スーツの下のロックンロール

電話口の恋人に向って、いかに彼女が人間としていけないかを言い放った。すると彼女は大きくたじろいで、そして仕舞いには泣き始めた。私はそれを悪いとは思わなかった。なにしろ私はそれを彼女のためだと思っていたからだ。数日経つと彼女から別れを告げられた。私は理解できなくてずいぶんと口論をしたが、彼女はもう、私とはつき合っていられないのだという。なんでも私は人間として欠陥があるらしい。社会的に不適応な人間であって、感情を表に出しすぎるのだという。だからひどく疲れるのだとも言っていた。



私は彼女を失って、私の持っていたモノを大抵失ってしまった。友人も少なからずいたけれど、それもしばらくしたらすぐに私の元から去っていくのは目に見えていた。両親も共に失い、頼る兄弟も親戚もいなかった。私は外に出ることも少なくなり。これを一つの好機とみて自分の生涯を振り返ることにした。



まず自分の現在の形を振り返る。六畳一間の部屋を見回すとゴミが散乱していて、ベッドの上にはこの頃読んだ、哲学書からエッチな本まで、大きさの不釣り合いな本の山が連なっている。私は改めて自分の部屋を見て、彼女の言った言葉をよく噛みしめて考えてみた。すると私は、自分のこの部屋には自分の感情が溢れていることに気がついたのだ。ゴミの散乱は、私の面倒臭いという心が、哲学書からは私の考え方が、果ては私の性的趣向までまるわかりなんだ。私は急いで部屋を片付けた。その時に私の気持ちや考え方が分かるものは全て捨てた。学校のアルバム、写真、日記はとにかく捨てて、必要なものは押し入れに隠した。家具の配置や小物の置く場所にも気を配った。あまりに綺麗にし過ぎて几帳面と取られるのも困りものだった。だから見る人を混乱させるような一貫性のない配列にした。



部屋を片付けているうちに、自分の服さえ気になり始めた。自分の服には私の気持ちが含まれている。他人に示したい自分の本音や、主義主張。私はスーツを取り出して、それを着た。



「これからはずっとスーツで過ごそう」それが私の決めた事だった。



私はそれから他人と接するときは建前で過ごすことにした。相手に本音をぶつけることはいけないことなんだと気がついたからだった。そのうち恋人ができたが、本音を言えば好きではなかったが、好き、愛していると毎日言ってやった。友人ができると彼の意見をよく汲み取ってやり、自分の意見は求められるまでは言わないことにした。やがて友人は増えた。会社では上司の言うことだけに従って過ごした。会社でも友人は増え、よく飲みに誘われたが、その場で私の本音を詮索されたりされるのは嫌だったから。それは必ず断った。断り方にも気を配り、飲みが嫌いではないと言及することは忘れないようにした。



彼女と過ごす事は、正直面倒になりつつあった。彼女は少しずつわがままになってしまった。夏はクーラーを、冬は暖房をすぐに点けた。ゴミは外に投げ捨て、他人の事も考えずに好き勝手に行動をした。それを見て、私はまたあることに気がついた。こうして私達が自分の利益を追求し、各人が快適さを求めることは社会の中で許容されている。しかし全ての人間がそうなってしまったら、この社会は狂ってしまう。



その日から私は全てと建前で向かい合った。恋人と、友人と、上司と、見知らぬ他人と、地球と、宇宙と、すべてとだ。本音を言ってしまえばおしまいだろう。私だって好き勝手にしたい。彼女がいかに人間としてなってないかを言ってやりたい。友人がいかに間違った考えを持っているのか言ってやりたい。上司がいかにハゲで無能か言ってやりたい。他人なんて関係ないと言ってやりたい。涼しい場所や暖かい場所で過ごしたい。



私は死ぬことにした。私は生きるために地球の大気を汚している。私が一人死んでもどうなるものでもないだろう。でも死のう。本音を言えば生きていたいけど。


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