「こちら陸戦第十二小隊長アーライル少尉だ。小隊全隊員応答せよ。きゆうするならば救援に向かう。生存者はいないか」


 ひとつの小規模な戦闘を無事に終えて精神にすこしの余裕を取り戻したアイリィは、なかば無駄と知りつつも、通信機に向かって語りかけた。これはもっと早くなされるべき行動であって、彼女もそれに気づいて自分の無配慮を深く恥じたが、私室を飛び出して目にしたその光景に彼女が一時の冷静さを失ったとしても、責めるのは酷であった。第一、彼女自身、この艦で何が起こっているのかおぼろげにでも理解しえたのは、あるていどの時間が経過してからのことである。


 彼女は返信を期待してはいなかったが、無線機の外に、エア・コンディショニングされた人工空気の中に消え入りそうな声を耳が機敏にとらえて、意外な角度から反応を得たのに気付いた。


 アイリィは声のした方角へ駆け寄った。すでに未来のすべてを失った者達のなかにあって、彼は、生命活動に不可欠な液体を体外に流出させながらも、残りわずかとなった生命力の蝋燭ろうそくに灯りをのこしていた。


「しっかりしろ。気を確かに持つんだ」


 アイリィはそう声をかけたことを、数瞬ののちに悔やむことになった。いや、後悔するとわかっていても、彼女はそれ以外の言葉を発することはできなかった。彼女の視界に存在する唯一の生存者は、しかし、腹部と脚部に深い傷を負っており、それが致命傷であることは、医学の専門家でなくてもさとらざるをえなかった。


 アイリィがそれ以上の言葉を失ってただ視線をなげかけることしかできないでいると、瀕死の若者は、尽きつつある力をしぼりだすかのように弱々しい動きで自らの首に下がったペンダントをはずして、それを上官に差し出した。


「どうか……これを母のもとへ……不甲斐ないことで申し訳ありませんが」


 アイリィはゆうよくしつつあった意識を引きずりもどして、あらためて若者の顔を見直した。アイリィ・アーヴィッド・アーライルの年齢は二十四に達したばかりであったが、この若者はそれより数年は若いように見えた。閉ざされつつある青年の膨大な未来への扉を、アイリィはこじ開ける術をもっていなかった。彼女は心に鈍い重量のともなった霜がおりるのを感じたが、それを外に出すべきでときではないことを承知していた。現実を、受け入れざるをえなかった。


「……わかった、心配するな。命に換えても、私が届けよう」


 可能な限りの明瞭な声で、アイリィは応えた。だが、それに対する若者の反応は、彼女の予想とややことなっていた。


「……それはいけません」


 驚きと疑問の中間の表情を浮かべた小隊長に、若者は最期の力を振り絞ってつづけた。


「それはいけません。隊長は、かならず、生きて……」


 若い兵士は、しかし、それ以上の言葉を継ぐことができなかった。アイリィはくずれおちる若者の身体をささえようとしたが、その体重のすべては小柄な小隊長の腕にかかって、もとの所有者はそれを二度と我がものとしようとはしなかった。彼は、あまりにも短すぎる人生に、その幕を降ろした。



 生命を失った身体を腕から放したアイリィの心中に、あい憤慨ふんがいが等分の割合で去来した。


「生物化学班は何をやっていやがる!」


 この十数分間にしゆつたいした事象をかんがみるに、本艦の主任務であった生物化学班の管轄する生物化学実験になんらかの異常が生じたと推察するのは、自然なことであった。それにしても、これほどまでに凄惨せいさんな状況を演出しえた原因は何なのか。アイリィには実戦部隊の出身である人間としては珍しく、事象の背景を推測し、仮説を立て、その仮説を検証して対応策を実行するに十分な広範な知識と頭脳、それに技量を有していたが、このときは、そのための時間が、圧倒的に不足していた。結局、彼女はわずかに芽生えはじめた思考を放棄して、みずからの生命を救う行動にうつらざるをえなかった。


 アイリィは、不謹慎ながら、生物化学部門に所属する彼女の親友が艦に同乗していなかったことに、心からあんしていた。もしその友人がこの任務に参加していたら、アイリィは決して耐えることのできない喪失感に直面し、生き残るすべを放棄していたかもしれない。友を救うため、あるいは友と死をともにするため、絶望的な戦いに身を投じることになったかもしれない。


「いや、あいつがいたら、そもそもこんな事態は防げただろうな」


 それは、あるいはアイリィの個人的な好意からうまれた過大評価であったかもしれないが、友人の能力に対する信頼の産物でもあった。いずれにせよ、その〝親友〟がアイリィの生まれ育った星で待ってくれているがゆえに、彼女は生還するための行動に、全能力をそそぐことができたのである。


 それは彼女の権利であり、友人に対する義務でもあった。

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