【赤い糸は血管か運命か】

赤。


赤という色で思い浮かぶあれこれ。


情熱、恋愛、落第、警戒、シャア=アズナブル、救急車、死体、血液。


赤という色にはいろんな意味があるらしい。しかし、僕が見ているこの赤色は果たして僕以外の見ている赤色と同じ色なのだろうか。認識が違うだけで、僕が見ている赤色は本当は違っているんじゃなかろうか。


僕の中からドクドクと流れるこの血液は本当の赤色なのだろうか。それともまた別の色なのか。


青かもしれない。僕の血液は青いのかもしれない。僕には赤く見えるけど、本当は青いのかもしれない。だって誰も教えてくれないから。誰も『赤い』と言ってはくれないから。


不安だから…だから何度も何度も確認したくなるんだ。どうしても見てみたい。今日は違う色かもしれないから。明日も違う色かもしれないから。だから出して確認しなくちゃいけないという衝動に駆られるのかもしれない。


……これで何度目だろうか。多分数えられぬほどやっている。世間では自傷行為というらしいそれ。それ……それが何だ?僕は自分の血液が見たいだけさ。


僕は薄らいでゆく意識の中考えたが、それはやがて恍惚と昏睡の波に埋もれていった。


何も考えられないのだ。


しかしそれが気持ちいいから、快感だから。


何もかもを忘れられる。


考えても見つからない答えを探すのは嫌だから。不快だから。


だから考えなきゃいいんだ…。





《1》


目が覚めると倒れていた。右手にキッチンナイフ。左手は血液でべとべとに汚れ、床も小さな血のたまり場ができていた。


「うん、いつものことだ」


あの程度の手首の傷じゃ人は死なない。


もちろん血管を切ったつもりもない。切り口は横にしたし、まだ死ぬ気もない。ただ見たかっただけ。そして思考を止めたかっただけだ。


僕はけだるい体に鞭を打って、自傷する前に用意しておいた救急セットを開く。ガーゼにテープそして包帯。


僕は倒れたまま、手慣れた手つきで処理をすませ、立ち上がった。貧血なのかクラクラする。


これもいつものこと。副作用みたいな、デメリットのようなもの。


次に、これも用意しておいたものだが……濡れ雑巾を取り、床を汚した血と左手に付着した血をキレイにする。左手以外にも汚れた所がないか身体を隅々まで調べたが今回は左手だけのようだ。


いつも左手以外に血が着いて汚れないように注意しているからこれは少し嬉しかった。意識がない間に寝返りをしたりして服を汚してしまうからだ。


僕は雑巾は赤く染まり、また新しい雑巾を買うか、作るかしなければならないなとため息をついた。


「赤く染まり?……青かもしれないのにか?」


自嘲した。


この血で染まった雑巾を友人に見せつけ、何色か確認すればそれで済むのかもしれないけれどそこまでできる僕ではなかったし、そいつの言う赤が赤だと言う保証もない。疑心暗鬼というか……元から他人を信じていないだけ。


だいたい色なんて所詮、可視光線の差異によって生じたものを色覚が感知して脳に信号を送っているにすぎない。目なんて人それぞれ異なるのだからその感じ方に違いがあったところで不思議じゃない。


そう思う。


僕は身支度を始めた。傷を診てもらうためだ。さきほども言ったが僕に死ぬ気はまだ毛頭ないから、ガーゼに包帯じゃ物足りない。それは応急処置でしかない。ちゃんと専門家に診て頂く必要があった。かといって大学病院などのしっかりした病院に行く気はしないから、僕のよく通うセラピストの元へ行くことにした。これが週末の日常だ。


身支度はものの3分程で終わり僕はボロアパートの軋んだ扉を開けた。


「寒いな」


どうやら今日は冷えてるらしかった。厚手のジャンパーとマフラーを着たのは正解だったかもしれない。僕は白くなる息を目で追いかけ、これも本当は白くないのかもと考えた。


冷たい風が包帯を突き抜け傷にしみた……





《2》


診療所につきセラピストの付添人の中臺(なかだい)さんに傷を見てもらう。彼女は元どこかの大きな病院の内科医なのだが、今は田尾寺さんと診療所を開いている。


田尾寺さんがセラピスト。


中臺さんが内科医。


個人病院にしても規模は小さく、患者も少ない。第一、場所がよくなかった。なにしろ1番近い町まで3時間なのだから。


「あのね、新しいセラピスト雇ったんだよ」


新しい包帯を巻きながら、中臺さんが言った。キレイだなと思った。まだその話に興味はない。


「そうなんですか」


「うん、なんか田尾寺さんの弟子みたいよ」


「それはくせ者ですね」


中臺さんはとてもグラマラスだなと思っていた。それに大人の色気があるな、とも。


これもいつものことだ。


もちろんその話にまだ興味はない。


「今日はその人のカウンセリングを受けてね」


「え?」


興味が湧いた。


というか、嫌悪した。


知らない人としゃべるのは苦手じゃないにしろ嫌だった。心を開けないし、まず知りもしない男にあれこれ自分の話などできるわけがない。


「嫌ですよ。田尾寺さんじゃダメなんですか?」


「田尾っちね、今日はいないの」


「マジですか!?」


どうしようもなかった。


「じゃあ今日はカウンセリング……パスで」


「ダメ!木古内 桐矢(きこうち きりや)!略して『KK』。キャッチコピーを付けて…『明るい自傷行為KK』又は『歩く自傷行為KK』はたまた『明るく歩くKK』隣の部屋に行くのよ!」


「最後のキャッチコピーだけなら僕は幸せ者ですね」


「でしょ!?だから人生諦めるな!……はい!包帯まきまき終了っ」


「はい…あ、ありがとうございます」


意味のわからない話の展開だったが少なくとも新しいセラピストのカウンセリングを受けなくてはならないらしい……


「はいはい、隣の部屋に行った行った!先生の名前は畄鬼(とどめき)先生。田尾っちの『田』にちょんちょんちょんを付けて、鬼を並べると……畄鬼よ!」


「んな、乱暴なっ」


中臺さんは隣の部屋に僕を押し込めた。乱暴とは言ったものの女性に乱暴にされるのは嫌いじゃないし、なにより中臺さんにお尻を叩かれるなど貧乳並に珍しい。


……貧乳がどれほど珍しいかは知らないが。


「誰が貧乳よ」


「え?」


白衣を着た若い女の子がいた。年は…24くらい。僕はまだ20だから若いという形容詞は間違いかもしれないが……弟子と言っていたからつい男かと思っていらかわいい女の子か……


そんなことより遥かに驚いたことは心を読まれていたことだった。というか心理学を学ぶ人はみんなそうなのか?田尾寺さんも読心術ができるし……いや、田尾寺さんが特別でその弟子だから読心術ができるのかもしれない。


「私のことね!?」


「い、や……」


「私のことなのね!?そうなんだわ!?きっとそうよ。絶対そう。私が日本1の貧乳だってそう言うのだわ?ほら言うわ!次の台詞は『貧乳のくせに』なんだわ!」


「あの……」


「焦らさないで早く言ったらどうなの?」


「貧乳……」


「うわーん、言わないでぇー」


「貧乳はステータスです」


僕は少し面白くなったので溜めに溜めてその台詞を口にした。


「え……?」


お!暴走が止まった……


「あ、あなた……」


「はい?」


「あなた、名前は?」


「木古内 桐矢です」


「そ、そうよね。患者さんだもんね……私、カルテ見たもんね……」


「桐矢さん……」


「はい?」


「あなた、貧乳が怖くないの?」


「そんな人いません!」


「いるわ……私よ。私は貧乳が怖いもの。物凄く、怖いもの」


「知りませんよそんなこと」


この人がカウンセリングを受けた方がいいんじゃないか?完全に壊れてるぞ。


たぶん『貧乳恐怖症』かなんかだ。


「わかる?つまり私が怖いのは私自身なの。それが本当にどれだけ恐ろしいことか…あなたにわかる?」


「いえ、わからないっすね」


「あっそ。まぁいいわ、カウンセリングは私があなたに提供すること。あなたは黙って喋ればいいの。黙ってお金を払えばいいの」


なんかいきなりシリアスキャラにチェンジしたみたいだけど、出合い頭のあの強烈な印象はもう僕の頭から取れるものではない。


というかどっちが素なのだろうか。考えてみた。たぶん僕が言ってはいけないキーワードを踏んだだけだろうと思う。『だけ』というのは少々言い過ぎかもしれないけど…ともかく『貧乳』は畄鬼先生にとって言ってはいけないキーワード。


僕はそれを頭にインプットした。


「それで、なんで自傷したくなったの?」


「……そんなのわかりません」


おいおい、セラピストが原因をいきなり問い詰めたらダメなんじゃないっけ?


「うるさいわね。素人は黙ってなさい」


「いや、黙ってます。心を読んだのはあなたです」


「あぁもう!ていうかあなたって何なの?畄鬼 撫子(なでこ)先生と言いなさいよ。……まぁいいわ。じゃあ当ててあげる」


「……何を?」


「あなたの自傷した理由よ」


……この人、田尾寺さんより変人だ。


「んー……」


考え込む撫子。


(いままでの会話から呼び捨て扱いに決定した)


「世界にはね、2種類の人間がいるの」


撫子は言った。そんな使い古された、もはや定型文とされたありふれた言葉から。


しかしそれは文脈にそぐわない。


「人を殺せる人間と殺せない人間よ」


「は……?」


「言ってる意味がわからない?」


「いや、人を殺せる人間は異常者ですよ。ていうかそんな奴人間じゃない」


「殺してみなきゃわからないじゃない。殺せないなんて言ってる奴は社会の常識という鎖に縛られているだけよ。そんなの殺ってみなきゃわからない、そうでしょ?そしてね、あなたは前者よ」


「なに言ってるんですか?そんな人間じゃないし…第一、撫子…撫子先生は僕の自傷の理由を当てるんじゃなかったんじゃないのですか?」


「そんなのわかってるわよ。怖いんでしょ?自分が見てる世界がニセモノなんじゃないかって」


「……」


当たっている。僕は怖い。色が違うことは世界が違うことに等しいから。それが怖い。


「満足?話戻すわね。あなたはね人を殺せる人間よ、わかった?反論は?」


「……僕はカトリックだ。その精神は『愛神、愛人』。『自分と同じように他人を愛する』。僕に人を殺せるわけがない」


「殺せるわよ。あなたが自分を愛してる?馬鹿じゃない?どう愛してるって?所詮あなたの自分の愛し方は傷付けることでしょ?同じようにするだけじゃない。同じように他人を傷付けれるわよ」


「……」


「それにあなたの悩みの解決にもなるわ」


「え?」


「あなたは自分の血の色を自分で見て安心してるのでしょ?……他人の血を見ても、いいのではなくて?」


確かにそうだ。他人の血がみんな僕と同じ色なら…それで…僕の悩みは消える……。


「でも人を殺したら犯罪だろ」


「それは一般人を殺したらの話。私はね、あなたを救うわ。そしてあなたは言った。人を殺す奴は人間じゃないって。…そいつら逆に殺せば?ここにね、今指名手配になってるリストがあるの…こいつらを殺せば?」


何を…何を言っているんだ?もう最初の印象は消えていた。貧乳だ貧乳だと言っていた彼女は消えていた。


思えばこれは僕の運命の出会いだったかもしれない。


ただこの時は恋をしてドキドキはしていなかった。ただ心臓の鼓動はしっかりと感じることはできた。


【赤い糸は血管か運命か…終劇】

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