第36話 交渉



「——で、提案とわなんだね?」


 ハハルル博士がミリアドに尋ねた。

 博士は回転式のアームチェアに腰掛けてこちらを見ている。背後では壁一面のモニターが青白く光っていて、あたかも満杯に水を湛える水槽のようであった。


「ああ。そうだな、まずあらためて自己紹介させてもらうおうか。俺はミリアド・アイアンファイブ。神聖帝国の学生で準英雄だ。将来は一流の剣士を目指しているが、今回俺がここにいるのは……」

「御託はいい。本題を述べたまえ」

「話がはやくて助かる。……俺がしたいのは、端的に言えば、交渉の提案だ」

「交渉?」ハハルル博士のとがった耳がぴくりと動いた。

「そう、交渉だ。言うなれば、俺たちで今回の戦争の後始末をしないかという話だ」

「……ほう」

「本来であればあんたと俺たちとは対等なテーブルに着いて話し合える身分じゃない。かたや魔王城の幹部、かたやただの学生だからな。だけどもこの呪われた世界で、幸か不幸か俺たちは生き残ってしまった。その点だけは同じだ」


 ミリアドは大賢者相手に臆することなく語る。

 ここにいるメンバーのなかで最も身分が高いのがハハルル博士であるのは確かにそうなのだろう。しかし、見た目が子供である博士の前に対峙しているミリアドはメンバーのなかで最も高身長。ビジュアル的にはなんとも不思議なものがあった。


 そもそもこういう役どころって、ふつうは勇者の俺がやるべきことのような気もするが、生憎見ていろと言われたので俺は傍観に甘んじる。頑張れ親友トモよ。


「……だがしかし、だ。今回の戦争の結果という点だけ見れば、勝ったのは帝国側。魔王を倒し、魔国軍を無力化し、魔物の活動を鎮静化させた、勝利の要件としては充分だろう。あとは魔国側が降伏を宣言するかどうかだが――」

「降伏を宣言すると言ったって、こちらは国王も宰相も外相も死んだぞ。同じ話を何度もさせるな」


 ミリアドが話すのに被せて、ハハルル博士はつまらなさそうに切り返す。魔国政府要人は俺たちが来る前にリーズンが鏖殺おうさつしてしまったし、魔国の国王——魔王については言うまでもない。魔国側の彼女にとっては面白くない話だろう。


 しかし、ここまでとにかく魔王を倒すことに必死で他に思考を巡らせる余裕もなかったけど、こうしてあとあとのことを考えてみると、俺たち結構とんでもないことをしてしまったなという感じがある。いまさらだが。


「そう、その通りだ。魔国側の政治機能は帝国の作戦の結果、壊滅的な打撃を受けた。でも、俺は先に帝都が陥落していたって知らせも聞いている。首脳陣が一掃されたのは、状況としては帝国側も近い感じなんじゃないかと思うんだが、違うか?」


 今度はミリアドが問いかけた。

 徐々に会話のペースをこちらに引き込みつつある。


「……む。昨日来の帝都襲撃作戦では、皇帝宮殿や国会議事堂、魔術院等の主要施設は攻略に成功との報告が来ていたな……。…………少し待ちたまえ」


 ハハルル博士は近くの机上に投げ出されていた書類をガサゴソと漁り始める。

 というか、それ俺もさっきミリアドと似たようなこと言って突っぱねられた気がするんですけど。なんだこの扱いの差は。これがコミュ力の差か。そうなのか。


「ふむ……。軍や教会関係の建物を中心に大規模な空爆に晒されている。加えて、魔術系の施設には対魔術師専門の特殊部隊が突入済み。直接遺体が確認できた要人はまだ一部だが、仮に逃げ延びた者がいたとしても、呪いの混乱で無事ではあるまいて」


 あー、そうか。

 呪いのショックで忘れかけていたけど、帝都はとっくに魔国軍によって攻め落とされているんだよな。しかも魔王が戦場から帰ってきていたということは、守護役の四聖獣しせいじゅうもやられてしまっているのだろうし……。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 やり取りが政治的になってきてやや退屈気味なので――というか、いよいよ俺が蚊帳の外に置かれかけているので、このあたりでちょっと別の話でもしようかと思う。

 きわめて重要な話題の最中に差し挟まれる別の話——もちろん女の子の話である。


 ミリアドが割って入るまで、場の流れがしばらくハハルル・ファスファス独演ツッコミ大会の様相を呈していたために俺自身もうっかり失念していたが、ヨーリをはじめとした八十八番英雄隊のヒロインたちが、久しく話に参加してきていない。その理由を説明しておこう。



 まず、ヨーリ・イークアルト。

 彼女は呪いのに当てられていた。


 発動時にセーミャの結界に保護されていたとはいえ、無限に負の感情を呼び起こす魔王の呪いから完全に逃れ切ることはやはり難しかった。

 魂への直接的干渉は回避されたものの、霧のように充満する呪いのエネルギーは否応なく気分をダウナーにさせる。もともと魔術的な体質に乏しいヨーリは早くもその影響を受け始めているようだった。


 本人は大丈夫だと主張していたが、それが俺たちに迷惑を掛けまいとする気遣いから来る強がりであることは明白で、顔面はほぼ蒼白、肌にはあぶら汗がにじんでいた。

 精神的に不安定になりつつあるヨーリにはミリアドが付き添っていて、定期的に「大丈夫かい、ヨーリちゃん」「ええ、ミリアド君こそ……」とやり出すために、周囲数メートル圏内のいちゃつき濃度が右肩上がりに上昇するという問題も並行して発生していた。これで双方付き合ってるわけではないどころか、まだ出会って二日そこそこというのだから驚きである。爆発すればいいのに。あと、ツッコミ役が不在になってしまったことも地味に痛手であった。



 次に我が妹、グレイス・シューティングスター。

 彼女もまた、いつもの溌溂はつらつな勢いを失していた。


 召喚魔術の天才であるグレイスは父親の娘であるだけあって体力的にはタフであり、呪いの影響は軽微で済んでいた。

 しかし、先の魔王封印の際、魔力供給システムを止めるのに相当無茶な魔法の使い方をしたため、以降はずっと抜け殻のようになって虚空を見つめている。俺が話しかけてもうわ言をつぶやくばかりである。くりくりとした瞳からはハイライトが消え失せ、小刻みに振動するさまはさながら壊れた機械人形か、はたまた怯える小動物のごとしであった。


 いっそ普段もこれくらい大人しくしていてくれると兄的には助かるのだが――などと言おうものなら、後でどんな仕打ちを受けるか分かったものではないのでそれは俺の心のなかにしまっておくことにした。


 

 最後に、セーミャ・エトセトラ。

 結界を張って俺たちを守ってくれた彼女は、誰より消耗が激しかった。最大限の力で俺たちを守り通してくれたのだから無理もない。


 直後は衰弱して見るも痛々しく、そのまま放置しておけば命にかかわるかと思われたが、現在の彼女はひとまず安静な状態を保っていた。

 というのも、あのとき、弱っていくセーミャの傍らで俺が何もできないでいると、彼女が抱えていた白魔法用の杖が勝手に起動、強力な回復魔法で彼女の全身を包んだのである。どうやら杖の持ち主が危機的状況に瀕した場合、自動的に処置を施すように設定されていたらしい。中央教会の魔導装備パねえ。


 そうしてセーミャは白い光のなかでスリープモードにあった。杖と一緒に床から少しだけ浮いている。発光する美少女が直立不動で浮遊している光景は何かイケナイものを見せられているようでドキドキしたが、近くで見るとその目は薄く開かれており、かといって俺たちの行動にリアクションがあるふうでもなく、本人の意識があるのかどうかは不明であった。ただ魔法杖が発するピッピッピッ……という音だけが静かに響いている。正直ちょっと怖い。



 そういうわけで、三人のヒロインたちは各々の理由で会話に参加するどころではなかったのである。メインキャストがこんな状態で大丈夫なのかと不安になるが、これまでもどうにかなってきたし、まあなんとかなるだろう。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 閑話休題。



「——でだ。神聖帝国と魔国、両国の政治が機能不全にあるいま、俺たち八十八番英雄隊が帝国側の臨時代表をやらせてもらおうと考えるのだが」


 ミリアドはつとめて平坦な語り口でハハルル博士に話す。


「好きにやればいいだろう」

「まあ聞いてくれ。この臨時の交渉に際して、〝魔界の大賢者〟ハハルル・ファスファス閣下におかれましては、とりあえず、その相手役を務めてほしいんだ。さしあたってのそう、『魔王代理』としてな」

「そんなこと…………ふん。まあ、よかろう」


 ミリアドの『提案』に対し、ハハルル博士は面倒くさそうに応答している。魔王城幹部の生き残りとはいっても、彼女は政治の話にはそれほど関心はないようだった。魔国の重要人物でありながらリーズンの暗殺対象から外されていたのもその辺が理由だろうか。


「それで交渉というのはあれかね、やはり帝国領土の回復についてか。世界の半分をよこせとか、そういう話かね」

「いいや、違う」


 ミリアドはハハルル博士の問いをスパッと否定した。


「それじゃあなんだというのか。帝国は北東辺境領奪還のために全軍で侵攻してきたのではないのかね。残っていた下位の八十八英雄すべてを総動員してまで成し遂げたかったのは、そのためじゃないのであるか」

「おや、そこらの作戦はやっぱ知られちまっているのか」

「……把握できていたのはそこまでであるよ。キミらがこんなに早く魔王城に来ることが分かっていたら、また違った対策を講じただろうさ」

「ははっ。そりゃそうだ。……だけど、俺が交渉したいのは領土問題じゃない」

「だからぜんたい何が言いたいんだ、あぁん?」

 

 ハハルル博士は威嚇的にイラついてみせるも、ミリアドはあくまで堂々とした態度を崩さない。


「それなんだが――」


 そして次の瞬間にミリアドが告げた言葉は驚くべきものだった。

 いや、ある意味では当然の一言であったのかもしれない――。



「——なあ、俺たちと協力してこの呪われた世界を救ってくれないか」



 ハハルル博士は目を丸くした。

 俺も目を丸くした。


 え、この世界を救う!? よりにもよって魔王代理と協力して!?

 ええええええええええ!!!!????


 ってか、なんだそのカッコイイ台詞!!

 下手するといままで一番勇者っぽい台詞だったんじゃないか!?

 俺も!! 俺もそんなこと言ってみたい!!!! 



 ………………………………………ああいや、ムリか。




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