一連の戦闘を終えると、非常事態をしめす警報のそれを除いて、音に類するものは存在を消していた。いままで散発的に遭遇してきた、遠くからこちらに向かってくる足音もない。とりあえず、当面の危機は過ぎ去ったようであった。


 アイリィは文字通り一息をつくと、ようやく発見した同志にその視線をむけた。臨戦兵装のため目を凝らさないとわからなかったが、アイリィと同じ女性であった。アイリィより数年は年長と思われる。美形な顔立ちに、明るい茶色の短髪が印象的である。


 アイリィは、その外見にわずかに見覚えがあった。処理能力の速い部類に属する脳を回転させ、該当する記憶をひきずりだして、先刻までのものとは別の種類の緊張を、全身にはしらせた。観察対象の胸の階級章は、その所有者がちゆうじようの位を有することを誇示していた。


「提督!?」


 メアリ・スペリオル・ルクヴルールが彼女の名であり、その職責は、いまや宇宙のかんおけにその役割をかえつつある、航宙巡航艦ヴァルバレイス号が属する我星ガイア政府軍第六艦隊の司令官であった。そのすぐれた指揮能力と人望に、退官時期が集中して人員不足気味であった宇宙艦隊司令部の人事状況がかさなって、わずか二九歳にして中将・艦隊司令官となった出世の人である。

 アイリィ・アーヴィッド・アーライルの直系の上官ではあるが、ふたりの間には階級と指揮系統の両面でかなりの距離を隔てており、直接的な面識はない。ただ所属艦隊の首脳部の面々は映像で確認させられるし、この提督は演習中にもこまめに各艦を巡察しては、士官から末端の兵士にいたるまでよく声をかけてまわっており、配下からの人気も高かった。

 アイリィは、この美形の提督と直接会話をかわしたことはなかったが、下級兵士にまできさくに声を掛ける上官の姿を見て、自然と好感をおぼえた記憶がある。だが今回に限っては、上官のこころよい勤勉さが裏目に出たようであった。


 美形の提督は、きゆうを脱してあんしながらも、困惑の表情をうかべて、自分の配下であろうと思われる人物を見やった。アイリィはみずからの非礼に気づいて手みじかに謝罪すると、姓名と職責を名乗った。


「政府軍少尉アイリィ・アーヴィッド・アーライル、陸戦第十二小隊長です。訓練及び本艦内警備の任にあたっておりました」


 そういって、アイリィは自ら発した言葉に恥じ入る思いであった。自分はその任の、何をはたしているというのか。艦内には救援を求める人間すらおらず、ほぼ壊滅状態にあった。ブリツジの状況は不明だが、一切の指示や状況説明等がないことを考えると、絶望的である。もし艦橋で何らかの指揮系統が健在であるなら、艦内において最高の戦闘力を統率しうるアイリィのもとに、事態制圧なり退艦支援なりの作戦命令がおりるはずであった。


「ありがとう、助かったわ。災難でしたね」


 みずからも災難にまきこまれた提督は率直な感想を述べるのみで、年少の小隊長を責めることはしなかった。この困難きわまる状況にあって、部下をこれ以上精神的に追いつめるべきではなかったし、そもそも、彼女はこの小隊長に問うべき罪が存在するとは考えていなかった。

 事態は、巡航艦一隻に配置される陸戦一小隊で対処しうるレベルをこえている。もし、彼女がなんらかの処分を受けるべきであったとしても、それは無事に生還をはたしてから考えられるべきことであって、今はみずからの生命を守るための行動に、心身のすべてを注ぎ込まなければならなかった。


 アイリィはわずかに狂わされていた心の平静をとりもどして、窮地を脱した上官に現況を尋ねた。興味本位によるものではない。現時点で可能な限り状況を把握し、最善の方策を考え、実行しなければならなかった。

 情報を軽視することの愚かさを、アイリィは知っていた。知ってはいたが、今回、そのことが何ら有利にはたらくことはなかった。


「役に立つ情報は、なにひとつないわね」


 やや荒くなっていた呼吸をととのえながら、淡い茶髪の提督は過不足のないように十分な配慮をはらって、知る限りの状況を説明した。



 メアリ・スペリオル・ルクヴルール提督が異変を知ったのは、ひととおりの艦内巡察を終えて、臨時に用意された私室に入り、一息ついて仮眠をとろうとしたまさにその時であった。旗艦より派遣されていた警護兵の、恐慌してはいないがただならぬ緊張感をたたえた表情に、美形の提督は尋常ならざる事態が生じていることを察知した。


 彼女は艦首脳部との接触をはかって艦橋へと足を向けたが、意外なまでにきょうじんな有形力に、それを阻まれた。妨害者の姿形と、その導線の向きからして、生物化学実験において終末的異常が発生したのはほぼ確定事項と思われる。ほどなく退艦を指示する警報が鳴り響き、提督と警護兵の一行は、当初の意図を放棄して撤退せざるをえなくなったのである。



「私がいた中央居住ブロックより艦橋側は絶望的。化学実験室で発生した事象の詳細も不明。見る限り、後部ブロックの状況も希望は持てないわね」


 結局、彼女が語った情報は具体性に乏しく、アイリィが持っていたそれに、悪い方向の重量がわずかにくわわったのみであった。提督は直接口にしなかったが、彼女の護衛をその任としていたはずの数名も、その使命を最後まで果たせぬまま、こころざしなかばに散らざるをえなかったものと思われた。

 長年の研究で相手の動きがパターン化されており、訓練さえすれば誰でもそれなりに高水準の能力をそなえることが可能な対人戦と異なり、たいからびんしよう性にいたるまで膨大な(ときには未知の)種類の敵と相対する対獣戦では、天性の領域に属する才能の比重が大きくなる。無念な死を強制された彼らがその才をそなえていなかったからといって、責めるのは酷であった。政府軍は宇宙海賊討伐等の治安維持行為から未開惑星探査まで危険の伴う事象を幅広く扱うから、当然それぞれの任務を適切に遂行するための部隊も編成されているのだが、艦隊活動において旗艦要人の警護という職責をになう彼らは、まことに残念なことに、今回の事態は専門外であったのである。


 もっとも、偶然彼らがその才能を有していたところで、多勢に無勢という成句の教材にしかならなかったかも知れない。むろん、その才が圧倒的なものであれば別である。たとえば、アイリィ・アーヴィッド・アーライルがもつような……。



 ただ、神の気まぐれの恩恵に浴したと思われるその人物も、この状況を根本的に打開することは不可能であった。


「……この状況では、退艦せざるをえないでしょう。後の措置は、とりあえずの安全が確保された段階で検討すべきかと考えますが、いかがでしょうか」


 その提案は特に独創性にあふれるものでもなかったが、発言者の沈着な様子が上官に一定の信頼感をあたえたのは確かであった。


「ええ」


 美形の提督は、短い言葉で部下の発言を了承した。


「あなたといれば、恥ずかしい死に方はしなくて済みそうね」


 返答に窮する小隊長に、中将の位を有する上官はきんちょくな表情をつくってつづけた。


「今よりアーヴィッド・アーライル少尉に私の警護を命じます。退路を保全し、本艦より退艦し、安全を確保してください」


 アイリィは即答することができなかった。与えられた任務が気に入らなかったわけではない。せつぱくした状況に似合わぬ形式的な辞令に、意表を突かれたからである。しかし、返答しないわけにもいかなかったので、アイリィは困惑のもやをふりはらって、喉から言葉をしぼりだした。


「……御命令、つつしんで拝命いたします」


 たいして深刻でもない動揺を隠しきれない部下を見て、茶髪の上官はやや人の悪い笑顔を浮かべた。


「この惨状から生還して、貴重な証人となりえただけでも勲一等。一個艦隊司令官の身まで救ったとなれば、二階級特進はかたいわよ」


 一連の会話が、いんうつな空気を少しでもやわらげようとはかった上官の寸劇であることにアイリィが気付いたのは、このときであった。

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