第二章 白都の潮風
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人類が果てなき宇宙の大空にその翼をひろげたあとであっても、碧い海と豊かな緑は、なお人間の心を掴んで離さないようであった。恋人同士の甘い交流にも、家族の絆を確認するのも、仲間との
少女が親友との交流の場として自然公園を選んだのは、そういった歴史哲学的背景を考慮したものではまったくなかったが、人として生まれもった本能的な部分で、その普遍的な魅力にひかれたからかもしれない。
シュティ・ルナス・ダンデライオンは、すでに、宇宙に生を
軍の生物化学部門は、その名の通り、生物を専門に扱う部署である。
人類が宇宙にその歩みをすすめ、他星系の可住惑星に定住することを計画したとき、問題となったのが食糧の確保であった。可住惑星とはいっても、人類にとっての可食生物が先住民として
だが、一度運んで組み立ててしまえば長きにわたってその役割を維持し続ける建築資材などとは異なり、食糧というのは、そこに人間が生活の根拠を有する限り、補給され続ける必要がある。それを星系間航宙船による輸送でまかなうとなると、費用がばかにならない。家畜や農作物を現地で生産するとしても、かれらは人間のように、衣服や住居などで、ことなる環境に対応するわけにはいかない。
そこで、遺伝子操作の技術を応用して農業生産や漁業生産を可能にするべく、専門機関を発足させたのが、生物化学部門のはじまりであった。
当時は食糧研究科と呼ばれていたが、やがて観賞用の植物や愛玩動物の環境適応化、さらに未開惑星の生態系の調整にまでその担当分野をひろげると、名称もその任務の拡張にふさわしく〝生物科学〟の名を冠し、部署としての規模も「科」からさらに総合的な指揮権限を有する「部門」に昇格した。そして現在では、非生命惑星における生態系の構築や、未開惑星探査における新種生物の精査などもふくめ、星系を越えた生物化学事象を幅広く扱う非戦闘系部門の重要部門のひとつとして、その地位を確固たるものにしていた。いわゆるエリート部門である。
そのような部門での仕事は、
シュティ・ルナス・ダンデライオンが若くして生物科学少佐の地位をあたえられたのは、突発的な外的要因も存在したのだが、その能力が高度な激務をこなしうると、たしかに評価されていたからでもある。その辞令を受けた本人は、あまりの想定外な出世に困惑し、つづいて与えられた職責の重大さにたじろぎつつも、その才覚をいかんなく発揮して、一定の信頼をえることに成功していた。
もっとも、今このときの若き生物科学少佐は、その出世物語と比較して、はなはだ散文的な事情で、時間に追われる身分であった。
「やばっ、遅刻だこりゃ……」
彼女は、正確に親友と約束した時刻ちょうどに、シルバーブレイト国立公園の入口に到着していた。だが、それは同時に、親友が指定した時刻に大幅に遅れることが確実になったことを意味していた。かつてこの地を
シュティは、自分の親友が、数十分の遅刻ぐらいで機嫌を損ねるような器の小さい人間ではないことは承知していたが、そのことは、シュティの罪悪感を軽減することに、わずかの貢献もなしてはいなかった。シュティは自分の身体能力のすべてを注ぎ込んで、すこしでも親友の貴重な時間の損失を減らす義務があると、自然に感じていた。
彼女の友人にも劣らない小柄な身体は、空中を疾走する燕となって、海岸線の方角へと消えていった。
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