僕は長袖のワイシャツを着た。それで上手く顔面が隠せるんだ。頭の上の顔面はもう知らない。髪で上手くごまかせないだろうか。僕はにやけた顔面をもって、学校に登校した。誰かが挨拶をするから、僕はにやけて挨拶をした。それがこの学校の規則だ。頭を下げることも義務づけられる。それが社会の当たり前なんだと、にやけた教師が僕に言った。そういう教師は頭も下げずに、僕が頭を下げているのをにやけて見下げる。それはなんでだ? 僕がまだ子どもだからかな。それって夢に似てる。夢なんて自分はもってないくせに、大人はすぐに子どもに夢を持たせようとする。それに似てる。僕はにやけた挨拶を済ませて、学校に入った。そうなれば一日はすぐに終わる。フラッシュが瞬く一瞬のようなものだ。そんなに輝いてはいないけれど。一日の何度もお疲れ様と、あいさつする。にやけた顔面が僕を呼ぶ、「にやけろ」って。



 一日に一度は空を見るようにするんだ。そうしたら、それを一つのキャンバスの上に表現する。頭のなかで。他の顔面もそれを心地いいみたいだ。僕は青に癒される。



 学校が終わって、それから青いバックと青いフリースを着て、歌う。僕の歌は? どう感じたのだろう。僕の顔面も歌いたそうだった。でも今は僕が泥に浸かる場所ではないのだ。僕は、やはりおろかなことをしているのかもしれない。僕はまたにやけて、彼女に手を振っている。馬鹿馬鹿しい。彼女にどう思われたいんだ。僕はなにもない。僕には何もない。歌だって、そう。僕には上手く歌えないから申し訳なくて。楽しそうに歌ってるから、もういいかなって思ってた。疲れて寝てしまった。顔を見ると笑ってる。眼鏡を外してないから、もしかして僕をまだ警戒してるのかもしれなかった。僕はそれをどうしても外したかったから。取った。やはり笑ってるから。僕たちにやけた顔面が一斉に泣き出した。僕も少しだけ泣いた。にやけた顔面がふと消えていく。僕のにやけた顔面。嘘と偽善の笑顔だ。彼女のは違った。僕にはわかりそうもない。すがすがしい笑顔だった。僕にもいつか、わかるのかな。

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