木々

ある少年が、足が悪くなりました。その少年は身寄りもなく、お金もありませんでした。しかし誰よりも世界を愛していました。もちろんその愛は、身勝手なものではなく、この世界を鹿と理解したうえで生まれる愛でした。





 彼はある日、戸口が奇妙な音を立てて自分を呼んでいることに気がつきました。少年は足を悪くしていましたので、声を張り上げて誰なのかと尋ねました。すると女性の声がして、助けてほしいというのです。少年は疑いましたが、やがて声を上げて言います。





 「すいません、人が来るのは久しぶりのことなので、それに私は足が悪くて。あなたの為にその重い扉を開けて差し上げたいのですが、できないのです」





 かまいません、と彼女は言ったが、あまりに小さな声だったので、彼に届くことはありませんでした。





 「どういったご用件でしょう」彼は続けて言いました。彼女は今度、彼に聞こえるような大声で答えました。彼に先ほどの言葉が通じていないことが分かったからでした。外のは久しぶりの晴天で爽やかだったのに、彼女は少しも爽やかな気分ではありませんでした。彼女はある予感を感じていました。今夜何も食べなかったら自分は死んでしまうだろうという、確かな予感です。彼女は自分が出せる最大の声を出して彼に答えたのです。きっとこれが最後の声だっただろう。





 「あなたに何か恵んでほしかったのです」





 彼女はこれで言葉を失いました。もう何も言うことはできませんでした。彼女はその場を立ち去ろうとしましたが、もう死ぬことへの後悔もありませんでした。中から少年がなにやら言っていましたが、それを聞く元気ももうあまり残っていませんでした。少し離れた場所から彼の小屋を眺めました。日の光を背に彼の小屋が光って見えています。青白い光が彼の小屋から覗いています。彼女はそれが自分という生命が見る最後の景色であることを大いに意識し、そして大きなため息をして、もう一度小屋とその光を見て歩き出しました。





 すると唐突に軋んだ音がして、戸口の扉が開きました。彼女は驚いて振り返えりました。先ほどまで青白かった景色は朱色を帯びています。彼女は急ぎ小屋へむかいました。





 少年も戸口がひとりでに開いたことには驚きを隠せませんでした。しかしそれ以上に驚いたのは、小屋の中に走り込んできた少女の顔です。いままさに死んでしまいそうな表情をしていました。顔は青白く、唇は紫に色付いています。しかし瞳だけは輝いているのです。何者もこれだけは奪えないんだろうと少年は思いました。





 少年はすぐに、家にあるものは何でも食べていいと言いました。少女は何度も頷きました。涙も流しています。少年は彼女が口が聞けなくなっていることに気がつくまでそう時間はかからりませんでした。それは彼女がいくら高級な食べ物を食べても、なにも言わなかったからでした。





 少年は彼女に、感謝の意を込めて口づけをしました。するとすぐに彼女は口がきけるようになりました。少女の青白かった肌は朱色へと変わっています。少女は何かお礼をしたいと申し出ました。少年はそれに答えました。





 「それでは一つだけお願いしてもいいでしょうか。私はこうしてもうベッドから外に出ることはできません。お願いです。私はこの美しい世界を見ていたいのです。だから私を外に立たせてください。支え木か何かを使って倒れないようにしてください。そうすれば私はこれから一生、この美しい世界をこの眼に写すことができます」





 少女は言われたとおりに少年を外に出し、そして落ちていた松の木の枝で支え。彼の足に鉄杭を打ちつけて、その場を去りました。





 長い月日が経って、彼女はその場所をもう一度訪れました。そこには一本の大きな木が立っています。少年は木となり世界をもっと高くから眺めているんだと少女は思いました。

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