第37話 世界の全部をお前にやろうと魔王代理は言った



 魔族(魔王代理)と協力して世界を救う――。


 ミリアドが提案したアイデアは俺たちを驚かせた。



 ………………ああうん。まあ、冷静になってみれば、まったく予想だにしなかったことはないというか、取り立てて驚くべきとまでは言えないかもしれないし、ぶっちゃけ流れ的にそうなるしかないわなというたぐいの台詞ではあった。


 誰かがそう言わなければ話が進まなかった。

 何かが起こらなければ話が回らなかった。

 なんというかそう、


 だけども、この停滞した世界に取り残された俺たちには、再び力を合わせて状況をどうこうしようという考え自体が出てこなかったのだ。


 守ったと思ったものを守り切れなくて――。

 もしくは拠りどころとしてきたものを失ってしまって――。


 もっと言ってしまえば、無自覚なままに呪いの絶望に呑まれていたのだ。


 ゆえにミリアドの言葉は、客観的な陳腐さ以上に俺たちをはっとさせた。

 とかくその場の勢いというのはおそろしい。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 思わぬ提案を持ちかけられ、ハハルル博士もいまばかりは、しばし虚を突かれて返答に窮していた。そんな彼女に構わずミリアドは交渉を続けた。


「魔王の呪いを解くにはいまの俺たちだけじゃ無理だ。力を貸してくれないか」

「そ、そんなこと、魔族のボクが人間なんかに……」

「このさい種族は問題じゃない。っつーか、種族の壁を取り払うために世界を救いたい、みたいな感じか?」

「種族の壁を取り払うだと……?」

「これは俺の推測なんだが……。果たされるべきだった魔王の計画があんたの理想と合致したものだったのなら、憎悪と分断が増殖する現状こそ、あんたが思い描いた理想とは正反対のものなんじゃないのか?」

「…………貴様、我らの計画についてどこまで知っている」

「だから推測だって言ったろ。確証があるわけじゃない。でも、その反応だと俺の勘もあながち大外れでもないみたいだな?」

「その、すべて知ったふうな言い回しをやめたまえよ」

「ああ、スマン。いやな、魔王には『計画』があったと言っていたが、結果として起こってしまった呪いの発動は、あんたにとっても想定外の事態だったんじゃないのかと思ってな」

「……知るか。王の勅命は絶対だ。呪いだろうとなんだろうと、ボクは魔王様の考えに従うまでであるよ」

「そうだな。もちろん、あの呪いも緊急時の手段として魔王の計画に組み込まれていた可能性はある。だけど少なくとも、世界が呪われることはあんた個人として望ましい結末じゃあなかった、俺はそう思ってるんだ」

「それ、わ……」

「あんたは魔王城の他の魔族には仲間意識を感じていない様子だった。むしろ淡白に見えた。でも自分がつくった機械には『ボクの子供みたいなもの』とまで言い張る。その温度差には何か特別な感情があるんじゃないかと思ったんだ。例えばそう……ハハルル・ファスファスは、とかな」

「……っ!! そ、それを、どこで……」


 焦るハハルル博士。

 何かまた衝撃の事実的なのが暴露されかけている気がするが、シリアスモードは俺がツッコむ余地が少なくなってしまうのであまり長引かせないでほしい。

 ただでさえ油断するとすぐ影が薄くなってしまうのが俺なのだ。

 みんな、もっと俺に構ってくれ。


「まあ落ち着けよ。なにもそれをネタにあんたを揺すろうってんじゃないんだ」

「そ、そうなのか……?」


 ハハルル博士は焦る以上に何かに怯えているようだった。

 顔色が悪く、その小さな肩も震えているのが傍から見ても分かった。


「ヨーリちゃんの話じゃないが、俺も帝国のやり方はもう限界が来ていたと思っているんだ。勇者の聖性を過信するのも、教会の強権的な統治も、他者を制圧して膨れ上がっていった歴史そのものも。魔族が反乱を起こすのだって、さもありなんだぜ」

「か、かりにも勇者のパーティーメンバーとは思えぬ発言であるなっ」

「ははっ、まったくだ。だけど、長く続いた帝国秩序もここまでだ。魔族を邪悪なものと決めつけ排除する中央教会、人間と魔族を分断することで維持されてきた帝国の体制——そのどちらも、これから先の世界には必要ないんだ。そう、呪いさえ解ければな」

「呪いさえ解ければ……」


 ハハルル博士の目は大きく見開かれていた。

 その瞳は何か新しい希望を発見した少女のように輝いていた。

 俺には博士がミリアドに好いように誘導されているとしか思えなかったが、いまの彼女には何を言っても無駄に思えた。


「あ、それとさ、さっきの話、俺の勘だと言ったが、まったくアテがなかったというのでもないんだよな」

「アテ、だと?」

「ああ。ホーリーハックで魔術史研究の学史について調べていたときにさ、学院図書館の書庫の奥で、数十年前に連邦の大学で発表されたっていうハハルル・ファスファス名義の論文を読んだことがあるんだ」

「あ、ああ……。それは、ボクが研究者として駆け出しの頃に書いた論文であるな……。そんなものよく見つけてきたな……」


 ハハルル博士はひどく懐かしそうにつぶやいた。

 一方のリーズンは変わらず軽口をたたくような軽快さで応じる。


「なに、魔王が魔術史研究の分野で功績があるって知って、参考文献とかをたどってたら行き当たったんだがな。……もっとも最近の帝都じゃあ魔族の書いた文書って理由だけで弾圧の対象になってて、探し出すのにくっそ手間がかかったが」

「貴様はよくそのなぞをわざわざ探して読もうと思ったな」

「あ、いやあ……。それはなにも俺の独力っていうか、魔術史を調べたいっつったら担任のクリーンライト先生がいくらか関係書をリストアップしてきてくれたおかげでさ。そのリストには人間・魔族隔てのない著作が並んでいたんだ」

「ふむ……。帝都にもまだそのような教師がおるのであるか……」

「ま、学校の勉強だってそれなりに真面目にやりゃあ、それを手がかりにして世界を救うこともできるかもしれないってことさ」


 うぐはっ。

 ミリアドがハハルル博士に向けて放ったその台詞は、話の本筋にかんけいなく俺の心にクリティカルヒットした。

 その学校の勉強さえ真面目に取り組もうとしなかった上に、魔王城まで乗り込んだ勇者でありながら世界を救えなかった俺っていったい……。


「なあ、ハハルル博士! あの論文を書いた頃のことを思い出してくれ! 魔王のじゃない、あんたが目指していた理想は何だったんだ!!」

「そうだな、ボクは……ボクは……」


 ミリアドはそこですっと腰を落とした。それまで見おろし/見おろされる構図だったミリアドとハハルル博士の目の高さが、同じ水平面上に固定される。

 両者の視線がかち合う。急に周囲の雰囲気までもが変わった感じがした。


 お世辞にも丁寧とは言えないミリアドの交渉術が正しいのかどうか俺には判断できなかった。他に上手いやり方も思いつかなかった。どちらにせよ、俺が同じ役回りに立たされたとしてもミリアドのようにはいかないだろうことは確信が持てた。


「そ、そこまで言うからには世界を救う方法とやらも何か考えがあるのだろう?」

「いや、それは分からん」


 分からんのかよ!

 あ、やっとツッコめた。


「……はあ。やれやれ、それでよくこのボクと交渉しようなどと……」

「だからその方法をどうか、一緒に考えてほしいんだ。新しい世界のために」

「そ、そんなできるかどうかも分からないことを……」

「大賢者ハハルル・ファスファスは魔界最高の知性なんだろう? どんなことであれ、絶対できないってことはないんじゃないか?」

「む。それはむろんだ。ボクに不可能なことなどない!」

「頼む、力を貸してくれないか」

「むむむ……」


 そして、ハハルル博士はしばらく考え込んでしまった。


 乱雑に積まれた書類の山をひっくり返したり、分厚い魔術書をめくったり、コンピューターの画面と睨み合ったり、かと思えばふいに床に数式を書き散らして「ふむ、実に面白い」などとつぶやいたりしていたが、あるタイミングで何かを思いついたらしく「イケる、イケるぞ!」と高揚を隠し切れずに叫んだ。


「な、なにがイケるんです……?」と、俺は博士の機嫌を損ねないようにおそるおそる尋ねた。しかしその疑問は「やはりボクは天才であるな! ふははははッ!!」という彼女の幼くよく通る声にかき消されてしまった。

 ちびっ子博士は周りの本や書類を押しのけると回転イスから床にぴょこんと着地し、部屋の隅のほうを見やった。


「おいっ、聞こえてるか暗殺勇者!」

「……ああーん? なんだよ、オレ様に何か用か?」


 ハハルル博士の呼びかけに、壁際の暗がりからリーズンが間延びした返事をする。


「そうだっ。貴様、帝国の国家機密のはずの勇者召喚プロジェクトについて少なからず知っているようなことを言っていたな?」

「……だったらなんだってんだよ」

「ふむ、でだな! 貴様の口振り、ただ極秘情報を持っている以上の何かをつかんでいるのではないかとボクは踏んだが、違うかね?」


 その問いは出し抜けで、根拠らしい根拠はないように思えたが、何故かリーズンは待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑って答えた。


「……くくくっ。ああ、そうさ。オレ様は中央教会の奴等が内心大嫌いでね。連中、口では八十八英雄を尊敬する文句を唱えながら、その実で戦争の駒程度にしか思っちゃいねえ。いつか一泡吹かせてやろうと、重要そうなアイテムを少しずつくすねていたのさ。——の場合の保険として、ね」

「……それはひょっとして、異世界のデータに関するものでわなかったか? そして、貴様は帝都からそれを持ち出して、いまもその身に携行している……」

「くっくっくっ! 驚いた、正解だぜ!」

「ふっ、上等である!!」


 どうしよう、会話の厨二力が高すぎてついていけない。

 あれだけいがみ合っていた二人がいつのまにか通じ合っているようだし、見ているだけの俺にはさっぱり意味が分からない。


「ついで、そこの育ちのよさそうな優等生風の娘!」

「はへっ!? あ、わ、私ですか!?」


 ハハルル博士の矛先は、次に現在絶賛弱り気味のヨーリに向けられた。


「そうだ、おまえだおまえ。ああ、ヨーリ・イークアルトとかいったか。確かお前、帝国大学教授のジャン・イークアルトの娘だろう?」

「あ、えっと、そうですけど……」


 ここに来てまさか敵の口から明かされるヨーリパパのファーストネーム。


「で? お前自身は魔導工学の心得はあるか?」

「ええ、まあ。多少は……」

「ふむ。でわ、魔王城の機械設備の調整を頼んだとして、どこまで任せられるかね?」

「え、あ、あの……」


 唐突な質問攻めにヨーリは当惑していた。ハハルル博士とはこれまで絡みらしい絡みもなかったのだから当然である。しかもいろいろとすっ飛ばして、何かとんでもない役割を押しつけられようとしている。


 ――あれ、でもヨーリってメカをいじるの趣味なんじゃなかったけ?


 そのことを俺が訊くと、


「えっ、えええ!? 誰がそんなことを……?」と、さらに当惑されてしまった。

「えーあー……、そう、クリーンライト先生が言ってたんだ、追試の前に」

「そ、それは誤解ですよう!!」

「えっ、そうなの?」

「はい……。たまにお父さんの研究の手伝いをしていたというくらいで、私個人としては別に、そんな……」ヨーリの声は尻すぼみになっていく。

「おお、そうかっ! じゃあ、ヨーリ嬢、キミをボクの助手に任命する!」

「あ、はい……って、え!?」

「頑張ってくれたまえよ!」


 俺たちの会話を聞いていたのかいないのか、ハハルル博士はしめしめといった顔で満足そうに頷いた。こちらは何が何やらである。


「あと、そこでへばってる勇者の妹!」

「え、なに……」


 続いて指名されたのは俺の妹、グレイスだった。彼女は魔力の枯渇ですっかり脱力してしまい、他にやることもなくヒマそうに毛先をいじっていたところだった。よもや自分にまで声がかかるとは思っていなかったようだ。


「お前さっき、あの玉座の間の魔力召喚陣をほぼひとりでキャンセルさせてたな」

「えへへ! まあね! 召喚魔法に関しては天才だからね、アタシ☆」

「じゃあお前、召喚魔法のコーディネーターなっ!」

「うぇ!?」


 一瞬誇らしげになったグレイスだったが、彼女もまた謎の肩書きを割り振られてしまった。ハハルル博士、一度勢いに乗るとワンマンでガンガン物事を進めてしまうタイプっぽい。それにしても『召喚魔法のコーディネーター』とは。


「残るはそこの白く光りっぱなしの魔導士だが……。そいつのはいつ頃終わるのであるかね」ハハルル博士はセーミャを指して俺に尋ねた。

「ああ、ええと、杖の表示によるとあと一一三三八秒……。三時間ちょいみたいですね」

「それならよしっ」

「????」

「おい、どうせ聞いているのだろう? 回復が済んだらその実力、存分に発揮してもらうからな、シスター!!」


 博士の放言を受けてもセーミャは半目のまま黙って光のなかにいた。やはりよく分からないが、セーミャもしっかり頭数に入ってるみたいだった。


「そうかそうか……。よしよし、ふむふむ…………!!」


 ハハルル博士はひとり納得して部屋をぴょこたんぴょこたんと徘徊している。

 この流れで行くと次は……。


「おい、聖剣の勇者よ!」

「あ、はいっ。なんでしょう!?」


 ほらキタ。いったい俺にはどんな無茶振りが?

 身構えた俺だったが、博士の口から伝えられた内容にまたしても呆気に取られることになる。


「半分などとけち臭いことは言わない、世界の全部をお前にやろうじゃないか!!」


 …………え、いや、はいいぃぃ!!???




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