ピノキオ
「そもそも1人を寂しがること自体、つまらないのよ」
彼女はそう言った。
二段ベッドの二段目に足をぶらつかせながら座って、勉強机で今日の日記を書いている僕に。
「自分を一人だと思ってる事が、ガキだって言ってるの。君に友達がどれだけいるか知らないし、君がどれだけ人間嫌いか知らないけど、君が生きている限り、どうしようもなく、君は1人ではない」
関係を作らない方が難解で。
友達を作らない方が至難で。
愛情を持たない方が苦難だ。
「そうか―――」
僕は日記を書く手を休め、振り向いた。
日記には何も書かれていない。
それもそうだ。今日も何もしていない。生きてすらいないのだから。
「でも1人じゃないから。それを知っているから、僕はできるだけ誰にも迷惑をかけないように生きてるんだよ」
みんなに迷惑はかけたくない。僕一人が苦しんで、僕一人が辛ければ、他のみんなは幸せだ。
僕だけが不幸せだけど、それでいい。
「だけどそうやって無理してるから、今みたいに誰か迷惑をかけているのよ。だいたい無理な行為は無理でしかないの。無理には必ず限界が来る。その限界が来た時に君はすべての荷物を誰かに持たせようとするでしょ?そうしたらやっぱり持たされた相手は不幸せだし、迷惑だわ」
「もっと言うわよ?あのね、あなたの考え方は全然普通なの。どこも常軌を逸してやいないし、異常にはほど遠い。『自分一人が不幸せで辛ければ他人はみんな幸せ』だなんて、誰でも一度は辿り着く安っぽい使い古された結論なのよ。それはみんなが思うことなの。でも考えてみて。みんながそう思って、行動したらどうなる?―――簡単。全員不幸せになるのよ。全員が全員、他人を想って自分だけが不幸せになって、結果、全員不幸せよ」
「でもその辛さを他人と分かち合ったところで差し引きゼロじゃないか。苦悩の内容が自分自身のモノから他人のモノにすり替わっただけで、絶対量は変わっていない」
僕は日記に『3月31日。快晴。洗濯日和で自分の心を洗濯してみたけど、隣にできた大きなマンションのお陰で、お陰だけに本当に太陽の光が家に入ってくることがなくなってしまった。僕の心を外に干すことはできない。これでは臭いが残ってしまう。人間臭い臭いが』と書いて日記を閉じた。
明日これを先生に提出しなければならないと思うと少し憂鬱だ。
「何言ってるのよ。量なら全然違うわ。自分の荷物は自分にとって一番重い荷物だからね。他人の荷物だから耐えられるのよ」
そこでこの協議に終止符が打たれた。
夕食が家に届いたのだ。
「だいたいの話は以上よ。あとは自分で解決しなさい。私の荷物はあなたが持てばいいの」
僕は彼女を置いて階段を下って居間で夕食を取った。今日の夕食はトンカツである。
これも日記に書いておくとしよう。
おいしかった、と。
夜中になって僕は家を抜け出した。
11時半。
今日中にこの条件をクリアしなければならない。
タイムリミットはあと30分だ。
学校の裏門に来て、それをするりと通り抜けて校舎に入ろうとする。
と、下駄箱付近に人影が見えた。薄暗くてあまり正確には判断できない。僕は足の回転をいくらか遅くして、その人影に向かった。
「待ってたわよ」
それはクラスメイトの女の子だった。時間がないのに面倒だ。
しかし、別に面倒なことは嫌いじゃない。面倒だからやり甲斐がある。
「沙希ちゃん、一人なの?」
「な、何言ってるのよ!恋人の一人や二人手玉に取ってるわよ」
そういう意味じゃないのだけど。
しかも小学5年生がなにを手玉なんて言っているんだ。
「1人は怖いかい?ならなんでこんなとこに来たんだよ」
「だって気になるじゃない!あなたが何者でなんの為に生きてるのか。何も話してくれないから」
沙希ちゃんはなんというか必死だった。僕のことを認識しようとする唯一の人間。
「ここを通してよ。君には僕が見える。それだけでも十分すごいよ。でもそれ以上に何か求めるのは、もはやわがままでしかないんだよ」
君には愛想が尽きたんだ。
「話してくれなきゃ通さない。なんであなたはいつも一人で、あなたは誰にも相手にされなくて、なのに存在として確かに存在しているの!?」
そんなことは簡単なことだ。それは僕が生きていないからだ。
生きながらにして生きていないからだ。
息をしながら死んでいるからだ。
消えながら光を浴びているからだ。
迷信に不信を抱きながら恐れられているからだ。
「それはつまり、僕が幽霊とか怪奇とか怪異とか妖怪とか怪物とか化け物とかドラキュラとか妖精とか、そういう類のモノだからだよ。何かに特定するのは難しいけどね。だってそれは人間が決めたことだもん。ほら、見て。僕には影もない」
それは夜中だからではない。現に沙希ちゃんは月明かりに照らされて、足もとにうっすらと黒い影ができている。
「じゃあ、友達はいないの?」
ここで沙希ちゃんはとても場違いな質問をした。
あるいは見当違いな。
「いないよ」
僕はそれに素直に答える。
「じゃあ私が友達になってあげる。友達が人間限定なんて誰が決めたわけ?世の中には犬なんて気持ち悪い生き物に友情を求めるパトラッシュみたいな人間もいるんだもの。あなたは人間の姿をしてるだけマシよ」
犬に友情を求めたのはネロだけど。僕はそれにツッコむことはしなかった。ツッコミは僕の専門外だ。
「遠慮するよ。僕はひとりで生きるんだ。はい、だから通して」
「嫌よ。ここはあなたが死んでも通さない」
いや僕が死んだら通れないだろ。
「私が死んだら……仕方ないわね」
「けっこう素直だな!」
沙希ちゃんは手を大の字に広げた。そして校舎に入れないようにする。ただ沙希ちゃんのサイズはミニミニなので玄関には沙希ちゃんをすり抜けるには容易なほどの隙間ができていた。
「勘違いしないでよねっ!別にあなたに抱きしめて欲しくて手を広げてるわけじゃないんだから!」
どんな勘違いだ。ツンデレツンデレしやがって。
惚れちまうだろ。
「僕はいつまでも一人だ。たまに君のように僕を見える―――感じれる人に出会うけど。それでも僕は一人だ。形が同じでも寿命が違う。僕は死なないんだよ。そんな移ろいゆく友情なんかに心を傷つけられたくはないんだ」
そんな友情に傷ついて泣いたことはもう数えくれないくらい経験している。悲しみにはもう飽きたんだ。
「それでもいいじゃない。あなたはその友情を忘れてない。好きだったことを忘れていないわ。好きになると、そうそうその人の事、嫌いになんてなれないのよ。一生好きなの。飽きるかもしれないけど。結局は好きなの。あなたは何のために生きてるのよ。何で時々、私のようなあなたを『感じれる』人が現れると思ってるのよ!あなたと私がお似合いだからに決まってるじゃない。赤い糸なんて信じないけど、あなたを感じれる人がここにいる。人間だっておんなじ。自分のことを本当に本当の意味で理解してくれる人なんて、めったに現れるもんじゃないわ!その人と恋人や友人にならなくて何になるというの!?顔だけで恋人を決めるのは構わないけど、それは絶対的に損してるわ。私はそういう………そう!あなたのような私を本当に本当の究極的な意味で理解してくれるような人を見逃しはしないわよ!」
そう言う彼女は本当に、そう!
本当の究極的な意味で。
そして絶望的な意味で。
必死だった。
「作者が描写してくれてないからあれだけどね。こうやって手を広げ続けるのも結構辛いのよ。もう腕がプルプルなのよ。女の子の二の腕はおっぱいと同じくらい柔らかいのよ。それがブルブルなのよ!そんなエッチな状況でよくもまあ無表情でいられるわね」
そして彼女は笑った。
「いいから早く抱きしめなさいよ。抱きしめられるために手を広げてるんだから」
僕は彼女を抱きしめることができた。
時間は午後11時58分。
僕はピノキオ。
真実の愛を理解して、人間になることができた『元』人形だ。
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