樹脂の胸

【エピグラム】

 私はあなたの人形じゃないもの

               綾波レイ

 


 私には意志はあっても自由はない。する行動も、未来も人間が持っている。また私には名前がない。発売当初は『リボン』という名前だったけれど、持ち主が変わるたびに名前は変わっていった。いったい自分をなんと呼べばよいのだろう。まぁ、名前のない私の認識など人間にしてみれば『人形』で十分なのだろうけど。 

 

 「(私は人形であって人間ではない)」


 人間を真似て作られたモノにすぎない、まがいもの。髪はPVDC繊維、腰部はポリプロピレン、腕・足・頭部はポリ塩化ビニルでできて、


 「(胸なんてABS樹脂よ)」


 柔らかくもない。まして気持ちよくなんかもない。貧乳だし。需要はあるのだろうか?まぁ、私を使う人間はもういないし、いたとしてもどうせガキなのだから関係ないのだろう。でも―――


 「自嘲だわ。自己嫌悪だわ。まったくつまらない。人形なんてつまらない。人間は私を使ってなにをしたいのかしら。人間はまだいいわ、羨ましいほどよ。私たち人形は死にたくても死ねないもの。いくら傷ついても死なないもの」


 そういえば私も人形であることに誇りに思ったことがあった。たしかあのとき私は『ビアンカ』という名前で、最初の所有者だった。人間の名前は『彩華』。


───────────────────


 『ほら、彩華の新しいお友達だよ』

 『わーい』

 『(彩華。それがこの子の名前。私の名前はリボンよ。よろしくね)』

 『じゃあ、あなたの名前はビアンカよ』

 『(え?)』


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 『遊ぼう、ビアンカ』

 『(なにをして?)』

 『今日はね―――オママゴトしましょ』

 『(そうね、彩華はオママゴト好きですものね)』

 『あのね、私ね、ビアンカ大好きだよ』

 『(知っているわよ。毎日聴くもの、その言葉)』


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 『(これが涙。初めて見たはずなのに初めてじゃないような気がする)』

 『(なぜ泣くの?)』

 『あのね、お母さんにね、怒られたの』

 『(そう……それは悲しいことなのね)』

 『わかってるの、私が悪い事したから怒られてるって。でも私、お母さんに……笑って欲しかったから』

 『(何を願うの?)』

 『だれもわかってくれないの。私の事』

 『(わかっているわよ)』


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 『嫌!連れてくの!』

 『お人形は置いていきなさい、連れて行けないのよ』

 『(私は行けない?人間じゃなく人形だから)』

 『人形じゃないよ!ビアンカだよ!私の一番大切な友達だよ』

 『(友達?)』


───────────────────


 『好きな人ができたの』

 『(好きな人?それはどんな人間の事かしら。私もよく彩華に大好きって言われているけど……)』

 『翔平君っていうのよ。今年初めて同じクラスになれたの』

 『(男の人間ね)』

 『いつも一緒にいたいんだー』

 『(それが好き?なら私は彩華が好きよ。私には他になにもないもの)』


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彩華は成長しても私をベッドにいつも置いていた。よく一緒に寝た。天井を見ながら秘密や夢を語った。胸の鼓動を感じながら。


 「(私も愚かだったわ。友達や好きなんて、そんな言葉で人間になったつもりでいたんだから。私は人間じゃない。どうしてもなれっこなかった)」

 

 この部屋の臭いにも慣れた。薄暗くて、周りにいろんな人形が転がっているこの状況にも。22年間もこの部屋にいればそりゃ慣れる。きっとこの服やリボンにも臭いが染みついた。彩華が失恋するたびに着せ替えた洋服。でもこの服とリボンは違う。彩華が結婚するときに着せ替えた服だ。


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 『(それはなに?)』

 『新しい洋服だよ、ビアンカ』

 『(私の?なぜ?)』

 『……あのね、私フラれちゃった。初めての彼氏だったのにね……』

 『(それで……)』

 『……ね、かわいいでしょ?私がミシンで作ったのよ』

 『(ええ、かわいい服だと思うわ)』


───────────────────


 『彩華さん、このお人形は?』

 『ん?私の大切なお友達だよ』

 『人形が好きなんだね』

 『(………)』

 『違うよ、ビアンカって名前なの』

 『(あなたは誰)』


───────────────────


 『ビアンカ。私、結婚するの』

 『(そう……)』

 『ビアンカもおめかししなきゃね。私久しぶりに張り切っちゃおうかなー』

 『(そうね、うれしいわ)』

 『子供ができたらあなたをプレゼントしなきゃ。気に入ってくれるかな?ビアンカも子供も』

 『(………)』


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 そうして彩華に子供ができたら私は娘にプレゼントされた。なんの躊躇もなく。彩華の手から。確かにあのときの私は彩華の友人じゃなく人形でしかなかった。


 「(今となってはつまらないわ。それを裏切りなんて思っていたんですもの。友達だというのは初めから心にもない言葉だという事にまったく気がつかないなんて)」


 彩華の娘は母親からのプレゼントで、人形であるところの私なんか一日で飽きた。なにか新しい名前をつけられたけど覚えてもいない。

 飽きて、それで物置。

 そして22年間ずっと、この物置に置いてある。周りの人形を見て悲しくなる。この人形たちも捨てられた。でも死ぬことなく、永遠の時を生きる。焼けて、千切れて、それでも生きてる。痛いのに。人形に他の人形の言葉なんて聞こえないし、ましてお喋りもできないけれど、時折、揺れで人形が動くのが嫌だ。嫌だ。不快だ。


 『(人形を使ってどうするの?)』 『(誰かのために、なんて言ってる時点で楽な生き方しようと逃げてるだけなのよ)』『(あなたは何を願うの?あなたは何を想うの?)』 『(人形なんてつまらない。ただのモノよ)』 『(人間だって同じよ)』 『(破壊と再生)』『(私はいつになったら死ねるの)』 『(誰か私に構ってよ)』 『(裏切るのね、どんなモノも人間も)』 『(私を誰か必要としてるの?)』『(私はどうしたいいの)』 『(私の代わりはいくらでもいるもの)』 『(私はただの人形)』 『(なにもない人形よ)』 

 

 ガラッ

 「やっと見つけたわ」


 「(彩華……?)」


 「ビアンカ……探したわ」


 「(ずいぶんおばちゃんになったのね)」


 「娘にね、子供ができたの」


 「(そう……)」


 「それでね―――」


 「(私をプレゼントするのね)」


 「あなたをプレゼントしたいの」


 「(嬉しくないわ、そんなの)」


 「でもね」


 「(………)」


 「ごめんなさい。本当は私だけの大切な友達なのにね」


 「(………)」


 「でもね……」


 「(………)」


 「子供や孫も私の大事な大事な、大切な大切な人なの」


 「(そう……)」


 「だからね、私の代わりに私の大事な人の、夢や秘密を聞いてあげて欲しいの」


 「(………)」


 「私はあなたが大好きよ」


 「(私を望むの?)」


 「さぁ、おいで……」


 「(彩華の匂い…。望むのね。望まれてるのね)」


 「でもね、男の子なのよ」


 「(…そう、私の胸で大丈夫なのかしらね)」

                    終劇

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