自由

僕は彼女が寝ているうちに部屋を出ていくことにした。昨日は少し飲みすぎた。部屋にはまだ少し煙草の匂いとお香の匂いがする。それがまた僕を陰鬱な気分にさせる。外からはせっかちな車の走る音や人の大群が歩く音が響いてくる。この部屋は時間が止まっているようで、その部屋から外に出て、また時間という流れに身を任せることは僕の足を少なからず躊躇させていた。事実、僕の時間は昨日の夜から止まっている。それに溺れていたのもまた事実で、酒におぼれていたのもまた事実だった。




 昨日、僕は二つの事をした。



 それは人によっては多いと言うかもしれないし、少ないと言うかもしれない。とにかく2つの出来事で構成された昨日は僕にとって最後の日に違いない。それから、今日から未来はなにも変化のない僕だけ時間が止まっているはずだ。




 昨日僕は1人の人間を殺した。




 そして、1人の女を抱いた。




 殺したのは1人の男だ。友人だった人間だが、今はただの肉の塊にすぎない。今頃どうしているだろうか、いやどんな状態になってしまっただろうか。きっと血は変色しきって、肉は固くなっていることだろう。僕は死体がどうなるのかなんて知らないけど大体そんなことだろう。




 抱いた女はいつ知り合ったのかもわからない女だ。きっとどこかで拾ったに違いない。今はベッドの上で死体のように眠っている。目が覚めた時殺してしまおうかとも思ったが、そんなことにもう意味はない。




 僕は幾分のお金をテーブルの上に置いた。お礼というやつだ。僕の止まった時間に付き合ってくれたお礼。こんな塊が、肉とさして変わらないこの、金と呼ばれるものでいいのだから人間は楽だ。



 そして服を着て部屋を出た。



 この部屋はおそらく彼女の家なんだろう。薄暗い裏道から、太陽の眩しい大通りに出た。



 時刻は昼過ぎだ。





 死体の半分を処理することにした。



 僕が誰にも露見せずに、この殺人を終えるためには2種類の方法がある。




1、この友人にかかわる全ての人間を殺す。



2、この死体を完全に処理する。




 僕は2番目を選択することにしたのだ。完全に処理するとはつまり誰にもわからない場所に隠すということ。そんな場所がこの世にあるのか?もちろんその場所は存在する。



 僕はフライパンを用意した。そして手慣れた手付きで料理の下準備を始める。



 それから数時間が経って料理はあらかた完成した。少し高カロリーかもしれないけれど、少々太ることは僕にとって健康に近くなるようなものだ。実をいえば僕は彼を殺す前からこれを喰うことを決めていた。それが目的ではないにしろそう決めていたのだ。



 食事を終え後片付けも終えてテレビをつけた。テレビではニュースが流れている。僕はそれを食い入るように眺めていた。煙草に火を付けて吸う。時計は夕方あたりの数字を指している。今頃女はどうしてるんだろうか?少し気になったのは女があまりに美しかったからだろう。名前くらい聞いておけばよかったかもしれない。もしくは僕の連絡先。




 「いや、それにもやはりもう意味はないか」




 僕が何かを求めるは間違っている。



 僕は部屋で飼っている小鳥にエサを与えることにした。



 鳥は好きだ。



 何を言っているのかわからない。僕に何を求めているのか理解できない。たださえずるだけだ。愛を歌っているかもしれないし、誰かを罵っているのかもしれない。けどそれは誰にも理解できない。




 夜になってニュースで殺人事件の情報が流れ始めた。僕はそれを何気なく聞いていた。もしかするとあの肉の塊の話が流れるかもしれない。流れたとしたならもう半分も早く喰べてしまわなければいけない。しかしその話がニュースで流れることはなかった。





 翌朝、僕は刑務所にいた。



 捕まったのだ。



 何故だろうか。僕は行く途中のパトカーの中で黙って考えた。完全な犯罪だった。誰にも露見していないはずだった。なのに何故?



 刑務所で強面の警察官が僕に言った。




 「キノウ、ダレトイタ?」




 「女です。誰かも分からない。そこらへんの女」




 「オトトイハ?」




 「一昨日も女と居ました。夜中に知り合って昨日の朝まで一緒にいました」




 「オマエガコロシタンダナ」




 僕が殺した?



 誰を?僕が殺したのはあの男だ。僕を無能扱いしたあの男だ。




 「知らないです。僕は誰も殺していない」




 「キノウノアサ、ソノオンナハシンデイタ。オマエガコロシタンダナ」




 死んでいた?あの女がか?いや、昨日僕が部屋を出る前には確かに生きていた。死んでいるように、死体のように寝てはいたけど……




 「でも確かに生きて……」




 僕の記憶がぼんやり蘇る。



 ああそうだったな。



 あの女は僕が殺したんだ。



 気に食わなかったから。



 僕を無能と言ったから。



 首を絞めて。




 「ははは……」




 なんだ。つまらないことじゃないか。



 ただ時間が止まっていただけなんだ。



 僕の時間が止まったのはあの男を殺した時だったんだ。



 それ以降何をしても無意味で記憶の外に置いていたんだ。彼女の死は無意味だ。そして僕が生きることも。この殺人事件さえも。



 警察官の吸うタバコは僕の嫌いな煙草の匂いだった。僕はその警察官を殺すことにした。無意味なら何をしても構わない。



 もちろんそれは大勢の警察官によって阻止されたが、その煙草の火が消えたのならそれでいい。




 「なあ、お前らに僕の声が聞こえているかい?僕の声は過去の声なんだよ。僕がいくらさえっずってもあんたらにはなにも伝わらない。あんたらの価値観で僕を裁くんだ。そして僕もあんたらのような未来の声を聞く気はない。僕は僕の価値観で君たちを裁く」




 その言葉さえ警察官には伝わっていない。



 それもそうさ。伝わるはずがない。今そう言ったばかりじゃないか。




 僕の時間は止まっていた。それは精神的にという意味だ。



 二人……いや、もしかすると覚えていないだけで、記憶を消しているだけで、それ以上の人間を殺した一昨日から……。それは人によって多いと言うかもしれないし、少ないと言うかもしれない。とにかく僕は二人以上の人間を殺して時を止めた。





 それから数ヶ月後、再び僕の時間を止める時が来た。それは精神ではない。身体の時間だ。





 死ぬ時が来た、そういう意味だ。



 僕はここ数カ月、拘束されて過ごした。それに溺れていた。だってとても自由だったから。



 とても自由で自在で随意だもの放逸だもの放恣、奔放  縦横無尽!時を恣にしてるもの!フリー!リバティー!




 そうして僕は死んだ。

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