いまや艦内でただひとつ生命活動をつづけるグループの一行は、有益と思われる情報を可能な限り入手したのち、艦橋をあとにして脱出ポッドのある後部区画へと向かった。


「やれやれ、デジヤビユーだねこれは」


 アイリィがそういったのは、むろん、一年前のヴァルバレイス号事件を念頭においてのことである。ヴァルバレイス号とサルディヴァール号はおなじアリスメンディ級多目的航宙巡航艦であって、兵装や内部構造がまったく同じなのだ。そのなか同じルートをたどって脱出をめざすとあっては、いやでも過去の厄災を思い起こさざるを得ない。

 シュティが親友のつぶやきにことばを継がなかったのは、それが独り言であったからというより、その話題を広げることで惨劇からの生還者に心理的負担を強いることを考慮したからである。いかにアイリィが精神的強度に非凡なものを有するとはいっても、無神経にその剛性をためすような所業を、不必要なときにするわけにはいかなかった。それに、いまのところ緊張感がそれを感じにくくしているが、シュティ自身の心的疲労も蓄積がいちじるしい。暗い話題を口にするのは可能な限り避けたいところである。


 その惨劇からの生還者は、親友の無言の気遣いに感謝したが、しかし好む好まざるとは別に、一年前の事象と今回の異変を比較して状況を整理する必要性を感じた。今後突発的に事態が動いたときに迷い無く対処できるよう、自身の置かれている立場をすこしでも簡明にしておかなければならない。小柄な槍術の名手は歩みを後部区画にむけて進めながら、左手を顎に当てて思考回路を活動させはじめた。



 ヴァルバレイス号事件のときは、なによりも最初から事態がある程度明白であった。非常灯がともり、けたたましく警報音が鳴り、艦内の人間は緋血を流して生命を失い、悪意のある有形力が脱出をはばんで幾度もの戦闘を余儀なくされた。今回艦内は平穏そのものであり、反面、ふたりを除く全ての人間がしんろうのごとく姿を消している。また、催眠ガスを流されたり、システムに通常時にはないロックがかかっているなど、事態が人為的に演出されていると疑わざるを得ない事情が複数である。


 戦闘能力という意味では、今回のほうが問題はすくない。同行者はシュティ・ルナス・ダンデライオン生物科学少佐、アイリィの無二の親友である。実戦部隊の人間ではないが、惑星探査のため未開惑星に降りたって活動する任務の特性から対獣戦の心得があり、しかも技術水準は非戦闘部門の人間としてはきわめて高く、ハンド・ボウガンをはじめとするそのには信頼がおける。精神的な強靱さではメアリ・スペリオル・ルクヴルール第六艦隊司令官に数歩を譲るだろうが、総合的な戦闘技術では、親友のほうに軍配が上がることは間違いない。


 最大の問題は救援の有無である。一年前の変事では、脱出までの道程は困難であったが、逆に脱出できさえすればかならず味方の来援があるという確証があった。だが今回は、緊急事態を知らせる救難信号を発信することができていない。サルディヴァール号の所属する第一艦隊に、こちらから異変を知らせることがいまのところ不可能なのである。

 いや、それ以前に、アイリィが目を逸らしたくとも直視せざるをえない、しんじんな問題が存在している…。



「だいじょうぶ?」


 と声がした方向に視線を向けると、赤黒髪の親友が、飼鳥とともに心配そうな表情でアイリィの顔をのぞきこんでいる。おそらくは降りかかる不安に必死に立ち向かっているであろう親友にさらなる負荷をかけないよう、外面に出さないように注意を払っていたつもりだったが、思考にふけるあまり焦慮が表情に出てしまっていたのかもしれない。


 短いながらもそれ以上にあたたかさがこもった親友のことばに、つい先日の、白き旧王都ウエストパレスの臨海区域での光景を思い出して、これもデジヤビユーだなと思いながら、重苦しい冬の寒気にみちていた心に一瞬だが新緑の春風が吹き込むのをアイリィは感じた。いまにはじまったことではないが、この親友の存在は、いつもアイリィにのしかかる心理的重圧プレツシヤーを軽くしてくれる。


「ああ、大丈夫だよ。少し急ごうか」


 そういって、アイリィはすこしだけ歩みをはやめた。貴重な体力を消耗して一分一秒を稼いだところでたいした意味はなかったが、複数の事情から、親友の注意をそらしたかったのだ。その黒赤髪の親友は、まだアイリィの様子が気にかかっている風であったが、あえて追及することもせず、かるくうなずいてみずからが最も信頼する友人のあとに続いた。


 後部区画にいたる艦の通路はふたりの足音をかすかに響かせるのみで、情況に何の変化も示さない。背後の空間は無言をもってふたつの足跡を送り出し、前面の壁と天井と床は沈黙をもって一行を迎え入れる。一年前のときと違い進路を妨害する相手を排除する必要がないのは楽といえなくもなかったが、そのあとに待つ苦難を考えると、前回のそれとは比較にならないほど気が重かった。なにせ今回は、脱出をはたしえたところで、助かる保証がまったくないのだから。



「テロ、なのかな…?」


 通路を歩きながらシュティはそういったが、特に複雑な思考の結果というわけではなく、ただ言ってみただけに近かった。


「うーん、どうだろうね」


 と、とりあえず返事はしたものの、可能性は低いだろうな、と訊かれたがわの人物は思っている。テロリズムというのは普通、政治的な主張を暴力的な手段によって社会に広く知らしめるということを主眼に置いて実行されるもので、我星ガイア文明のながい歴史の中にもまま散見されるものだが、そういった宣伝的側面をもつことを考えると、航宙巡航艦一隻を恒星に突っ込ませるというのは、目的に比して結果が地味すぎるのだ。我星政府軍の戦力を削ぐことが狙いであったとしても、迫力に欠ける感は否めない。もしテロリストの仕業であるとするなら、いますこし心理的脅迫効果がほしいところであろう。


 実行に際しても、運航をはじめとする軍艦艇のシステムの防衛セキユ対策リテイは非常にレベルが高く、今回のようにそうやすやすと外部の人間がロックをかけられるものではない。それに、艦の人間のほとんどが失踪していることへの説明もつかない。事態の派手さを求めるなら残虐な方法はほかにいくらでもあるし、人質として誘拐するのであれば、艦ごと乗っ取ってしまえばよい。これほど大量の人間を艦内から誘拐する質的量的能力があるぐらいならそうした方がてっとり早いし、要求に応じなければ艦を乗組員ごと爆破する、とでもいえば脅しとしての効果は十分である。


 という思考の道筋をたどって、サルディヴァール号がテロリズムのほうされたとは考えにくいという結論に、聡明さを兼ねそなえた小柄なそうはたどりついたのだった。このとき、彼女は蓋然性が高い、すくなくともいままでの事象と矛盾のない、ある筋書シノプシスを完成させている。だが、黒赤髪の親友への精神的負担への配慮と、彼女自身の心理的事情による協奏が、その仮説を披露することをためらわせていた。それをことばにするには、彼女の心の傷から生じる金属的な痛みが、大きかったのである。


 もっとも、なにぶん置かれている状況が不確定かつ不明瞭であるから、あらたな事実の登場によって、思考の迷路を引き返す必要がでてくることも考えられるだろう。アイリィの論理的思考力は高い水準のものであったが、十分な材料をあたえられないなか、推測だけで真実のすべてを構築するには無理があるのだ。


「考えるのは脱出してからにしようよ。いやでも時間はあるだろうしね」


 と自分のことを棚に上げたアイリィは微笑の表情でいい、彼女の親友は短い返答で同意の意思表示をした。とりあえずの目的地である脱出ポッド区画まではあと少しの距離であり、今回は強力な門番犬に火葬されかかる心配もなさそうだった。

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