「やっぱり無人か…」


 アイリィはあきれたようにつぶやき、愛鳥をつれた親友がそれにつづいて小さくうなった。ふたり(と一羽)の視界には、巨大な艦の行動を制御するために昼夜を問わず、という表現が宇宙空間で適切かどうかは分からないが、その言葉にふさわしく稼働しつづけている電子機器の数々が、その勤勉さを自慢するのみであった。艦長以下、副艦長、参謀、通信手、航法士など艦橋にいて粛々と職務を遂行すべきはずの人間はもちろん、生ある者の存在が一切確認できない。


 予想していたこととはいえ、無人の艦橋をまのあたりにして、アイリィは途方に暮れたい思いであった。軍有数の技量を有する槍術の名手としては、正直なところ、艦を占拠する宇宙海賊の親玉とその手下がせんせんをもって出迎えてくれたほうがよっぽどましというものである。勝つことができれば問題ないし、負けて捕らえられたとしても事態はあるていど明らかになるのだ。もっとも、殺されてしまっては元も子もないが。


 むろん途方に暮れてしおらしく助けをもとめたところで、救世主ヒーローが白馬とともにあらわれて全てを解決してくれるわけではない。艦橋はいうまでもなく艦の中枢部であり、艦内外の情報すべてが集約される場所でもある。才を発揮する機会を逸した槍術の名手は武器をおさめて、現状を把握すべく端末から有益な情報を収集しようとしたが、情報収集活動の最初期段階で、いきなり事態の醜悪さを思い知らされることになった。


「ここは…どこだ?」


 シュティ・ルナス・ダンデライオンは、艦橋入口の扉にロックがかけられていたときのために用意していた超小型爆弾の安全装置をセットし直し終えたところだったが、親友のめずらしくうろたえたつぶやきの音波を耳にとらえて、自身以外に艦橋にいるただひとりの人物のもとへ歩みよっていった。


 ふたりがいるのはいうまでもなくサルディヴァール号の艦橋であったが、アイリィが問題にしているのは、艦内部の場所ではなく、艦自体の位置であった。シュティは親友の背後から艦外遠方の状況を表示する電子望遠システムのディスプレイをのぞきこんだ。


「白色矮星わいせい…」


 アルバユリア星域に存在する三つの恒星、アルバ・シビウ・フネドアラはすべて黄色矮星もしくはとうしょく矮星である。この両者が従える惑星には可住惑星が存在する可能性が高く、だからこそ今まで調査の対象になってきたのであるが、電子望遠システムのディスプレイにぽつんと表示された恒星は、そのどれとも異なる姿を見せていた。


「参ったね、これは」


 アイリィはあまりの状況の困難さに、なかば呆れかえった。アルバユリア星域には、観測されているかぎり白色矮星は存在しない。とすればふたりが眠っているあいだにサルディヴァール号はアルバユリア星域から出てしまったことになるが、他の宙域まで可能性をひろげると、白色矮星自体が全宇宙からみればありふれた存在であるために現在地の特定が非常に難しいのだ。

 さらに、艦の現在地を示す星図コンピューターのディスプレイには、サルディヴァール号をあらわす赤い点が真っ黒な画面にぽつんと浮かんでいるのみである。これが完璧な事実を示しているとすれば、サルディヴァール号は端末に入力インプットされている星図の外側、つまり我星政府領外に出てしまっていることになる。


 ふたりは数瞬の沈黙を共有したが、ふだん自分の専門分野以外では高度な頭脳活動をあまりみせない赤黒髪の生物科学少佐が、単純だが重要なことに気がついた。


「そういえば、このふねの航路はどうなってるのかな?」


 シュティは冷静に聞いたつもりだったが、その声から完全に不安の粒子をとりのぞくことはできていなかった。


「たしかに、そういえば…」


 サルディヴァール号は、ふたりの例外をのぞいて無人となったとなったいまも、無限の虚空を孤独に航海している。軍艦に限らず宇宙艦艇の自動オート操縦パイロットは星図の存在を前提にしているため、星図のない我星政府領外に出てしまったいまも艦が動いているということは、最後に人為的に指示された航路を、機械が従順に守り続けているということになる。

 アイリィは嫌な予感とかんをおぼえて、端末を操作してディスプレィに航路を表示させた。こういうときの予感というのは、だいたい、悪い事実を引き寄せる重力を帯びているものである。そして、いまやとなった艦の住人にとっては救いのないことに、今回の現実もその多数派に属しているようであった。


「一〇時間後ぐらいに、あの恒星に突っ込むことになっているねぇ」

「…ええっ!?」


 動揺の波紋を最小限におさえるために親友がわざとのんびりとした口調でいったのでシュティの反応はややおくれたが、数瞬の間をおいてすぐに事実を理解した。宇宙艦艇が恒星に突入したときにどうなるかということを検証した資料はないが、高温で燃え尽きるか、それよりさきに強大な重力によって粉砕されるか、いずれにせよどれほどけいけんなマゾヒストであってもすなおには喜べない結末を迎えるであろう。どうやら、自分たちはけっこうな至近距離で死の危機に向かいあっているらしい。


「どうするの…?」


 親友の問いかけを背に、アイリィはなんとか航路統御システムへアクセスしようとこころみたが、非情な機械はその努力を認めてはくれなかった。救難信号を発信するためのボタンも、何の反応も示さない。


「重要なシステムには、全部ロックが掛けられてるみたいだ」


 と、アイリィは親友に首をふってみせた。ロック自体は単純なもので、個人識別装置を兼ねる階級証をかざしたうえであらかじめ決めておいた一〇桁のアルファベットと数字の組合せを入力すればよいのだが、その暗号鍵パスワードを一〇時間で見つけ出すのはほぼ不可能にちかい。そもそも、彼女は槍術の名手ではあっても艦の運航システムに関してはけっして明るいとはいえず、操作が可能になったところで危機を適切に回避できるとはかぎらなかった。その点は生物科学を専門とする黒赤髪の親友も同様であろう。


 アイリィはさらに数分間、頑なに干渉をこばむ電子機器と格闘をつづけたが、時間の浪費であることをさとらされるのみであった。


「仕方ないね。脱出しよう」


 決断力も非凡なものを有する槍術の名手はそう判断を下した。


「大丈夫かな…」


 とこちらは親友に比してやや決断力に欠ける生物科学少佐は応えたが、彼女は基本的に、というよりつねに才ある親友の思考には全幅の信頼をおいている。今回も心底から疑問を呈したというより、確認の意味合いが強かった。このようなとき親友は、思考の根拠を整然とれきして、いつもシュティを安心させてくれるのだ。もっとも、いまこのときに限っては、どう説明をうけたところで到底心やすまる状況でないことは彼女にもわかりきっていたが、親友の知性とやさしさのこもった落ち着いた声は、神樹の聖泉に妖精フェアリィが操る魔法のごとく、彼女の精神世界の安定に重要な役割をはたすのである。


「もうちょっとここで頑張ってみたいところだけど、時間がないからね」


 現在、サルディヴァール号は名称不詳の白色矮星に向かって、最期の旅路をまっすぐにすすんでいる。白色矮星というのは恒星の終末期の一形態であり、その星系に属する惑星に人類にとっての可住惑星が存在する可能性はきわめて低い。したがって艦を脱出したのち可住惑星への不時着をこころみるのであれば別の星系への移動が最低条件になるのだが、時機を失するとこの白色矮星に近づきすぎてしまい、脱出ポッドの推力では恒星重力圏から脱出できないおそれがあるのだ。救援が来ることが確実である状況ならともかく、それが期待できない以上、非住惑星への不時着は自殺行為にひとしい。


「まあ、なるべくベストを尽くしてみるよ」


 簡潔に説明をした上で、アイリィはおだやかな口調でそういったが、彼女自身にも十全の自信があるわけではない。本来であればもうすこし思考に費やすことのできる時間がほしいところである。しかし事態の砂時計はすでにひっくりかえされてしまっており、限られた砂量を最大限効率化して使用する必要が、このときはあった。

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