【赤い炎は復讐か愛情か】

自傷。


自傷という行為で思い浮かぶあれこれ。


リストカット、アームカット、ケロイド、りすか、パニック、不安。






自傷という行為にはいろいろな意味があった。人それぞれその意味は違っていた。精神的ストレスの解消、孤独感や空虚感の発散。知的障害や統合失調症の症状でもあった。


しかしどこを探しても僕にとっての自傷の意味は存在しなかった。もちろんそれは1つではないわけだし、不安から逃げためにしているというのも間違っているわけではないが、それにしたって己を愛するために自傷するというのはなかった。僕にとってすれば自傷というのは日々頑張る自分へのプレゼントのようなものであり、キッチンナイフや釘やノコギリで自分の手首を切り付けるその瞬間、僕は幸福と痛みで顔を歪め、満たされた。






「世界にはね2種類の人間がいるの」





2畳ほどしかないその部屋の中央に四角い机が1つと丸い椅子が2つ置かれている。その奥の椅子の先のほう少し座り、肩肘をいている畄鬼 撫子という女性は文脈にそぐわない言葉で確かにそう言った。





「人を殺せる人間と殺せない人間よ」





僕は田尾寺さんの弟子というこのセラピストの言うことがいまいち理解できなかった。そして彼女は--あなたは前者-ーとも言った。それに僕はますます困惑した。あなたは殺人鬼になる才能があるといわれたのだから誰もが僕と同じ反応を示すだろう。僕は少なからず彼女に嫌悪感を抱いた。もし僕がリストカットをせず理性と平静を取り戻していなかったら彼女を怒鳴り散らし、殴り散らしていたかもしれない。しかしそれはなかった自傷は5時間前にしたことだからだ。僕は軽く口で反論し、その後は押し黙り、彼女に耳を傾けた。





「人は殺ってみなきゃ前者か後者かはわからないの。どちらか知りたいのなら一度殺してみなくてはダメ。でもあなたは特別よ。敬謙なカトリックであり自分と同じように他人を愛したいのがあなた。そうでしょう?」





そうだ。僕はそれを遵守するために生きている。彼女の言葉が胸に刺る。しかしそれに痛みはなく、妙に心地がいい。そう、なにかフィットした感触。そんな感じ。彼女の長い髪のせいか、照明が暗いせいか彼女の表情を伺うことはついにできなかったが、彼女が口元を吊り上げたのを僕は観察できた。





「あなたを救うわ。あなたが他人を愛する手助けをしてあげる。それを誰も咎めないし言及しない。だからあなたは自分と同じように他人を愛せばいい。傷付ければいい」





そうか!僕が感じていたこのフィット感は迷いが解けたからか。社会の常識に縛られていたのは僕の方だったんだ。人殺しは犯罪。でもみんなは知らないだけなんだ。イエスは十字架に架けられた時、無知で自分を殺す人を許したではないか。僕も無知で傷付かない人を許さねば。そして教えてやらなくては、傷付くことで救われることを…!







《1》


覚醒した。ここは僕の自室だ。2月1日の午前10時。月曜日だから大学のある日。今日はベットで目覚めたのだからやってはいないのだろう。自傷は玄関と部屋を繋ぐ廊下で行うのが普通だからだ。僕の趣味はベット集めで今は5つのベットが部屋に配置してある。部屋はそれで一杯で、あとは小さな机にパソコンと本棚、たんすしか置いていないため部屋の広さはだいたいシングルベット5つ分。今日はそのうちオーソドックスだが、折りたたみ式のベットで目覚めた。僕は何も考えず身仕度を済ませ、中臺さんに巻いてもらった包帯を解きにかかる。





「片愛の堕天使……」





それが指名手配になっている人物の異名らしい。本名はわかっておらず、異名だけがわかっている。被害者の頬にキスの跡が残っていたからその異名がついたらしい。犯行は1度だけ。5年前の話だ。1度だけの犯行で何故そんな異名がつくのかというとそれは被害者が凄い人物であることに由来するらしい。なんでも殺された被害者、岸崎哉(きしざきはじめ)はとある宗教団体の教祖でひどく慕われていたらしい。それでその宗教の教徒から『片愛の堕天使』と呼ばれているらしかった。





「よし」





僕は頭で撫子から教えてもらった情報を少し整理し、傷痕を隠すため、大きめの腕時計をはめて外へ出た。






授業は2限目からでその暇な時間を使い『教祖殺人事件』について教えてもらった情報をさらに整理し、ノートに過剰書きにした。





・犯行は5年前の1月下旬


・神戸市のマンションで発見


・外傷は首を指で締めたような跡と包丁で刺した跡(突発的な犯行か?)


・直接の死因は包丁で心臓をぐちゃぐちゃにしたこと


・頬にはキスの跡(女性か?)


・しかし頬の皺のせいで誰の唇かは判断できない(もしかすると描いただけかもしれない)


・未解決で警察は諦めたがある教徒が調べ、『片愛の堕天使』はこの鳥取市にいることがわかった





「はぁ……」





僕は別に事件解決をしたいわけではないのだから情報という情報は女性である可能性が高いこととこの町にいる可能性が高いということだけだ。それにしたって確率論の話なのでデマである可能性もある。


これも確率論。


こんなことでその『片愛の堕天使』なんて見つけることができるのだろうか。いやそもそも見つけて僕はどうするつもりなんだろうか。


殺す?


それはまだ現実味を帯びない話だった。たとえ僕が人を殺せる人間だとしてもまず、どういう風に殺せばいいのかもわからなかった。そして肝心なことは僕が殺せるのかということだった。人を殺せる人間でも殺すスキルのない人間かも知れないし、その『片愛の堕天使』がとてつもない殺人のスペシャリストかもしれない。






僕は簡単な講義を唸り続ける講義に変え、昼休みになると食堂に行き、友人と食事を取った。食堂の2階、大きな5人掛けの丸テーブルを埋めた。僕はこのとうり人脈がなく、それに比例し情報網が少ないため、社交性のありそうな友人と食事をし、少しでも情報を集めようと思ったのだ。





「ところで『片愛の堕天使』って知ってる?」





僕は切り出した。





「知らないよ、だれそれ」





そう答えたのは左隣に座っている秋永 明(あきなが あきら)。





「しかも片愛って言った?片羽とか博愛とかじゃなくて?」





「うん、殺人鬼なんだけどね。そいつが今鳥取市にいるらしいのさ」





少し場の空気が張り詰めた気がした。





「えー怖いよぉ」





殺人鬼というのに機敏に反応したのは赤坂 小桃(あかさか こもも)僕の左から2番目に座っている。





「なんでそんな話するわけ?」





「いや、危険だから情報共有をね」





「嘘だ!小桃が怖がらせるためでしょ?」





小桃が机をバシンと叩き立ち上がる。小桃の大きな2つの桃が揺れる。それを見て僕は昨日の貧乳セラピストを思い出し、微笑んでしまった。





「あ、小桃の胸が揺れてるの見て笑った!エッチか変態!」





「そこは是非エッチで変態と言ってくれ」





「欲張りぃー」





「ま、まあまあ。『ペットはベットの桐矢』がエッチで変態で痴漢であることはとりあえず置いといて、殺人鬼がいるというのが本当なら、問題よね」





小桃の右隣にいる楢島 奈良々(ならしま ならら)が冷静を気取りたいのか話をまとめたいのか、僕を怒らせたいのかよくわからない会話を挟んだ。胸は……貧乳。でも撫子ほどじゃない。





「いや、でもそれ知り合いが言ってたわ」





「本当にぃー!?」





「おい、それ本当?」





意外だった。


僕の右隣の城山 武(しろやま たけし)の知り合いが『片愛の堕天使』を知っている?僕は驚いたがすぐにそれは興奮に変わり、話を急かした。





「それ、どこの誰?」





「ん?…あぁ、なんか『天使団(ヒエラルキー)』とかいう怪しい宗教団体にハマってる学生だよ。ほら最近流行ってるだろ?この大学で」





「知らんな」





僕は情報に疎い。そりゃ大学に変な宗教団体が付き物なのは分かっちゃいるけど。それが『天使団』なんていう団体だとは寡聞として聞かない。そしてその団体は恐らく……被害者、岸崎の宗教だ。





「えー小桃知っているよー。ってか勧誘もされたし」





「城山、そいつと連絡とか取って俺と会えないか?」





「小桃シカトするなー!」





「は?いや、できなくもないけど……会ってどうすんの?」





「どうせ会って落とすんでしょ、その美顔で……そしてベットイン!」





奈良々が茶化した。





「違うよ。興味本位だよ、ただそれだけ」





「…ふぅーん、まぁいいけどすぐにってわけにはいかないから、明日な」





「わかった、恩に着る」





そうして思いの外収穫は得ることができた。しかし少し迂闊だとも思った。『堕天使』というくらいだから犯人は『天使団』の教徒であろう。しかし教徒はこの大学の学生が多い。人込みの激しい食堂で大声を出して喋ったのが犯人に聞かれては困るのだ。あと『片愛の堕天使』を捜すに当たってまず女かもしれないという可能性は捨てることにした。犯人がわざわざ頬にキスマークを残して逃げるなんてあり得ないと思ったからだ。むしろ男の線でアンテナを張ることにした。まぁ、そこら辺を含めてとりあえず明日、教徒に会って話をしてから……。






今日の大学は全て終わり、帰ろうと門を出る。と、知った人影が見えた。あれは…燕(つばめ)か。何か、誰か待ってるようだ。僕は迷惑をかけぬよう隣を通り過ぎた。横を通りすぎるときいい香りがした。オレンジだろうか。なんというか燕によく合う。





「ちょ、待ってよ!」





「はい?あ、これはこれは櫻井 燕さん」





「なにがこれはこれはよ!待ってたんだからね!?」





「なんで?」





「なんでって…一緒に帰るために……」





「なんで?」





「…………コレよ」





燕は小さな箱を後ろから差し出した。なんだろう?色鮮やかでご丁寧に包装もバッチリだ。赤と白のリボン(もちろん違う色かもしれない)がきれいだ。遅めのクリスマスプレゼントか何かだろうか。しかしクリスマスは燕とプレゼント交換をして僕は帽子を、燕は僕のベットに合う枕を交換した。僕は思いがけないその贈り物に少し身じろぎした。





「今日は桐矢の誕生日だから…」





「……あ」





忘れていた。今日は21歳の誕生日だった。僕は素直に嬉しくなった。しかしその反面なにやらもやもやした気持ちが立ちこめる。


いつものことだ。





「……ありがとう」





にしても…それにしてもこいつは俺に優しい。それがカンに障る。偽善にしか見えない。わかってる、燕はそんな奴じゃない。だって幼なじみだし、恋人のような関係でもある。しかし自尊心が低い僕にはどうしても、あの優しさが気になるのだ。燕は母親と二人で過ごしている。その関係で僕はこいつと過ごすことが多かった。


プレゼントは僕が以前から欲しがっていた枕カバーだった。それに感激してしまったのか、人肌が恋しかったのか、僕は久しぶりに燕を家にあげた。





「ん…ちゅ……ぷはっ…」





唇と唇が重なる。


なんというか……流されてる気がする。僕は1番近いベットに燕を寝かした。標準型といえるサイズの胸が揺れる。





「桐矢……」





「いや、ってかベット汚すなよ」





「気分壊すな!」





「んー…ベットの方が大事だからな」





「私は……好きだよ、なにより桐矢が…」





燕が僕をベットに招き寝かせ、僕の腕時計を外した。そうしてあらわになった僕のリストカットの傷痕をなぞる。





「またしたんだ……」





「悪いかよ…」





「悪くない。カッコイイと思う」





こいつはリストカットをおしゃれだと思っているらしかった。昔から僕の傷痕を見て、うっとりしていた。





「ちゅ……ん…」





再びキス。さっきよりも深い、熱いキスだ。


皆までいう必要はないだろう。今日は自傷も睡眠もなしだ……。







《2》


火曜日。


僕は城山の知り合いである教徒と5時に大学の近くの喫茶店で待ち合わせした。名前は慚愧 愛(ざんきあい)。内容は『片愛の堕天使』ではなく、僕が『天使団』に興味があるということにした。僕は4時半には喫茶店に着き。窓側の一番奥の席に座った。作戦でも練ろうと思ったからだ。


まず適当に『天使団』の話を訊き、きっと祈りの場とか教会みたいなとことかあるはずだからそこへ連れて行ってもらう。そして情報収集。『片愛の堕天使』は名前も顔も性別もわからないのに誰がどうやってこの鳥取市にいることを突き止めたのか。そこが焦点だ。それと教祖である岸崎のことを恨んでいた人物はいないかとか…。


そうこうしているとあっという間に5時になり慚愧 愛が訪れた。感想は一言。ゴスロリ。僕は一瞬で慚愧 愛という名前が偽名ではないかと疑い始めた。





「こ、こんにちは」





「こんにちは、あなたが桐矢たん?」





「はい」





「入団したいですか?」





「ま、まぁ」





「にしてはゴスロリ度が足りないです」





………え?


なにやら不安が渦巻いた。





「ゴスロリじゃないと……ダメ、なんですか?」





「いや、まぁいいですけど」





そういえばうちの大学はゴスロリが今更流行っているようだ(過去に日本で流行ったことがあるのかは知らないが)なるほどということは大学のゴスロリちゃんは全員『天使団』なのだろうか。とにかく僕は考えた。そして―――





「じゃあ、これでどうです」





僕は腕時計を外しリストカットの傷痕を見せた。ゴスロリ界ではこういう傷を持っているのを1つのファッション感覚で扱っているというのを聞いたことがあったからだ。なんでも『グロテスク ロリータ』、略して『グロロリ』と言うらしい。





「なるほど、グロロリちゃんか。かっこいいね」





慚愧愛は納得のした顔をして笑顔をつくり(悪魔のようだ)ついてくるように僕に言った。


それにしても岸崎はどういう教祖だったんだろう。ゴスロリの宗教団体とは……。






すんなりここへ来てしまった。鳥取市の市内某所。バスで10分ほどのなかなか人通りも多い場所だ。古びた教会にも見える。ここが本堂らしい。本堂にはいるとなかには燭台がいくつも見えた。そして奥でなにやら大勢が何かを囲むように跪き、祈っていた。近くによって見てみると、囲っているのは炎だった。オリンピックの聖火台のようなもの上で燃えたぎる炎。人々(もちろんゴスロリ)は何か熱心にその炎を見つめていた。周囲を眺めると知った人もちらほら見える。





「ゾロアスター教か何かなんですか?」





「いや、源流は確かにそっちって聞くけどそうじゃないみたい。私たちは教祖が殺されちゃったから今は、教祖の魂の宿った炎に祈っているの。しかも亡くなって5年目だから、いまはみんな『片愛の堕天使』が捕まるように祈っている」





祈っているゴスロリ達からは確かにそういう恨みというか、復讐の念というものが感じられた。彼女たちの瞳に映るその炎は復讐の炎かもしれない。僕は急に昨日の夜のことを思い出した。燕の瞳はいつも、そう、いつも僕に向けられた愛情の炎だったように思えたからだ。僕はすぐにそういう自分の考えがばかばかしいと思った。





「そういえば『片愛の堕天使』がこの町にいるらしいじゃないですか」





「はい?あぁ、まぁそうですね」





「訊きたいのですけど…、名前も容姿も性別もわからないのに誰がどうやって調べたんですか?」





「あぁ、たれ込みがあったんですよ」





「それだけ?」





「はい。なんかかなりすごい占い師の人が提供してくれたんです」





「………だれの元にですか?」





「私です。そしてその彼女の声を聴きました」





「どんな?」





「かなり騒がしい場所で録音したのか、どの声なのかもわかりませんでした」





「…………」





僕はその他にも宗教団でトップを狙っていたり、岸崎に恨みがあるような人がいないか訊きはしたが、すべてスカ。また改めて来ますという一言を慚愧愛に告げて『天使団』本堂を後にした。





「思ったけど、慚愧愛ってかなりいい娘だったよな」





天然だったような気もしたけど、礼儀正しかったし、大人だった。胸も小桃の大桃ほどじゃないにしろ大きかった。僕は期待していた慚愧愛と『天使団』があまりに不甲斐なかったのでやけになり帰りのバスの中でおっぱいのことばかりを考えた。しかも帰りのバスは空前絶後の混み方で僕は身動き一つとれない状況だ。ストレスがたまる。イライラする。


僕は帰ったら自傷行為をしようと決めた。その時―――





ガシャリ





耳元で何か音がした。目だけでその音を追いかける。どうやらカセットテープのようだ。


ジーっという音が聞こえ始め、電子の声が聞こえ始める。





「コンニチハ。キコウチ キリヤ。KK。HORRIFIC KILLER KILLING。サツジンキゴロシ。ボクヲサガシテイルミタイダカラアイニキチャッタ」





Horrific killer killing?殺人鬼殺し?KKだと!?ぞくりと僕の背中に電撃が走る。よく感じる気配、刃物だ。しかしいくら動こうとしたところで身動きはとれない。完全に命を握られた。僕の顔に冷や汗がにじりでる。


まずい!





「センテヒッショウダネ」






【赤い炎は復讐か愛情か…終劇】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る