「戦艦ヴァンステイド以下、旗艦戦隊が超光速航行オーヴア・ドライブを終えて救援に到着するようです。距離は約五〇〇光秒、十分程度で接触可能と思われます」

「そう、やれやれといったところね」


 脱出ポットの中で九つも階級が上の人物に負傷の手当てを受けながら、救援要請と情報伝達にその労力をそそぎこんでいたアイリィは、一連の交信を終えて、看護士としても一流の技術を有すると判明した上官に報告した。


 結局、ふたりの生存者の脱出路を強力に妨害した双頭の番犬は、槍術と射撃の名手に幾重にもわたって身体を傷つけられながらもしつように敗北を拒否し続け、負傷が体力の限界をきたして門番の使命を放棄させるまで、時間にして十分以上の戦闘を要した。

 その反撃は最後まで衰えることはなく、この種の戦いに有数の才能をもつアイリィでさえ、何度も壁床への激突や牙による裂撃によって、数カ所にのぼる打撲と裂傷を余儀なくされた。それでも骨折などの動きに支障が出るほどの重傷を負わなかったことは、彼女の格闘戦技術の高さを証明したことになるであろう。艦隊戦、百兵戦を問わず、敵に損害を与える攻撃の技術と、被害を最小限にとどめ反撃の自由を確保する防御の技術は、ひとしくその重要性を認められるところである。アイリィ・アーヴィッド・アーライルは数十波にわたる狂獣の攻撃にたいして個人レベルでのダメージ・コントロールを完璧なかたちでおこない、地獄の門番に致命的な攻撃を一度も許さなかった。


 いっぽうのメアリ・スペリオル・ルクヴルール第六艦隊司令官は無傷であった。激しい格闘戦のために大きくその位置を大きく移動しながら戦うアイリィの後方につねに居場所を保っていたからだが、それは彼女の利己心の大きさを意味しない。茶髪の提督は、護衛される立場として、自分の身が危機におちいることが前方で戦う味方の行動の選択肢を狭めてしまうことをこころえており、常にその身を後方の安全圏におきながら、闘槍をふるって戦う小隊長の支援につとめた。

 実際、このことはアイリィにとって大きな救いであって、尊敬する上官に射撃の技術だけでなく要領の良さがそなわっていたことを感謝した。過去には、自身がきわめてすぐれた戦闘技術を持ちながら、同行者に足をひっぱられて命を落とした者はいくらでも存在するのである。


 初撃に強烈な印象を残した火柱による攻撃は、その後おこなわれることはなかった。その初動動作に時間を要することを見抜いたアイリィが、積極的に接近戦をしかけて発動する隙を与えなかったからである。野生動物には人間のそれをはるかにりようする攻撃手段を持つものが多く存在するが、そのほとんどが先天的に備わった能力であるため、みずからの意思では左右できない特有のクセが存在するのだ。それは偶然の突然変異による進化に武器の改良を頼らざるを得ない野生動物の欠点であって、そのことを知識と経験の双方によって理解していたアイリィは、反撃される危険を承知で、もっとも脅威となる攻撃を封じたのである。

 一兵士時代より対人戦から対獣戦まで種々の戦闘でその才を発揮しつづけてきた歴戦の勇者のまさに面目躍如というべきであり、そのことを後に説明された茶髪の提督は、この小柄な小隊長に対する信頼の度合いをいっそう高めることになった。



 看護士としてひと仕事を終えたその艦隊司令官は、文字通りふぅ、と一息ついて、みずからの生命を救ってくれた恩人に言った。


「さ、我らが旗艦が迎えに来るまで、ゆっくりするとしましょう」


 我星政府軍各艦隊の旗艦の名称には、かつて我星がひとつの星の上で複数の勢力にわかれて争っていた時代に、戦乱を終結と統一政府の樹立に貢献したとされる著名な人物の姓が採用されている。第六艦隊旗艦ヴァンステイドの名は、その時代の国家のうちのひとつである西方大陸王国の王女とともに、護衛として世界各国を闊歩し、その外交・諜略活動をささえて活躍したとされるミハイナ・ヴァンステイドに由来していた。

 彼女はけっして歴史の主役ではなく、また伝説的色彩をはらいきれない逸話も多く存在するため、実際の活躍は判然としない点も多いのだが、それでももといち狩猟民でありながら中央情勢に影響をあたえるまでの事績を残すにいたったその人物に由来する自らの座乗艦の名を、茶髪の提督は気に入っていた。もっとも、いまはそのような感傷によるものではなく、もっと現実的な理由で、旗艦の到着を待ちわびているのだが…。


 生命の危機から脱しえた安堵感で意識が浮遊しかけていたその司令官は、ふと、違和感をおぼえて、そばにいる恩人の顔に視線を向けた。自分の言葉に、小柄な小隊長が同調していなかったことに気づいたのである。



 アイリィ・アーヴィッド・アーライルは、自らの生命の救出と、提督の地位にある上官の護衛というふたつの重責から解放されて、いま、膨大な質量の喪失感に、精神をさいなまれていた。第十二小隊は彼女が士官となって初めて統率した部隊であり、その十数名の兵士たちは、私的な交流こそ無かったものの、その姓名と顔、そして声が、鮮明に記憶に残っていた。その全員に家族がいて、友人がいて、あるいは恋人がいるはずであった。人間の数と同じだけ、未来も存在していたはずであった。そして、彼らは死に、自分だけが生命をたもって、こうしてここにいるのである。


 彼女には、どうすることもできなかった。だが、どうすることもできなかったことは、彼女にとって、一片のなぐさめにもならなかった。


 アイリィは、容易に他人に涙を見せる人間ではなかった。そして、このときも、その例外ではなかった。だが、そのことは、負の感情をおおいかくすことと、同義ではなかった。

 茶髪の提督は、その心中を察して、自分よりひとまわり小柄な恩人の肩に手をかけて、彼女の言葉を待った。


 ゆっくりと、時間をかけて、恩人の心情を聞き終えたとき、茶髪の司令官は、みずからの心情をかえりみて、ふと、憮然とした思いになった。今回、自分の配下たる多数の人間が命を落としたはずであったが、いまこの段階に至ってもなお、感情に激しくしゆつたいするものがないのである。それは、冷静な判断によって多数の艦艇運動を指揮統率しなければならない艦隊司令官としては、正しいことであるのかもしれない。だが、はたしてそれは、人間として、正しいことなのであろうか。


 彼女はその命題を肯定する気にはなれなかったが、しかし、りん的な正誤はともかく、現実として、感傷によって正確な判断を欠いてしまうようでは、指揮官としては失格なのである。いや、個人レベルにまで話のスケールを落とすとしても、守るべきものを守ることができなかったり、失わなくて済むものを失ったりするかもしれない。力を持つ者は、それを正しい方向に使用することで、人を救い、その幸福を守る義務がある。すくなくとも、メアリ・スペリオル・ルクヴルールという人間は、そう考えていた。


 少尉と中将というふたつの階級は、中間に多くのそれをおいて隔てられており、本来、このように時間をさいて直接的に会話できる間柄ではなかったから、茶髪の提督は、精神の負担を承知で、九つも下の階級に属する命の恩人に、自分の考えを伝えておく必要性を感じた。万が一、この事件がけいとなって、これほどまでに豊かな才能を有する者がその力をふるうことをやめてしまったならば、軍という組織のそれはおくとしても、彼女の周囲の人々にとって、大きな損失を生じさせることになってしまうように、上官には思われたのである。そして、茶髪の提督はその存在を認識してはいなかったが、その〝周囲の人々〟の中には、結果として、生命の恩人たる彼女の生還を、出立の地で待ちわびる親友の存在も含まれていたのである。


 上官は、自らの旗艦と接触するぎりぎりまで、時間を待った。そして、ゆっくりと、自らの考えを、年少の恩人に向かって語り始めた。語るほうは、半ばみずからに言い聞かせるように、その思いのひとつひとつを確認しながら、それを言葉にのせた。聞くほうは、いまだ完全に安定しない心の中に、その一片一片をきざみこんだ。そして、ふたりの生命が完全に保証されたその瞬間になって、茶髪の提督はこうむすんだ。


「自らを誇りなさい」


 その言葉は、一段と力強く、聞く者の心をひびかせた。


「自らを誇りなさい。それが、生き残り、生き続ける者の使命です」




 多目的航宙巡航艦ヴァルバレイス号の乗員は二一一名、艦隊旗艦ヴァンステイド号より巡察のため臨時乗艦した四名をふくめると、二一五名である。うち生還者二名。百分率によって表現される生還率〇・九三パーセントという数字は、星系間航行が普遍的なものとなって以降、艦艇失踪事案を除いて、宇宙艦艇事故における最悪の数字であった。事象の発生した艦の名をとってヴァルバレイス号事件と呼ばれるようになったこの惨劇は、不幸な事故としてせいの記憶にその存在を残すことになったが、事件の根底に存在したすべての伏流が人々の前にその姿を見せるためには、さらに数年の時間を必要とするのであった。

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